2003_01月日記

last-modified: 2011/12/14 02:40:47. JST

2003年1月1日(水)

祖父の見舞い。 暮れに一度凍死しかけたが一応病院で元気そうにしてた。 しかし話をしていると、思考が硬直しているような場面がある。 バグって同じところでループしている感じ。 呆けって、こういうところから進んでいくんやなあ。

体が死ぬのはハッキリしているが、人格はゆっくり徐々に、死んでいく。

姉、母とカラオケ。 家族で行くのは初めてだ。

私は小、中学生の頃、歌を歌うのが非常に下手だった。 というのは、「自分の声というのは自分で聞いているのと違う」ということを知っていて、たまたまテープで聞いた自分の声にショックを受けたことがあるからだ。 「こんなに違って聞こえるのだから、きっと音程を制御するなんて無理だ」。 如何歌って良いものかサッパリ分からず、自信がないので全く酷いもんだった。

エンジェルボイスと呼ばれる時代をこうやって潰したのは勿体無い話だ。 「音質は違うだろうが音程は取れる」ということまで知るか、いっそのこと全く知らなければ良かったのに。

で、家族にはその頃のイメージが強かったらしく、アニソンカラオケで鍛えた喉はそれなりにショックを与えたようだ。


2003年1月2日(木)

実家の LAN を二階に延ばす。 配線工事は2時間ほどで終わったが、LANカードがなかったので結局使えず。

百鬼夜行抄(今市子)、雨柳堂夢咄(波津彬子)。 朝日ソノラマ、侮れない。


2003年1月3日(金)

変な夢を見た。

避難訓練で要救助者をやることになり、目隠をされて、
(教師だろうか)彼に連れられて学校を横切り、
演目をやってる講堂の二階通路を渡って外に出る。
学校は、たぶん今までに何度か夢の舞台になったことのある、
実在しない、中学校か高校。
私はたぶん大柄な女性で、
後ろから私の案内をしてくれている彼に好意を寄せているみたい。
目隠をした状態だけど目の前の状態がぼんやり分かる。
ああ、これが超能力ってやつなのかしら、とか思ったりする。
途中の鎖や階段は、小柄な彼にお姫様だっこされて越えていく。
講堂屋上の扉が開き、外の眩しい光が入り込んでくる。
扉を出るとそこは丘のてっぺんで、
峰に沿った道を辿り小さな広場へ。
広場で暫くぼーっとする。
私と彼と、金髪の男性と、女の子の4人。
そう、講堂を越えて来たのはこの4人だった。
ぼーっとする。
探偵さんが追ってくるまで10分ほど待つみたいだ。
退屈なので、30m ダッシュ(筋トレ)をする。
しかも、裸足で、足指で土を捕む負荷のキツいヤツ。

そこで唐突に目が覚めた。 最後の 30m ダッシュって何よ。 これだから体育会系は……

顎の下を掻いてやると猫は喜ぶ。 猫を膝の上に置いてPCで遊んでたら猫に顎の下を舐められた。


2003年1月4日(土)

ls に、一意に補完できるようになる部分に下線を引くとかして強調する機能があったら便利そうだ。 しかしカラー表示との競合があるので面倒臭そうだなあ。

色(ひらしょー 2003年1月4日(土))。 納得。

知り合いが幾つか私とまき氏とのやりとりについて書いてるが、巻き込むのもなんなのでとりあえずノーコメント。

漫画を描く休憩にエロゲ。 フロレアール。 駄目だ、これ。 中途半端に勉強した文系大学生崩れという感じ。 読んだ本のタイトルをそのままハッタリにするなんてのは物書きとして最低の部類に入るだろう。 メインテーマは哲学っぽいが、それも何か浅学で、借り物感が強い。 紹介文じゃなくて娯楽作(フィクション)なんだから、自分なりの解釈、展開、結末というのが欲しかった。

エピローグで視点がメルンに移るのだが、これは視点を移さない方が良かったと思う。 「他人と本当に分かり合うことはできない」というのがテーマであり、「環境も、人物も、自分の妄想の産物かもしれない」という表現が作中にある(あったと思う)。 多重化した世界の、多重化したメルンを相手に構築されていたシナリオなのに、最後に視点をメルンに移すことで「どれか、唯一の、そして真の」メルンの存在が提示されてしまう。 視点を移すという文章上のテクニックではなく、自分の内面からそれに対する結論を導くべきだと思う。

音楽CD をそのまま焼いた CD-R はエラー率が高いらしく、dagrab でエラーが頻発する。 CD-R ドライブで読んだらもうちょい良くなるんだろうか? それよか昔焼いた CD で良い物は自分で購入した方が良いのだろうなあ。


2003年1月5日(日)

mnews から mutt へ乗り替えようか。 mnews は開発が停滞しているらしいし……。 補完とかそのへんの挙動がちょっと不満。 とりあえず現状の不具合(下宿からメールを送れない)の原因が何処にあるかはつきとめておかねばなるまい。

一日中ゴージャスの漫画を描いていた。 間に合わんかったら合わんかったで別にいいや。

一部 PC を使って絵を描いてるんですが、Celeron 1.7GHz って、速いなあ。 もうビックリですよ。

(以下、酔っ払い)

漫画っていいよな。 この感覚は漫画描きにしか分かるまい。 描くだけで、これだけ満足してしまう。 しかし私は圧倒的に漫画力が足りない。 上手くなってはいるが、これではまだまだ足りない。 上手くなる速度も足りない。

ペンを扱う能力はたぶん、この調子で上手くなれば良いのだと思う。 絵そのものもたぶん、時間の関数としてはそれなりだと思う。 それよりも、コンテとか描き文字とか擬音、漫画的な絵の能力がとにかく足りない。

一歩引いたところから感じる癖があるので、擬音語、擬態語ていうのが苦手だ。 「雪がしんしんと降る」、それを「しんしん」とコマの中に描く時に、不自然に感じる。 「胸の前で手をきゅっと握った」、それを描くときに「きゅ」という音を不自然に感じる。 何か適当な方策を見つけるか……兎に角どうにか克服すべき課題だ。


2003年1月6日(月)

(酔っ払いモードです。)

実家で家族と話していたとき、「私が見ている色といっぺいが見ている色は微妙に違うかもしれない」というような話題が出た。 そらまあ当然だよな、しかし光の受容体なんてのは遺伝的な部分が大きいだろうから姉弟である我々のそれは近い可能性が高い、とは言える。

問題にしたいのは、「微妙に」ではなく、そもそも全く違う可能性がある、ということ。 昨日たまたまフロレアールというエロゲをやって、人間は真の意味で分かり合うことはない、という話が出たのだが、それと同じで感覚を共有することはない、ということも言い得る。 私が赤と感じている色彩は、例えば彼女の脳には、青というべき色かもしれない。 この世の全ての色がそのように置換されたならば、焚火の色が青く、青が暖かい色ということになるだろう。

暖色、寒色というのが経験に因るのか、或いは脳がアプリオリに認識しているのかどうか。 こういう実験、誰かやってへんかなあ。

色盲ってのは、RGBの 3通りあるんだろうか? 何となく、赤か緑、というイメージがあるんだが。

私は、キーボードを介して最も世界と繋がっている、そんな気がしてならない。 私の手は、ひょっとしたら、口より目より、多くのことを語っている。

漫画描きとしてならば、それは至極まっとうなことなんだけれども。


2003年1月7日(火)

電子レンジが欲しいなあと思っていたところ、ゴミに出てた。 だけどダメだった。 しょうがない、買うか。

「ブツッ」音がした。 シャーペンを手にとってノックしてみたら、それはシャーペンではなくデザインナイフの刃先だった。 3mm x 4mm x 1/2。

研究。 また本筋でないところでグダグダ無駄な思考を巻いていたみたい。 一人で研究できるようになるのは一体いつの日か。

gogo とか lame とか bladeenc とか。 FreeBSD の各 mp3エンコーダでエンコードした mp3 を聴き較べする。 分からん。 「こんな感じがするような気がする」俺の耳の性能はそんな程度。 それよか圧縮率の方が定量的に比較できてよっぽど分かり易い。 理系人間だなあ。

ウェブ上の評価によると、gogo は圧倒的に速いが lame の方が音は良いらしい。 gogo は圧縮と音質をトレードオフに10段階で設定できるが、最高圧縮モードで圧縮したファイルサイズが lame で圧縮したファイルサイズと同じくらい。 ということは、lame の方が同じファイルサイズで音質が良いと期待できる。

とはいえ、「gogo は lame の後継」というのがちょっと引っかかる。 新しい方が音質が悪くなるというのはちょっと考え難い。 とはいえ、「gogo は圧倒的に速い」ので、速度と音質の総合得点で gogo が勝利している、というのはそれなりに妥当な解答ではあるけれど。

「gogo の方が高音質」という評価は見当たらないので、lame の方が音質が良いということにしておくのが妥当だろうなあ。 しかし、「gogo は速いから何か強力な圧縮をしているに違いない」→「音質も悪くなっているに違いない」という連想は比較的容易に成り立ち、人間の感覚なんてのはそういう思い込みで簡単に覆されるので、過分に信用するのは良ろしくない。 俺より耳の良い人で、誰か較べてくれてへんかなあ。


2003年1月8日(水)

よく考えたら、ネット上に聴き較べの感想を上げるような人はコダワリがあるんだから、俺より耳が良い人だろう。 てゆーか、俺にとって認識できない差なんてのは違いがないことと同じだし、音楽 CD からエンコードするんだから、今後物足りなくなったときにエンコードし直せばいいだけじゃないか。 気楽に行こう。 ということで、とりあえずウチでは lame を標準エンコーダとすることにしました。

UNIX のオペレータとしては有能なんだよなあ、俺。

Big Endian と Little Endian。 ガリバー旅行記で「卵は丸い方と尖った方とどちらから割るべきか」で論争していた(当時の宗教的な対立を揶揄しているらしい)ことによる。 ……卵って、側面で割るもんじゃないの?

Portrait。 面白いなあ。 難点は、CD-ROM ドライブとの相性が問題があるらしく音が鳴らないこと。 修正パッチも出ていたようだが、会社が潰れたみたいでネット上に存在していない。 別のブランドから修正版が出ているらしい。 正規版を持っている人は交換してくれるらしいが私はそうではない。 とりあえず購入予定リストに入れておこう。


2003年1月9日(木)

有名無実な礼儀を失されても問題にしないようにしよう、と考えていたが、世の礼儀てゆーのは大抵それなりに意味があると思い至った。

宮崎に SCSI カードとビデオカードを譲る。 例会後宮崎邸で差したりしてみた。 SCSI カード2枚の内生きてる方を譲り、死んでる方は廃棄。 しかし、マザーボードのオンボードチップではなく、PCI ビデオカードを選択する設定方法が分からなかったのでビデオカードは使えないみたいだった。 しょうがないのでビデオカードは持ち帰り。

某方面から東方紅魔郷を借りる。 激しく面白い。 ついでに月ノ裁。 ま、元が良いから面白い、という点が大きいな。

呆けたようにゲームやってるって楽しいな。


2003年1月10日(金)

FreeBSD マシンに付けていた 8x CD-ROM ドライブを 32x/8x/4x CD-R/RW ドライブに変更。 今まで1時間以上かかっていた CD-DA のリッピングが 5分少々で行けるようになった。 回転速度比以上に速くなっているのには幾つか理由は考えられるが確証がないので保留。 とりあえずは事実だけで良い。 これだけ速いならば、吸い出しとエンコードを同時にする必要はない、というより10枚とかリッピングだけしておいて、出掛ける時とか寝るときとかにエンコードさせる方が効率が良い。 ということでスクリプトを作り変える。

スクリプトを書くのに一番面倒なのは名前を決めること。


2003年1月11日(土)

「正字正假名の正義を戰後表記で主張しても説得力が無いのと一緒」。 この論法に従うと、「エスペラントの日本語に対する正当性はエスペラントで書かれなければならない」ということになる。 喩え啓蒙したい相手がエスペラントを解さぬ日本人だとしても。 それはまき氏の正義であって、読めない人にとっては正義ではない。 そして、「それくらい読めるだろう」というのは書き手の傲慢。 あなたにとって説得力がなくとも、それなりに読解力のある相手なら問題ないと思います。

まあ、言わんとしてることは分からんでもないのですが……。 というより、「正字正假名の正義を戰後表記で主張しても説得力が無いのと一緒」というのはまき氏が思っている程には自明 and/or 説得力のある意見ではないと思います。

漫研新年会。 新入生某が着物(振り袖?)で来ていたので、対抗して中国服(クンフー服)を来ていく。 さて、毎年恒例の風車小屋ブラックですが、見破られトップ(10/11)でした。 3ページ+作者紹介を締切6時間前スタートはちと辛い。 そうでなくても模写パワーが弱いのに、絵を似せる労力を削りすぎたなあ。 まあいいや、漫画の方はよく出来ている(と自分では思っている)ので。 しかしブラックで下ネタというのは安直すぎて良くないなあ。 もちっと普通に面白いパロディにしたいところだ。

23:00まで時間潰しのボーリング。 一人頭2000円くらいか? 素直にカラオケしてた方が良かった気もせんでもない。

カラオケ。 声の出し方がよく分かってない。 上と下とどちらのモードで歌うかとか、そんなの。 最初に喉ならしに入れる曲を決めておいた方が良さそうだ。 あと、最近のアニソンを仕入れておきたいと思った。 他の人が歌っているときも声を出せた方が面白いし、相の手とかバックコーラスとか入れられたら面白かろう。


2003年1月12日(日)

まあ、文章の最初の読者である自分を説得できるかどうか、というのはかなり大きな問題だし、人間は主観でしか物を見る事ができないと考えるとそういうモンなんだろう。 結局主観と主観のぶつかりあい。

夜、ビィヤント帰りに寮でしばらくウダウダ。 羽生生純やっぱスゲェ。

23:00になるまで明日が休日ということに気付いてませんでした。 とてもラッキーな気分。


2003年1月13日(月)

zsh。 "kterm w3m" で w3m を起動したターミナルを立ち上げる仕掛けを作る。 今んところ、tcsh でできていた機能の一部(主に補完関連)は zsh で実現できていないのだが(設定が甘いから 等)、それ以上のメリットがあるので zsh の方が好ましいという状態。 tcsh で使っていた全ての機能を使えるようにしたいところ。

関数という機能がかなりオイシイ。 tcsh ではシェルスクリプトで書かねばならないような機能を初期化ファイル内に定義された関数で実現できるというのはシンプルで非常に好ましい。

未明から研究室。 ルーチンワークを幾つかこなして UNIX 遊びにかまける。 本当はさっさと計算の入力ファイル解析をしなくてはならないのだが。

同志 kinoka さんに新しい ~/.zshrc を自慢する。 kinoka さんは UNIX に関しては私の後輩にあたるのだが、Emacs に関しては私よりよほど詳しいし、私の知らない情報も知っている (逆に私が彼の知らない情報を持っていることも多々ある)。 やはり UNIX は、身近によく使う人がいれば相乗効果として使えるようになると思う。


2003年1月14日(火)

「まず自分からやれ」というのに説得力があるとして、以下の文章をどう思うか。

「暴力を見過ごすな」と云ふ主張が説得力を持つ爲には、 まづ自分の暴力について徹底的に考へるのでなければならない、と私は思ふ。 (鶴瓶雑記 2002/11/13(水)(2))

結局私もそれを論拠に反論しているな。 「つまるところムカツクという以外の理由で人に意見することなんてまずないのだ」というひらしょーの指摘は正しい。 困ったことに。

ここんところ同じことを何度も言うてる気がする。 前提が間違っていたらどうしよう。

東方紅魔郷。 暇があればそればっか。

DirectX が使えたら楽しそうだ。 こないだちょっと見せてもらった DirectX の本を探しているのだが一向に見つからない。


2003年1月15日(水) 「たまってたまらん、とは此は如何に?」

cvsup を初めて使う。 これは便利っぽい。 で、ports のアップデートをしてみたところ、audio/cdparanoia というのがあった。 随分昔にひらやまに聞いた CD-DAリッパだ。 で、試してみる。 エラー修正のために時間がかかるのは気にならないが、修正不能なエラーがあったときに延々無駄に回るのが気になる。 そういうのを制御するためのオプションがあるようだが、私の想像したような動作をしてくれない。

探していた I/O別冊の DirectX 本をルネで発見。 しかも2冊。 一方は「VisualC++ で DirectX5」、他方は「VisualBasic で DirectX8」。 なんで両側に逸れるかなあ。 結局買わず。

色の話。 KDY さんにちょっと教えてもらったことも含めてとりとめもなく考える。 RGB の3次元で脳内展開されるならば、ある1色が突出して過敏な場合も色の判断がつき難くなると思われる。 3色とも過敏になったならばそれは盲目と同じ状態になってしまう (そういえば GB版 SaGa2 のダンジョンに「明るい闇のあるところ」というのがあったな)。 赤い四角をずーっと見ていて、白い壁を見ると緑の四角が見える。 ということは明順応/暗順応というのは各色ごとに、視野の各領域で行われているということなんだろう。 下方向への修正は、ある程度は(短期的な/長期的な)順応で可能っぽい。 やはりダイナミックレンジが足りない場合のみが色盲に該たるのだろう。 そういえばテレビの色調調節は「赤←→緑」だな。 ひょっとしたら、赤や緑に比べて 青色を感じる能力ってのは人間にとって補助的な機能なのかもしれない、などと考える。

明順応/暗順応。 暗いところに暫く居ると目の光への感度が高くなり、そこから急に明るいところに出ると眩しくてしょうがなくなる。 目から脳へ送られる信号が許容量を越えたから、と考えると、遠野志貴(@月姫)の目ってのはこんな感じなのかな、と妄想する。 たぶん違うけど。

人間の目は視界が変化しないと機能しなくなる (目に限らず人間の感覚一般に言えることだけど)。 頭も目も動かさず、一点を凝視していると周りがぼやけてくる。 このことと明順応/暗順応を絡めて考えてみようとしたけどどうも上手く繋がらなかった。 ひょっとしたら脳の方に起因することなんだろうか?


2003年1月16日(木)

視覚ではなく味覚とか。 甘いとか辛いとか酸っぱいとか歯応えとかそういう感覚の数の次元で展開されるとも考えられる。 聴覚は1次元っぽい。 いや、左右で考えると2次元だが。 同時に鳴っているものを聞き分けるってのは脳内で分解されてるだけだろう。 嗅覚は? 人間の感覚の中で一番微妙なのでよく分からない。

嗅覚はすぐにバカになる。 しかし「感覚は刺激そのものではなく刺激の変化(微分値?)を感じるもの」と考えれば当然といえる。 吸う空気ってのは視覚とかみたいに簡単に変更できないし。

.zshrc。 システムから提供されるパスを重複なく追加する機構と mv, cp, rm を実行したあとに ls を発行する機構を追加。

zsh の関数で実現する程度の処理を幾つか整備しなくてはならないのだが、zsh は全てのシステムに入っているわけではない。 perl で ~/bin に作った方が無難かなあ。

例会のあと漫研の連中で酒を飲む。 普通に寝る時刻だったので早々に死んでしまいましたが。


2003年1月17日(金)

~/.zshrc をいじって zsh の能力を引き出すのは、ATOK の辞書を鍛えるのと似たようなもんだろう。 あるいは、ゲームでレベル上げしてるのと同じなのかもしれない。 上げているのは「機械の能力」と、「機械の能力を上げる私の能力」の両方だが。

~/.zshrc に限った話ではなく、perl でスクリプトを書いたり UNIX に便利なアプリケーションを入れて使えるようにしたりするのもそういうことなんだろう。

てゆーか、道具をよりよく使いこなせるようにするということなんだから、全く普通の作業じゃないか。 漫画の練習にペンのより良い使い方を模索するというのと同じ。


2003年1月18日(土)

皮肉を思い付いたが、カンジワル過ぎて書けねえ。

やはり昨日は学校に行っておくべきだった。 昼下がりから夜まで寝てしまったのが敗因。

http://www.edu.ipa.go.jp/chiyo/HuBEd/HTML2/ja/EZ/ear.htm ←もりりんに教えて貰ったページ。 推論が幾つか正しくなかったことが発覚。 垂れ流す前に自分でちょっとは調べるべきだったような気もするがまあいいや。 そういえば、音の方向を知るのに左右の耳の時間差や音量差を使うことがあるし、太鼓の音なんかは体全体に響いてそれを感じることもあるわな。 センサーの数というのは私が思っていたような数え方では厳密でないような気がする。

ついでに目のページも見る。 ……明順応/暗順応ていうのは主に虹彩でされる順応だった。 これも間違いっぽい。

今一つひらしょーが言う次元という考えが理解できないのだが。 無段階に分解される独立な事象を 1つの次元とするんだったら、視界の中の一点が持つ情報というのは X-Y で2つ、RGB の色深度で3つの合わせて5次元だと思うのだが。

とりあえず耳は左右で 2ch 持っているという数え方は、今回は妥当ではなさそうだ。 そう数えるなら目も 2ch で遠近の感覚が増えることを考慮しなければなるまい。


2003年1月19日(日)

重箱の隅つつき。

「お前は無自覺的な暴力を振るつてゐる」と言はれたら、反論の餘地は無いのであつて、 「確かにその通りです」と言はねばなりません。

そうなんですか。 私だったら納得いかなかったら反論しますが。 世に溢れる「お前は暴力的だ」という発言の一部は、被害妄想による暴力のでっち上げだと思うのですが、そういう場合でも反論の余地はないのですかね。

それこそ自身の暴力を徹底的に考えて、そして答えるべきなんじゃないですか? そこで思考を停止することも危険だと私は思うのですが。

自分の暴力を自覚したからではなく、そう答えねばならないからそう答えたというように読めます。 というよりそう感じました。

電子レンジと換気扇を購入。 あと瞬間湯沸かし器が欲しいんやけど、ちと高い。 設置も面倒臭そうだし。 でも買うべきなんだろうな。

ひらしょーによる次元の説明。 はあ、なるほど、同じ「次元」という言葉を使っていても、対象というか、取り扱いが違うわけですな。 とりあえず理解しました。

電子レンジが入っていたダンボール箱に猫が入って、手穴からこちらを伺っている。 楽しいなあ、オイ。


2003年1月20日(月)

「東方紅魔郷をアーケードスティックでやりたい」と思った。 ウチは USB 接続のアダプタを介して PS 用ゲームパッドを使っている。 コネクタの形状は同じなので普通に PS 用アーケードスティックを買って来ればできる筈。 ということで近所のゲーム屋に寄るが PS 用のアーケードスティックはもう無いらしい。 悔しいなあ。

ゴージャス連載、コンテ完成。 現在下描き1段階目の80% くらい。 時間があったらもうちょっと背景を頑張りたいなあ。

Hunter & Hunter を読んだら真面目に背景を描く気がなくなる。 あの漫画は面白いからいいんだけどね。

学会の概要を書かなならんねんけどな、大丈夫かなあ。


2003年1月21日(火)

10:00〜20:00研究室、その後24:00まで下宿で原稿。 自分的には模範的な生活。

研究室で使っているマシンの icewm が度々バグる。 Alt と組み合わせて使うキーコマンドを正しく認識してくれないという症状。 下宿の icewm-1.0.9.2 ではそういうことがないのでバージョンを上げたら解決すると考え、pkg_delete してから新しいのを入れると icewm が起動しなくなった。 どうやらライブラリ周りの不整合が問題みたい。 しょうがないので取り敢えず横の Windows から TeraTerm で操作している。


2003年1月22日(水)

FreeBSD 5.0-RELEASE が出ていた。 こないだから延々 4.7-RELEASE の make buildworld が通らないので、一噌 5.0 をクリーンインストールしてみようか、という誘惑にかられる。 しかし、既に X が使えないというダメージを負っているとは言え、研究室のマシンが全く使えなくなるというリスクは負いたくない。 下宿のマシンでテストしてからだな。

とりあえず概要は提出。 研究そのものは計算結果待ちだし、なんだかとてもゆったりしてる。 それなりに確信のある仮説を検証する段階って楽しいな。

ゆったりできるつもり、だったんだが……。 以前の仮説が間違っていたので、新しい仮説を検証するのを急がなければならなくなった。 上司が来週その辺のことを発表する予定らしく、間違っていると分かっていることを発表するわけにもいかないのでかなりギリギリ。 今つっこんでる計算は明日の朝には終わりそうで、マシンに空きを作らないように次の計算の入力ファイルをつっこんでおかないと……。 ということで延々作ってる。

19:30には下宿に帰って FreeBSD5.0 を入れながら漫画描く予定だったんだけどなあ……。


2003年1月23日(木)

激しく残業。 漸く入力ファイルを全て作り終えた。 時刻は 4:30。 外は雨。

相手が殴って良いと言ったとしても、本当に殴ってしまえば社会的には犯罪となる。

下宿の PC に FreeBSD 5.0-RELEASE をクリーンインストールしてみる。 まあ大体問題ないみたい。 だけど PPPoE が動かん。


2003年1月24日(金)

俺の上司(PD と 助教授)は二人とも凄い。 いつかあのレベルまで行けるんやろか。

論文読んだり探したりするスキルがもっと要る。

まさひろの HDD サルベージ失敗。 ジャンパ設定を虱潰しに変更してみて、fdisk でどう見えるか確認して、さらに FreeBSD で msdos マウントしようとしたが全て失敗。 僕のスキルでは無理でした。 てゆーか購入時点で BIOS から認識する状態が何やら不安定だったらしく、そもそもかなりマズい HDD だったと思われる。

せっかくアシスタントしてくれる予定だったのだが、行程がそこまで行ってなかったので結局寝る。


2003年1月25日(土)

まさひろと一緒に下宿を出て、天一の隣のうどん屋で昼食。 美味かった。 そして機関屋の引越し。

下準備が足らんかったけどまあそれはそれ。 最後に照明と炬燵を買いにコジマ電気に行ったのだが、ついでに私はガス給湯器を買いました。

麻雀の競り合いが面白いと思ったのは数年振りだ。


2003年1月26日(日)

麻雀明け、未明に研究室。 仕込んである計算の様子を見て、ネット遊び。

極論が過ぎました。 すいません。

それにしても、正字正假名の正義を戰後表記で主張しても説得力が無いのと一緒と云ふのは、どんな場合でも言行不一致は避けるべ きだと云ふ程度の事を言ひたかつた譯で、「一緒」と云ふ言葉を餘り簡單に使ふべきではなかつたかも知れません。この一節、牽強 附會の嫌ひが無いとは言切れません。

私としては、まき氏にこの事が伝われば良いので、ここまでとします。 正字正かなの正当性について、私は議論する筋合にあるわけでもないし、議論したいわけでもありませんので。


前から気になっとったんだが、お前さん、勝つために議論しとらんか? あるいは勝った方が格好良いと思っとらんか?


2003年1月27日(月) 「だんだんアナタという人間が怪しく見えて来ました」裁判長@逆転裁判

ゴージャス原稿。 今月も上がりました。 しかし、あと2ヶ月で 8P を3回ってのはどう考えても無理。

いつの間にか、「〜〜することがある」から「〜〜だ」にすりかわっとるなあ。 別にどうでもいいけど。

なんぼ言うても「人前で批判される恐怖」を含めまき氏の感覚以外にも価値観があるということを分かってくれないし、 答えて欲しいことには答えてくれないし、議論の筋道は通ってないし、そのことを指摘しても直さないし、すぐ語りたがるし。 もういいですわ。 勝手にやってて下さい。

議論ってのは、「相手の話を聞かない」「一切妥協しない」「自分の話に戻す」ことを延々やって体力勝負に持ち込めば必ず勝てる。 尤もこんなことをする奴を私は軽蔑するが。 必ず勝てるんだから勝つことに意味はない。 議論が始まるからには相手と自分と違う価値観があるからであり、議論とは「自分か、相手か、あるいはそのどちらでもない何処かにある最も取るべき立場」を模索する作業だと思う。 まき氏にとっての議論とは相手の立場を変える為だけのものであって、自分の立場は絶対に変えようとしない。 誤って転んで位置がずれても転んだ位置のまま「ここで良いんだ」と喚いてる。

一番最初はまき氏の主張も新鮮で実があったのになあ。

ウェブ上での議論は一般に成立し得るとは思っていますが、私とまき氏の間には議論が成立しませんでした。 議論の進め方とかが全然違うもんで。 「ウェブで議論なんて、そもそも出來たものではないのでせうか」などと言っていたまき氏は本当に議論という物を知っているのだろうか? 知らんねやったらそもそも議論なんて出来たものではなかろうて。


2003年1月28日(火)

下宿の windows マシンの C: ドライブにデフラグで取り切れないフラグメンテーションが溜まって激重。 入れ直しかあ。 私が日常的に使っている 4台の内3台に OS 入れ直しの必要がある。

東方紅魔郷。 NF で一度だけプレイしたことがあるが、宮崎んちでプレイしたのが実質上のファーストプレイ。 そんときにイージーモードでクリアした筈なんだが、どうも自信がない。 宮崎に聞いたら俺はそんときノーコンティニューでクリアしていたそうだ。 なんだか全然信じられない。 イージーとノーマルの差があるとはいえ、最近ノーコンティニューで4面を越せません。 ボムが使えなくなってしまいました。


2003年1月29日(水)

windows2000 入れ直し。 速度が戻った。 快適快適。

下宿の PC に FreeBSD 4.7-RELEASE。 しかしまだ PPPoE が復活せん。

明日は大阪まで研究会に……行きたいところだったんだけど、湯沸かし器の設置工事の予定を迂闊にも入れてしまったので行けず。 計算仕込みもせなならんし。 はあ。

研究会ってのが最近楽しくなってきた。 良い傾向。


2003年1月30日(木)

瞬間湯沸かし器設置工事。 わーい、これで文明的に自炊できるよー。

ついでに換気扇も取り付けてみた。 その下が空いているので風が吹き抜けて寒い。 ベニヤかダンボールで塞がんと。 「ダンボールだと防犯力が弱いよなあ」と言ったら、某は「大丈夫、窓にダンボール貼ってあるような家には泥棒も入らんよ」と言った。 いい事言うなあ。

研究室に来てネットで調べて、帰って試す。 一日一歩ずつ。 そういやファイアウォールの設定してなかったな。 今日はこれを試してみよう。


2003年1月31日(木)

「自分の正義を無前提に信じてしまうこと」と「自分は常に正義にあると信じること」は違う。

酒かっ喰らって眠ったら、夢の中でも酔っ払ってた。 「俺酔うとるから車運転できへんし」とか夢の中で言ってた。

物は試し、と FreeBSD 4.6.2-RELEASE を入れてバックアップしてあった /etc を投入するとすんなり外に繋がるように。 むう。 FreeBSD 4.7-RELEASE はファイアウォールを GENERIC カーネルに内蔵してあるだかの記述を見たような気がする。 その辺なんかなあ。

ssg から高床ベッドを譲り受けました。 身内で欲しい人は連絡下さい。

一週間分の計算の入力ファイルを作った後、コンピュータいじり。 主要な計算機に自分の環境(ドットファイル, ~/src, ~/bin)をコピーしたり、その為の(或いはその他の)便利そうなスクリプトを書いたり。

漫画作業の一部をコンピュータでやっている−−いや、絵やのうてコンテをテキストエディタで−−ので、PC が完全に復旧せんことにはやる気がしない。 むう。


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