0103月日記

last-modified: 2011/12/14 02:22:56. JST

2001年3月1日(木)

最近クレタクがバギー。 40分かけて33000(+53秒)までやったのに問答無用で凍るのはカンベン。

クレイジータクシー。 今日もフリーズ。 ここ4回連続で。 もうやる気なし。 車の挙動に関するバグはそういうルールだと思えば良いが、フリーズバグはゲームに関する評価を著しく落とす。 残念極まりない。

己はweb上に上げるはるか昔から日記を書いてきた。 compを手に入れ、2回生の7月ころからテキストエディタや一太郎で日記を書いてきた。 己のキー入力は日記を打つなかで上手くなってきたのだが、かなりの速度だと自分でも思う。 タイピングソフトは世にたくさんあるが、そのほとんどで「ひらがな←→ローマ字」の対応が己が打っているものより合理的ではないと思う。 たとえば、「しゃ」は「sya」と打つようになっているものがあるが、"y"を打つよりは"h"を打つホームポジションに近く速い。 「ちゃ」は「tya」よりも「cha」の方が速い。 「じゃ」行は「zy」よりも「j」の方が圧倒的に速い。 教わってやったわけではないのだが、このへんを無意識に取捨選択していたのはエラいと思う。

"c"を左人差指で打っていた。 でも本当は中指で打つべきだとされている。 たしかに、キー入力では同じ指を移動するのが一番時間がかかるので一つの指でカバーするキーの数は均等に近い方が合理的だ。 でも、日本語入力だと"c"の次には"h"しかこないのでどちらでもいいとは言える。


2001年3月2日(金)

ファイル同期プログラム。 設計図を書く。 約10時間。 次はもちっと細かく変数の名前とか決めていこう。

夢を見る。 いかんともしがたい行動を取らざるを得なくなる。 いろいろ葛藤している。 その時、近くにいた女の子が叫ぶ。 「あ、もしかして……!」 話は全く予想もつかないオチをつける。

一体、夢を見ている本人にさえ予測のできないオチというのはどこで生成されるんでしょうかね? 一般には精神の、意識よりももっと階層の深いところで夢を見ていると言うが、このような物語生成回路がそんな深くにあるとも思えんのだが。 やや昔に見た夢、物語が大団円に向かう途中、どのように収拾をつけるかが予測できない状態、それでいてキチンと話がまとまる予感、そしてそこで覚める。 続きがとても気になっているのだが……でももうどんな話だったかも忘れたし。

スキーに行く前に洗濯。 旅行中に着る服がなくなるとマズいからな。 普段の生活だったらあんま汗かかないから何日か同じ服でも己はかまわんのだが。

ちうわけで行ってきます。 ごめんなさい、研究室のみなさん。

ssgに頼んで車で集合場所(京都駅)まで送ってもらうことにする。 とりあえずもりりん氏をgetし、しばらく寮で時間調整したあと出発。

バスの到着が遅れる。 ダブルブッキングされる。 まあありがちなことではある。


2001年3月3日(土)

車中泊。 16:00前まで寝ていたのであんまり眠くない。 で、グダグダといろいろ考える。 バス旅ちうのはこう変なことを考える時間があるので好き。

8:30志賀高原着。 こちらが待つはずだった東京組に迎えられる。 結構速攻滑り始める。

昼飯は前日コンビニで買っていたおにぎりx3。 目の前で食われているカレーが心底旨そうだった。

午後も結構滑る。 最後に一人でリフト乗ってゴツゴツ滑ってみると、一発で筋肉がピキピキ来た。

晩飯食いまくる。 お腹いっぱい。

某氏の持って来たPS one。 激しく小さいです。

天誅弐。 上下関係が厳しかったと言われる忍が反抗的だったり、全体に大味だったりするのは別に良いのだが、忍が行動するときに「ハッ」とかけ声を出したり、足音や行動音が大きいのがたまらなくイヤ。


2001年3月4日(日)

お腹いっぱい。 スキー場は昼飯代が高いので朝飯いっぱい昼飯ヌキ大作戦。

吹雪。 寒い。というより氷雪の破片が顔に当たって痛い。 それが凍ろうとして痛い。 「吹雪」という言葉は美しい響きを持つが、実際、ちょっとたまらん。

一足お先に眠る。 サイケでオカルトな夢を見る。 音付きの夢なんて珍しいと思ったら、横で流れてた日曜洋画劇場「コレクター」が混じってた。

librettoのmuleのskkが寮のペンプロ君のskkと挙動が違うのでちょっと大変。 muleのelispの実装が違ったりするのだろうか?


2001年3月5日(月)

イタサムツメタイ。 朝から大雪。 そらまあ雪はないよりあるに越したことはないが、吹雪かれるのもこまったもんだ。 結局耐え切れず予定より2時間程早く上がって風呂入る。 極楽〜〜。

いやー、でもこの3日間でちょっとは上手くなったかな。 結局片足逆エッジはモノにならなかったけど。 結局パラレルターンもどきから脱出できなかったけど。

おみやげは研究室に一つと、共同で漫研に。

基本情報技術者試験のテキストを読む。 頭の中のいろんな知識が様々な角度から統合されていく。 例えば、プログラム。 変数を使うときに初期化しないと「予測できない結果」が起こりうる。 この「予測できない結果」とは何か? ファミコンでテニスを差して電源をoffにしないままスーパーマリオに差し換えてスタートすると変なステージに行くことが出来る。 これはステージ情報などの変数が初期化されていないため、テニスで使われたメモリ上のデータがそのまま生きているためだろう。


2001年3月6日(火)

4:30京都着。 いっぺん寝て研究室。 そして引越し。

今日、一人の俺が死んだ

「来年度は休学するぜ!」 などとのたもうとった己だが、それはとてつもなく甘かった。 一年休むという行為は己だけの問題だと思っていたのだが、教官への心象を著しく悪くする。 この業界(大学研究業界とでも言うべきか)はかなりの部分感情と感傷によって支配されており、この道に進むならばそのとき味方になるべき彼らを敵に回すとろくなことがない。 例えば将来、科研費の認定などの0-1判定に如実に反映されるだろう。

休学すると言っていたのは主に漫画を描くため。 研鑽し、行けるところまで行く。 それで上手くない、出来ない(精神力も面でも)ならば仕方ない。 そう、言ってしまえばあきらめをつけるため。 「漫画家になって豪快に金を稼いでラクチンに生きたい」 などと思ったのはそれほど昔ではないのだが、それでも数年思い続けた夢だけあって諦めるだけの努力はしたい。 (今までだって出来たはずだけど。) その為の勉強は修士で成果を出す為の期間では短すぎる。

自分の興味ある研究分野と今の研究室の分野との食い違いを埋めるための勉強もしたい。 将来研究者になるとすれば「はんだ」ではなく「電子状態計算」だろうから。

正直言って、自分が漫画家として大成するとは思えない。 期待値から言うと研究者としての道の方が大きく、幅広い。

理念や思想の違いにいろいろ辟易させられたbossだが、今日された話はとても有難かった。 感謝します。

bossは東大から来たのだが、結構いろんなところで苦労させられているみたい。 「出身大学にしがみついて頑張るのも大事だ」 という言葉が印象に強い。

ウチの学科(京大金属系)で学校に残るのは、慣例的に各学年の成績トップかNo.2。 ガッコの勉強をキチンとやってなかった己はその辺の道は残されてないとも言えるが。

結局のところ、判断保留。 早く決めな。 とりあえず休学届けを出してみて教室会議での反応を見るというのも手か。


2001年3月7日(水)

明け方まで勉強して、寝る。

15:00起き。 研究。 どないなもんか。 モチベーションが上がらない。

ネットワークが不調。 メールサーバも不調。 ダメダメモード。 そしてsambaが悪さをしているらしく、webサーバも休止。 ほんま大丈夫かいな?

晩メシ食って、ぼけっとして、研究室。

ひらしょの影響か、C++を勉強しはじめる。 前にC++の勉強をしようとした時はCが分かっていなかったため結局モノにならなかった。 今回は一味違うゼ。

「C++とCは別物」 でもCをベースに作られている(あるいは説明されていることが多い)ので知識があるとないとでは大違い。 というより、Cで作られたコードの問題点を克服するためにC++は作られたので、Cを知らないと「何の為にそのような仕様になっているか」を理解できない。

「C++とCは別物」 という言葉の意味を理解。 「Cの文法はカバーしているけれど、C++では強力な機能を新たに実装したのでコーディングの技術、方法が全く違ったものになる」

今週の酒 菊姫 先一杯。
味濃く、分かりやすい味。 気楽に飲める。 でもあんま飲みやすいというわけでもない。 冷やの方が私は好み。

夏元先生のロードスの1pを真似てみる。 だめだ。 全然遠い。

とりあえずすること。 C++、量子力学、学会用研究、まんが。 クレタク引退。

悩む。 己は本当に休学するべきなのか?


2001年3月8日(木)

研究、そして飯食いに8:00に寮に帰る。 そのまま炬燵寝。

15:00前起床。 学校、サンマガ2週分。

例会。もりりん氏は来ず。 ひらしょも来ず。 まあ、なんか、そんなカンジ。

研究。 ぼちぼち。 でもぜんぜん。

来年やっぱり休学すると思う。 学者社会はやっぱり向いてない。 適当に企業戦士になった方がいい。 それだったら休学しても大丈夫だもんな。

休学するにも教官に呼ばれて「何のために休学するか?」というようなことを聞かれるらしい。 さて、どう答えるべ?


2001年3月9日(金)

工学部新館がftpを通してくれない。 pingは通るのにー。 geocitiesの方もやってみてるけど"ftp.geocities.co.jp"には接続できない。 pingは帰らんしtracerouteも途中で迷子になる。 なじぇ?

工学部新館のネットワークはいろいろややこしいことをやってるみたい。 各教室は壁のLANコネクタジャックからLANケーブルを引っぱるのだが、そのジャックの向こうはただ単にハブのように結線されているわけではなさそうだ。 なぜなら、複数の教室を一つのドメインとして管理できるようにするべきだし、将来教室が改組された時に柔軟に変更できなくてはならないから。 すなわち、単純なハブを中心とするスター型ネットワークではなく、機器を中心としたスター型だと考えられる。 一般的に、機械の部品点数とトラブル頻度は比例する。 このような複雑な仕様だとトラブルまみれだ。 まして立ち上げ時をや。 このネットワークはNECが責任を持っているらしいが、このようなトラブルシューターはソフト、ハードともに相当のスキルがいる、すなわち人材が不足気味であることは容易に想像がつく。 「早く直せ」とギャーギャー喚くのは簡単だが、そう出来ない事情も分かる。 まあ待つしかあるまい。

己はかなり大人な事情が分かるつもり。 しかし世の中はかなり子供で出来ているらしい。 大学研究者というのはある意味社会に出ることなく社会人になってしまう人種だと言える。 この業界に夢を持てなくなった、というのは言いすぎか。

困った。 ホンマにftp接続できない。 httpは通るのに。 メディアセンター直繋ぎになったらいけるのかなあ。 にしても当面だ。 geocitiesにも繋がらないというのは腑に落ちん。

研究室でいらなくなったK6-233MHzなマシンをもらえることになった。 K6-233とPentium-200とどっちが速いんだろう? PentiumPro-200とどっちが速いんだろう? うーん。 98君をK6に変更するのも手なんだな。 なぜならキーボードとマウスが統一できるから。 でもこのへんの機器って活線挿抜できたっけ? 98を維持するメリットは、98エロゲ。 でも98エロゲは98ノートでもできる。 あとは、感傷。 (己の初めての個人的計算機!) FreeBSD導入も大変だし。(FreeBSD(98)導入記参照) 誰かにやるというても漫研連中には貧弱だしなあ。 吉田寮に寄贈するのがベストか?

……いやいや、ファイアウォール練習機としてみても面白いかもしれないな。 RAIDやらせても面白いかもしれん。 NetBSDでも入れてみるか。 一番の問題は、何処に置くかだな。

工学部のゴミ捨て場を漁る。 SIMMを4x2(32x1,16x2,?x2,?x2)、K-6IIらしいゲタ付きCPUをゲット。 CPUにはK6-2/400と妖しく書いてあるのだが、載っていたのがNEC V16(正規ではPentium166)……怪しい。

FreeBSDで音を鳴らそう。


2001年3月10日(土)

mp3のファイルを日本語→ローマ字にリネームする。 windows上で、自動化処理が全くできない状況で。 うーん、なんとかしたいなあ。 これからも日本語ファイルとか貰う機会とかあるだろうし。

二年間連れ添った(?)相部屋相手のssgが退寮する。 多少寂しい気もするが、まあこんなもんでしょう。 どうせ寮の近くに住んでるわけだし。 しかし、来年個室希望出しとけば良かったかな、とちょっと思う。

「くーーーっ」 一人でとらは2やりながらそう呻いてます。

13:30就寝。 こりゃ道場出られんな。

18:00起床。 およ、道場行けるよ。 だけど小雨。 むー、とりあえず雨が上がったら行けるようにメシ食っとくんだろうな。 で、食ったら上がってた。

道場。 来年どうすっかな、やめようかな、と思ったりするんだけど、行ったら楽しいんだよな、これが。 先生とんでもなく強いし。

道場帰り、ひらやまんち。

「上海丐人賊」を読みながら思う。

富の正体は労働だ。 だが一般に、一人で働くよりも百人で働いた一人分の方が大きいし、安定する。 それ故人は集まる。 より効率的に収穫を上げる為にそれを管理、運営する人間を配置する。 管理者側と実働部隊とで賃金の格差が出るのは仕方がないことか。 彼等は厳然として支配者なのだから。

支配者は出来る限り搾取しようとする。 (「全ての支配者が」というわけではないが、歴史的に見て事実。) それには人を鎖で繋いで労力の全てを労働に向けさせるのが一番だ。 人を力で抑えつけるのは非常に難しい。 一番楽なのはやっぱりクスリだろう。

その為の理由付けとして一番ラクなのは「人間じゃない」と規定することか。 上海丐人賊では蛮別という亜人種がそのような扱いを受けているが、現実にも肌の色や出身地でそのような差別があった、否、今だある。 差別は根本的には全ては産業の為、安い労働力の確保の為である。 感情的なものはこのような社会によって育まれたものだと言える。

子供は小集団を作る。 さらにチビだ、赤毛だと異分子を見つけてそこから除外しようとする。 しかし大人になるころにはこの時問題にしたような性質で差別しようとはしない。 それは社会や環境に教育されるからだ。 私は差別は根絶できるものと信じている。

日記作成支援プログラムを改良しようと思う。 でもって今回はまじめにやるとして、まずは先達の作ったものの勉強。 GNS。さあ、どない?


2001年3月11日(日)

ひらやま邸でいろいろ話。 主にcompいろいろ。

4:00ころ北大路の丸山書店経由で寮に帰る。 CRONBOO CRUSADE(1) 森山大輔、 BEAST of EAST(2) 山田章博 らんなばうと えのあきら うーん、不作。

7:00就寝、16:30起床。 筋肉痛。 スキーではビクともしなかったが(2日後に来るかとビクビクしたり)、道場で筋トレすると一発です。

蕎麦食って研究室。 (引越しの為)薬品が一つ見つからず中止。

製品紹介などでは長所のみ取り上げられるが、短所も記述するべきだと思う。 それによって比較すべき点が何処か、ということが明確になり、選定に要する手間が節約できる。

C++。 デカい。 こんなデケェもん全部覚えるのは無理だしなあ、どうやって使えるカタチにしておくと良いだろう? …… ちゅーか、とりあえずCでもいいから今ある知識を使ってどんどんコーディングしていくのが先なんだろうな。 ちうわけで、日記更新プログラムか。


2001年3月12日(月)

8:00ころ炬燵寝。 10:00電話で起きる。 学校、薬品の場所を先生に聞いて実験。

13:00。 気が向いたので買物行って料理。 ちょっとだけ利益を出すようにする。

金鶴 風和(かぜやわらか) しぼりたて生。 ふわっと軽くて素敵。 ゴツゴツ飲む分には多少頼りないが、風味を楽しむ分にはいい。 ボジョレ=ヌーヴォーのような位置付けか?

メール通りました。

ftp通りました。 やはり建物のネットワークが問題だったんだろうな。 これで日記の更新ができる。 うん、ホームページの更新じゃないんだよね。

例会後、ひらやまとゴミ漁り。 ディスプレイx2、本棚を接収。

そのあとみやざきんちに「県立地球防衛軍」のアニメがあるらしいので見に行こうとしたけど雨がパラつく。 引き返す。 寝るかな。


2001年3月13日(火)

「23:00に寝たらまあ6:00とかに起きて普通の人の生活時間になるな。タカミによると毎日同じ時間に起きるのが結局睡眠時間が少なくて済むらしいしいっちょガツンとやってみるか」などと思っていたが、13:00。 そういや昨日は2時間睡眠だったからなあ。 己は基本的に長寝できない体質。 14時間も寝たのは初めてじゃないかしら。

炊飯器の中で米が水に漬かっているという非常にやる気のない状態。 スイッチ入れてボーっとしてる間にまた昼寝。 ……ひょっとして、17:00に起きるように体内時計がセットされてる?

メシ作る二日目。 今日はてきとー煮。

部屋に誰もいない。 寂しい。 酒飲んで、風呂行けず。


2001年3月14日(水)

研究室に行って延々cygwin3時間。 ダメダメやな。 cygwinでtcshを使えるようにするのに四苦八苦。 結局あかんかったけど。

十六夜さんonゆうひシナリオ。 新年に雪だるま。 真っ暗な画面なのは手抜きじゃなくて十六夜さんの視点。 十六夜さんの、心意気に、惚れた。

そうか、去年の今頃は卒論が終わってなにもしなくてよくて。 吉田寮の入寮案内パンフなんか撒いちゃって、、、 いい時代だったよな。全く。

とらは2。 ゆうひ終了。 ……ちうのはあんまり関係なくて、その直後に読んだ最終兵器彼女(3)にちょっと涙ぐんだり。 あー早く終わんねーかなぁ。 そしたら一気に読めるのにさ。


2001年3月15日(木) 「つまんないな。こんなの。」(byグリフィス:ベルセルク)

2人目の俺瀕死。 休学できません。 いいです、もう。 いろいろやる気ないです。 いいです。もう。

ま、いいでしょ。 就職活動せんかったらその分薄まるのでその時間をいろいろ充てたら何とかなろう。

いっそ就職活動なんかしてやろうかしら。 ダリーけど。 「休学する、休学する」言うてたのを聞いてた人は嗤うかもしれない。 まあいいです。 弱いです。 ヨワいです。 弱小です。 卑小です。 矮小です。 でもいいです。 その方がラクだもん。 誰も他人が楽な方に流れるのを責めることは出来ない。 己はオノレの弱さを知る。

もういいよ。 このまま就職してレール乗っかるのも。 その方が精神的にはラクだ。 でも仕事するのはしんどいんだろうなー、なんて言ってるダメダメさん。

いっそ院試で落ちてたら……、 あかん、半年無駄になってた。 あうう。

ということでかなりへたってます。 挫けてます。

敗因ははっきりしてます。 のうのうと生活していたせいです。 ごめんなさい、過去(きのう)の自分。

エレベーター乗ってたらちょっとこみ上げてきた。 泣きたい。 ……泣きたい? 何故だろう? ダラクしたいというダメ人間が真っ当な道に叩き戻されただけなのにな。

あ、そうそう、寮内からこのページを見る人は、192.168.0.9/~ippei/ur/から見てください。 わざわざ外に繋いで無駄な時間を過ごすことないです。

なんだかひどく物悲しい夢を見たような。


2001年3月16日(金)

今日もダメダメ。 はうう。

のじりが帰ってくる。 道場寝倒し。


2001年3月17日(土)

半日研究室。 道場寝倒し。


2001年3月18日(日)

イティハーサ(水樹和佳子)。 いろいろ残念。 世界観とかは気持ちいいんだけどね。 第一の問題点は長すぎること。 様々な伏線について一応解決されてはいるのだが、消化しきれていない。 最終巻では少々駆け足、というかテンポの配分が悪い。 あれもこれもとつっこんだ結果、本当に描きたい対象がぼやけてしまっている印象。 シナリオもどこかで見たことあるような気がする。 ……んー、えらくひどく聞こえるな、これじゃ。 結構いいです。 ちゃんと読めます。 あれだけ長い話をちゃんと描けるというのもエラいです。

16:30。 寝てると電話。 ヒロイケ氏。「いまからツーリング行くよ。」 氏の京都バイク生活終了記念ツーリング。 氏のNSRを売ってしまうので、ちょこっと、ね。 だけど、時間と体力に自信がなかったのでやめる。 ……だけど、己のバイク人生にとっても結構大きな人物なんだよな。 己のいないところで事故られても面白くないし。 ちうわけで、takuの車でらくちん便乗コース。 周山、ヒロイケ氏伝説の購入後2.5時間事故現場まで行って、帰ってきた。


2001年3月19日(月)

朝から実験。 本当はオレ、いらない。 職員(技官?)の人に任せてりゃいいんだけどね。うーむ。 でも一応その場にいるのが礼儀かと。

で、16:30。 試料をひととおりやったら17:30くらいになりそうだったんだけど、1個割愛された。 このへん流石公務員というかんじなのかしら? 研究室に戻ったら上司の先生がいない。 研究のことで相談したかってんけどな。

例会、そしてみやざきんちで「県立地球防衛軍」のアニメ。 痛すぎる。

ひらやまんち。JAG氏がいる。 で、寝る。


2001年3月20日(火)

9:00起床。 11:00学校。 結局ネット遊びしただけ。

寮に帰ってcompいじり。 新しいK-6はマザーが腐ってるみたい。 明日学校でBIOS落としてきて試してみよう。 それであかんかったらどうしようもないな。

K-6II 400MHzとあったCPUはそのまま走った。 98君に挿す。 江戸RAMはきちんと動いた。


2001年3月21日(水)

3:00に起き。

年に一度、吉田寮で最も重要な人間になる日。 寮生全員から集金した金を大会計に渡す。 結構な額。 結構ドキドキ。 基本的に小心者やからな。 それはそうと集金差額が結構戻ってきた(元は俺の金なんだが)。 なんだか嬉しい。

ドラゴンバスター生涯初クリア。 裏面に突入して5分でハングアップ。 ありがとう、ニューファミコン。 己がクリアするまで頑張ってくれたんだね。

ホットショット。 なんだか全くブレイクショットの焼き直しという気がするんですけど。

風邪? やだなあ。 花粉症かも。 それもやだなあ。 花粉症は毎年だしな。

明日、バイトに入れることになった。 押忍。 でも明日は夕方大阪に帰らなならんのだ。 用事は重なるもんだな。 自分が忙しい時は他人も忙しい。 だから仕事が回ってくる、と。 ま、そゆこと?

K-6のマザー(Lucky Star:5VP6)のBIOSを落としてくるがどう使うかよく分からん。 プライマリサイトがロシア語だし。 どうしようかな。 Socket7の安マザーでも買ってくるかな。


2001年3月22日(木)

今日も6時間そこそこで目が覚める。 やっぱりどっか体調悪いんかな。

久々のゴミバイト。 雲ヶ畑をブイーっと走って。 春。 心がうきうきする。 季節を感じる機会。 やっぱええバイトやな。 田舎、帰途にある中学生男女。 ……ええ、萌えましたよ。 おさななじみーーー。 うん、いいバイトだ。

15:00に寮に帰って米食って学校。 16:30に寮を出て一路大阪。

高校の野球部連中と飲む。 ……やべー、マネージャー4人全然名前憶えてねー…… なんか、いろいろ。 やっぱり休学したいなー、とか。

己は学者肌らしい。 たしかに彼等に比べれば多少変わり者ではあるが。 だけどコストとかのバランス感覚は企業人間向きだと思うのだが。 まいいけどね。


2001年3月23日(金)

梅田。 学会その他用スーツを買う。 金は親御さんが出して下すった。 有難いです。

四条河原町に出るのでついでに寺町に寄るが良い出物はなし。 スイッチングハブいるのに。

学校行かず。 二宮ひかるをあらかた読破。いいなー。

サクラ対戦3の♪ピンピロリロリンはあんまりよろしくないと思うのだが。

「俺一人の健康のために国がお金を出してくれる。いい話じゃないの」 (厚生労働省の、阪急車内広告)

なんかムカついたので、理由を考えてみる。 国民の一人が不健康であると、国はそれだけで損害を被る。 なぜなら、生産できない人間がいるとその分だけ生産の総量が減ってしまうから。 すなわち、国民の健康を守るということは、国にとっては義務やポリシーなどではなく国という組織が自らの体を守る為にやっているだけのこと。 自分の利害に聡く動いているだけ。 それだけなのに「俺っていい奴だろ?」と訊く奴が俺はキライだ。


2001年3月24日(土)

NHK教育で、ギリシャの火(Greek Fire)の実験をしていた。

高校の先生が生徒何百人かに持たせた手持ちの鏡で100m離れた板を燃やそうとする。 失敗。 ……ちょっと考えたら分かるでしょう。 重要なのは鏡の枚数ではなく、鏡の総面積だ。 手に持たせるのでは精度が出せない。 また、太陽光の角度のバラつきをカバーする為には小さな鏡を多数よりも大きな鏡を少数の方が効果的だ。

「太陽光は平行光だと言われるけれども実際はある程度の角度のばらつきがある。 やっぱり太陽が大きいということですね。」 当たり前じゃん。 地上から見る太陽の大きさ分の視野角があるんだから。

どうも子供の実験という感が否めない。 「あー、燃えましたねー、よかったねー。」 精度や過程の見落としは誰にでもあるものだが、実験の目的意識が低い。 「その実験によって何が分かるのか。」 言ってしまえば、科学者にとってどんな実験をするかということはさして重要ではない。 ショーとしての実験なら見た目に派手なものもアリだろうが、それは子供の実験だ。 科学者のやるものではない。

自分一人でやる実験ならどんな幼稚なことをやってもかまわない。 だけど、高校生とは言え他人の手を借りるのであれば、準備や計算は徹底的にやっておくべきだ。 ベニヤは何度で燃えるか? 太陽光をどれだけ集積してどれだけ時間をかけたら発火点を越えるか? その際必要となる精度は? それらの条件をクリアするには? このへんの用意の甘さも子供の実験の印象を受けた。

私も原典を読んだわけではないのでエラそうなことは言えないのだが、「ギリシャの火」と呼ばれる兵器が実際どのような物だったのかということははっきりとは分かっていない。 「化石燃料や火薬を使った燃焼/爆発物」あるいは「凹面鏡を用いての太陽光線兵器」というあたりが仮説として挙げられている。 それを「ギリシャの火とはこういうものだ」と決め打ちに言ってしまっているのも多少気に喰わない。

そもそも「太陽光は無尽蔵のエネルギー」と言われるが、実際エネルギー源としては密度が低く、利用するにはかなりの面積でつぶさねばならない。 さらに、遠くで焦点を結ばせるにはかなりの精度がいる。 紀元前後の人間にそんな精度が出せたのか? また、現在のガラス蒸着の鏡が作られたのは(いつだったか忘れたが)かなり後になってからのこと。 それまでの金属鏡では反射率が低いし材料の金属がたくさんいる。 反射率の良い金属は大体が貴金属だ。 また、太陽光線兵器は夜間はもちろん曇っただけでも使えなくなる。 この辺を合理的に考えると、ギリシャの火は太陽光線兵器ではなかったと考えるのが妥当だと思う。

科学者の理想郷。

「天晴 カッポーレ」(菅野博士)に科学者の理想郷というものがあった。 漫画の中ではそれがどういうものかは詳しく描かれていなかったが、それは後進の教育をしなくてもいい、純粋に自分の知りたいことを研究できるところじゃないかと思う。 つまらん確執や出世競争のない、他者を排除した空間。 そんなイメージ。 物悲しいような、純粋な、理想郷。

マーズ(横山光輝)

俺にはあの終わり方はちょっと作れない。 どうも俺は安定した話を作りたがるらしい。

14:00。 丸二行って研究室行くかな、というところでD.C.氏が来る。 一緒に丸二食って温泉GO! 面子は己、のじり、D.C.氏、清水、寮生ホリベ。 仁左衛門風呂。9号線を千代原口を越えてちょっと行ったところ。 そこの露天風呂でのじりを囲んで延々くっちゃべる。 そして、帰る。

今日って、24日やってんな。 てっきり21、22日くらいかと…… 学会まで、あと丸3日。 とりあえず学校。


2001年3月25日(日)

きちんと夜寝て朝起きる。 ただし、椅子並べてその上で@研究室。 やはり、寒かった。

一日研究。

18:30ころ、京都に良月氏が来ているらしいので顔見にひらやま邸。 このあとしみずんちで焼肉らしい。 そんなかんじ。

焼肉よりも、酒が美味かった。 花嵐(鳰竹生島)にごり、夜明け前、他2本。 新鮮な生の酒はうまいね。 夜明け前はちょっと薄い。


2001年3月26日(月)

13:00ころに退出。 雨だったがさすがに行かねばならない。 酒の回った頭で手を動かす。

今日はダンボール敷いてその上で寝る。 椅子よりは上等。

一日中OHP。 学会発表というものは俺が思っていたよりもカタくないみたい。 「自分はこういうことやっていて、こういうことちゃうかなあ」 という程度でいいのか。 ……ウツクシクナイケドナ。

やっぱり休学しようと思う。 bossにそう言う。 …… 説教。 休学する己に対して本気でムカついてるようにも感じるが、それよりも己が受けるであろう不利益などを心配してくれている方が大きいように感じる。 有難いことは有難い。 ということで、やっぱり休学しません。 真面目に修士勤めます。はい。

その上で同時進行で漫画書いてプログラム打ちます。 就職活動も体験程度にやっときます。

バス券待ちの間Software Designを立ち読み。 windowsでcapsとctrl-leftを入れ換える。 SwapScan.386。vectorにあった。

あー、ひさしぶりに布団で寝られる。 うれしー。


2001年3月27日(火)

9時間眠る。 学校に行って上司に発表内容を見せたらそれはアカンということで。 それからかなりギリギリ。 21:00過ぎまでOHP作ったり。 で、寮に帰って出る準備して、さ、ビィヤントでカレー食ってその足で出掛けるか、というところで将軍に会う。 「今から車で帰るけど、乗ってく?」 でも他の同乗者が23:00までには出られそうになかったので、先にバス券をキャンセルしにssgを連れて車で京都駅。 キャンセル完了。 そしてヒロイケ氏の部屋引き払い片付けを手伝って、24:00ころ出発。


2001年3月28日(水)

休み休み行ったので結局西日暮里に10:00。 で、西日暮里→東京→新習志野。 会場には12:00過ぎに着いた。

ま、発表自体はあんなもんか。 「共同研究者ですが……」という恥ずかしい援助が出たりもしたが。

懇親会というのがあったみたいで、興味があったが面倒臭かったのでサッサと帰る。

板橋についてチャーリーに電話。 「今、板橋。」 「駅のどっち側?」 「噴水のある方。」 それは逆だ、と言われて逆側に回ってみると、そっちにも噴水があった。

で、チャーリーんちで着替えたりして、メシ食いに行く。 飲み屋で軽く食って飲む。 そしてちょっと大目に払う。 預かった税金が余ってますから。はい。 ゴメンナサイ。

風呂屋。 そして古本屋。

プラネテス、かなりいい。 上手い。 遠藤淑子、そこそこ。 チャーリーは己が持って来たlibrettoで落ちプログラムを組んでいた。

main(){ main(); }

とか、mallocを使ったやつとか。 「UNIX落とすのなんて簡単なんだよ。」

27:00ころ就寝。


2001年3月29日(木)

9:30ころ起きてマクド。 ……東京だからマックか。

雨。 学会(千葉)行く気なし。 林某に連絡を取る。 どうやら夕方くらいまで受け入れ体制が整わないらしい。 ……どうしよっかな、と考え、結局学会に行く事にする。

新習志野駅に着いたのが12:00。 雨。 傘買うのもダリーので駅の喫茶店で少々時間を潰す。 しかし止まず。 しょうがないので近くのホームセンターで折りたたみ傘を買う。

30分で退出。 実がないのと、こんなん聞いてるんだったら時間作って本読んで勉強した方がいいと判断。 やる気が2ポイント上がった。 帰りの新習志野駅で丁度林某から電話。 ということで、都営浅草線西馬込駅。 一度氏の部屋に転がり込んで着替えなど。 晩飯は宿代ということでオゴリ。

なにするでもなく。

持って来た「C実践プログラミング」を読み切ってしまう。


2001年3月30日(金)

寒い。 彼岸過ぎだというのに冷え込みが厳しい。 毛布一枚に身を丸める。

12:00過ぎに起き。 近くの飯屋でカレー。 v味がなく、御世辞にも旨いとは言えない。

14:00頃退出。 とりあえず東京駅。 夜行バスか、新幹線か迷ったが、とりあえず夜行バスの席を聞いてみる。 あった。ついついチケットを取ってしまう。

さて、時間が余ってしまった。 どうしよう?

とりあえずアキハバラ。 ふらふらする。 スイッチングハブを買おうかと思ったけど、硬物(かたもの)買って初期不良だったら面倒臭いのでやめる。 でもってふらふら。 ソロモンの鍵2,400円。 同窓会again(中古)3,800円。

新宿には紀伊国屋があったはず……ということで新宿へ。 まずバス乗り場を確認、そして新宿駅を左手に沿って紀伊国屋を探し……丸々一周。 疲れた。 で、紀伊国屋に行ったら19:30で20:00閉店。 まんが喫茶で時間を潰したりして、漸く23:00。 夜行バスに乗り込む。


2001年3月31日(土)

3時間しか眠れず。

4:00。 起きてる時間はだいたいシナリオを考えていた。

寮でボーッとしてる。


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