07.5.21 無我ワールド

 今治は「いまばり」と読むが、年寄りはなぜか、「いまはる」と言う傾向がある。
 テクスポート今治と言えば、冨宅さんと鈴木選手がタッグを組んだり、金本選手とMA−G−MA選手(当時)が対戦したりと、隠れた名勝負の地として愛媛県民(主として私)に知られているが、今回、冨宅さんと長井選手の、同期初対決が実現!冨宅さんが無我に参戦するだけでも嬉しいのに、こんなカードが愛媛で実現するとは。愛媛県民(主として私)のために組んでくれたカードと言っても過言ではない。

 三年前、冨宅さんがテクスポートで試合をしたときは、仕事が終わって制服のまま今治に行く羽目になったが、今回は有休をもらい、今治市の母の実家にお泊まりして満を持している。三年前の観戦記には、「今治市のすぐ近くの村」と書いているが、市町村合併により、現在はそういうことに。ちなみに、平成の大合併により、愛媛県には村は一つもなくなった。

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 この一週間前、ローソンでチケットを買うと、一列目が買えて嬉しかったが、地方では、最前に「招待席」とか、意味不明な席があり、意味不明な方々が占めていることが多いから、良くて二列目だろうと思って行くと、本当に一列目で感激する。こんなことはパンクラス以外では珍しい。本部席の機材のすぐそばだったので、場外乱闘にも巻き込まれずにすんだ。

 今治のレスリングクラブのちびっ子達がたくさん来ていた。女の子も多い。試合前、ちびっ子から藤波選手に花束の贈呈。

 冨宅さんの試合は第二試合。ケロちゃんがコールしてくれて感激する。ここでケロちゃんを見られるとは思わなかった。相変わらず、下手な選手以上の大物感を漂わせていた。
 冨宅さんのコスチュームが青になっていたので新鮮だった。長井選手は久しぶりに見る。プロレス・格闘技界で、パンクラスの伊藤選手と並ぶB'zファンとして、愛媛県民(主として私)になじみ深い長井選手だが、前回見たときは魔界倶楽部で、これもB'zファンとして名高い成瀬選手とモメていた。時の流れは不思議なものだ。ちなみに全く関係ないが、00年初め頃の入場曲は、伊藤選手が「Calling」、長井選手が「バッコミ」、成瀬選手が「F・E・A・R」。

 大部分のお客さんは普通に見ているので、この試合のありがたみがわかってるのか!?とやきもきするが、案外、当人同士もそんなに意識していないのかもしれない。垣原選手との対戦が新日で実現したとき、間隔が開きすぎて、何だかよくわからない、と冨宅さんがインタビューで言っていたが、今回、長井選手も、ブログで似たようなことを言っていた。

 ところで、皆様は、選手のブログというものをこまめにチェックする方ですか。私は意外に、特別なことがない限り全く見ません。

 そんなことはどうでもいいが、蹴りと関節技が主体の、ありがたみのわかるファンを喜ばせる試合運び。長井選手が陸牙からの片エビ固めで勝った。残念だったが、この試合が見られて嬉しかった。今までの冨宅さんの貴重な歴史があるからこそだと思う。

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 私が「竹村豪」という名前だと思い込んでいた竹村豪氏選手VSクォーターメイン選手、後藤達俊選手VS青柳政司選手あたりから、場外乱闘が多くなる。クォーターメインという名前で連想したわけじゃないが、ふと思ったが、「ダブルメイン」て何だろう。リングを二つ並べて同時にやるならともかく、先にやる方をセミじゃなくてこれもメインだと言い張る根拠は何だ。気持ちの問題か。それなら、私は、第二試合の冨宅さんの試合がメインだ。そんなの言い出したらキリがない。レコードは、裏も表もないから、「両A面」というのもアリだったが。

 場外乱闘になると、ちびっ子が喜んでワーワー集まり、後藤選手に「危ないぞ」と脅かされてキャーキャー逃げていた。カワイかった。
 後藤選手と青柳館長が同い年だと聞いてにわかに信じられず、帰って選手名鑑で調べたら、ホントに同い年だった。青柳館長は、マイクで、「俺らは同級生だ。俺は優等生だったが後藤はワルだった」「俺は生徒会長だったが後藤は掃除当番だった」と言っていたが、私の学校には掃除当番がなかった(全員もれなく掃除)のでよくわからないのだが、掃除当番というのは、成績の優劣にかかわらずやるもんじゃないのか。関係ないが、最近の小学生は、学期初めに、お母さんの縫ってくれたぞうきんを学校に持って行ったりしないのか(関係なさすぎだろう)。「買った方が早い」とか、そんなこと悲しいこと言わないでよ。

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 休憩時間、藤波選手が物販にいることは知っていたが、ヲタの性で近寄ると何か買ってしまうので、自重して席でブログを更新していた。アナウンスの女性が、「只今、竹村選手が売店に到着いたしました。グッズお買い上げの方にサインをいたします」と、選手が売店に到着するたび、逐一場内に知らせてくれる。耳をそばだてていたが、冨宅さんの名前が出なかったので、座り続けていたが、暇になり、吸い寄せられるように行ってみる。

 すると、冨宅さんがいらっしゃるじゃありませんか!!!せっかくなのでミッションTシャツを買わせていただくが、Lサイズしかなかった(Lしかない旨は冨宅さんに確認済)ので、順調に引き出しの中に眠っている。「保存用」だからそれでいいのだ。意外にも、普通のミッションTシャツを買うのはこれがはじめて。冨宅さんと写真も撮らせていただき、大変楽しい今治大会となった。

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 メインは、藤波・西村組VS、吉江豊・グラン浜田組。藤波選手は、この前日、3500試合出場を達成し、今日が記念すべき3501試合目。三本勝負。三本勝負を見るのははじめてだ。
 グラン浜田選手も久しぶりに見るので懐かしい。私はこの前日、藤波選手が3500試合出場を達成した頃、愛媛大学医学祭で吉本お笑いライブを見ていたが、ちょうど十年前、同じ医学祭の同じ体育館でみちのくプロレスを見て、グラン浜田選手と一緒に写真を撮らせてもらった。
 嵐選手が、昨年の事件から活動を自粛している中、手弁当で無我の裏方を手伝っている、と週プロで読んだ。今回、それが認められたのか、藤波選手から、セコンドにつくことを許可されたらしい。嵐選手にとっては喜ばしいことかもしれないが、私の席は藤波・西村組のコーナー前で、お二人のガウン姿の写真が撮れる!と思っていたら、目の前に嵐選手がいて、それがまたデカイので、全く撮れなかった。

 一本目、吉江選手の、豊満な肉体を駆使したダイビングボディプレスで吉江組が先取したが、二本目は西村選手が取り、三本目は藤波選手がドラゴンスリーパーで取った。数ある技の中で、ドラゴンスリーパーは、脇の下に顔を挟まれるから一番ツライ、と某選手が言っていた。

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 試合終了後、藤波選手の挨拶。無我のテーマソングを歌っている方も帯同していて、リング上でギターの生演奏と生歌。そして写真撮影。全選手がリングに上がり、四方を向いて写真を撮らせてくれるのだ。嬉しかった。藤波選手の人柄か、スタッフの方も親切だし、とても温かい感じの大会だった。

 帰るとき、出口に藤波選手がいて、ファンに囲まれている。藤波選手の3500試合記念Tシャツは、休憩時に完売したとアナウンスがあったが、まだグッズを買ってサインを求めるファンがたくさんいた。そしてなぜか、冨宅さんがグッズを袋に入れていた。

 幸せな気分でテクスポートを出、15分ほど待つと、叔母と従妹が車で迎えに来てくれた。叔母は世代的に、藤波選手の名前は知っている。まだ駐車場に無我のバスがあって、選手が帰っていないと知ると、叔母は「藤波さんが見たい」と言い出し、ずんずんテクスポートの中に入って行く。私と従妹は、恥ずかしいからと止めたが、テクスポート職員も叔母の知り合いだったりして、別に止められもせず、もうお客さんは誰もいないテクスポートの中に入ると、会場内はあとかたづけをしていたが、ロビーでは、藤波選手や吉江選手が、豊満な肉体もあらわに、リラックスした表情で話をしていた。
 叔母はそれを見て興奮していたが、私は気が気じゃなかった。もう、試合が終わって30分近く経っているのに、こんなところで冨宅さんに会ってしまったら、出待ちどころかストーカーと思われやしないか。まだこんなとこウロウロしてたのかと思われるのはイヤだ。が、とりあえずトイレに行って帰ってくると、二階から階段を下りてきた冨宅さんとバッタリ会ってしまう。会いたいときにはどこでどんだけ待っていても会えなかったりするのに、会いたくないときに限ってこんなものだ。しかも、叔母も従妹も、本物の冨宅さんを見るのははじめてだが、私と一緒に撮った写真は山ほど見ているので、「あ、あの写真の人や!」的な、「あーーーーっ!!」という声が出た。冨宅さんも驚いていたようだ。死ぬほど恥ずかしかった。ごめんなさい。

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 この試合の前後から、久しぶりに週プロを買う。この試合の載った号には、選手のプライベートルーム公開特集があったが、鈴木鼓太郎選手の部屋の超デカイガンダム(しかも「シャア・アズナブル/池田秀一より 鈴木鼓太郎さん江」という札つき)より、植松寿絵選手の部屋のすみに骨壺があるのが気になって仕方ない。記事や見取り図では一切触れられていないが、ドッグフードとお線香が供えてあるので、愛犬の遺骨だろう。植松選手がもう少し後ろに座れば写らないのに。ドン引きしたじゃないか。
 でも、その気持ちはわかる。私も、うちの猫が死んだら、部屋に置いておくと思う。「剥製にして置いとく」と親に言ったら、冗談なのにビックリするほど叱られた。
 聞くところによると、剥製は、とても制作料が高いらしい。ライオンの剥製とかになると、100万は下らないそうだ。以前、博物館に勤めていたとき、「今年度の予算が無くて剥製にできない」という理由で、珍しい鳥の死体が、翌年度まで、事務室の、普通に皆がお茶とか入れている冷蔵庫の冷凍室に入っていたことがあった。


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