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2012年2月12日(日)礼拝のご案内
聖書 使徒言行録 2章37〜47節
コリントの信徒への手紙一 12章27節〜31節
説教 「教会の起源と継続の意義」 首藤正治牧師(東北中会引退教師)
当教会の牧師は、八戸教会へ行きます。このため、12日の夕礼拝はありません。
2012年2月5日(日)礼拝のご案内
聖書 ローマの信徒への手紙 7章7〜25節
説教 「わたしの中に住む罪」
今日の御言葉(2012年2月4日)
「イエスは言われた。『わたしは復活であり、命である。わたしを信じる者
は、死んでも生きる。生きていてわたしを信じる者は、だれも、決して死ぬことはない。このことを信じるか。』マルタは言った。『はい、主よ、あなたが世に来られるはずの神の子、メシアであるとわたしは信じております。』」
ヨハネによる福音書 11章25〜27節
2012年1月29日(日)礼拝のご案内 午前10時半
聖書 ローマの信徒への手紙 7章7〜25節
説教 「罪の正体と救い」
今日の御言葉(2012年1月26日)
「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。神が御子を世に遣わされたのは、世を裁くためではなく、御子によって世が救われるためである。」 ヨハネによる福音書 3章16、17節
2012年1月22日(日)礼拝のご案内 午前10時半
聖書 使徒言行録 20章17〜24節
説教 「神の福音を証しする」
今日の御言葉(2012年1月17日)
「それから、イエスは弟子たちに言われた。『だから、言っておく。命のことで何を食べようか、体のことで何を着ようかと思い悩むな。命は食べ物よりも大切であり、体は衣服よりも大切だ。烏のことを考えてみなさい。種も蒔かず、刈り入れもせず、納屋も倉も持たない。だが、神は烏を養ってくださる。あなたがたは、鳥よりもどれほど価値があることか。』」
ルカによる福音書 12章22〜24節
2012年1月15日(日)礼拝のご案内 午前10時半
聖書 コロサイの信徒への手紙 3章1〜11節
説教 「日々新たにされて」
今日の御言葉(2012年1月8日)
「さて、あなたがたは、キリストと共に復活させられたのですから、上にあるものを求めなさい。そこでは、キリストが神の右の座についておられます。上にあるものに心を留め、地上のものに心を引かれないようにしなさい。」 コロサイの信徒への手紙 3章1、2節
キリスト教信仰においては、イエス・キリストが十字架で処刑された後、三日目に復活されたことを信じています。それは聖書に記されていることです。
しかし上の聖書箇所では、この手紙を書いた使徒パウロは驚くべきことを言っています。キリストを信じた人は、キリストと共に復活させられた、と言っているからです。クリスチャンは、イエス・キリストが復活されたように、キリストを信じて救われた者も同じようにやがて世の終わりの時に復活させていただけると信じています。しかし、ここで言われていることは、信じた者は、すでに復活させられているのだ、というのです。これはもちろん、信者が文字通り死んで復活したということではなく、キリストによって救われて新しい命、すなわち神に結び付けられた永遠の命をすでにいただいているということです。それは、すでに復活させられた、といってよいことなのです。
そのような新しい命に生かされている、そのことをすでに復活させられたといっています。けれども、だからと言って文字通りの復活を否定するわけではなく、やがて本当に死んだ者も復活することを聖書は教えています。
そのうえで、少し後の8〜10節に次のように言われています。
「今は、そのすべてを、すなわち、怒り、憤り、悪意、そしり、口から出る恥ずべき言葉を捨てなさい。互いにうそをついてはなりません。古い人をその行いと共に脱ぎ捨て、造り主の姿に倣う新しい人を身に着け、日々新たにされて、真の知識に達するのです。」
復活させられたといっても、天国に入るまでは完全にはなっていません。神の恵みによって日々新たにされていくことが必要なのです。それは、私たちが語る言葉がまず清められていく、ということから始まってゆくと言えるわけです。
2012年1月8日(日)礼拝のご案内 午前10時半
聖書 テモテへの手紙一 5章1〜16節
説教 「家族を大切に」
同日夕礼拝 午後6時
聖書 ネヘミヤ記2章1〜8節
説教 「まず神に祈る」
今日の御言葉(2012年1月7日)
「身寄りのないやもめを大事にしてあげなさい。やもめに子や孫がいるならば、これらの者に、まず自分の家族を大切にし、親に恩返しをすることを学ばせるべきです。それは神に喜ばれることだからです。」
テモテへの手紙一 5章3、4節
2012年1月1日(日)元旦礼拝のご案内 午前10時半
聖書 詩編111編1〜10節
説教 「主の賛美は永遠に」
今日の御言葉(2011年12月31日)
「主を畏れることは知恵の初め。
これを行う人はすぐれた思慮を得る。
主の賛美は永遠に続く。」 詩編111編10節
クリスマスキャンドルサービスのご案内
12月24日(土)午後7:30〜8:30
クリスマスの讃美歌を共に歌い、ろうそくの光のもと、この世の光としておいでになった救い主、神の御子イエス・キリストのご降誕を祝いましょう。
どうぞおこしください。
12月25日(日)礼拝のご案内
聖書 ルカによる福音書2章22〜38節
説教 「神の救いを見た」
礼拝後、午後1時から3時までクリスマス祝会を行います。
今日の御言葉(2011年12月21日)
「いまだかつて、神を見た者はいない。父のふところにいる独り子である神、この方が神を示されたのである。」
ヨハネによる福音書1章18節
この聖書箇所は、非常に不思議なことを言っていますが、これはまた聖書の教える真理の非常に重要な点です。神はただ一人である、と聖書には教えられています。しかし、神には、独り子がおられて、その方も神と呼ばれているということです。それが人としてこの世にお生まれになったイエス・キリストです。人として生まれたけれども、もともと神の独り子としておられた方であって、この方も神である。と言われているのです。神は本来目で見ることのできない方ですが、その神を、見えるように現してくださったのが
独り子なる神です。ヨハネによる福音書は、この神秘を福音書の最初の方で明らかにしています。そういう方がこの世でいろいろな御業をなさったのですよ、と証ししているのがヨハネによる福音書なのです。
神は一人だと言われているのに、独り子なる神、つまり神の御子がおられる。
しかしそれは神が二人いるということではありません。それで、昔から、聖書を信じ神とイエス・キリストを信じてきた人々は、キリストの昇天後、教会に降られた聖霊と合わせて、三位一体ということを信じてきました。神は一人と言われているのに、父なる神、子なる神(独り子なる神)、聖霊なる神が確かにおられる。しかも、それは別々の存在ではなく、一人の神である。この、人間からすれば矛盾と見えることですが、聖書において確かに神はそのような方として示されているので三位一体の神を教会は信じ、告白し、告げ知らせてきました。
少し難しい話になりましたが、神様は、この独り子なる神、イエス・キリストによって私たちに救いを与え、永遠の命を与えようとしてくださっています。どうぞ教会へおこしくださって、その知らせを聞いてください。神の御言葉である聖書の教えに耳を傾けてください。お住まいの地域に教会があるならば、どうぞ訪ねてみてください。
救い主の恵みと祝福が、世に住む多くの人々の上にありますように祈ります。
12月18日(日)礼拝のご案内
聖書 マタイによる福音書2章1〜12節
説教 「地の果てに及ぶ主の救い」
今日の御言葉(2011年12月13日)
「王は民の祭司長たちや律法学者たちを皆集めて、メシアはどこに生まれることになっているのかと問いただした。彼らは言った。『ユダヤのベツレヘムです。預言者がこう書いています。
「ユダの地、ベツレヘムよ、
お前はユダの指導者たちの中で
決していちばん小さいものではない。
お前から指導者が現れ、
わたしの民イスラエルの牧者となるからである。」』」
マタイによる福音書2章4〜6節
ここで言われている預言者とは、紀元前8世紀のミカという人です。イエス・キリストがお生まれになる700年も前に、ベツレヘムで救い主が生まれる、ということを予告していました(旧約聖書ミカ書5章1節)。その預言のとおり、イエス・キリストはベツレヘムでお生まれになりました。
キリストはたまたまあの時代に生まれたのではなく、神がはるか昔から計画なさっていたことだったのです。
指導者が現れる、と言われていますが、ただ指導するだけではなく、羊飼いが羊を養うように、その民を養い守る方、救いを与える方としてこの世に来られたのがイエス・キリストです。わたしたちには、神から遣わされた牧者、救い主がどうしても必要なのですこの世では。多くの悩みや問題が次々起こりますが、それは突き詰めれば、わたしたちが神との交わりを失っているからです。もちろん、信仰を持ってからも、いろいろな問題がただちにすべてなくなるわけではありませんが、助けと導きを与えてくださる神がおられます。救い主はわたしたちの罪を償い、神の民として受け入れてくださいます。神により頼む人は幸いである、と聖書は告げております。
12月11日(日)礼拝のご案内
聖書 ルカによる福音書1章67〜80節
説教 「我らの神の憐れみ」
今日の御言葉(2011年12月8日)
「言は肉となって、わたしたちの間に宿られた。わたしたちはその栄光を見た。それは父の独り子としての栄光であって、恵みと真理とに満ちていた。」
ヨハネによる福音書1章14節
言とは、神の御子であるキリストのことを指しています。上の聖句は、もともと神の御子として存在しておられた方が、時至ってこの世に降誕されたことを表しています。神の恵みは、イエス・キリストにおいて最大に示されました。キリストを通してわたしたちに救いを与えようとしておられる神の慈しみと憐れみが、皆様の上にありますように祈ります。
12月4日(日)礼拝のご案内
聖書 ペトロの手紙 二 1章16〜21節
説教 「キリストの力に満ちた来臨」
今日の御言葉(2011年12月1日)
「何よりもまず心得てほしいのは、聖書の預言は何一つ、自分勝手に解釈すべきではないということです。なぜなら、預言は、決して人間の意志に基づいて語られたのではなく、人々が聖霊に導かれて神からの言葉を語ったものだからです。」 ペトロの手紙
二 1章20、21節
キリストがこの世に来られることを、来臨とも言います。一度この世に人としてお生まれになり、十字架の死を経て復活され、天に昇られました。そして再びこの世に来る、という約束をされました。再び来られることを再臨、と言います。待降節は、キリストの降誕の時を迎える準備をする時期ですが、同時に、再臨されるキリストを迎える心の備えをする時でもあります。
しかし、イエス・キリストの再臨は、いつのことになるのかは、明らかにされていません。それで、昔からキリストの再臨の時を特定しようとしたり、あるいは自分がキリストの再臨であると自称して、人々を惑わせる人もいました。ですから、そのようなことを言う人々には注意が必要です。キリストは、その時がいつになるかはわからないから、目を覚まして祈りなさい、と言われました。また、キリストを自称する人が現れても、信じてはいけないとも言われました。偽キリストであっても、不思議な業さえ行うとも言われました。本当のキリストの再臨の時には、だれにも確かにわかるように来られる、ということです。
聖書の教えをよく聞くならば、そのような偽者に惑わされることはありません。
クリスマスが近づいてきます。教会で聖書の御言葉を聞き、救い主のご降誕を共に祝いましょう。
11月27日(日)礼拝のご案内
聖書 マタイによる福音書4章12〜17節
イザヤ書8章16節〜9章6節
説教 「救い主誕生の預言」
キリスト教の暦では、27日から待降節(アドベント)に入ります。
救い主イエス・キリストのご降誕を迎える時期に入ります。聖書では、この世を闇にたとえることがあります。しかし、そこに来られた救い主が光としてこの世を照らしてくださったと告げております。この世はなお、完全に光におおわれているとは見えませんが、救いをもたらす救い主が既に世に来てくださっています。どうぞこの時期、救い主の誕生の知らせを耳にしてください。
なお、イエス・キリストは確かに人間としてお生まれになりましたが、もともと神の御子として存在しておられましたから、その誕生のことを降誕、といいます。天の神のもとから降ってこられたお方だからです。
今日の御言葉(2011年11月24日)
「イエスは、ヨハネが捕らえられたと聞き、ガリラヤに退かれた。そして、ナザレを離れ、ゼブルンとナフタリの地方にある湖畔の町カファルナウムに来て住まわれた。それは、預言者イザヤを通して言われていたことが実現するためであった。
『ゼブルンの地とナフタリの地、
湖沿いの道、ヨルダン川のかなたの地、異邦人のガリラヤ、
暗闇に住む民は大きな光を見、
死の陰の地に住む者に光が射し込んだ。』
そのときから、イエスは、『悔い改めよ。天の国は近づいた』と言って、宣べ伝え始められた。」
マタイによる福音書4章12〜17節
11月20日(日)礼拝のご案内
聖書 ローマの信徒への手紙
説教 「神に対して実を結ぶ」
今日の御言葉(2011年11月15日)
「人間を豊かにするのは主の祝福である。
人間が苦労しても何も加えることはできない。」
箴言10章22節
11月13日(日)礼拝のご案内
聖書 ローマの信徒への手紙6章15〜23節
説教 「神に仕えて生きる」
今日の御言葉(2011年11月10日)
「罪が支払う報酬は死です。しかし、神の賜物は、わたしたちの主キリスト・イエスによる永遠の命なのです。」
ローマの信徒への手紙6章23節
イエス・キリストという言い方が普通にされていますが、新約聖書には、時にキリスト・イエスという言い方もされています。「キリスト」とは「油注がれた者」という意味で、神によって特別に職務に就けられた方を指します。旧約聖書の時代では、王、祭司、預言者たちがその職に就くときに油を注がれました。キリストは、それらの務めを一人で全て担っておられるお方です。神によって特別に選ばれ、職務を与えられたのであり、罪人を救うと
いう、ほかのだれにも与えられていない務めをただ一人で担っておられます。ですから、キリスト・イエスという言い方は、キリストであるイエス、という意味です。「イエス」というのは「主は救い」という意味で、当時普通に男性に付けられていた名前でした。しかし、イエス・キリストだけはその名前と実態が完全に一致している方でした。
ですから、「イエス」は固有名詞で、「キリスト」はその務めの内容を表しているものです。
11月6日礼拝のご案内
説教「神様へのさんび」
聖書 ルカによる福音書10章22〜23節
詩編146編1〜2節
子ども礼拝として行います。説教は子ども(小学生)向けとなりますが、どなたでもどうぞおこしください。
今日の御言葉(2011年11月3日)
「ハレルヤ。
わたしの魂よ、主を賛美せよ。
命のある限り、わたしは主を賛美し
長らえる限り
わたしの神にほめ歌を歌おう。」
詩編146編1〜2節
10月30日(日)礼拝のご案内
聖書 ローマの信徒への手紙1章16、17節
説教 「信じる者は義とされる」 坂本紀夫牧師(北中山教会牧師)
この日は、仙台市泉区にある北中山教会と講壇交換をしますので、当教会の久保田証一牧師は北中山教会の礼拝で説教します。
今日の御言葉(2011年10月23日)
「イエスは言われた。『わたしが命のパンである。わたしのもとに来るものは決して飢えることがなく、わたしを信じる者は決して渇くことがない。』」
ヨハネによる福音書6章35節
10月23日(日)礼拝のご案内
聖書 ローマの信徒への手紙6章1〜14節
説教 「キリストと共に生きる」
今日の御言葉(2011年10月22日)
「わたしたちは洗礼によってキリストと共に葬られ、その死にあずかるものとなりました。それは、キリストが御父の栄光によって死者の中から復活させられたように、わたしたちも新しい命に生きるためなのです。」
ローマの信徒への手紙6章4節
10月16日(日)礼拝のご案内
聖書 ローマの信徒への手紙5章12〜21節
説教 「キリストの恵みの賜物」
今日の御言葉(2011年10月13日)
「わたしたちは知っているのです、苦難は忍耐を、忍耐は練達を、練達は希望を生むということを。希望はわたしたちを欺くことがありません。わたしたちに与えられた聖霊によって、神の愛がわたしたちの心に注がれているからです。」
ローマの信徒への手紙5章3〜5節
神は、その愛をわたしたちの心に注いでくださっています。そのことは、キリストが十字架にかかってわたしたちのために死んでくださったことにあらわされています。あらゆる苦難、悲しみ、痛みなどは、もとをたどれば人間が神に背いたことに端を発しています。そのことに目を向けず、世の中で起こっていること、現象にだけ目を向けていると、神の愛は見えません。神に背いた私たち人間のために最も苦しみを受けたのは、神の御子イエス・キリストでした。そしてその独り子を惜しまず、この世に送ってくださった父なる神の愛と慈しみがそこに示されています。聖霊はそのことを私たちに悟らせるばかりか、神の愛をわたしたちの心に注いでくださる、というのです。
その愛があるので、この世における苦難も希望に結びつく、ということです。
10月9日(日)礼拝のご案内
聖書 創世記1章1〜31節
説教 「偉大な芸術家の満足」
日本キリスト改革派上福岡教会の熊田雄二牧師が礼拝説教をしてくださいます。どなたでもご来会ください。
9日の午後から一泊で、場所を比内ベニヤマ荘に移して、改革派神学研修所北東北の学びを行います。研修所の出張講座として、研修所副所長でもある熊田先生に講演をしていただきます。
テーマ:「キリストの体としての教会」
このため、9日午後6時からの夕礼拝はありません。
今日の御言葉(2011年10月8日)
「初めに、神は天地を創造された。地は混沌であって、闇が深淵の面にあり、神の霊が水の面を動いていた。神は言われた。
『光あれ。』
こうして、光があった。神は光を見て、良しとされた。神は光と闇を分け、
光を昼と呼び、闇を夜と呼ばれた。夕べがあり、朝があった。第一の日である。」 創世記1章1〜5節
9月25日(日)礼拝のご案内 午前10時半
聖書 ローマの信徒への手紙4章13〜25節
説教 「信仰と不信仰」
今日の御言葉(2011年9月23日)
「わたしたちの主イエスを死者の中から復活させた方を信じれば、わたしたちも義と認められます。イエスは、わたしたちの罪のために死に渡され、わたしたちが義とされるために復活させられたのです。」
ローマの信徒への手紙4章24、25節
今日の御言葉(2011年9月10日)
「死者に命を与え、存在していないものを呼び出して存在させる神を、アブラハムは信じ、その御前でわたしたちの父となったのです。」
ローマの信徒への手紙4章17節
今日の御言葉(2011年9月3日)
「災いのふりかかる日
わたしを追う者の悪意に囲まれるときにも
どうして恐れることがあろうか
財宝を頼みとし、富の力を誇る者を。
神に対して、人は兄弟をも贖いえない。
神に身代金を払うことはできない。
魂を贖う値は高く
とこしえに、払い終えることはない。
人は永遠に生きようか。
墓穴を見ずにすむであろうか。」
詩編49編6〜10節
「しかし、神はわたしの魂を贖い
陰府の手から取り上げてくださる。」
詩編49編16節
昨日の9月2日には、当教会にて、本田路津子さんによるコンサートを
無事行うことができました。多くの方が出席してくださったことを感謝します。
一週間ほど東北に滞在されて、各地でコンサートを開いてくださいました。
美しい歌声による賛美とお話しにより、主イエス・キリストへの信仰によって生きておられることを証しされました。そして私たちに神様の愛を示してくださいました。心より感謝します。
今日の御言葉(2011年8月26日)
「わたしは心が騒ぎ
はらわたの裂ける思いがする。
わたしは愚かで知識がなく、
あなたの対して獣のようにふるまっていた。
あなたがわたしの右の手を取ってくださるので
常にわたしは御もとにとどまることができる。
あなたは御計らいに従ってわたしを導き
後には栄光のうちにわたしを取られるであろう。
地上であなたを愛していなければ
天で誰がわたしを助けてくれようか。
わたしの肉もわたしの心も朽ちるであろうが
神はとこしえにわたしの心の岩
わたしに与えられた分。」
詩編73編21〜26節
今日の御言葉(2011年8月17日)
「昼、主は命じて慈しみをわたしに送り
夜、主の歌がわたしと共にある。
私の命の神への祈りが。」
詩編42編9節
今日の御言葉(2011年8月13日)
「いかに幸いなことか
主を神とする国
主が嗣業として選ばれた民は。
主は天から見渡し
人の子らをひとりひとり御覧になり
御座を置かれた所から
地に住むすべての人に目を留められる。
人の心をすべて造られた主は
彼らの業をことごとく見分けられる。」
詩編 33編12〜15節
今日の御言葉(2011年8月6日)
「わたしは主をたたえます。
主はわたしの思いを励まし
わたしの心を夜ごと諭してくださいます。
わたしは絶えず主に相対しています。
主は右にいまし
わたしは揺らぐことがありません。
わたしの心は喜び、魂は踊ります。
からだは安心して憩います。」
詩編16編7〜9節
イエス・キリストは、その言葉に力のある方です。今に至るまで多くの人を救い、導き、光を与え、生きる力をもたらしてくださっています。どうぞ、キリストの言葉に耳を傾けてみてください。
礼拝で必要な聖書、讃美歌などは貸出用があります。礼拝では献金がありますが、強制するものではありません。
聖書を通して語っておられる神の御言葉が、これをご覧になった方の心に届くことを祈り願っております。
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