0102月日記

last-modified: 2011/12/14 02:22:53. JST

2001年2月1日(木)

レポートを書き上げる。 これで今期の単位関連業務は全て終了。


2001年2月2日(金)

道場。 中国語も面白くなってきた。 もっとゴツゴツ漢字の読みを教えてくれ。

終わってさっさと帰ったのだが、そのあと先生が居合を見せてくれたらしい。 くそう、見損ねた。悔しい。


2001年2月3日(土)

かじかんでゲームパッドがうまく操作できない。 しょうがないので日記でも書く。 そしてcompで遊ぶ。

なんだ? tcsh全然分からん。 manページがいない。おいおい。

丸二に行ったついでにカズヒサにつきあって酒屋。 トミナガだったかな? そこで黒牛一升買う。

エライなー。 一晩できちんと一升飲み干したよ。


2001年2月4日(日)

うーん、いつの間にかnetscapeが生き返ってた。

黒牛。 良くまとまった味。 優等生、というほどそれほど上品なカンジではない。 味の成分の上から下までそこそこバランス良く配分されている。 つまるところ、上等な普通の酒。

tcshをちょっといじる。 あかん。設定が分からん。 ファイル名補完が中途半端に賢くてちょっと使いにくい。

とらは2第一印象 神咲さん。いいなあ、こういう体育会系でストイックなひと。

一日中とらは2。


2001年2月5日(月) ハイテク靴下

とらは2。 なんだかとても素敵な恋をしたような気がするのでなんだかもうお腹いっぱい。 でも仁村姉もちょっと気になるかな?

こないだ清水と話していたときに「何に萌えるか?容姿か、年齢か?」 という話題になったのだが、己は「うーん、ういういしさ?」と答えた。 我ながら良く出来た回答だと思った。うん。

すなわち、己が「おまえらつきあえー!」と言っている時は、本当に二人がもどかしいわけではなく、「素敵だなあ、いいなあ」と思っているわけで。 こういう状態が一番好きなんだろうな、己は。

チャリのパンク修理。 失敗。なんや?全然うまくならんな。 もちっといい接着剤(ゴムのり)を使えばいいのかもしれないが。

丸二。 そして20:30ころに例会、というか中央食堂前。 それからみやざき邸で「無限のリヴァイアス」を見ることに。

つらかったです。 時間が無限にあるならば見るのだが、どうにもやる気がしなかったです。

明日のゼミ準備があるしね。 12:00を回ったくらいで退出。


2001年2月6日(火)

みやざき邸からの返りみち、寮生オオバに会う。 どうやら元寮生(己よりかなり年上。最高齢は一回り上。)の共同住居に行く途中らしい。 そういうわけで同伴。 己は姉もいた関係か、年寄にそれなりに顔が効く、というか結構可愛がってもらっている。 役得やね。

軽くビール飲んでワイン飲んで、テレビ見て。

3:00前くらいに退出。 そして、研究室でゼミ準備。

「アーケードゲーマーふぶき」吉崎観音。 最終話、ホンマ涙出ました。 でもあの世代であの漫画読んでないと心は動かないだろうなぁ。

manコマンドが効かないのはtcsh上でman pathが通っていないこととpagerがキチンと設定されてないことみたい。 その証拠にbashでmanを見るとちゃんと見れるし。

「ラブジェネレーション21」「パヤッパヤッ」 炬燵寝してる間にかけられていた「モー娘。」のベストアルバム。 結構聞ける。 そして結構効く。

tcsh。 先日「中途半端に賢くて」と言ったのはファイル名補完のときに大文字小文字の区別をしない、という機能。 ちょっと調べたらすぐ分かりました。 うん、かなり便利そう。 コマンドごとに補完する対象(拡張子やディレクトリ)を指定できるのはかなり便利そう。

lsで表示したときはカラー設定が効いていない。 しかしファイル名補完したときは効く。 .dircolorを調べてみると"GNU LS"とあるのでGNU版でないとだめなのかもしれない。 それに変更して再起動かけても色が変わらない。 man lsではlsはGNUではなくFreeBSD General Commandらしい。 どっかからGNU版を持ってこんとあかんねやろか?

.cshrcから.dircolorを呼び出す文が if ($ARCHI == "linux") then になっている。 とりあえずコメントアウトして再読み込みしてもあかんかった。うーん。


2001年2月7日(水)

linuxのlsはやはりGNUと明示されていた。 とりあえずGNUのソースを/stand/sysinstallからいれる。 ここにlsがあればいいが。 わからん。ないのか?

インチキくさい方法を思い付く。 linuxのlsを持ってきて、それをlinuxエミュレータで走らせる。 ……なんだかうまくいかない。 とりあえずほっとこう。

とらは2。2人目、岡本みなみ。 うーん。どうでもよい。

11:00ころに学校行ってみるも既に眠るべき時間だったので即刻ソファーで潰れる。 13:00に寮に帰って寝直す。

20:00起床。 丸二、平安湯。 風呂入ったらまた眠くなった。

クレイジータクシー。 $27000。 取り易い客は概ね取り尽くしたので次回は序盤から積極的に取りにくい所(Streetとか)を取りに行こう。


2001年2月8日(木)

やること。 電子状態計算プログラムの為の勉強。 DV-Xaの勉強。 Cの勉強。

文字コード

現在日本語を扱う文字コードセットとしては JIS, Shift-JIS, EUC-JP が主なところだが、最近このへんの相互変換とかあたりが気持ち悪くてしょうがない。 単一の、世界中の言語の文字が扱えるような文字コードを統一しようよ。 ……そういう規格がユニコードなのだが。 しかし、世界がユニコード化の方向で動いてないことは明白だ。 そりゃそうだ。 自分たちだけなら7bitあれば済むのに他言語民族のために32bitも食われるのはいやだろう。 というより、プログラムの改変のコストに見合わないだろう。 私としてもUNIXのソースをマシンに入れておくのにその容量が4倍になるのはちょっと抵抗がある。

素人考えだが、EUCのように8bit目で延々拡張していけばいいと思う。 8bit目が立っていたら、次の7bitも含めて文字として認識する。 8bit目が立っているかぎり1文字を認識するために延々読み続けるのだ。 (8bitのうち7bitしか情報がないことになるが、「将来使うかもしれない」という理由で32bitもの広大な空間を確保しておくことより柔軟で健全だと思う。) こうしておくと、少なくともASCIIテキストならばそのままで扱える。 コンピュータの世界で最も重要な文字は英字(ASCII)であり、現在のソフトウェアの資産のほとんどがASCIIで構築されている以上、移行のコストの観点からこれはそのままにしておくべきだと思う。

問題は、悔しいが己に実力(自身の力も対外的な力も)がないこと。 腑甲斐無いことこの上ない。

キーボード

現在主流のキーボードはQWERTYだが、これはもともとタイプライター用に決められた配置だ。 タイプライターの場合、キー入力が速すぎると活字ヘッド(?)がからまってしまうため、キー入力を遅くするために「入力しにくい」配列にしたんだそうな。 このへんがどうにも頭が悪いような気がする。 慣れたらQWERTYでも活字ヘッドがからまるくらいの速度は出せるだろう。 いずれにせよ入力速度の上限が機器によって決まっているのだから、どのようなキー配置であろうと速い人はリズムで打つようになるだろう。 それでいいじゃん。

ま、こんなことうだうだ言うたってしゃあないねんけど。 なってしまったモンはしゃあないし。 ま、自分だけDVORAKを使えばいいという話もなくはないのだが、DVORAKに慣れてしまったら他所のコンピュータをいじるときにストレスがたまってしまうのがいやだなあ、と。 てゆーか、DVORAKって日本語にも適正なのかなあ? まあ母音のキーはホームポジションにあるべきだとは思うのだが。


ssgと酒を飲む。 久しぶり。 楽しかった。

7:30に寝て16:00起床。 クレイジータクシーしたり、ぼけーっとすごす。 丸二。それから例会。

O氏に拉致られてみやざき邸にて「無限のリヴァイアス」を見させられる。 9話目から。つらい。 でも15話目あたりからだんだん見れるようになってきた。


2001年2月9日(金)

結局26話全部見ました。 5〜8話は見てないんだけど、大した問題でもないみたい。 うーん。まあ、時間がありあまるんなら見てもいいんじゃない?

4:00頃研究室。 3回生の講義の教科書である電子状態計算の本を読む。 当時はこの分野にまったくやる気がなく、教科書読むのも苦痛だったのをよく覚えている。 げに目的意識というのは重要か。 とにかく自分の知りたいことになると学習効率が格段にアップしますな。 試験のために網羅的に暗記する必要がない、というのも大きいかもしれない。 使うためだったら知っていればいいので覚えている必要はない。 電子状態計算だったらプログラム組む時点で調べたらいいだけだし。

本当は昨日例会の後研究室直行で本読みする予定だったのだが、リヴァイアス見てたせいでその時間が半分になってしまったのは多少ヤバい。 今週末はちょっと時間が足りなくなりそう。

11:00。 寮に帰ってうどん食う。

さて、寝るか。

起きたら19:00。 道場に行けず。 中国語を学べずやや悔しい。

丸二、そして酒を買う。 今週は霞山(かざん)。 渋味がキツい感じでちょっとつらい。

lsのカラー表示。 教練ナカヤマの指示の下、packageからgnulsをインストール。 そして"gnuls --color"でok。 あとは色設定やな。


2001年2月10日(土)

霞山。 慣れると美味い。 味が濃く、キリリとしている。

FreeBSD。今日はtcshとかlsのカラー表示とか

どうやらtcshでは/usr/local/binにpathが通っていないみたい。 ??.cshrcには書かれていたぞ。 とりあえず"source ~/.cshrc"してみると通るようになった。 いいのか?

色設定はどこでどうするやら。 環境変数とかなんかなあ? ソースを見ようとするもpackageで入れたのでソースなし。 portsのMakefileとか見てもよく分からんし、GNU本家のwebサイトを見ても要領を得ない。

tcshでecho $[tab]とすれば現在設定されている環境変数が一覧される。 もっとスマートな方法もあるのだろうが。

.cshrcに以下の表記

## ls --color
if ($ARCHI == "linux") then
	if ($TERM == kterm) then
	   eval `dircolors ~/.dircolors`
	else
	endif
endif

evalというのは簡単に言うと以下に続くコマンドを実行する命令。 調べてみるとdircolorsというコマンドが存在した。 man dircolors。うん、あるある。 でも面倒臭くなったのでネット検索"FreeBSD ls カラー表示" http://www2u.biglobe.ne.jp/~hsaka/

ls-Fと空白を入れずに入力すると色表示された。 which ls-Fとすると、"ls-F: shell built-in command."ということらしい。

プロンプトのカラー化

	set prompt='%{\e[37m[%n@%m]\e[00m%} %{\e[37m%~\e[00m%}\n%{\e[37mtcsh$\e[00m%} '

こんなかんじ↓になる。


[ippei@hashish] ~
tcsh$ 

おおっと、ちょっとバグる。 "dirclors .dircolors"とすると行の終端がおかしくなる。 改行をせずにこうする。

set prompt='%{\e[37m[%n@%m]\e[00m%} %{\e[37m%~ $\e[00m%} '

するとこんなかんじ↓。


[ippei@hashish] ~ $ 

んー、でもやっぱりおかしい。 コマンドを表示したままC-lでターミナルをクリアしたときに顕著。

おお、コマンドなしで[tab]だとls-Fになるぞ。 これは結構えらいかもしれない。

dircolorコマンドがうまく働いてないんちゃうかなあ。 環境変数LS_COLORSもセットされていないし。 →どうやらそういうことらしい。 LS_COLORSに$が抜けていた。 手動で$LS_COLORSとしたら効いた。 そういうことでソースを持って来て改変しようとしたけどソースが見つからない。 どこや?


炬燵寝。 11:00〜20:00。道場寝倒し。

ふいー、プロンプトが消える不具合を修正。 どうやらプロンプト設定を二重にしていたのが原因だったらしい。 ついでに.dircolorの設定を反映するようにできる。 とりあえずeval `dircolors ~/.dircolors`とすればそれでokだったみたい。 dircolorsコマンドは正常でした。 私の勘違い。


2001年2月11日(日) ♪おれは、こうっすけー、きみのーなかーまーだー(とらは2)

FreeBSD tcsh
現状ではEmacsのshellモードでは色が文字として作用して実用に耐えんのだが、ターミナル設定をif $term="emacs"とでもして設定すればちゃんと通りそうだ。 ま、shellモードを使うような場面は今んところないのでしてないが。

ビデオカードをVoodooBansheeにしてからxinitした時点で"OUT OF SCAN RANGE"とディスプレイから吐かれて死ぬことが多々あったのだが、これは一度Xをオフにしてもう一度起動したときになることがおおいみたい。 Xの設定をもう一度ちゃんといじる必要があるだろう。

とらは2。3人目。 真雪姐さん。2回目のHを終えたあたり。 あまったるい日常が延々続く。 幸せすぎて、なんかつらい。

炬燵寝。 14:00布団に移る。

22:00。火災報知器が鳴る。 そして「本当に燃えています」の放送。 実際には燃えていなかったみたい。 鍋から火が上がった程度だとか。 その放送で起こされたようなもんなので、ちょっと不機嫌。 「料理してるのを忘れるくらいなら料理するな」 いや、全く。


2001年2月12日(月)

クレイジータクシー。 88客$31000。 ここんところ書いてなかったのは、やってなかったからではなく伸びなかったから。

読点。 意味で区切るべきか、リズムで区切るべきか。

霞山。 味が濃いので冷やよりも燗につけるべき。

昼過ぎ学校。 勉強の傍らVNCとかtcsh on windowsとかcygwinとかを調べる。 入るには入ったけどなんか思うように動かない。

18:00例会。 モダン焼きフジでスペシャルを食う。 そしてみやざき邸でぼけーっと過ごす。 ソロモン2を始める。みんなでクリア。 ああいう純粋パズルゲームは最近やってなかったなあ。 作られているのだろうか?


2001年2月13日(火)

研究室。 ゼミはなんとかなった。 でも3人しかいないてどういうことよ?

帰って寝る。 15:00。


2001年2月14日(水)

起きる。 3:00。 12時間も眠ったのは本当に久しぶり。

昼前。LANケーブルを買いにルネに行く。 BSDマガジン#02があったので購入。 これでBSDマガジンのバックナンバーが全て揃う。 この雑誌(ムックというべきか)、少々値は張るが季刊だし内容の密度が濃いので好き。

夕方研究室に行くも結局BSDマガジンを読む。

netscapeをpackageから入れなおす。 結局同じようにXのライブラリが足らんと言われて起動せず。 むー。

X。ネットワーク透過性を使ってリモートで使ってみようとHEADがいう。 結局すんなりとは導入できなかったのだが。

kterm。 Shift PgUpやShift PgDnでターミナルを遡れる。

エミュnesを集めていた時分にファイル名を決まった規則で変える必要があった。 拡張子を.jpg→.lzhとか。 告白すると、これを一括で行う為にFreeBSDを入れようと強く思ったわけだ。 今思うとMS-DOSでも正規表現とバッチファイルを正しく使えば出来たと思うのだが。 結局これ以来この手のバッチ処理を行うことはなかったのだが、PC-UNIX導入は非常に大きな成果を得たと言えるだろう。 (尤も現状では快適な環境の構築に手を追われてそれでラクをしているわけではない、すなわち成果は出ていないのだが。)

PC-UNIXがwindowsと比べて優れている点は、設定ファイルがテキストで書かれていて場所が明示されているので環境をスムーズに保存/移転できるということ。 各マニュアルが標準で付随してくるところもいいな。

windowsってのはどんなに頑張っても一定以上は使いこなすことはできない(と思う)。 (仕様が分からないから。ゲイツが言うところの「再現性のない不具合」という仕様(一般には「バグ」と呼んでいるもの)もある。) よってコンピュータを使い倒そうというのなら他のOSに移行していくべきなのだろう。 そういう状況は開発者にとって悲しくないのだろうか?


2001年2月15日(木)

断定

「だと思う」「だろう」が冗長だ。 結局のところ知識というものは所詮どこかから得てきたものでその信頼性とかの判断も自分でしているだけの話。 そのへんの自分の判断を表現して「思う」などと言うても限りがあるし、自信を持って言っていても間違っていることも多々ある。 より正確(?)を期すならば全ての文に「思う」をつけるべきだろうが、そんなのはナンセンスだし逃げだ。 それよりも全てを断定にしてしまった方がスマートだし、何より面白そうだ。

情報ちうものはそれを自分で確かめるか二箇所以上から得られないと信頼してしまうのは危うい。 全ての人がそういう意識で見てくれるとは限らないのだが、とりあえずは情報ソースの一つとして自分で位置付けて書いていくというのも一つの手だ。 (自分の文章の情報価値はとりあえず置いとくとして。)

rsync。 ファイル同期プログラム。 ちょっと前までは自分のトレーニングも兼ねてこういう同期プログラムを組むことを考えていたのだが、結局どこかのだれかが作ったものを使うことにする。 その上で不満があればそれを参考に作ることにしよう。 プログラムの訓練は必要が生じてからでもいい。

プログラムの何がいいかと言うと、自分が消費した時間に対して多数の他人の時間のロスを防ぐことができ、社会全体ではプラスになるということ。 偽善的な響きがあるが、これは結構己の根幹だったりする。 まあ思想と行動が一致してないところもあるのだが。 そういう観点で見ると自分のプログラムは他人に使わせるためだということが言える。 逆の視点を持つと他人の遺産を見ることもなく自分で組むのは少々道に外れるのではないだろうか?

……考えていることをスマートに表現するって難しいなあ。

rsyncをpackageからインストール。 しかしsshがあった方が良さげなのでsshクライアントを正常に動かす方が先か。

01:30。 布団に入るも眠くならない。 1時間ほど炬燵寝したのが原因か。

クレイジータクシー。 crazy box1〜5位独占状態が破られる。 で、crazy zigzag2を1時間程やるが勝てず。 方法は見つけたんだけど、技術(半ば運)が足りない。

07:30。 まだ眠くならない。 どうしよう。 今日は学校行ってcompのセットアップする予定だったのだが。 とりあえず布団で本でも読むか。

13:30起床。 あと10日で世界が滅ぶというどこかのエロゲの設定のような夢をみる。 己はそのゲームをやったことがなく筋も知らないのでアレやアレな展開になって起きて困ったことになったりはしなかったのだが、ただ夢の中で人間関係がギスギスしてちょっとヤな感じだった。

夢と言えばここ数年よく見る夢の題材が2つ。 1つは大学受験期。毎日勉強していた。 (時期的に連動して片想いしていた女の子のこととか。)

もう1つは野球部。 中高あわせて5年くらい、よく練習したもんだ。 覚めて考えるとあのころは野球に関して頭を使わず(頭を使うだけの余力が残らなかった)、その為練習効果も低かった。 あんなにも求め、今こんなに苦惜しく思いがつのるのに、当時はあまりに日常的になりすぎて……練習の毎日を乗り切るのに精一杯だった。 非常に残念だ。

府大会を1回戦で敗退、野球部を引退してからは全然別の生活だった。 夏休みが明けて学校に行くにも起きるのがつらいということもない。 現役の間は授業中眠かったら「今のうち寝ておかんと後がしんどい」と積極的に眠っていたが、引退した身としては特に眠る必要もないとか。 (無意識にこういう判断をしていたことに気付いたときにはちょっとびっくりした。「部活がなければ授業も起きていられるんだ」→大学の講義には反映されなかったが) 授業が終わり、日の高いうちに家に帰る。 一体何するんよ?

野球をしていなかったら恋に真面目に向きあう時間もあったろう。 そういうことをしていなければ時間があまってしゃあない。 (逆に言えばそれほどに苦惜しい恋はしていないということか。) しかし、野球をしなければよかったとは全く思わない。 思うとすれば野球や他のことに対する己の腑甲斐無さに憤るばかりである。


研究室のセレロン君のハードディスクを乗せかえる。
セレロン君はwin98とFreeBSDのデュアルブートでつかっているのでファイルを共有しずらい。 研究室のセレロン君には40GBのっていたが使い切れんので余っている13GBを乗せ換え、40GBでファイル(samba)サーバを立てて基本的にそこのファイルにアクセスするようにしよう。

40GBを外してコチョコチョやってるうちにOSが起動しなくなった。 そこで気づく。 FreeBSDの方、バックアップとってねえ。 /usr/homeだけ別スライスに切っていたのが幸いした。 /usr/home以外を無理やり再インストール。 再起動して手動でマウント、別マシンからFTPでバックアップ。 ふいー、たすかったー。

んやけどメルサバ改のマザーは40GBのハードディスクを認識してくれない。 8GBまで、とかではなく、そもそも最初からないことにされてしまっている。 13GBでもダメ。 くそう、ロートルマシンめ。

結局元の木阿弥。 浪費した時間と、Xが立ち上がらなくなりwindowsがなくなった40GBと、使う当てもないのにデュアルブートな13GBがのこった。 あうう。きちんとハードディスクを使えるマシンがほしい。

実験。 40GBのHDDで後ろの方にFreeBSDをインストールして起動するか? パーティションエディタで一度蹴られるが、再度チャレンジするととおる? インストールはつつがなく終了したが起動するとシングルユーザーモードだ。 ダメっぽい?

ペンプロ君のXの解像度、ディスプレイに対して高すぎないかなあ? 無茶やってるとディスプレイにダメージがいくらしいし。


2001年2月16日(金)

寒い研究室で寝ました。 夢をみました。 研究室で誰もいないとおもっていい気で独り言や鼻歌を歌っていたら斜向かいに4回生がいたという。

メルサバ改700MB HDDながらも健気にsambaサーバにすることに決定。 でも困ったことにpackageが利用できない。 こいつはFreeBSD4.0で動いているのだが、FTPではサーバに4.0用のpackageは置いてないと言われるし、CD-ROMも故障。 ということでFreeBSD4.2に乗せ替え決定。

完了。 ごーいんぐまいうぇい! バックアップとってあった/etc、/usr/local/etcを無理矢理コピー。 はい、パスワードファイルが破壊されました。 ということで再インストール〜。 samba,perl5,apache,bash,tcshと最小限必要なものだけを入れる。 サーバだから日本語つかわないし。 samba,apacheの設定はFreeBSDのネットワーク本を持ってきていなかったので残りは明日。

セレロン君にMeadow(Mule for Windowsちうかんじのアプリ)を入れる。しかし日本語が表示できない。

メルサバ改にssh-1.2.27_1をインストール。 SSH1とSSH2があるらしいが2の方はpackage化されていないみたい。 /etc/rc.localというファイルを作成し、"/usr/local/sbin/sshd"と記入。 このファイルは起動スクリプトらしい。

TERATermとTTSSH 楽チン楽チン。 TTSSHをゲットしてきてTERATermと同じディレクトリにほりこんでTTSSHを起動するだけ。でも公開鍵暗号ファイルだとかが必要らしいのでもうちょっと勉強が必要。

SSH。できた。↓を参考。
http://www.netlab.is.tsukuba.ac.jp/~one/ssh/ らくちん。多謝。

うーん、一度ソースを持ってきてコンパイルして使うとかやった方がいいんだろうなぁ。 というよりできないとちょっと恥ずかしいような気がする。 でも清水のように「使えたらいい」という考え方は今の己には重要かも。 最近頑張りすぎで他のことに手が回っていないもの。

道場。 ヘキが良く飛ぶ。 背骨で飛ばせ。


2001年2月17日(日)

ひらやまんち。 即、グースカ。

9:00起き。 起きたらひらやまはいなかった。 とりあえず茶でも、と思ったが茶がなかったのでダシ汁作ってるところに家主が帰ってくる。

それからうでー、ぼー、くたーっとする。 主にゲームを作るためのツールを作るための話。

15:00退出、研究室直行。

18:30退出。 20:00から某所で鍋。 酒が美味かった。

apache

基本的に「FreeBSD徹底活用ネットワーク編」を参考に設定する。

httpd.conf

本ではsrm.confやaccess.confに以下のように設定する事になっているが、httpd.confに既に書かれている。 srm.conf

access.conf

mime.types デフォルトでok。 ここにはファイルの種類と拡張子の関連づけが書かれている。

うーん、起動に失敗する。 エラーログ mod_unique_id: unable to gethostbyname("thor.chemphys") どうやらOS側か、DNSサーバの名前解決の問題らしい。 やはりOS側だ。 前も同じところでつまったのだが、/etc/rc.confを書き換えて再起動でもだめだったが、/stand/sysinstallからアドレスを書き換えてたらOKだった。 もういちど/etc/rc.confの重複設定を削除し、再起動。OK。 なんか釈然としないけど、まあ動いたから良しとしましょ。

起動中のapacheの設定変更有効化。 apachectl restart

ホームページのCGI

とほほカウンタ gifcat.pl 644 wwwcount.cgi 755 wwwcount.cnt 666 wwwcount.dat 666 wwwcount.acc 666 lock 777


2001年2月18日(日)

7:30起床。 酒が残ってる、がぼへーっとしてるうちに回復。 うどん食う。

炬燵寝。

午(ひる)。 ガッコ行くか、というところ。

結局学校行く前にメールチェックしていたらタカミが来た。 いろいろUNIXについて聞いてるうちに学校行きそびれる。 うーん、なかなか有用なことをいろいろ教えてもらった。 その成果はそのうちFreeBSDのページに反映されるだろう。 98君のTERATerm&TTSSH、ペンプロ君のSSHの設定、SSHとscp、.cshrc、Xの再設定、mnews、ディレクトリツリーの意味、コンピュータ管理かくあるべし、日常会話で使うコンピュータ用語。


ssh rsarefというライブラリがないと言われて蹴られる。 packageにはないし、FreeBSD4.0なのでFTPにもいないと言われるし。 FreeBSD4.0のCD-ROMをマウントし、"find /cdrom -name rsaref* -print"で何か出て来たのでそこにある"rsaref-2.0.tar.gz"をコピーしてくる。 tar展開。 しかし、.cが存在せず、ライブラリがそのまま置かれている。 include/、lib/、share/を手動で/usr/local/以下に(重複しないように気をつけながら)コピー。 それでokでした。

X 解像度が高すぎる。(1600x1200) ディスプレイへのダメージなども考えて解像度を落とす。 "cp /etc/XF86Config /etc/XF86Config.bak" それからXF86Setup。 ビデオカードはVoodooBanshee。 解像度が中途半端なのはX起動時か終了時に画面乗っ取ったままXがお亡くなりになられる。 というわけで結局使いものになるのは1024x768(か1600x1200)。

.cshrcの設定があやしいと指摘される。 うーん、もうちょっと頑張って書き変えんとな。


結局メシも食いに行かずに25:00までタカミとcompをいじってた。


2001年2月19日(月)

またもや変な夢を見たような気がしたがもう忘れちまった。

正午起床。 米を炊いてる間にクレタク88客$32000。 米食って研究室。

M2の方の修論発表が明日。 傍から見ててもヤベエ。 ……明日は我が身。 学会に向けて頑張らにゃ。

sambaは正常に動作。 apacheのCGI、カウンタは動作するがBBSは動作しない。 むー。

ひらやまにでもスクリプトをもらおうか。

例会。 クレタク客解析をしている某氏と密な情報交換。 遊びに行かず、研究室でおべんきょう。

帰るとオジイサンとタカミが居た。 タカミとえんえんmnewsのインストール。 うーん、有難いのは有難いんだが。 勤め人の彼が私のために貴重な時間を割いてくれているのだから。 でもその場に私がいなければならず、その間私のスキルが上がるワケでもない。 明日は10:00から研究室でM2の修論発表練習だ(まあ当然彼も出勤があるわけだが)。 というわけで有難さと有難くなさがちょうど折衷したようなところ。

タカミによるとドメイン名の.jpの前につく部分(二次ドメイン)が改正され、.jpの前に.coとか付けなくてもよくなるらしい。 例えば"kikumura.jp"というドメインが認められるとか。 そこで、使われそうなドメインを先に取得しておくと金になるかも、と言われた。 しかしだね、私ゃこういうの好きじゃないんよ。 確かに己も俗物なので金は欲しいし、楽したい。 でもこれじゃア、己は全く生産してないじゃないですか。 他人が生産した上前をハネてるだけじゃないですか。 マルチ商法もそう。 マルチはそもそもうまくいくとは思ってないのだが、金をくるくる回しているだけでどこにも生産がない。 それが全くつまらんのです。

ついでだが、ちょっと前に送られてきたマルチ商法メール。(口座と名義は伏せ字にしました。) 何がどうマルチじゃないのかは分からないのですが。 で、ちょっと考える。


法に合致していたら何でもええんか? 己で判断せえよ。 どこに生産があるねん。

自分が送るメールの数に制限はないんやろ。 だったら最初に4000円払ったらあとは何ヶ月だろうが勧誘メール送りっぱなしやがな。 この手の商売に金を出すような人間の数は有限だ。 破綻が真近に見えてるよ。

そして、自分がやりたいと思ったとしても金を払う必要はない。 自分の名前の上に下の名前を載せたら不当であることが指摘される可能性があるが、馬鹿正直にその通りにする必要はない。 名前や口座を全部書き換えてしまえばいいのだ。 そして、その口座は全て自分で用意した架空の口座にしておけば一人陥れるごとに4000円手に入る。 「こらまてテメエなに不正こいとんのや!」と指摘されても自分の前の4人以上が不正を働いただけで己は金を支払ったと言い張れば全然ok。 そらまあその社会(?)の中では不当な行為であるだろうが、「そのメールを参考に自分が始めた」っていいわけだ。 不正行為を立証できます?

ゲームって何? 君ゲームを馬鹿にしてんの?

「新聞紙面で弁護士さんもokいうてはりました」て何ですか? どこの新聞ですか? 弁護士さんて誰ですか? 何故アナタ(大元のメールの作者)が直接聞いたことではないのですか?

「上記の方法を繰り返す」てあるけど、ええやん恒常的にメール出し続ければ。 (最初に金を払っていれば)その資格はあるんやし。

いや、私はこういう方法で金を稼ぐ方法を紹介してるわけではないですよ。 論理の矛盾点をついてイイ気になってるだけです。 自己満足。

うーん、某キャラクターのせいでマルチ商法をマルチと略しずらい。


2001年2月20日(火)

10:00の修論発表練習は寝倒してしまいました。 ゴメンナサイ。

発表聞いたり勉強したり。

19:00に帰って丸二。 帰りにトミナガで酒を買う。 今週は出羽桜。

今週の酒。 出羽桜 一耕。 一口飲んだとき「ああ、これだ」と思いました。 もともと私のザ・ベスト・オブ・酒だったんだけど、やはり、美味しい。 透き通っていて、いい香りがする。

それから総会。 もっとキリキリ喋って欲しいが、まあそのへんは人それぞれなので言うてもしゃあない。

今日もタカミ。 ありがとう。でもちゃんと寝ろよ。社会人。


2001年2月21日(水)

学校。 去年の研究室の修論発表があったはずなんだけどスッカリ忘れてました。 ゴメンナサイ。

windowsではメーラというが、UNIXの世界ではメーラとは呼ばないらしい。 メールクライアントだったかなんだか。

ものはためし、とrsyncをメルサバ改にいれてみる。

調べてみるとどうやらrsyncは求めるものと違うみたい。 同時双方向の同期はとれないようだ。 まあ、2回コマンド打てばよいのだろうが。

どうもあれだ、己が真に求めるような機能ではないらしい。 本当にやりたいことを実現するには自分で組むしかないのだろうな。 まあ余所のプログラムがどのような動作をし、どのような機能を持ってるかだけ勉強させていただくとしよう。 ・・・でものんびりプログラムやってる時間ないんだよな。 まともなプログラム打ったことないし。 開発はじっくりやるとして、とりあえず「ツナギ」としてrsyncかsyncdirのいずれかを使うというのが最適解か。

Syncdirという名のソフトウェアは2つある(別人が開発した)。 一方はC、他方はperlだ。

研究室の引っ越し。 それに併せてwebサーバのURL(てゆーか、IPアドレス)が変わってしまいます。 だましだまし3月中くらいまではこのアドレスで持ちこたえられるように努力しますが、下手すると3月頭で変わってしまいます。 予定アドレスは130.54.84.55。 Webサーバに出来るとは思うのですが、出来なかったらこのページはどこかへ移転ということになります。 あかんかったときはgeocitiesの昔の場所に復帰するでしょう。 (http://www.geocities.co.jp/Playtown-Denei/9607/) ま、とりあえずひらやまか漫研の人のページからのリンクは頼んで変えてもらうのでそのあたりから来てください。 ゴメンナサイ。

クレタク。 92客$33000。

ガモウの連載はいつの間に終わってたんでしょうね? へくちんさん。


2001年2月22日(木)

えーっと、日記が更新できなかったのは、タカミとmnewsのインストールに頑張っていたのと、研究室で書いたテキストを寮で回収できなかったためです。 ゴメンナサイ。

あー、素敵な恋がしたいなあ。 って、もう何度目だろう? てゆーか、面倒臭いのはゴメンだけど、その労力に見合うだけの恋はしてみたいと思ってみたり。 まあそんなこたどうでもいいのだが。

以下のようなカンジだと思うのだが。 「Windowsは分かりやすく分かりにくい。」 「UNIX系OSは分かりにくく分かりやすい。」

未明。 ssgと酒を飲む。 いいな、楽しいな。

例会。 漫研でちょびっツが流行らしい。 あのひらやま氏をして買わせしめるとは何ともはや。
000926日記再掲。

CLAMP先生、ヤンマガで新連載。
どうですかね。
てゆーか、→あんなところにスイッチがあるんだったら熟練者はいきないチンコでスイッチオンなんでしょうか。

そのあと名代氏宅でクレイジータクシー。 名代氏の、言葉では説明できない素敵なプレイにいたく感動する (光っていない客を一度射程距離の外に出し、再び前進することによって光らせる)。 しばらく平山んちでうでーっとしてるがいつまでもそうしていてもしょうがないので帰る。

しかし、帰る途中思い立ってもりりん氏の宅にお邪魔する。


つくづく野球部時代に関して己は馬鹿だったと思う。 確かに練習はしんどかった。 だけど、「練習する」という楽しさにかまけて「己を強くする為の練習」をしてこなかった。 その結果は惨憺たるものだった。 己に足りない能力は多々あった。 今思いつくだけでも送球のコントロール、足の速さ、打球の見切り。 概ね守備の分野に固まっているのだが。 果たしてそれを克服されるべく努力したのか。 否、全く以って否。 克服する為ならば正規の練習以外の自主練で賄うべきなのだろうが、結局自分に楽で楽しい打撃練習ばっかりやっていたような気がする。

頭を使わなかったのも痛い。 自分に足りない能力を補うべくどのような練習をするべきなのか、どのような知識が足りないのかをキチンと考えなかった。 5年半の現役生活の中で一度もルールブックを読んだことないし。


2001年2月23日(金)

もりりん氏宅。 笹鳴氏もいる。 彼等がコンテ切りだかそんなのやってたので己もつられて2pネタだけ考える。 そもそもは描くつもりなかってんけどな。 でもまあせっかくだし。

己のシナリオで漫画を描いてくれるという清水が追い出される追いコンだ。 彼に己の漫画を見せる残り少ないチャンスとも言える。

けど結局コンテ切ってる途中でグースカ。

11:00起床。 成年漫画を読み漁る。 末広雅里の一部とがぁさんが己にヒット。 聖☆高校生(小池田マヤ)の錠本里子が初球ド真ン中ストライク。 2球目アウトへのスライダー。

17:00。 寮に帰る。 コジマ君を連れて丸二。 飯食い終わったら雨。道場行けず。

クレイジータクシー93客$34000。


2001年2月24日(土)

夜から朝にかけて漫画を描く。 2ページ。まあ、知れてるわな。 タイトル「ナミダノウラガワ」。 今さらカタカナタイトルは使い古された感がするが己にそれを打破するだけのセンスがないことは重々承知。 まあ文法の一つとして大目に見てよん。 それはそうとして、かなり卒業やら追い出しやらには関係ない漫画ですな。

追いコン。 今年の追い出されは岡崎さんと清水。 岡崎さんともうちょっとたくさんお話しとけばよかったな。

一次会終了で退散。 ひらやまに少林を教えてもらうはずだったが奴んちで即寝る。

労働と感謝

メーラ移行のコストとして慣れるまで扱いにくいということが上げられる。 今回タカミにmnewsの移行をやってもらったことは感謝しているが、その為に1週間ほどメールのチェックや日常業務が滞ったのも事実。 日記書きなんぞはまあどうでもいいのだが、メールチェックは結構致命的になりうる。 結局かけてくれた労力の割には感謝の量が少ないという残念な状況になってしまう。 翻って己に言う。 気をつけろ、押しつけてはいけない。 「ゼヒやってくれ」、とお願いされるくらいでないと消費した労力に対して報酬(感謝)が釣り合わないことがある。 逆にマイナスになることもあるだろう。

ただ、奥ゆかしい人だとお願いするのが苦手だということもあるかなあ。 その辺を汲みとるのも難しいね。

人間より難しいものはこの世にない。 だけど、割り切ってしまえば結構ラクだったりする。

アイツのせいだ

問題を他人のせいにするとラク。 人間はまず問題を他人のせいにする。 でも大抵のことはその他人ではなく価値観のズレが問題、すなわち双方の問題だ。 その人と親しければキチンと話して価値観をすり合わせることが大事。 そうでなければしょうがないので、「我が振り直せ」ばいいだけだろう。 まあケースバイケースな色の強い話なので、一般論で言っても全く意味のない話ではある。

バイナリ非互換の話

Linuxではディストリビューションによってライブラリの仕様が微妙に違ったりする。 そのためバイナリ非互換という不可避な罠が存在するらしい。 アプリケーションによってはソースを持って来てコンパイルし直す必要があるものもある。

UNIX文化では、確かにソースを持って来てコンパイルするのが王道だろう。 しかし、バイナリだけ持ってくる方がラクだ。 ラクだから正しいと言っているわけではないが、結果が同じならコスト(労力)が安い方と正しい方法とどちらを取るべきかはユーザが選択するべきだろう。

OSの機能は、共通のユーザインターフェイスを提供することも重要だが、共通のアプリケーションインターフェイスを提供することが第一義だ。 ディストリビューションが違えば別のOSだと言うことも出来るが、それは間違っている。 彼等は"Linux"というOSなのだから。

また、商用パッケージの存在を忘れてはいけない。 仕様を公開できない事情もある。 全てのソフトウェアがソースを公開するべきだ、と言うことは間違っているだろう。

ライセンスの問題もあるが、できることなら全く別のOSでさえバイナリ互換が実現できたらいいと私は思う。

ソフトウェア

ソフトウェアは有償であるべきだと思う。 製作者の労力がそこに込められているから。 自分の労働が軽減されるのだから。 だがフリーであるべきだとも思う。 ソフトウェアを気軽に使うためにも。


2001年2月25日(日)

2:00ころ起きる。 1時間ほどぐだぐだしてから帰る。

夜明け前。 研究室。 実験。 火曜日のEPMAの試料作り。

それ以外にも頭を使わなければならないことが沢山ある。 ヤバい。

クレイジータクシー、5周105客$39000。

5人で部屋の抜本的な片付け。 大体17:00〜25:00。

バイトのあてがほぼ無くなる。 来年度どうしよっかなぁ。


2001年2月26日(月)

ギザギザハートの子守唄 聞いてて「甘ったれるなこのヤロウ」と思ったのはやはり歳をとったからだろうか?

クレイジータクシー 129客 $47000。 思えば遠くへ来たもんだ。 でも名代氏はさらに遥かに遠く。 だいたい彼の2週間くらい後を追っているカンジか。

炬燵寝、午起き。 でも炬燵でぬくぬく炬燵寝続行。

18:00。 例会行こうかと思っていたのだが、どうやら寮で受験生を交えて宴会をするらしく、そちらで飲む。

まほろまてぃっく(3)。 「多数を助けるために一人を犠牲にすることをうじうじ悩む」という設定をこの漫画に限らずよく見かけるが、己にとってはあまりリアルではない。 結構平気で殺すと思う。 結構(否、かなり)合理主義者だからな。 世の他の人はこういうのに共感するのだろうか? 逆も然り。 「多数を助けるために自分が犠牲にならざるを得ない」という状況でもあんまり納得しないんじゃないかなあ。 本当にどうしようもなければ受け入れるだろうが、それでも心中は穏やかではないだろう。

sambaの設定。

リモートのX。

某氏の意見を曲解すれば、俺は、頭が悪いから幸せだと言える。 別にそれでいいけどな。 世の中には俺より頭のいい人がたくさんいて、学ぶべきことが沢山ある。 他人が作ったものを楽しむ時間すら足りない。


2001年2月27日(火)

「ついていけないよ」
「ついていきたいの?」
「ついて行くのでは在りません。
自ら向かうのです。
よいですね。」(2ch)

サンプル作成。 そのままできるかと思い込んでいたけどどうもダメ。 カーボン蒸着しなくてはならない。 というわけで今日は観察できず。 段取り悪。

というところで実家から入電。 具合の悪かった祖母がついに逝ったらしい。 ま、人間いつかは死ぬんやし。 正月時点でかなりやばかったので覚悟はしていたが。 最後くらいもうちょっとおばあちゃん孝行しても良かったかな、とちらと思ったりもするが、それを切り捨てて生活することを選んだのは己だ。 全く後悔していない。 我ながら薄情なヤツだなあ。

ま、ともあれ人の死という点では己は既に親父を亡くしているのでさして動揺もしない。 この辺かなりドライ。 人の死なんてそこかしこに転がってるもんで、いちいち心を動かす気にもならない。

とはいえやっぱりしんみりするね。

実験サンプル。 研磨が甘いため翌日出直し。

帰ったらタカミがコンピュータを弄(いら)っていたため日記書けず。 さっさと寝る。

「いらう」って方言?

「おまえに言われたくない!」

まあ、よく聞く言葉ですな。 年寄りが若者に人生語られたりするとこんな風に怒りそうだ。 でも、発言者の立場と発言内容の正当性は別だと思う。 誰が言っても正しいことは正しいのだし。

しかし、全く同じように発音されてもそこにこめられている意味が違う場合がある。 言葉の意味というのは「発言者がどう意図するか」ではなく、「聞き手がどう解釈するか」だからだ。 すなわち、発言者の資質(年齢や嗜好)によって言葉の意味合いが変わりうる。

うーん、ま、忠言は耳に痛いだろうけど真摯に受け取りたいと思ってはいる。

コンピュータ雑記

以下、コンピュータ技術に関する私の予測。 調べてません。 間違ってるかもしれません。 フォローできる人大募集。

スタティックリンクとダイナミックリンク
Cのソースは、アセンブル→コンパイル→リンクという順番で処理される。 リンクは既にオブジェクトコードにコンパイルされている関数(ライブラリ)とプログラマが書いたプログラムとを連結(リンク)させる作業。 この時に、実際に出力されるバイナリに組み込んでしまうリンクがスタティックリンク。 ライブラリを組みこまず、プログラムを走らせたときに動的に呼び出されるのがダイナミックリンク。 そうやって呼び出されるライブラリをwindowsではDLL(ダイナミックリンクライブラリ)と呼ぶ。

wwwの意味
"http://www.xxx.co.jp/"なとがよく見るURLだと思う。 このようなリクエストを出す場合、ローカルマシンはまず設定されているDNSサーバに通信する。 そこで"jp"を管轄しているDNSサーバを教えてもらい、今度はそこに通信して"co"を管轄するDNSサーバに"xxx.co.jp"というサーバが何処にあるかを聞く。 自分の会社のサーバ"xxx.co.jp"をDNSサーバとし、その下にさらにhttp通信専用のウェブサーバを置く。 そのウェブサーバは慣例的に"www.xxx.co.jp"という名前が付けられる。 そういうこと。 おまじないでもなんでもないです。 試しに"http://marinejumbo.mtl.kyoto-u.ac.jp/"とやってみよう。 "www"がなくてもウェブページが見られるはず。 そして"http://www.marinejumbo.mtl.kyoto-u.ac.jp/"ではそんなサイトはないと蹴られる。


2001年2月28日(水)

蒸着し、研究室引越しの為の荷物梱包。

午、こうたろう経由で寮に帰る。 炬燵寝。

16:30。 シャワーだけ浴びて大阪へ。

祖母の顔を拝む。 頬が痩けていた。 感じるのは、ただそこに物があるということ。 死体でも、人の形をしたものでもなく、ただのオブジェクト。 この違いを人は生気と呼ぶのか?

会食な感じでメシを食い、京都に戻る。 葬式には、出ない。


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