2002_01月日記

last-modified: 2011/12/14 02:32:27. JST

2002年1月1日(火)

実家でカニ喰って寝た。

サーバに直接ログインして日記を書く。 しかし回線が遅くストレス。

あ、一応、おめでとうございます。 何か良いことがあるといいですね。 お互い。


2002年1月2日(水)

古本屋めぐり。 紫堂恭子など10冊程。

高校時代の友人を集めて酒盛り。

本当に恥ずかしいのはオタクであるということではなく、中途半端であるということだ。

己は知っているつもりになっていたけれど、色々な人と話をして自分と全く違うベクトルがあるということを知った。


2002年1月3日(木)

昨日の酒盛の連中とぼーっとする。 作った雑炊を美味いと言ってくれたのが嬉しかった。

昨日買ったまんがを読む。

今回は当たりが多かった。

温くなってしまい、気の抜けたビールは新しいビールと混ぜて飲めば良い。


2002年1月4日(金)

今さらながら風来のシレンです。 フェイの最終問題を数十回のチャレンジで一度しかクリアできないってゆーのはまだまだヌルいということですな。


2002年1月5日(土)

実家にはケーブルテレビが引かれている。 ディスカバリーチャンネルという米国ドキュメントをずっと流しているチャンネルがあって重宝する。 今日の知見。 退役後の軍艦は沈めて漁礁にする。

FreeBSD で DV-Xa を使えるようにしようとしたけど ctrl が caps の位置にあるのでそれをまず直す。 これに1時間。 ……結局ダメでした。 素直に windows でやることにします。

ガンガン漫画読んでます。 いや、ガンガンじゃなくって。 漫画ってイイよな。

本当、どこか山岸涼子をキチンと纏めてくれへんかなあ。

実家にいて、親がいなくて、一度宴会やって(そん時飲んだことにすれば良い)と条件が揃っているので日がな日中ビール三昧です。 そういや剣菱も残っていたな。 飲るか。

「最も美しいのは何進数か?」 という問を持ったことがあるが、純粋な数学では数をそのまま数として扱うのであまり関係ないのかも。 何進数というのは人間が扱うのに便利なように出来ているだけだ。


2002年1月6日(日)

漸く母姉が帰って来た。 正月の留守番なんて引き受けるんじゃなかった。 そんな暇はなかった。


2002年1月7日(月)

京都に帰る。 boss に頼まれた WORD → TeX のバイトは思ったよりオイシくなかった。 甘かったか。

実験失敗。 シリコンオイルを沸かしてしまう。 サイテー。


2002年1月8日(火)

最近バレエ漫画を読む機会が多い。 (萩尾望都「フラワーフェスティバル」、山岸涼子「舞姫(テレプシコーラ)」「アラベスク」) 一度本物を見てみたいなあ。

押し潰されそうだ。 とにかく卒業してえ。


2002年1月9日(水)

1:00 〜 5:00 と研究室。 9:00 に分析室に行かねばならんので、3時間だけでも寝るか、と布団。 だけど起きるプレッシャーとやらねばならぬプレッシャーでキンキンと冴えて眠れず。 昼まで起きてやることやってから寝ます。


2002年1月10日(木) 「そうそう、今のセクシー&バイオレンスな心のまま子供に戻ってみたい物です。」(2ch)

研究室。 音が聞けないのが寂しいのでサウンドカードを持って来て FreeBSD から使えるようにする。

メタルギアソリッド2。 よくできていそうなニオイはする。 それから平山んちでゴロゴロする。 ヒュドラ(原哲夫)、ゴミ漫画。 首斬り朝(小池一夫)、面白い。 おんなのこ季節(山口美由紀)、可愛い。インスパイアされた。


2002年1月11日(金)

ゼミは告知なしに16:00からに変更されていた。

工学部材料系の博士進学試験の願書受付をまだやってるらしい。 「とりあえず受けてみたらどうだ?」 と boss に言われる。 どうしたものか。

夜中に LAN の整備。

ケロロ軍曹(吉崎観音)が激しく面白い。 漫画描く上でキャラクターというのを軽視していたんだけど、考えを改めた。

ロマサガ1の攻略ページを延々読む。 やっぱイイよなあ、ロマサガ。 1stプレイで三拠点攻略(最終試練、オールドキャッスル、冥府)できた、てゆーのはなかなかが運が良かったんだね。


2002年1月12日(土) 巨漢大砲主義

↑おっきな肉体におっきなマグナム


2002年1月13日(日) 「やったことはないけれど、世界観は理解していると思います」(坂井泉水、ときめき3の歌の依頼を受けて)

ちょっとずつやってたときメモ3。 漸くゆっこちゃんでクリア。 少ししかやってないけど、世界観は理解できたと思います。

課長王子(田丸浩史)。 どこからどう見てもいつもの田丸。

寮内 LAN の物理層の整備。 ゴチャゴチャのハブを撤去するつーのは気持ち良い。

カレー作った。 結構肉多め。 が、最後の方は肉がなかった。 オジイサン「これで400円は高いよな」 確かに、ということで値下げ。 その後某が入室、喜々として語る。 「今回のカレー、肉がたくさん入ってたねっ!」 犯人はオマエかっ!

いやまあ真相は闇のなか。 肉大量消費の犯人は私かもしれないし、そっとしておくのが良いでしょう。


2002年1月14日(月)

研究室。 今日、寮が停電ということを知っていたのに、PC を止めるのを忘れていた。 萎え。

頑張れば、卒業はなんとかなるだろう。 博士に行くとしても、行くべき研究室が分からない。 今の研究室でやってるとは興味の方向がちょっと違う。 自分の好きなことやってもいいのでしょうか?


2002年1月15日(火)

修論提出まで3週間を切りました。 死ね。

ローカルIPアドレスに対してデータの流量制限を掛けねばならん。 でもどうやって?


2002年1月16日(水)

4回生の卒論中間発表。 その打ち上げ。

ウチの研究室の M1 が中退するらしい。 boss との人間関係……?

博士かいな。 どうも気がのらん。

甲と乙から年賀状が来ていた。 返事出そうにも今さら年賀葉書なんて手に入んねーよ。


2002年1月17日(木)

博士進学したら行くであろう研究室の教授と助教授に話を聞きにいく。 とにかく覚悟が足りない。 己に勤め上げられるとは到底思えない。

大悪司。 面白いですよ。 だけど、とてもバギーだったのでやめることができたアル。 大悪司そのものがバギーなのか、win98 がバギーなのかは特定できないけど、後者じゃないかなあ。


2002年1月18日(金)

ゼミと思って研究室に来たけどなかった。 どうやらセンター試験前日だとかで学校休みらしいです。 ……関係ないけどな。

たぶん、己は、似非外人弁が好きなんだろう。


2002年1月19日(土)

焼肉ヨーレイホー。 食って帰って寝て、総会。

いやあ、メタルスラッグX は面白いですなあ。


2002年1月20日(日)

例によって朝まで会議してました。 毎回ヒヤヒヤしながらも何とか成立していた寮生大会、今回も何とか成立。 だけど、委任状出席が多すぎたために議事が採択されず。 朝 8:00とかって、そら、出掛けてしまう人も多いわ。 センター試験受ける人もいたしね。

↓某投書(ソース:「放送と青少年に関する視聴者からの意見」)。

モーニング娘。は電波を私物化している。 電波を使ってイメージアップを図り、CDや写真集で荒稼ぎしている。 人をだまして儲ける悪徳商法であり、若者に対する情報操作だ。 自粛するよう指導してほしい。

いやもうどこにつっこんでいいものやら。 とりあえず、「あなたもかなり受信/発信してますね。」


2002年1月21日(月)

博士過程なあ。 こんなヌルい覚悟で行っちゃいかんだろう。 先方に迷惑だ。

それ以前に本当にこんなデータで論文書けるのか?

鬱。 世界の色が気持ちあざやか、何だか変。

原因は自明。 やることやってない、できてない、できない→閉塞感。

興味のあること。 「アプリケーションの使い易さの定量評価」

cygwin で tcsh。 前につまっていたのは単に設定ファイル ~/.cshrc のミス。 存在しないバイナリにエイリアスが張られていただけのこと。 とりあえずエイリアスをコメントアウトしてみたら動いた。 ……が、less で invarid charset と蹴られる。 less が jless でないといずれ困るので jless を入れることにする。 横着して他人がコンパイルしたのを落としてくる。 でも euc-jp が読めない。 nkf も入れるのか?

tcsh は手になじむが、DOSプロンプトから PATH が継承されない。 でいろいろやってみる。 path の先頭に $path を追加したら OK だった。

快適な環境を整備することに終始して実際の作業はやってない。 いつも通りだ。 傍から見てたら楽しそうにやってるだろう。

水上都市ウルの引越し先

とりあえず、来年度の身の振り方が決まってないのでどうなるか分かりませんが、引越ししそうです。 ほぼ完全に私の進路に依存します。

新たなスペースが確保できたら知り合いなどにはメイルなどで連絡します。

てゆーか、続ける意味あんのかなあ。 意味はなくても続けるんだろうけど。


2002年1月22日(火)

風邪。 あと2週間後だったらいくらでもひいてやるのに。

学校行くがなんかぼーっとしてた。 ダメだ。 体調悪いからこそ早く終わらせて寝んとあかんのに。

仮に明日締切だったのなら、D試願書は出しません。 明日になったらまた考えよう。


2002年1月23日(水)

流石にやってる場合ではないのでメタルスラッグを封印する。 だけど、テトリスはもうちょっと先。

現時点でのメタルスラッグ X 各場面生存率。

これらを乗算すると、0.02 %。 2回死ねることを考慮に入れても、1% を軽く下回る。 (ちょっと厳しく計上したのではあるが)

風邪で喉がやられて煙草を吸うのが辛い。 「なら止めろ」 ダメです最早中毒者。


2002年1月24日(木) 「元気な時にはたんと食え。病気の時にはもっと食え」(バビロンまで何マイル?:川原泉)

風邪はどうやら大禍なく過ぎそう。 食欲がなくなっているわけではないのだが、腹が減らないので気をつけないと食事を取り損ねてしまいそう。

POP ではなくイラストを描きたいものだ。 描いたことのない者の戯言だと分かってはいる。 キチンとした定義は知らないが、以下のようなモンだと思ってる。

windows のネットワークって何であんなに不安定なんだろう?

初めて堅気の人相手に「漫画描くために休学します」と言ってきた。 向こうさんからしたら「ヌル気な修士に喝入れようとしたら変なのが引っかかった」というところでしょうか。 というわけで、最善の選択肢(よりましの究極)「進学するけど1年目休学」が浮上。 さて、どうなる?

その方向で行けそうです。 なんだかバラ色。 サイケなバラ色。

漫研の例会にゴミ漫画を持って行って放出する。 だいたい15冊中10冊がはけた。 あと40冊ほどあるのだが、最後まで生き残る精鋭はどいつだろうとか考えてしまいます。


2002年1月25日(金)

講演会。 話を聴いてはいるけれど、ふと気がついたら思考が錯綜し、話についていけなくなる。

D試願書を出すことにした、経緯のまとめ。

    過程
  1. boss に「来年プラプラしてるんだったら博士課程に進学しないか」と持ちかけられる。
  2. 2, 3 日考え、「しない。博士に行くとしたら、興味があるのは電子状態計算だ。」 という結論を出し、それを boss に伝える。 (この時点ではそれを専攻する研究室に行く事はあまり考えてなかった。)
  3. boss が電子状態計算を専門とする研究室に連絡を取ってくれるという。 とりあえず話を聞かせてもらおう、ということでお願いする。
  4. 先方の研究室に言って教授、助教授と面談する。 とりあえず博士に行くとしたら相応の覚悟が必要だと実感する。
  5. 話をしてから願書提出まで10日ほどあったので、暫く考える。 「漫画描かんとなあ。 一年はそのための期間として確保しようとしたわけだから。 博士に行ったら漫画描くのは邪道だろう。」
  6. 週明け、先方の助教授にはとりあえず「まだ迷ってます」と言う。 詰められ、正直な話をする。 「漫画を描きます。その為の一年です。」 助教授は理解を示してくれる。 そこで、新たな選択肢「進学して、休学」が提示される。
  7. それで行けるのなら、という考えに落ち付く。

どうもですね、決断するのは私であり、だいたいそのような力を加えてることは確かなのですが、ちょっとナナメにズレてるような感じがします。 掛けた力と動作の方向は同じなのですが、座標がヨコにずれているような感覚。

「人生何が起こるか分からない」というのは「何を選択してもどうなるかサッパリ分からないから適当に選択してもそれなりに面白いことになる」ということだろう。 そういうことにしておけば気が楽だ。


2002年1月26日(土)

封印は破られました。 メタルスラッグ X。 5死の1コンティニュー。 6面宇宙人ラッシュで 2回(実力不足で1回、ヌルが1回)、ラスボス第二形態で3回(半分くらいは運)。

メシと漫研の例会をついでに、とルネに行くがラストオーダーの時間を知らなかったために戦略的撤退。 帰りにコンビニで食料買い込み。 暫く研究室にカンヅメします。


2002年1月27日(日)

久しぶりに研究室で寝る。 ダンボール敷いて、タオルケットで。 毛布か、最低でも新聞紙が欲しいところだ。

前にも書いたが、SenseOff は歌とか雰囲気とかとても好きなのだが、ただ一点に於いて合わない。 「己の珠季を返せ!」 口喧嘩するくらいが丁度良いのに、あのラブラブになったときの別人っぷりが、悔しい。

アイデアだけで漫画は描けない。 少なくともアイデアを活かすだけの表現力が必要だ。 それはトリックだけで推理小説が書けないことと同じ。

そういえば D 試というだけあって試験があるのだが、サッパリできそうな気がしません。 勉強する気がないというか。

知識を常に頭に詰め込んでいる必要性というのは、研究者にとっては低いと思う。 (技術者の場合は出先で対応を強いられることが多いので、比較的その必要性が高そうだ。) 重要なのは本を読んで分かるとか、その知識はどこを検索すれば取得できるかを把握していることだろう。 覚えたって、いずれ忘れるんだし。 ということで試験よりレポートの方が実状に近いと思うのですが。 だけど、レポートってのは試験より格段に不正がしやすいからなあ。 この理論に従うと、教養ってのは頭に入ってないと意味がないので試験でやるべきなのか。

UNIX するとイイヨ〜。 モテるヨ〜。 モテちゃうヨ〜。 モテモテーだヨ〜、もーネ、ソレに快適な電脳的生活もエンジョイできちゃう。 デキチャウ。

晩飯食って研究室。 腹が重いので横になる。


2002年1月28日(月)

研究室だったら床が硬いのであんまり寝ないという目算だったのだが……9時間。 どうせだったら布団で寝りゃよかったよ。

論文の謝辞を円谷幸吉の遺書風に書いたら面白かろうな。
「○○先生、ビールおいしゅうございました。」
「4回生の××君、立派な学者になってください。」
「いっぺいはもう書けません。」
……それはシャレになりません。

今日はけた漫画。 無理矢理押しつけた感はなきにしもあらず。


2002年1月29日(火)

「出来ないことを出来るようにする」ということの価値は認めるが、「かかる労力を軽減する」方が好き。 Windows は前者に寄りすぎている。

Windows の何が嫌いて、インターフェイスかなあ。 機能的には多分、便利なんだろうし。

Windows を 1ドライブ(C: ドライブのみ)で使用するのはダメダメだろう。 イザっちゅう時 OS の巻き添え喰ってデータまで死にかねん。 (2パーティションに分けていても安心できんが。 こないだは既に切ってあった パーティションが認識されず D: ドライブも一緒にフォーマットされた。 研究データ半壊。 バックアップデータがあったので致命傷は避けられたが。) 先日ノートPC ユーザの寮生某が 「windows が起動しなくなったけどどうしたら良いか」と聞きに来た。 「基本的にはどうしようもない」と答えた。 デスクトップだったら HDD だけ他のマシンに繋いで云々とかできるんだけどね。 フォーマットなしの上書きインストールだったらデータが生き残る可能性もあるのか。 ヤだけどな、そんなことで一か八かの賭なんて。


2002年1月30日(水)

先方の教授に「初年度休学する、ということでよいでしょうか」ということを言ったら、教授は苦い顔をした。 己も苦かった。 ということではありますが、D 試の願書を出しました。 パラサイトシングルの道を着実に歩んでいるような気がします。 「ダメ人間」 初めてこの言葉が苦く感じました。

Windows の嫌いな点は、インターフェイスというより寧ろ思想。 「初心者がとっつきやすいように」ばかりが先行して、「使えば使うほど便利」というのがサッパリない。

Photoshop のバッチ処理。 そこそこコンピュータが使えて良かった。 全部手でやるのは死ねる。


2002年1月31日(木)

敵機発見! 今からちょっと撃墜してきます。

寮内で割り振ってない IP を使用している人がいた。 で、ping 打ちつつケーブル抜き差しして部屋を特定、乗り込んでみる。 ……私のミスでした。 振った IP と、登録してあった IP が違ったわけです。 みなさんごめんなさい。

死にそうです。 修論間にあうのでしょうか。 「時間が来たら終わってるよ」 とはいつも言うてることですが、なんかマジヤバい感じがしました。

しかしはんだを取り巻く状況は変わりつつある。 より正確な表現を期するならば、変わらざるを得ない状況にある、というべきか。 あらゆる電子デバイスに不可欠なはんだは、しかし環境汚染への影響が指摘されている。

↑という文章を修論の序文で書いたんだけど、表現やりすぎだよなあ。

Emacs + TeX で論文というのはやっぱそれなりにトンガってる。 画像が貼れません、隊長!! 画像がないと進んでる気がしないんだけど、だけどイザとなったらローテクカット&ペーストですむので優先順位が低い。 画像を EPS にしたら桁が2つ増えたので貼り込みする気がちょっと失せた。

鉛。 江戸時代に白粉とかに使われていた。 中世西欧では酸化して不味くなったワインでも鉛のコップで飲めばまろやかになるとか言うて鉛中毒がようさん出たらしい。 アメリカでは廃屋で遊んでいた子供が壁の白い塗料が甘いことを発見し、塗料を剥がして食って鉛中毒になったそうな。 そういえば、小学校のころ絵の具を食って甘いとか言うてた奴がいた。 今思えば怖いことですな。

某メルサバ管理者の Tips。


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