2002_08月日記

last-modified: 2011/12/14 02:35:36. JST

2002年8月1日(木)

研究会2日目。 なかなか面白かった。 相変わらず思考が横に逸れるんだけど、自分の研究に関したことに逸れることが多いのでアイデアが出易い。

2002年7月29日(月)に鬱っぽく書いたけど、どうやらまだやるべき仕事はあるみたい。 というより、夢は常に修正されつつ夢の形になるわけで。 「世界を征服する」という夢が無茶だと知るのに近い状態。


2002年8月2日(金)

研究会3日目。 午までだったのだが、その後、研究会の総会というものがあった。 テキパキやれば30分で終わりそうなもんだが。

帰って「日出処の天使」を読んで、寝る。 まあ、こんなもんか。 山岸涼子は60ページくらいの短編こそが本領だと思う。


2002年8月3日(土)

-1:00 起き、メシを作って食って、京都に運ぶ荷物をまとめる。 3:00 出発、往路は久々の亀岡回り。 漸く炬燵が入りました。 あと、本棚、布団。

趣味は何か、と問われたら、「1.パソコン、2.漫画、3.収納力向上」と返すべきかもしれぬ。

使ってなかった MIDIキーボードと相部屋相手に貸していた17inchディスプレイを回収して復路。 6:00くらいには もう車がたくさん走ってる。

帰って「20世紀少年」を読む。 面白いなあ。 話の繋げ方が上手いと思う。


2002年8月4日(日)

「ここはグリーン・ウッド」。 ま、そこそこ面白い。 以下、気になった点。

高校時代の友人某が定期の名義に「池田光流」としていた。 当時は意味が分からんかったが。 そういや奴には姉がいる。そういうことか。


2002年8月5日(月)

ほぼ完全に外食しなくなった。 炊事場が近くなったというのもあるが、帰り道に買物できるというのが何より大きい。 でもまだ「その日食う分だけ買う」という感覚がつかめない。

メタスラ X。 6面頭のイカ兵死の1死。 ラスボスでは死にませんでした。

メタスラX ワンポイント攻略 ラスボス

ノーミスでラスボスまで来たらボムが60〜70程度ある筈。 ラスボス(第一形態)の耐久力は600くらいなので、ボム(攻撃力10)を全て打込めば第二形態に移行することになる。 すなわち「ショット系武器を使わなくても勝てる」ということ。 そこで「プチ宇宙船を潰しながら武器を待ち、良い武器が出たらそこからボムのみで倒す」という戦略が成り立つ。 ベストな武器は大レーザー200+150 だろう。 (エネミーチェイサーやロケットランチャーも良いが、弾数が少ないので不利。 (メタスラを速やかに出すにはボスにダメージを与えなければならない(後述)。 これらは一発のダメージは大きいが、弾数との積である絶対ダメージ量が少ない。)) ボスの耐久力が減って来たら(残り時間が少なくなって来たら)、しょうがないので適当なので妥協する。

望みの武器を回収できたらボムでボスを屠るのだが、次の展開で有利なポジションを取っておく。 有利なポジション、それは小屋の上だ。 第一形態→第二形態のアニメーションで小屋は崩れ、第二形態スタート時点で左の台の上にプレイヤーキャラが居る。 そこでジャンプしボムを5、6発打ち込み、プチに追い込まれる前に右下へ降りる。

メタスラが出るのは 恐らく、「400発打ち込み (and) 一定時間」だと思う。 ある程度頑張って打ち込まねばならないが、全力で打ち込んでもそんなに早くならない。 それより死亡パターンは「3体くらいのプチにビームで追い詰められる状態」なので、プチを積極的に倒したい。 プチ 2体くらいまで減らせば、ならなんとか避け切れるはず。 プチを倒すタイミングは、母船が新しいプチが吐き出そうとする時くらいが一番良い。 頑張って 1体多く倒しても、次に 1体多く吐き出されるとあまり意味がない。 なので、「ショットは常に上打ちし続けるが、可能な限りプチを攻撃するポジションを取るようにする」くらいで良いだろう。


2002年8月6日(火)

なんか退屈。 でもやることはある。 やりたいこともある。 だけど退屈。

同期スクリプトいじるのヤだなあ。 自分で書いたんだけど、汚いんだもん。

「機能拡張を見越して設計すること」と「便利そうな機能を最初からゴテゴテ付けること」は違う。 私は前者に未だ到達し得ていないのだが。

メタスラX ワンポイント攻略 5面研究所

改良人間がイヤなところですが、慣れるとほぼノーミスで行けます。

スラグノイドでジャンプして斜め下に打つというのが結構効果的。 過信は禁物ですが。


2002年8月7日(水)

同期スクリプト。 不可能ではないけれど…… タイムスタンプが分刻みでしか取れないのでどうだかなぁ、といったところ。

K6-200MHz マシンは下宿にインターネットを導入した時に、ファイアウォールにすることにしよう。 そしてそのマシンを同期用ファイルサーバにしよう。 問題は、いつになったらインターネットを導入できるか。 大家に連絡取らんと。

寺町に買物行く用事があるのだが、なかなか暇を見つけるのが面倒臭い。 研究室 PC のハードディスクと DVD-ROM ドライブが必要。 ついでなので windows PC を刷新したい。

10〜17日とヨット修行なのでその後になるだろうな。

レポートと原稿があるな。 ギリギリじゃねーか。


2002年8月8日(木)

藤城清治の影絵芝居を見に行きたいのだが、関西圏ではやらないらしい。

あんまり電話が繋がらないもんなので封書を送った。 盆明けくらいに返事が来たら、そこから2週間。 8月末くらいに ADSL 導入になるのかな。

ファイアウォールにするといっても置き場所をどうするか? windows マシンを刷新したらさらに1台マシンが余るし。

メタスラ X。 6面をノーミスでラスボス前まで持って行くことの難しいこと!


2002年8月9日(金)

「知り合いに暇そげな学生がいたら家庭教師を紹介してくれんか」という話が来た。 現役女子高生。 てゆーか、彼女本人とも知り合い。 もーちょい暇だったら自分で行ってフラグを立てて来るんだが。

見つかった。 今の感情としては「見つかってしまった」。 かなり惜しいことをした気がする。

「恋愛のきっかけ」がそこにあったとしても、ちょっと労力が必要だったりすると「面倒臭い」と放り出す。 結局のところ、私は「恋愛よりも生活を上位に置いている」わけだ。

「恋愛ってすごいエネルギー」と 深見じゅんは "悪女" で言うてます。 放出されるエネルギーもすごいでしょうが人によっては活性化エネルギーもなかなか大変です。 でもまあ「大阪に通うくらいの」「受験数学のカンを取り戻すくらいの」「あざといと思われても構わないと思うくらいの」エネルギーは出してもいいんじゃなかったかな、と思いました。

彼女にとっては受験から6年も経った己よりも若者の方が良いと思って自分を慰めます。

んー。 恋に恋する24歳。


2002年8月10日(土)

今日から船上の人です。 帰って来るのはたぶん1週間後。 ほんじゃね。

分かっている。 得られなかったものだからこそ盛り上がっているのだと。 実際行けば10日そこそこの付き合いで別れて終わりなんだと。 でも妄想って楽しいよね。

いいなあ、帰りたい。 私の通った道になかった、あの時に。

気が効かなかったのかなあ、とも思う。 こういうことは大抵、後になって自分で気付くものではあるが。 「相場を知らない」と自称する依頼主と自分の時給を交渉をするのが筋ではないと思ったわけだが、親御さんにしてみたら、私に給料を払うなんてのは小遣いをやるみたいなもんだろう。 娘さんにしても私の方が気安いだろう。 私に「紹介して欲しい」という言葉を文字通り受け取ったのが敗因の一つか。 「金が欲しい」だとか色々こじつける理由はあったのに。

半日この辺の妄想だけで潰せます。

問題は、この日記を公開している URL が高校同窓会の web ページからリンク張られていて、当の親御さんが同窓会の web 委員で、この日記を容易に辿れる立場にあるということか。

悔やしいが、 EarlyTimes が美味い。 たぶん酒は、何かつまらないことがあった方が美味い。 てゆーか、物事を理想化して考えるというか、細かな摩擦を無くし、純粋に「こうだったらなあ」という妄想に浸れるからだろう。

初恋の人の妹さんというのが一層妄想にブーストを掛ける。

6:00に起きた(3時間睡眠)、が、明らかに宿酔。 しかし、一人で飲んで勝手に盛り上がったのだが、昨日の酒は美味(楽し)かった。

梅田で待合わせて車で和歌山、大崎へ。 車寝すると(宿酔から)だいぶ回復した。 で、荷物を仕込んで、12:45出港。

順風満帆、エンジンなしで予定通り到着という快挙。 大崎から小鳴門を通過し、日出港(徳島−香川の県境付近)。 船長ら行き付けの居酒屋で晩飯を頂く。 そこの主人は「男は女とヤってなんぼ」という価値観しか持っていない。 私は「それ」を知っている。 だが、自身の価値観として採用してないだけ。

港の路面に毛布を並べて寝る。 星が綺麗。

天球という概念がある。 同様に、単眼で覗いた世界は球面に投影できる。 そこでは2本の直線は必ず2点で交わる。 絵というのは平面に描かれる。 2本の直線を直線のまま矛盾なく平面上に表すことは不可能であるが、大抵は切取る視野が小さいため胡麻化せる。


2002年8月11日(日)

5:00 起き、出港。 風が無いのでエンジンで快調に。 11:00 ころに香川県丸亀に着く。 地元の釣り人に、「その辺浅いから、潮が引いたら危いで」と声かけられるが、船長は「毎年の事なので大丈夫」と答えた。

JRで2駅の坂出に行って亀城庵という うどん屋でうどんを食う。 絶品。

丸亀からの船員の女将の店で食って飲む。 この女将は旅に不可欠です。 この方がおられないと食事が滅法貧しくなります。 オヤジどもの調理はちょっと、見てらんない。

むー、漫然と乗せられているだけでもそれなりの経験にはなる。 そのうち一人で操船できるようになるんやろか。

凪という言葉は音としては(「薙」に通じるので)美しいと思う。 意味は「陸風、海風が切り替わる間の無風の状態」。 暑苦しくてちょっと嫌。


2002年8月12日(月)

5:00起き、6:00出港のつもりでした。

問:満ち潮の時入港、停船し、引き潮の時出ようとしたらどうなるでしょう? (ヒント:ヨットは船底にキールという板が立っています。)

答:

  1. 問題なし
  2. キールがつかえてたおれる
  3. キールが泥土に差さる

今回は、3番です。 しかも最初は動いたので中途半端に出ようとしたら、川岸から 4m ほど離れたところでニッチもサッチも行かなくなりました。 岸にも上がれねえ。 そこで船上麻雀という面白な案もありましたが、とりあえず寝ました。

潮が満ちるのを待って、9:00出港。 船乗ってる間は驚くほど書くことないです。 風ないから帆関係の仕事もないし。 15:00くらいに斎島(広島県豊浜町)着。

斎内親王の弊料ゆかりの島らしい。 現在人口35人。 温泉が出ていたけど、日焼けした肌が痛い。 宿泊施設もあった。 だけど我々は桟橋などで野宿。


2002年8月13日(火)

出る前に島にある神社を参拝する。 蛭子さんを祀ってあった。

音戸の瀬戸を経由して倉橋島。 ここに船長の同級生の方の実家がある。 ここで2泊させてもらう。

面白い風習がある。 この島出身の者は男も女も41が厄年で、この歳になったら全国何処に居ても集められ、4日間の厄除けをする。 今は酒を飲むだけだそうだが、何かの祟りや呪いがあったのだと想像する。

そこの家に集まった他の方も連れて島の近くをクルージング。

夜は宴会。 人がたくさん来て賑やかだし、外は静かだし、星は綺麗だし。 何だか泣きたくなるくらい幸せでした。


2002年8月14日(水)

倉橋島2日目。 近くの浜まで行って海遊び。 岩場で素潜りしようと水中メガネを持って浜まで行き、ちょっと目を離していたらなくなった! 流されたか! ということで、水中メガネを探すために素潜りしました。 実際はどうやら他の人がヨットまで戻しといてくれたみたいだったけど。

潜ったり、釣ったり。 ただ、日差しが痛かった。

この夜も宴会。

「動力の発生を伴わない熱の高温から低温への移動は、正味の損失と見なさなければならない」とカルノー先生は言っておられます。 濃度についても同じことが言えて、例えば純水と塩水でも半透膜を介して運動エネルギーを取り出すことができます。 すなわち、混ぜることは悪。 よって酒は水や氷で割らずストレートで飲るのが正道と言える。

島の祭。 普通の盆踊りだけど。 女将と広島焼食って、盆踊りが終わるまでぼーっと見てる。 終わると皆三々五々に散って行った。 こーゆー小さな祭を、次の漫画のために見ておきたかったのです。


2002年8月15日(木)

私はここで陸路を使って帰ることにした。 他のクルーは大崎への帰途についた。

広島まで帰る車に乗せてもらい、そこから新幹線。 新幹線でも2時間かかる、というか、新幹線なら2時間で行ける、というか。

研究室行くが全く身が入らん。 困ったな。


2002年8月16日(金)

なかなかとんでもない夢を見た。 部屋に捨て忘れているゴミ袋があって、密封してる中で腐敗が進みガス圧で内容物が飛び散り、その臭いに寄せられて蟲が部屋に押し寄せてくる。 その蟲というのがゲジゲジや百足などの土にいる奴の類で、渓流のように流れてくる。 蟲が通ることで土壁がガシガシ崩れていく。 どうしていいのかわからず、警察に電話したりしていた。 暫くすると蟲は来なくなった。

夢の中でゴルフっぽいスポーツ。 最終ホールくらいしか覚えてないのだが、18ホールやったくらい疲れた。 この手の夢で珍しく勝利する夢だった。 なんか負ける夢の方が多いんだけど、これは個体差でしょうか?

ADSL 回線の為に NTT に電話したり、大家に電話したり、車検のために区役所行ったり。 ばてた。


2002年8月17日(土)

ルネがやってなければ例会がどこであるか分からない。 電話して行く程の用事もねーしなー。

焼肉。 合コンを生暖かく見守る筈でしたが、ま、諸般の事情で。 あとカラオケ。 アニソンは面子を選ぶ。 ミッドナイト・サブマリンを合の手なしで歌うと寂しいなー。 穏当路線で進めるべきだったか。


2002年8月18日(日)

起きてコーナン。 クリップ扇風機、電源タップ、シャワーヘッド。 しかしハンガーを買い忘れる。

クリップ扇風機の威力を確かめてる内に昼寝に突入してしまう。

そーゆーわけで夜になってからバイクの洗車したり、車検の書類を整理したり、寮生某に書類を渡したり。

「ゼロ」という漫画を7巻まで読んだ。 作者が全く科学、工学を理解してないので真面目に読むとトンデモだ。 シナリオの方もなんか駄目な話が多いし。 そのくせ文字が多いので読むのに時間がかかる。

思うに、自炊していて一番楽しいのは 食う瞬間でも作る瞬間でもなく、買う時ではなかろうか。


2002年8月19日(月)

研究室で作業進めなければならないのに日記書き。

バイクの車検予約日である。 今日がダメなら明日もあるが、それを越せばまた750円出して仮ナンバーを借りねばならない。

一年ぶりに動かすのでエンジンがまともに動くか不安だったので、念のため昨日の晩に15分ほどアイドリングしてみました。 うん、動いた。

1時間の仮眠。 布団から身体を引き剥がして寮のバイク置き場へ。 エンジン掛ける。 荷物を積む。 エンジン止まる。 ……!? セルは回るがエンジンがかからない。

「あー、燃料系かなー、ホースとかだったら交換だからどうしようもないよなー。 あーあ、今日は車検無理だなー」 と思いながらぼーっと煙草吸うてると某から「プラグ見てみたら?」と指摘される。 なるほど、とタンク外してプラグ抜く。 うーん、見事に焼き付いてるなあ。 こすって再装着。 車を回してバッテリーに喝を入れながら回す。 手応えは変わったけど かかる素振りが見えない。

「うん、手応えが変わったということは、少なくともプラグは死んでるな」 とりあえず近所の HONDA の店。 やっぱカワサキバイクの部品は置いてないって。 車でオートバックスへ。

暫く見ないうちにオートバックスは嫌な感じの店になっていた。 前からその傾向はあったけど。 車の「走る」という機能にとって重要なパーツがほとんどなく、「飾る」という(私にとってどうでも良い、寧ろ嫌う処の)機能を強化するパーツばかり置かれている。 プラグもあったが10種類程しかなく(私のバイク用のはない)、横に置いてあるのは高級プラグ(1500円/1本〜、普通のは 600円/1本くらい)。 確かにカーナビや電装インテリアの方が利幅が大きく、商品として優良だとは思いますが。 店の理念が「金をかけて格好良くしようぜ!」なので、私の理念「金を掛けず普通に走ろうぜ!」と著しく反する。 私にとってはいらない店。

ロードスターはまだ頑張ってる。 プラグも車種に合わせて50種類くらいは揃えてるし。 で、寮に戻ってもいちどタンクを外し、プラグを付け替えると気持ち良く回った。 翌日に車検予約を取って、kinoka さんとこで晩飯食って帰る。

1日2度もタンクを外すとかなり慣れる。 繰り返せばもっと上手くなるんだろうな。 しかし「バイクをいじれる」ということに憧れを持つ時代は過ぎた。 それより有効に時間を使わないとね。 使えた試しはないけれど。

最後のメタスラ X。 ラスボス第2形態で2回死亡のノーコンティニュー。 これで一応やめることにしました。 あとは確率の問題ですから。 現時点で 1/3 くらいの確率でラスボスまでノーミスで行けます。 それからノーミスで行けるかどうかはここで良い武器が引けるかどうかで大体決まります。 引けても死ぬことがあるけれど。 ま、そのように確率を試行回数で潰すことには あまり意味がないので。


2002年8月20日(火)

ちょっとドキドキしながらセルを回す。

陸運支局まで行ってユーザー車検。 どーもエンジンが不調らしく回転数が下がったときに「プスン」と止まる。 「オイル交換してないしなー、そういや昨日プラグ交換したときに一本線が切れたっけ。 とりあえず車検通したらカワサキのワークスショップに行かんとなー」

車検自体は光軸合わせに2回引っかかったが一応通った。 光軸は「ヘッドライト位置より若干低め」に合わせること。 あと他の車なんだけど新品タイヤでブレーキが不合格になってた。 100km くらい走って一皮剥いて来た方が良いかもしれん。

終わったのが昼前。 それから山科のカワサキワークスショップまで行く。 なくなってた。 良い店だったのになあ、って2年も行ってなかったけれど。

しょうがないのでとりあえず寺町に行って HDD(80MB、備品) と DVD-ROM を買う。 その後西大路のバイクの整備屋さんに行ってみる。 「オイルとエレメントの交換をお願いしたいのですが」 「フィルターは在庫がないので取り寄せになりますが……」 オイルだけの交換なら自分でできそうなので、すごすごと引き下がる。 南下し、ツボイというバイク用品屋に行くが定休日。 げふん。

帰って DVD-ROM を繋いでみる。 CD-ROM は読みよるが、とらハ DVD-ROM は読まない。 なんでかなーと思いながら昼寝。

18:00起き。 とらハは動いた。 彼の心を動かすには時間が必要だったのだろう。 多分。

とりあえず何を入れて遊ぶか、少考の後過去にやったことのある とらハ2 を入れることにする。 「ただいま」。 愛さん一直線でやってたらリスティになったんですが、何か、別にどうでもいいです。 とらハ2 で一番良いのは主人公の耕介だと思います。 あんなに勤勉、実直に働き、有能、さらに心配りが利く青年はそういないと思います。 薫におにぎりを持たせる処は本気で彼に萌えました。


2002年8月21日(水)

未明、研究室に来て気付く。 講義レポート、昨日までやん!

他所の日記とかによると週末に長月さんとかが来てたらしい。 その時私は「電話して行く程の用事もねーしなー」と部屋でヘタレていた。 キチンと情報収集しとかんと こういうとき失敗する。

瀬戸内遠征の時の宴会。 「燃やして燃え残ったものが不燃ゴミや。→可燃ゴミに入れたらよろし」 という主張を「或る意味正しい」と受け取る人が多くて辟易。 焼却炉の中に燃えないものを放り込むと、不燃物に吸収される熱量が無駄になる。 焼却炉での火付きはそれほど良くなく、石油をぶっかけて焼いている現状。 エネルギーの無駄遣いに繋がる。 ……ということは、酒の場で喝采が叫ばれている時には言えません。

メタスラ X をやめたはいいが、とらハ2を入れて遊んでしまう。


2002年8月22日(木)

研究室。 一昨日買った HDD を PC に装着し、FreeBSD4.6.2 を入れてみる。 研究室に CD を焼ける PC が少なく、1台は windowsXP に付いているため iso イメージからブータブル CD を焼く方法が分からなく苦労。 私物 PC にも私物 CD-R を付けてはいるんだが、FreeBSD から焼く方法が分からない。 ということで ブートフロッピーを作ってそこからインストール。

xemacs が動かん。 ports で入れようとすると以下のエラーで止まる。

ln: /usr/local/lib/xemacs/mule-packages/etc/app-defaults/ja_JP.EUC: No such file or directory

とりあえず放棄。

    今日のごはんは鷄肉とじゃが芋炒めのトマトソース
  1. 湯剥きしたトマトに火をかけて潰していく
  2. にんにく、しめじを投入
  3. トマトジュースで量を調整し、しばらく煮る
  4. バジルを散らす
  5. じゃが芋を茹でて切る
  6. 鶏肉とじゃが芋を炒める
  7. 火を止めてトマトソースをかけ、とろけるチーズを投入

かなりウマカッタ。 反省点。 タバスコ、ブイヨンの不足。

例会後、宮崎アニメを見ながら、某土産ブランデーを飲む。 酒はいいなあ。 「耳をすませば」はいいなあ。


2002年8月23日(金)

昨日のソースが残っていたので 鶏肉と茄子を炒めて同様に食う。 ソースが昨日よりうまかったのは、しめじの力か、微量添加のガラスープ素の力か?

精神力不足で学校行けませんでした。 研究に進捗がないのが辛い。 講義を自在にサボれた 1,2回生が懐しい。

で、とらハ1。 2の方が甘ったるくて好き。 1はなんか普通のエロゲーっぽい。

    冷凍保存の玄米飯を処理するため雑炊を作る
  1. 鍋に冷凍玄米を入れ、水を足して弱火で煮る
  2. 煮干、干ししいたけ、酒、みりん、醤油、ガラスープの素
  3. 鶏肉
  4. まぜ卵を落とす
  5. 山椒、七味

薄味だったのでポン酢を添加して食った。 ウマカッタ。 反省点。 菜の物が欲しかった。


2002年8月24日(土)

雑炊の二日目はかなりドロドロしていて素人にはお薦めできない。 味は大丈夫なんだけど。

コンテを上げて、例会で原稿描くか、とルネに行くと原稿一式忘れてた。 己、馬鹿?

例会後、久しぶりの麻雀。 南入時点で持ち点 2100点→オーラス トップと13400点差のところでリーツモ純チャン三色ドラ1(ド高目)を引く。 こんな逆転は、久しぶりか、ひょっとしたら初めてかも。 俺、引き弱いからなあ。

2半荘目は5000点差から ((直撃 or 一発) and 裏期待)の「the リーチ」、掛けた直後に空テンに気付く。 「頼む、トップは要らないからチョンボ払いをなくすために誰か和了ってくれ」 と祈っていたところ、下家親が対面に振り込む。 立直、即、清一色、一気通貫、一盃口、ドラ3、だったかな。 25000点差を捲る、素晴らしい和了だった。


2002年8月25日(日)

あさりのお吸物と炒飯。 今日もごはんがウマイ。

「北へ。」と「とらハ2」を比較すると、後者の方が飯が美味そうだ。 料理は味そのものを記述するよりも調理過程を表現する方が良いということだろう。

ln: /usr/local/lib/xemacs/mule-packages/etc/app-defaults/ja_JP.EUC: No such file or directory

xemacs21.1.14 on FreeBSD-4.6.2 手動で ディレクトリを作り旧システムの ja_JP.EUC をコピーするとインストールはできた。 だけど 起動すると、

Cannot open load file: /usr/local/lib/xemacs-21.1.14/lisp/auto-autoloads

これまた手動で旧システムのをコピーすると、今度は Segmentation fault。 "\xemacs -nw" によるターミナルからの起動は可能なので、X 回りがダメなのか。 X のバージョンも変わったのでそれが悪さしてるかもしれない。 とりあえず手に追えないので暫く no window モードで生活することにします。 不便だがしょうがない。

原稿、下描き1終了。 でも終わるのか? そういや表紙もあるんやけど。

原稿ばっかりやってられないので研究室。 xemacs。 げふん。


2002年8月26日(月)

最近毎日酒飲んでんなー。 毎日、発泡酒2〜3本、ウィスキー 0.5〜1合くらい。 肉体健康にも、精神健康にも、財布健康にも、直撃しそう。

XEmacs 自体ではなく、X-window-sytem が悪さしとるんちゃうかな、と思い始めた。

例会後、若者数人と飲む。


2002年8月27日(火)

古いリリースである FreeBSD-4.4 を入れてみたりする。 ダメ、というのは、古いリリースは packages/ports が古く、サーバの方でなくなっていることがある。 もいちど 4.6-RELEASE をインストールすると XEmacs は問題なく動いた。 全く何でか分からない。 Distribution → XFree からインストールされる物と、packages → x11 →XFree86-4 でインストールされる物は別物なのか? そんなバカな。

XEmacs が動いた代わりか知らんが w3m(-img) が動かない。 しかし XEmacs に比して致命度は著しく低いので放置しておいても良いのだが、古い(4.4-RELEASE の) ports で make install すると動いた。

    痛感したこと
  1. 自分が生活している「死守すべき」マシンは、不用意にアップグレードするべきではない。 新しいリリースを試すときはマシンを別に用意するか、少なくとも別の HDD に入れてみて全く問題無く動くことを確認してから移行すべきである。
  2. 可能な限りこまめに、packages も含めた形で リリースの iso-image を焼いておくこと。 ネットワークインストールに頼っていたのでは、信頼の置けるリリースがネット上の何処にも存在しないという事態に陥る可能性がある。
  3. ports は古いバージョンのも幾つか残しておいた方が無難。

1. に関しては、マシンに HDD を 2台塔載し、一方にシステムをインストールし 他方に /home をマウントするという方式を考案する。 低容量の HDD が幾つか余るなら有り得る選択肢だろう。

とりあえず使用環境としては「漸く」元に戻ったので、研究の作業をゴツゴツ進めようかと思います。

ここ2回作った炒飯が非常にウマかったので、もいちどやってみたら失敗した。 げふん。

    失敗した原因、略して敗因
  1. ごはんが多すぎた
  2. ごはんは乾燥させるべき
  3. そもそもコンロの火力が弱い

炒飯のポイントは米粒の表面を焼いて中はふっくらだが、ごはんの量に対して火力が弱いと焼ける前に中の水分が表面まで滲んで結局キチンと炒め切れない。 コンロに対して適正な量というのが厳然と存在する。

二口コンロ欲しいなあ。 でもそれに1万円の価値があるかというと、微妙。

学部生の院試打ち上げコンパだった。 キチンと進捗してないと辛いなあ。


2002年8月28日(水)

ハッピーバースデーとは「ハッピーなバースのデー」ということでよろしいでしょうか? 阪神ファン的には。 ということで 25歳。 20代も後半戦。

3:00起き、10:00に NTT が来るまで延々原稿。 下描きの時に線をこすらないように努力する。 (「線をこする」=「線を重ねる」) トレスで集中して一本の線で引くようにすると原稿が綺麗になった。

描く毎に上達している。 もっと描きたい。

要は、トレスという作業の意味を間違えていた、と。 「線の精度を上げること」ではなく、「1本の線を拾い上げること」

UNIX で動く第一原理計算アプリケーションを使っているのだが、その設定作成アプリが非常にオソマツ。 どうして「この部分だけ変更する」ことが出来ないかなあ。 ということで 24のモデルについて一々最初から作成するはめに。

そして、格子定数に √2 を掛け忘れていたためにそれまで作っていた 20 のモデルを作り直すはめに。

原点をスタート地点として第一象限に散らばる数点全てに到達にするには、目的点の平均座標に中継基地を作り、そこから移動するのが経済的だ。 一々スタート地点に戻ってやり直すのはよろしくない。 そもそも「しんどい」ということは「ミスの可能性を増やすこと」。 10の項目を設定する必要がある場合、20のモデルについて共通する部分も20回設定するというのは「何処かでミスをする可能性」が非常に高くなる。

「ミスしなければいいじゃないか」 という発言を何処かで聞いたことがあるのだが、全くナンセンスと言わざるを得ない (おまえら一遍コンピュータのプログラムを組んでみろ)。 ミスしないための機構を作るためにこそ労力は払われるべきだろう。

やる気が潰えて 22:00 帰宅。 寝入り端に電話。 目が覚めてしまったので原稿。


2002年8月29日(木)

4:00 まで原稿。 流石に寝ておかないと昼の内に起きられない(研究室に行けない)ので寝る。

時計は 9:00を指している。 外は暗い。 どうやら 21:00ということらしい。


2002年8月30日(金)

ADSL 回線は来たのだが、プロバイダとの契約がまだ。 で、プロバイダを選定してみた。 候補は SANNET の学割(900円/月)か ZERO(1480円/月)。 とりあえず SANNET はクレジットカード不可欠。 クレジットカードって、それ自体で年会費がかかるもんらしい。 プロバイダの支払いにしか使わないから正味月割料金に加算して考える必要がある。 生協の TUO カードは年会費がかからないようだが発行に20日ほどかかる。 NTT には 5000円/月 ほど支払うので、その間の損失を計上すると 約3300円。 ここまでを踏まえて、

3,4 番目の項目は大して重要じゃないから クレジットカードさえ持っていれば SANNET なんだけどなあ。 とりあえずプロバイダは ZERO で契約しておいて、今後のために TUO カードも申し込んでおこう。

コンビニでプリペイドで払ったら30分後には繋った。 スゴいなあ、高度に情報化された社会てーやつですか、これが。

windows で繋がることを確認した後は、FreeBSD で PPPoE を動かせるようにした。 PPPoE の仕組みを理解する。 今までちょっと誤解していた。

w3m でネットサーフィンできるようになって生活する上では問題ないのだが、ローカルで立ち上げてる apache が外に流れている。 apache はセキュリティホールが出易いから外には出したくないなあ。


2002年8月31日(土)

ひたすら原稿。 15:00くらいに大体終わる。 あとはタイトルを決めるだけ、なんだけど。

誰かと話しながらのんびり考えるか、ルネに行ってみるも誰もいないので帰って寝る。


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