2002_07月日記

last-modified: 2011/12/14 02:35:10. JST

2002年7月1日(月)

急に名古屋の長月さんとマウンテンという喫茶店でパスタを食うことになった。 面子は己、もりりん、宮崎、現地から長月。 とりあえず「マウンテンに行った。パスタを食った。」 詳細の報告は他の人に任せるとします。

カラオケ、HyperJoy。 「今までカラオケ屋で入ってるのを見たことがなかったもの」という自己縛りで2時間歌い切ることが出来ました。

あ、SenseOff の SacredWords と スーチーパイの 肉球みゃーみゃー はありませんでした。 しかし、アンジェリークで一段ブチ抜いてるのにはビックリした。

車の運転はやっぱ怖いです。 自分が死んだり、他人を殺して人生終了という可能性が常につきまとうから。

関連:宮崎もりりん(6/30,7/1)


2002年7月2日(火)

人間の肉体なんてのはどんなにメンテナンスしても高々100年しか保たない。 だから煙草を吸ったりメシを適当に済ませたりするのだが、もしキッチリやれば永久に使えるとなったらどうだろう? その辺の認識は全く変わるに違いない。 適当な周期で真新しい生命を作り世代を交替していくというのは結構よく出来たシステムなのかもしれない。

「旧字体まぜて書く」っていうのは、中途半端でカコワルイのでやめました。


2002年7月3日(水)

引越し荷物をダンボールに詰める。 多い。 やはり本を捨てるべきか。 てゆーかやっぱり、他人のスペースを逼迫して生活してたんやなあ、と思った。

漫研の身内で手伝ってくれる方へ。 引越しは7/6(土)の10:00スタートです。 そのころに吉田寮に来てください。 よろしゅうお願いします。

mnews が不調。 アドレスによって sendmail が通してくれない。 それで半日、未だ通らず。 至急の用件があるんだけどなあ。


2002年7月4日(木)

引越し荷物をまとめる前に、己の巣となっている部屋の一角を一枚パチリと撮っておけばよかったかも。

何だか早く引越しをしたくてたまらないですよ。


2002年7月5日(金)

しまったーーーー、例会で引越し手伝い募集の情宣し忘れたーーー! このままでは若者が圧倒的に少なくなってしまう。 やっぱピチピチしたのが欲しいですからのう。 何人か電話するべきか?

メタスラX。 ラスボス第一形態の1死まで減らしました。 これは、イケる!

未明。 あー、ゴザ買いに行かんとなあ、コーナンでも行って来っか。 と、ほぼ毎日の習慣となっているゴミ捨て場チェックをしたらば、カーペットが捨ててありました。 結構汚れているけど、それが返って安心(変な薬品が溢れたから、とかではなさそう)。 これぞ正に天の配材、ということでお持ち帰りです。

「確か吉田食堂の近くに洗車できるようなスペースと蛇口があったなあ」 作務衣を水着に穿き替えて、カーペットと洗剤担いでエッコラショと行ってみましたが、一見其処には見合たりません。 朝も8:00を回っていて横では野球にテニスをやっていて、吉田食堂の職員はすでに胎動を始めております。 恐らく教職員もボチボチ出現することでしょう。 土日ならまだしも平日午前、海パン一丁でホース片手にカーペットと戯れる図というのはあまり見たくない、というより見られたくないので撤収。 無難に寮のシャワー室で洗いました。

干してみると、結構汚れが落ちている。 今日は洗濯という行為が好きになりました。

13:00に寝たら3時間しか眠れなかった。

「本当の収納を見せてやる」 とか、 「部屋を創るという事とはこういう事だ」 とか息巻いていますが、果たしてどんな部屋になるのでしょうか。


2002年7月6日(土)

発泡酒かっくらってテトリスしてる。 アルコールのために思考が横に逸れる。 遂に寮を出るんですな。 感慨深い。 というより、本当は涙線がゆるむのだけれど、それは多分感傷に浸りたいという精神の作用。

引越しー。 なんだか人の集まりが非常に良かった。 10人くらい声を掛ければ2人くらい寝倒して……とか考えていたら、全員来た上に直接声をかけてない人も駆け付けてくれて、11人。 他府県OB、社会人OBが、合計4人。 普段時間を売って大金貰ってる立場の人をメシオゴリで使役するんですよ、学生の私が。

引越し作業というのは3つのパートから成り立っている。

  1. 旧居からの搬出
  2. 運搬
  3. 新居への搬入

私の場合、寮の相部屋から出るという形になるため、部屋の荷物の所有権がはっきりせず、「部屋の中の物を適当に梱包して送ってね」ということが出来ない。 ということで、梱包を全て先に済ませておいて、運搬を完全に他の人に任せ、私は部屋に搬入された物品を捌くことに専念した。 が、本棚を組むのに予想以上に手間取り、来たダンボールを片っ端から詰めていく、という甘い考えは脆くも崩れ去った。

涙を飲んでカラオケに行かず部屋片付け、というか引越し組とマターリしました。

七夕コンパ。 ハラヘッタ。

カラオケ。 惨敗。


2002年7月7日(日)

ガス開栓の電話を入れようとしたら、 「お客さまの電話からはお繋ぎできません」 だって。 フリーダイヤルじゃなくてもいいから携帯から繋がる番号も併記してよ。

一日中ダンボール捌きに終始。


2002年7月8日(月)

便所が流れないのを修理してもらう。 やはり配管が錆びて詰まっていたんだそうだ。

本棚を組み、ダンボールが片付く度に部屋が格好良くなっていく。 今己はとても部屋の機能性を自慢したい。

本棚もう一個あってもいいなあ。 年度末シーズンが待ち遠しい。

てゆーか、部屋の条件良すぎ。 かなり萌えてます。

例会後もりりん来訪。 まんがを幾つか見る。

少林サッカーを見ようとしたけど、ダメ。

むう、ニューマシン、か?


2002年7月9日(火)

言われてみれば、ためこんでたような気がかなりする。

午前、ガス開栓。 それから二度寝。

残りの荷物を幾つか運んで、学校行こうかという感じだったんだが、某部屋に天が入っていたので読み耽る。 まー、面白いちや面白いわな。 だがまあ所謂 名作ではあるまいて。

生きるの、死ぬの。 天において赤木が言うてるのは、結局のところ作者の持つ死生観の一つであり普遍的な真理ではないのだが、視点の一つとしては面白い。 彼に言わせると私は生きていないということになる。


2002年7月10日(水)

暑くて寝られない、そして昼間学校に行けない、そんな生活とももうさよなら。 エアコンが入りました。

むー、某に捕捉されたっぽい。

環境による差を吸収するべくスクリプトを組もうとしたら、perl も bash も tcsh も、 sh ですら置かれているディレクトリが違った。 打つ手なし。

rsh で手元から自動化するスクリプトを作成。 ssh を使いたいところだが入ってないものはしょうがない。


2002年7月11日(木)

部屋も漸く落ち着きを見せてきましたが、幾つか足りない物が。 炬燵とキッチンワゴン、給湯ポット、あと洗濯篭。 洗濯関係は最後に寮で洗ってから持って来る予定、炬燵とキッチンワゴンは実家から、給湯ポットは買うか、直すか。 いずれにせよ早く終状態に収束させたいです。

「収納力」と言ったら、そら「部屋の収納力」なんでしょうが、「収納に関する能力」という言い方をすれば「私の能力」と言っても良いと思う。 組み棚、吊り棚、本棚、三段ラック、衣裳缶といった収納具を、買う/拾う/作る/貰う など手段を尽くして手に入れるというのは個人の能力、というか資質だろう。 (関連:もりりん7/8)

現在ある家具を効率的に配置する、とかいうのは単なるパズル。

しかし、収納系の最強技能は「物を増やさない」という技術。


2002年7月12日(金)

4:00に寝て、起きたり寝たり、最終的に起きたのは18:00。 部屋の片付けなどをし、丸二→寮で厚生部会→シャワー。

メタスラX。 一時ほどの鬼神の如き巧さがなくなった。 しょっちゅう死ぬ。

プレイスタイルが2つある。

集中力がノってると後者でもいいんだが、中途半端なスタイルを取ると、なんかよく死ぬ。


2002年7月13日(土)

「Word ドキュメントは論理的ではない」

ということを詳細に説明するなら以下のようになる。

MS-Word において見出しや箇条書は文章中のフォントを直接いじることで表現される。 私は寡聞にして知らないが、それらの文書構成を定義する方法があって「論理的な Word ドキュメント」を作成する術があるのかもしれない。 だが、よしんば在ったとしても、何でもかんでも WYSIWIG に整備された環境は却って何処にどのコマンドがあるのか分からない。 (論理的な構造を定義するために、一々キーボードから手を離してマウスを操作するんでしょうか?) というより Word は Word によって作成されたドキュメントが論理的であることを要請しない。 一般的なユーザの主眼は「文書を論理的に構成すること」ではなく「文書が論理的っぽく印刷されること」にあると思われる。 「何が見出しか」ではなく、「見出しっぽく見えるのはどういうフォントか」ということ。 大多数の Word ドキュメントは実際には論理的に構成されていない。

「人間の目に論理的に見えればそれでいい」というのも確かに正解の一つだが、データの交換性を問題とする時 それは正解にはならない。 TeX などへの変換を考えたとき、「フォントが適当に変われば良い」などと考える人は TeX を理解していない。

こういうことを口頭で説明するのは難しい。 「論理的な文書」というのも説明し難い。

TeX の理念、というのも主観が入るからなあ。 キチッと説明できないかも。

母が京大会館に用事があるとかで近くに来たので新しい下宿に寄る。 まあヤバいオブジェクトもないわけではないがまだ健康的な範囲内だろう。 特に見咎められることはなかったが。

「よこちょう」行ってみるが客が一杯で入れず。 残念。 二条近くのお好み焼き屋で飲み食い。

帰って気分良く転がってると22:00を回ってた。 ルネ行っても誰もおらんやろな。


2002年7月14日(日)

今日のゴミ情報。 PC ラックx2。 物理工のゴミ捨て場。

綺麗なデカい冷蔵庫も捨ててあった。 が、ケーブルが切られてあった。 ゴミ道に反する行為。 そこに込められている意味を幾つか予想する。

故障して使えないんだったら、「故障」とマジックで書いておくとかするべき。 より破壊度を上げて故障であることを表現するというのは頂けない。 スキルのある者ならば故障のある箇所を修理して使える場合があるが、その可能性を否定することになる。

組織の廃棄物 という捉え方は、一定納得できる。 「使える物を廃棄する」というのは、行き過ぎれば「形だけ捨ててそれを拾う→横流し」にまで発展する怖れがあるからだ。 道義的には十分理解できるのだが、そこまで意識が回るのならば廃棄した部署を明記するべきではなかろうか。 それが書かれてなければ学外から持ち込まれたゴミという可能性が否定できない。

道義的な問題に歯止めを掛けるのは結局個人個人の精神であって、それを意識していればそれで良いと「私は」思う。 その上で使えるものは他の人に使ってもらう、というのが環境負荷の観点から望ましいと思う。

第三者が……というのは、近くに別のケーブルが落ちていたのでありえない。 冷蔵庫はケーブルも含めて冷蔵庫であり、破壊的に一部を持っていくのはまたゴミ道に反する。

「三日で止めるんだったら最初からしない方が格好悪くない」 という思いがあるのだが、動いた方が良い場合が多いような気がしてきた。

「画像ファイルをくれ」と言ったら、画像を貼り付けたWord ドキュメントファイルをくれた。 或る人は画像を貼り付けたのではなく、Word の画像編集機能で描いた物を渡してくれた。 TeX に貼りつけろ という指定なのだが、一体これらをどうしろと?

「TeX が使える」と公言する前に TeX が使えるようになって欲しいです。

寮で洗濯物を干し、2枚だけ別の竿になった。 帰って見てみると、その2枚だけ地面に落ちていた。 それらが掛かっていた竿に誰かがシーツを干していた。 偶然にしては出来すぎだと思う。


2002年7月15日(月)

今日はsocket370 babyATマザーが落ちてました。 使えるといいなあ。 小さい箱もあったんですが、電源が既に抜かれていたので使えませんでした。

己、去年よく卒業できたなあ。 一年前の時点で殆どデータなかったで。

例会を寝倒してそのまま寝てたら、研究室の人が遊びに来た。 で、飲む。

目の前で一般の人に自分の漫画を見られる、というのはなかなか耐え難い物がある。


2002年7月16日(火)

今日のゴミ情報。 扇風機。 物理工のゴミ捨て場。

味噌汁を作ろうと思って煮干を砕いて鍋で煮た。 大根を切ろうとしたら、包丁がなかった。 替わりに豆腐を箸で切って具にしようと考える。 味噌がなかった。 醤油もない。 結局煮干のダシ汁だけ出来上がった。


2002年7月17日(水)

英語ができないというのは困るなあ。

毎日スクリプト書いてます。 ssh が使えないので rsh で、ippei アカウントがないので 共通アカウントで。 いっそ root パスワードを聞いてシステムの設定をした方が早いような気が。


2002年7月18日(木)

最近日記経由で、助けられることが多い。 引越しの時も声を掛けてなかった他府県社会人 OB が手伝いに来てくれたし、 Word 上の画像を EPS に変換するやり方を教えてもらったし、 給湯ポットを貰うアテも出来た。 こういう所に価値を見出すというのも おかしな話ではあるが。 元々情報価値ではなく惰性でダラダラ書いてるもんだし。 まあ、助けられてます、ということで。

KUINS-III になるのが早いか、プロバイダのスペースを確保するのが早いか。 てゆーか、ネット回線取得に向けて動いてないや。 これもやらんとなあ。

今メーラには mnews を使っている。 メールが送れないことがあるのは、自前の sendmail デーモンを使って送信しているので相手のメールサーバによっては「そんなサーバは知らんで。お前スパムメールちゃうんか?ウチは受け付けへんで。」と蹴られてしまうからのようだ。 なんとか設定しなおさんと。 でないとお礼のメールが送れない。


2002年7月19日(金)

豆ごはん、納豆、味噌汁。 現在5食連続続行中。

タスクが貯まりつつある。 でもモチベーションは高い。 片っ端から片付けて行こう。

TeX の打込みだけだと思ったら、原稿回収も仕事らしい。 キチンと契約しといた方が良かったか?

体育館のシャワーを借りて、西部生協で涼みながらPCパーツ売り場を冷やかし、本漁りに立ち読み。 出る時喉が乾いていたので食堂でお茶を飲んで出る。 西部生協がリフレッシュ&アミューズメントスペースとしてかなり優秀であるということに、今日初めて気付いた。


2002年7月20日(土)

学部んときの研究室の15周年記念パーティ。 同期は修士を出て就職している。 なんだか大きな差が。

私が主に関係している人間は吉田寮と漫研なのだが、浮いた話が少ない。 一度そこから出るとそれなりに多いらしい。

酒をしこたま飲んで部屋で潰れていたので寮生大会に出られなかった。 なんか申し訳ない。

モチベーションが高くても注意しないと、横に逸れる。 そのモチベーションを何に向けるべきかを意識しておかんと。


2002年7月21日(日)

まだ室内禁煙を続行しております。 喫煙チャンスは主に移動時間。 学校行かずに引きこもれば禁煙できるかも。


2002年7月22日(月)

捨てる勇気を行使。 1週間前のもやしが苦酸っぱくなっていた。 寮に居る間は適当に多く買って作って置いといたら適当に減ったが、今は自分で喰わねば減らない。 てゆーか、デカい鍋が必要。 さあ、どうしよう?

旧研サバが落ちていたのは、研究室の模様替えをしたために、隠していたサバがバレて外されていたためだった。 もうしょうがないので回収して来た。

余り PC どーしよっかなー。 誰か欲しい人が居たらあげて、なければ Linux を入れて遊ぶか、ファイヤウォールにでもするか。


2002年7月23日(火)

名古屋にいるはずの長月さんが居た。

酒が入ると自分の本性が垣間見える。 「俺が、俺が」という性質を自覚してはいるのだが。 それを外に振り撒いたと考えると多少鬱だが、ま、面白かったと思っておくことにする。

「己の好きそうなモノ」というカテゴリは、私が自分で思っているより明確らしい。


2002年7月24日(水)

暑くて寝苦しい。 しんどくて2時間多く寝るよりもエアコンかけてぐっすり眠ろう。

電話回線を引くのに工事が必要。 一応大家に断りを入れておくべきだと思うのだが、電話で大家が捕まらない。 ネット導入はまだ先か。

Mac の嫌いなところ。 フォーマットの決まっているファイルの頭に勝手にバイナリヘッダを付けるところ。 おかげで本来機種依存がない筈の EPS が開けない。 手作業で削ったけどな。


2002年7月25日(木)

「いっぺい」を「イッペイ」と書くとちょっとだけ格好良い気がする。 あきらかにきのせい。

昼間死亡。 研究、行きづまり。

ウェブサイト公開スペースを何処に取るか。 プロバイダの方とかいうても少なくともあと2週間はかかるはずだしなあ。

例会あと下宿でメシ作って喰う。 原稿作業してる もりりん を傍目に一人で飲む。 完成させた もりりん と、まき邸に行く。


2002年7月26日(金)

気がついたら まき邸で寝てた。 それから下宿に引き上げ、寝直す。

相部屋相手がつかまらず退寮届を出せず。

「千と千尋の神隠し」を見る。 結構良いなあ。 オカルト好きには堪らないものが。 てゆーか、働かざる者食うべからずらしいですよ。


2002年7月27日(土)

少林サッカー。 スゴクイイ。

漸く退寮届が出せました。


2002年7月28日(日)

やるべきことをやってないので、遊ぶにしても心から遊べない。

最小限の努力しかしようとしない。 私の最小限は要求されている量に足りていない。

1分の我慢で1時間が買える。 ゲームするだとか、寝起きだとか。

煙草もそうかもしれない。 全く吸わなければあと50年生きるけど、毎日1箱吸えばあと40年くらいになるとか。 そのように計算すると、一箱あたり6時間ほど寿命を縮める。 一本20分程度。 私は今 2〜3日で1箱吸う。 このペースで行けば、残りの寿命を1割くらい削ることになる。


2002年7月29日(月)

「物性を解き明かす。 それはノートの上でもコンピュータを使っても良い。 実際に物質を作らなくてもその物性を予測することができれば材料開発のコストが大幅に下がるに違いない。」 これが私の「学者としてやりたかったこと」。 いや、もしかしたら「物性を記述する規則のようなものを見つけたい」だったかもしれない。 高校のころから漠然と抱きつづけて、3回生で学科内の専門を選ぶ時にはっきりと自覚した。

「物性」はあらゆる物性を想定していた(若いなぁ)。 しかしあらゆる物性をマクロに解釈するのは仕事量として無理。 世界中の科学者がずっとやり続けている仕事なのだから。 私は、あらゆる物性をカバーする現状で最も近い手段は恐らく量子計算だと考えた。 この世界を構成する全ての物質は電子や原子核といった量子でできているし、それらは厳密に規則に則って運動しているからだ。 ならば、量子計算は全てを説明する万能の手段なのだろうか? 少なくとも現時点において、そうではない。 その理由はいくつかある。

電子状態計算プログラムは已に幾つか存在する。 新しく作るなら、少なくともそれらに対する優位性を示さなければ意味がない。 先に述べた私の指向から言えば、「正確で、汎用であること」であろうか。 だが、量子計算プログラムを設計する際に重要なのは、「量子の運動を正確に記述すること」ではなく、「目的とする計算結果を明確にすること」である。 「何のために計算をするのか」。 でなければ、必要でない結果の精度を出すために多大な時間を費すことになりかねない。 即ち、真の意味で汎用の量子計算というものは作り得ないということになる。 作るべき計算プログラムは結局「ある現象を解析するためのプログラム」になる。 それは計算を対象とする研究ではなく、その「ある現象」の研究、ということになる。 尤も、計算機の性能が何桁も向上すればそのような計算ができるかもしれない。 だがそれは何十年も後のことだろうし、もしそうなっても鈍重なプログラムは(それに見合うメリットがなければ)使われるべきではないだろう。

計算機の性能が上がり価格が下がっても、研究で使われるような計算機はやはり数百万円からするし、CPU タイムで課金されるという所もあるだろう。 そのような環境で使われる量子計算という研究手段が、「材料開発のコスト」を大幅に下げるだろうか?

ということをボチボチ考える。 博士進学を考えた時点では「電子状態計算プログラムを作るか、限界を見極める」というようなつもりでいたんだけど……、 極論すると、大学残って研究するマインドというか、核となる部分を否定したことになる。 実際にプログラムしたわけではないのだが、現行のプログラムがそんなに無駄な処理をしてるとも思えない。

数学から、というアプローチはあるんだろうけど、そちらに行くにはもう遅い。 ということで、私にとって研究者になるのも技術者になるのもあまり変わらない位置付けになりました。

私にとってはそうだが、社会から見たら(数の上で)研究者の方が有用かもしれない。

研究者というのも技術者クラスの一部なんだけど、ま、その。


2002年7月30日(火)

研究会、というかその分野の若手の会。 会場(宿)が私の故郷。 (故郷は実家があるところではなく、私が中学時代まで育った地。) 早目に行ってぷらぷら散歩でもしてくるかな。

箕面に行ってぼつぼつ散歩。 現地で研究室の人と合流したのと 思ったより時間がなかったため思うように散歩しきれなかった。 ノスタルジーを蓄えようと思ったのに。

20年も昔に泊まったことがある宿。 当然覚えちゃいないが。

発表自体はまあ、つつがなく。 てゆーか、時間を大幅にオーバーしたみたい。 ベルが鳴るもんやと思い込んでいたからな。

酒飲んで滝見た。 手摺りに猿が30匹ほど座ってた。 滝道を20回以上登った現地育ちの己でもこんなにまとめて猿を見たのは初めてだ。

風呂入って寝る。 他の人は騒いでたみたいだが。 疲れてるもんはしょうがない。 明日も予定はつまってるんだし。


2002年7月31日(水)

午前は研究会。 博士の人ってなんかみんな凄いなあ。

その研究会は終わったが、その直後阪大である同系統 別の研究会。 ポカリを昼飯にする。 寝る。 おかしいなぁ、あんなに寝て行ったのに。

大阪で高校時代の友人達と飲む。 千里中央のセルシーに「西日本最大級」と謌う中華街が。 なかなかバカで面白かった。

みんなもうすぐ社会人。


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