2003_03月日記

last-modified: 2011/12/14 02:41:24. JST

2003年3月1日(土)

未明、発表用ポスターを校正してもらおうと先生にメール送ってから帰って寝る。 説明の台本を作らなならんが、英語はやはり敷居が高くなかなかやる気にならない。

漫研の例会。 いざ漫画を描く話になると照れてしまって話ができない。 これじゃあいかんよな。


2003年3月2日(日)

kinoka さんに聞いたところによると、gnuserv とかその辺で俺が Emacs で足りないと思っていた点が克服できるみたい。 Emacs の方が良いかなあ。 かなり揺れている。

ポスター打ち出しとかに手間取り、結局徹夜で研究会。


2003年3月3日(月)

午前研究室で予備図版の印刷と台本書き。 それから研究会。

ポスター発表。 手前味噌だが、内容はよく出来ていたと思う。 ぱっと見図像が目立つし。 でも英語で説明ができないの。

英語ができたら楽しそうだな。 4月はラジオ英会話でもやってみようかしら。


2003年3月4日(火)

HHKeyboard の動作が渋くなってきた気がする。 そろそろ買い換え時期か?

最近よく眠れない。 6時間くらいで目が覚めてしまう。 よくない。

研究会中あんまり眠かったもんで会場の外で椅子寝してたら夢を見た。 ガムを噛んでたら喉に入ってしまって、指で掻き出しても掻き出しても喉に残って呼吸ができなくなる。 夢の中で呼吸ができないときは実際に呼吸を止めていたみたい。 ……無呼吸症候群とかいうのを聞いたのでそれに影響されたのかなあ。

自転車の修理。 締めて 10,685円ナリ。


2003年3月5日(水)

研究会も終わったのでガツガツ寝るぞー、と思ったら、3時間で目が覚めてしまった。 とりあえず起きて、ウェブサイト管理用ツールを作る。

とりあえず出来た。 あとは便利そうな機能をゴツゴツ付けるかな。

更新されたファイルを自動的にサーバに送り付ける機能は付いた。 次はサイトマップの自動生成かな。 ……やっぱりやめとこう。 あんまり綺麗に出力できなさそうだし。


2003年3月6日(木)

タダイマ。 Emacs に帰って来ました。 lookup すげえ。 UNIX で辞書検索ができちゃうよ! 感動した!

最近ローカルサイトを windows マシンから見ると化けていた。 まあ、w3m では化けないしそんなに問題ないかと放っていたのだが、apache の問題だったみたい。 /usr/local/etc/apache2/httpd.conf の "#AddDefaultCharset " を ISO-8859-1 から EUC-JP にすると直った。

zsh+euc-hack で「門」の字がきちんと表示されるようになりました。

ホームディレクトリの模様替え。 外に見られたくないファイルを ~/private に隔離するんじゃなくて、普通に置いておい てパーミッションで対処するようにした。


2003年3月7日(金) 「ウルトラマンの娘って、どんな名前なんだろうな」

perl を知ってはいるが、もっと便利に美しく使うには、もっと勉強が必要だ。

「1年漫画を描いて過ごす」みたいなことを言うていたが、万に一つ俺が「最も良いデバ イスを世界で初めて開発する人間」だった場合、そのデバイスが世に出るのが一年遅れる ことになるのだな、と思った。

kinoka さんに追従して XEmacs → Emacs に移行した。 良くなった点。 XEmacs ではある仮想デスクトップで最後のフレームを閉じようとした時、別の仮想デス クトップに Xemacs のフレームがあっても「最後のフレームを閉じるときは C-x C-c を 使いなさい」と蹴られていたのが、閉じられるようになった。

本日のスクリプト。 ~/src 以下の実行可能ファイルを ~/bin にシムリンクを張る。 暫定版は出来たがまだ十分じゃない。

yaTeX が良くなっている。 範囲指定して M-; でコメントを囲むことができるようになった。

例えばの話、生について論じることは死について論じることと同じだとか。


2003年3月8日(土) 「チートは、その塩辛さや脂っこさで米国人の代名詞とも言われ、毎日300万袋が製造されている。」(CNN)

gnuserv が動いた。 カーッコイイ! メール書きとか掲示板書き込みに Emacs を使えるようにしてもいいな。

研究室先輩の結婚式二次会 → 漫研追いコン。

追い出される ぜっと氏と UNIX 話。 mnews はやっぱり古くさいらしい。 俺もそう思うんだけど。 Mutt も今一つらしいし。 ターミナルで動くメーラで良いのってやいのやろか。

カラオケ。 一時期歌うことが好きで好きたまらない時期があったんだけど、練習してもそれほど上手く なれるわけではないと気付いてその気持ちがちょっと萎えた。 で、暫く歌わんかったら下手んなってる、と。 練習せんと維持できんのやったら、とまた萎えた。

まあ好きは好きなんですけどね。 確かに喉は痛かったので、その所為ということにしておこう。


2003年3月9日(日)

嫌いということ。 「嫌いというのは論理ではなく感情」なんだな、と。 知ってはいたけど漸く実感、というか認識できた。

一番嫌い、というのも結局は今までの生きて来た中で一番嫌いというだけでしかないし。 今一番ムカつく奴でも、まだ見たことのないもっとムカつく誰かと比べたら可愛いもんな んだろうな、とか考えてみたりする。

仮に世界(或いは社会)がもっと統一されたとしても、ローカルには「奴らは嫌いだ」という感情は決してなくならないし、その総量も変わらんだろう。 普通人間はお互いの差に目が行くものだし、完全に同じものでない限りその差をクローズアップして認識するからだ。 そして完全に同じということはあり得ない。


2003年3月10日(月)

コンピュータいじりもいい加減にしたいんだけど、やりたいことがいくらでも湧いてくる。 困ったことだ。

ny を導入してみる。 風景写真が欲しいんだが、そんなもの落ちてこないし。 "風景 写真" で引っ掛けたら "写真集〜〜撮影風景"なんてのが掛かってくるしなあ。 まあポーズ集を作る向きにはそれほど苦労しないかもしれない。


2003年3月11日(火)

漫研者アンテナを立ててみた。 文句、意見のある方はいっぺいまでよろしく。

帰って漫画を描くつもりだったんだけどなあ。 寮に寄っている間に3時間以上が過ぎてしまっていた。 まあ、emacs 関連でちょっと聞きたいことがあったのである程度は必要だったのだが。

救急戦隊ゴーゴーファイブ(英語版)の 1:12 あたり。 「さいたまさいたまさいたま〜」にしか聞こえない。


2003年3月12日(水)

FreeBSD マシンで音楽を流している最中に、ちょっと別の音楽を再生しようとしても "Can't open /dev/dsp!" と怒られて再生できない。 この辺は UNIX の事情による。 サウンドカードへの音楽の出力も(デバイス)ファイルへの出力という形を取って いるため、ある出力がそのファイルを占有している間は別のプロセスはそのファ イルへ出力できない。 プログラムをサスペンドしても同様。 これを回避するには直接デバイスファイルに流すのではなく、あるプログラムに 流してやり、そのプログラムが音声データをミックスしてデバイスファイルに流すよ うにしてやれば良い。

ということをぼーっと考えていたけれど、誰かやってそうだよな、ということで調べてみた。 …… EsounD というのがそうらしい。 カテゴリ名はサウンドサーバとかサウンドデーモンとかそんなの。 もちっと調べてみるか。

教授宅にお呼ばれして軽い宴会。 参会後、酔っぱらった状態でもりりん邸に寄る。

まあなんか、もうちょっと考えて行動せんと。 思ったことをガンガンぶつけたらあかん。 一番伝えたいことが伝わることを第一義に考えるようにせんと。


2003年3月13日(木)

正確な図面を描いてもそれほど効果はないのだが、「可能な限り正確に」という立場 を取るべきなので、まあしょうがない。 ということで計算の入力ファイルを解析する。 自分のスキルが向上するんだったらまだしもやる気になるんやけどなあ。

cron もキチンと動いてくれた。 アンテナの情報取得頻度をもうちょい上げるかな。


2003年3月14日(金)

久々に酒を買う。 最近なんか余裕なくて部屋でマターリ酒飲んだりできなかった。 今日はドイツワイン(辛口)。 当たりを引いた気がする。

「なつみかん」導入はそんなに難しくなかったので、ドキュメントを書くつもり はなかったのだが、少し思い直した。 難しくなかったのは私の特性にたまたま合致したためかもしれない。 perl を初めとするスクリプトを書かない人間はちょっと躓くかも知れない。 また、どのディレクトリに置くべきかという哲学、プロバイダのホームページサービスに自 動アップロードするためのノウハウは、それなりに価値のあるトピックなのではないかと。

「わざわざ UNIX を使う気が知れない」とか、そういう意味のことを言われた。 まあ別に分からんちんには無理に伝える気もないので良いのだけれど。 でもムカつくことは確か。

私は、私の思想に沿って行動している。 「マウスでクリックするだけでできるので簡単で便利」という思想より、 恐らく先にある考えだと思う。

私がやっていることは、一言で言えば「作業の最大効率を求めている」ということだろう。 「マウスでクリックするだけでできる」というのは、たしかに美徳だろう。 だがマウスオペレーションはオペレータへの負荷が高く、何度も同じ作業を繰り 返す場合には欝陶しい。 常にディスプレイ出力を人間が待ち受け、その結果に応じて違った反応を返さな くてはならない。

例えば「デスクトップのあるアイコンにマウスカーソルを持って行く」という 作業でも、経験に依ってある程度マウスを動かし、その結果と目的点との差分を埋 める為に同様の動作を繰り返す必要がある。

直感的で分かり易いアイコンを作るのは、尋常じゃないセンスが要ると思う。 研究で愚にもつかないアプリケーションを使わなければならない場面が あるのだが、そのアイコンが図形と意味をセットで覚え込んでしまわなければサッ パリだったりする。 図形と意味を結び付けて覚えなくてはならないのだったら、なぜ GUI でやらね ばならんのだ?

マウスオペレーションの方が全てに於いて優れていると思っている人も少なくな いのだろうな。 既に何度か書いたことではあるのだが。


2003年3月15日(土)

歯石が溜まるという作用は、人間の自己防衛・再生作用の一つだと勝手に思っていたが、やっぱり違うようだ。

学校行きたくねえという思いがかなり溜まってきた。 弓の弦を張り続けているような感覚。 まあ甘ったれというのは分かっちゃいるんだが。

昔読んだ絵本で、「顔を洗って、歯を磨いて、爪を切るだけで女の子にモテる」という本があった気がする。

select-emacs。 既に Emacs が起動している状態では gnuclient-emacs に投げる仕掛け。 どうも ps の出力はリアルタイムのシステムを反映していないっぽい。 ということで、ps 出力からプロセス ID を取得し、それが /proc/ 以下に存在 するかどうかで本当に現在起動しているかどうかを判定するようにした。 zsh スクリプトで表現し切れなかったので perl で書いて、それが ~/bin に存 在すれば emacs をそのスクリプトへのエイリアスとして扱うようにした。


2003年3月16日(日)

長月氏が来るという。 追って連絡すると言われたので、とりあえずウィスキーを入れて暖めておく。 まあ、喫茶店でケーキ食ったり酒メシ食ったりボウリングしたり。

ボウリングは中々好成績だった(107-166-142)。 私の最高得点は小学校高学年の時に出した185点なんだが、考えたら15年も更新 されてないことになる。

みんな無造作に右手でボールを拾ってるけど、あれを左手で支えるように取るだ けで握力の保ちが大分違うと思うんだけど。

まるりん邸でのんびりと飲み。 アンリミテッドサガ、絵が格好良いなあ。 システムはダメっぽいが。

「漫研はどうあるべきか」みたいな議論。 一応頭の中にふわふわとしたものはあるんだけど、キチンと説明できる形になっ ていない。 そのうち何か形にして発言したいなあ。


2003年3月17日(月)

歯医者の予約入れていたのに忘れていた。

発表用の図面描きとシナリオ練り。

水曜日にリハ。 それまでにキッチリやって、それから一日でゴージャス原稿を仕上げる予定。

1杯だけのつもりだったがついつい適量を飲んでしまった。


2003年3月18日(火)

リハ準備の目途は立ったのでボチボチとする。

原稿描けない。


2003年3月19日(水)

某が借りて来たというキングゲイナーを1話だけ見る。 激しく置いてけぼり。 まあ姫様が可愛いということは分かったが。

リハはまあつつがなく。 多少の再構成で済みそうだ。

発表そのものは結構上手いと言われる。 しかし質疑応答の技術がまだまだ足らん。 言いたい事を完全に表現するには非常に多くの言葉が必要だが、そもそも完全に 表現することにそれほどの意味はない。 限られた時間 で有益な議論をするためには、(正確さは多少犠牲にしても)より少ない語数で言い たい事を大雑把に表現するスキルが必要。

また風邪。 今度は喉。 明日休もうかなあ。 とりあえず、天一を投与して様子を見よう。


2003年3月20日(木)

頭がクラクラして痛い。 9:00くらいに起きたけど、そこから炬燵で5時間程眠る。 学校は無理。 行くことは可能だが、生産的なことは出来ない。 ということで休み。 でも漫画は描けるの。

一杯一杯漫画描いてました。

Socket370 デュアル CPU マザーとか、AMD の CPU が載った Socket 462 マザー なんてのがゴミに出るようになった。 両方ともすぐに持ってかれて帰ってこないところを見ると使えたということかし ら。


2003年3月21日(金)

もりりん OPED 集リストは今までに送った人にしか送ってません (←何だこの日本語は)。 他に欲しい人は連絡下さい。

スキルというもの。 「〜〜できる」という状態は、結果だけ見れば同じだが、その内容には幾らかの差 が存在しうる。

たとえばあるマシンのデータを他のマシンに転送する方法で私に思い付くのは、 「ftp」「rcp」「scp」「rsync」「windows共有(samba)」。 あと、特殊な状況では cvsup や http を使うこともあるだろう。 それぞれの特徴を把握しているので状況に合わせて適当なものを選ぶことができ る。 こういう「選択肢の広がり」と「選択する際のポイント」が、スキルというものなんじゃない かと。

「こういう絵を描きたい」という時に、どうして良いかサッパリ分からない。 愚直に描くしかないので「ただ一つだけ思い付く」という状態に相当する。 もうちょっと絵に重点を置きたいな。

気付かれてないか、規模で区別されているか、完全に無視されているか。 一番目であることを期待する。


2003年3月22日(土)

月末に千葉で学会があるので、ついでに東京でプラプラして来ようかと。 で、その前にメール環境を整えておけば出先でメールを確認できて便利かもしれ ん、とやってみる。

News を見るわけでもないので mnews は今一つ。 下宿から送信できない(原因不明)とか、補完機能の不備とか。 ということで、Mutt にするか Wanderlust にするか。 gnuserv が使えるので以前ほど Emacs でないメーラに拘る必要もないなあ、と かぼんやり考える。 Mutt の設定がなかなか面倒臭そうだからそんな逃避。

なんかスイッチ入った。 Mutt の設定楽しい。 いや、ウェブの Mutt 設定ページを見ながらやってたんだけど、俺もこういう気 分になれるようなページを作りたいなあ。

それに付随して select-emacs を拡張。 第一引数が '-F' だった場合はフォアグラウンドジョブとして起動する。 しかし gnuclient-emacs を -nw モードで起動する方法が分からんので保留。 kinoka さんに相談せんと。

mutt への移行作業をやってて分かった。 下宿からメールを送れなかった理由は、SMTP サーバが通してくれなかったせい だと。 imput の送信先をプロバイダの方に変えたら通った。 後から考えると一番疑うべきところなんだよな。 うーむ。 まあ mutt は格好良いから良いのだけれど。

cleartrash。 ~/.trash に放り込まれたデータで更新時刻が8日以上前だったら本当に削除する 仕掛け。 シェルの方で rm を mv $* ~/.trash などとした上で touch してやらないと考 えた通りの挙動を示さない。


2003年3月23日(日)

mnews はコンパイルオプションを細かく制御することにより実行サイズを極限ま で小さくできることに特徴がある。 ports/packages で入れると「標準的な」mnews がインストールされるが、これ はカラー化されていない。 カラー化するにはコンパイル時にオプションを付けておく必要がある。 確かにマシンリソースの厳しい環境ではかなり有効なアプローチなのだが、私の使っている環 境はそれほど厳しくないので楽に設定できる方が余程好ましい。

学校停電。 休日出勤はできないので持ち帰り。 そして案の定、東方紅魔郷に逃避。


2003年3月24日(月)

停電、学会前のクソ忙しい時期に…… まあしゃあないけど。 復旧作業に半日かかりました。 そのあと10時間くらい OHP 作成。

風邪は治りかけていたが、過負荷のせいで熱が出て来た気がする。


2003年3月25日(火)

研究のバックボーンが薄っぺらいのはしょうがないのだが。 まあ最後まで詰め込みますか。

木曜日午後発表だが念の為前日行って宿を取ろうかと。 ……思っていたのだが、無駄だよなあ。 当日早朝に出発することにしようかな。


2003年3月26日(水)

1:00に寝るも3:00に目が覚める。 まだ体調どっか悪いんかな。

もう3月も終わりか。 今年になってからやったことの3倍しか残りの時間で出来ないと考えると怖ろし い。

ここんとこ風邪やら、(卒業式で)体育館が使えないとかでシャワーを浴びられなかったのだ が、やっぱ気持良いな。 シャワー付きの下宿というのはやっぱり憧れる。 付いてたら流石に毎日浴びるだろうし元は取れると思うのだが、何となく贅沢な 気がする。

シャワーを浴びたらスーッと体温が低くなって来て、心地良く眠れました。 多分、体力が戻りつつある徴候。 出発するのは明日早朝にします。 ということで、学会で千葉、行って来ます。


2003年3月27日(木)

学会1日目で午前は記念講演とかあんまり面白そうにないスケジュール。 で、発表は午後一発目。 あんまりあったまってない感じ。 てゆーか敗北。 議論スキルがまだまだ足りんなあ。

駅をぐるっと一周回ってみたけど、宿がない。 一件見つけたが満室。 まあ当然なんだが。 電車で移動してホテル探すのも面倒なので某に電話「今晩泊めてください」。

インド映画「ラガーン」。 英軍中尉の悪者っぷりが分かり易くてすごく良かった。


2003年3月28日(金)

ゆっくり目に出てまた千葉大。 ぼーっと発表を聞く。 聞くスキルも足らん。 全然発表者の意図するところが捕めん。

発表者の巧拙もあるとは思うんだけど。 てゆーか、見難い OHP なんかに対して「文字が小さい」だとか「文字の背景に 色を着けるな」とか思っているうちに話が先に進んでしまってる、というのが私 のよくやる失敗。

急遽、昔の研究室飲み会に参加することに。 その後、某宅にお邪魔。

「映画 クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶモーレツ!オトナ帝国の逆襲」(2001年春 公開)。 衝撃だった。 感動した。 シナリオも一本筋が通っていて、演出がとても上手くてよく出来てる。 ずっと一つのシナリオを追い掛けているのに、キチンとテンションを緩めて一息 つかせてくれるとか。 上手い。


2003年3月29日(土)

持って行った某 OPED 集を垂れ流す。 総じて好評だったが、一番インパクトがあったのは「アンデルセン物語」だった。

寝て起きて、飯を食いに行く。 ペルシャトルコ料理屋「ザクロ」。 これがまた変な場所で面白い。 絨毯に胡座、テーブルは床に置いた板。 「お前らが食い続ける限り料理を出す」みたいな感じ。 日本人に合うような味付けをしているのか、キチンと美味いし。 鷄が丸々一匹蒸し焼き状態で出て来たのも新鮮だった。 デザートを頼んだら、次々と出て来て結局5皿も出て来たし。

食後の水煙草が非常にマッタリした感じで良かった。 自分の部屋でダラーっと寝そべって本でも読みながら水煙草、てゆーのをやってみ てーなぁ。

某宅をお暇し、漫研OB東京組の宴会に参加。 メンツは大佐、小梅氏、たきぽん、ひらしょー、小泉、白土、そこに俺。 小泉、生きてたんやなあ。 とりあえず、ひらしょーに「クレヨンしんちゃん」をモーレツにプッシュしてお いた。

なんか酒をかっ喰らって速攻寝てしまった気がする。


2003年3月30日(日)

明け方起きて、ぼーっとして、また寝る。

昼過ぎ起きたら大佐と小梅氏しか残ってなかった。 マクドで食って、赤羽駅まで行って散会。

東京でお世話になった方々、ありがとうございました。 またよろしくお願いします。

道中の移動時間には主にオライリーの make 本を読んでいたのだが、これが結構 エキサイティング。 今 ~/src 以下にスクリプトの本体を置いて、 ~/bin 以下にシムリンクを張って いるのだが、make でコピーさせた方がそれっぽくて良いなあ、とか思い始めた。 更に CVS でバージョン管理したらかなりイイカンジだろう。


2003年3月31日(月)

ザクロでやってたように、紅茶にシナモンを入れてみる。 結構おもしろい。

CVS を導入してみる。 ……なつみかん(アンテナ)が動かなくなった。 原因は、コードの一部が CVS 固有の置換文字列に一致してしまっていたため。 なつみかん本体は ~/src 以下ではなく ~/bin に置くことにする。 そっちの方が妥当っぽいし。

CVS を導入したのに合わせて、手元のスクリプト類を修正して周る。 CVS について、もうちょっと勉強と慣れが必要だな。

漫研の新歓ボテッカーの案を思い付いたが、キチンと形に出来るだろうか。

戦争に対する今の私のスタンスには某の意見が大きく影響しているのだが、最近 の彼の主張を見るとどうも愚者の一言だったような気がしてならない。

ソードブレイカー(2)、羊のうた(7)は見つかりませんでした。 G戦場ヘヴンズドア(日本橋ヨヲコ)が新装版になってた。 非道いよ。


トップページ / bbs /