04.6.8 新日今治

 今年になって、夢のようなことが次々実現する、と前回書いたが、あと一つ残った私の夢は、冨宅さんが地元で試合をしてくれることだった。しかしこればかりは無理だろうと思い、今月こそおとなしくしていようと思っていたところ、冨宅さんが、新日本のシリーズ「BEST OF THE SUPERJr Y」の、後半から参戦することが決まったという。しかも、後半の会場は、中・四国地方で、6月8日には、私の住む愛媛県松山市の、隣の隣の市、今治市(いまばりし)で試合がある。こんな嬉しいことがあるだろうか。平日でも大丈夫だ。私の母の実家は、今治市のすぐ近くの村にあるのだが、叔母(母の妹)が、知りあいのスポーツ用品店でチケットを買っておいてくれた。ちなみに、98年のロスツアーに、だまして連れて行った従妹のユキは、この叔母の娘だ。

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 何気に、地元では、何年もプロレスを見ていない。当日は、そわそわして、仕事が手につかなかった。通勤電車の中でも、OLらしい女性の、「今日、今治でプロレスの日やろ?うちの支店長が、3時から有休取って行く言よったよ」などという会話が耳に入る。上記の叔母は幼稚園に勤めているが、ご父兄の中にも、有休を取って見に行く人がいるらしい。今治人なら休まなくても行けるのに、と思ったが、この日の昼、今治国際ホテルで天山選手のトークショーがあったので、それもセットで見ようと思えば休まなければならない。年に一度の新日巡業を心待ちにしている地方ファン(私もだが)の様子がうかがえる。
 試合開始は6時半だったので、5時25分にJR松山駅を出る特急に乗らなければならず、5時に、職場の裏までタクシーに来てもらい、終業のチャイムと同時に出た。銀行の制服を着たままだ。特急の車内で着替えようと思っていたが、乗ったとたんに熟睡したので無理だった。叔母が、JR今治駅に迎えに来てくれ、テクスポート今治まで車で送ってくれた。結局、会場まで制服で行ってしまい、めんどうで、制服のまま観戦しようかと思ったが、知っている人が見れば、今治支店の者だと思われるのは確実で、支店に迷惑がかかってはいけないので、どこかで着替えることにした。叔母はチケットは持っていないのに、「こっちに、トイレか何かあるんじゃないん〜」と言いながら、どんどん会場に入ろうとし、入り口にいた木村健悟に、「いらっしゃい!」と言われ、私が慌てて引き止めた。結局、テクスポートの前のスーパーのトイレで着替え、開始時間ギリギリにすべりこんだ。

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 BEST OF THE SUPERJrを見るのは、97年に、愛媛県の南端、宇和島市営闘牛場まで見に行ったとき以来だ。そのときのJrには、ドクトル・ワグナーJrやチャボ・ゲレロJrやスコルピオJrが出ていて、Jrまみれだった思い出がある。私がパンクラスを初観戦したのが、その少し前で、弟へのおみやげに、パンクラスTシャツを買って帰ったが、あとになって、それが惜しくてたまらなくなった。あげた物を返せとも言えず、宇和島市営闘牛場で、当時飛ぶ鳥を落とす勢いだったNWOのTシャツを、並んで買い、先のパンクラスTシャツと交換してもらったのだった。闘牛場なので、リングサイドの周囲は、牛の暴走を防ぐコンクリートの柵があって、私は、後方で安心して観戦していたが、NWOスティングは、柵をも乗り越えて場外乱闘していたので怖かった。
 そんなことはどうでもいいが、今回のBEST OF THE SUPERJrには、ウルティモ・ドラゴン選手がエントリーしていたので、長い怪我との闘いを克服したウルティモ選手の試合が見られると思って楽しみにしていたら、対戦相手のカレーマンが肩を痛めて欠場、ウルティモ選手は不戦勝になってしまった。残念だ。先月、後楽園ホールではじめて見た、中嶋勝彦君もエントリーしていて、この日はロッキー・ロメロと試合をしていた。

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 垣原選手は、SUPERJrのリーグ戦で、アメリカン・ドラゴンと対戦。先月の、13年ぶりの冨宅さんとの試合後、「SUPERJrはUWFをテーマに闘っていく」と語っていたが、先月のように、UWFのテーマ曲で入場してきた。愛媛では、浸透度が今ひとつで、あまり手拍子が起こらなかったのは残念だったが、垣原選手は愛媛出身なので、声援はとても多かった。
 アメリカン・ドラゴンは、先月の後楽園とはおもむきの違うニューコスチュームで、その、ワイン色のベルベット調の、貴族っぽい雰囲気が、私に、あるアメリカのレスラーを連想させたが、その名前が思い出せず、試合中、そればかり気になっていた。「○○三世」という名前だったはずだと、記憶の迷路に入り込んでいたが、結局、それは、ロード・スティーブン・リーガルだった。垣原選手は、先月冨宅さんを破ったヘッドロックなどで、あと一歩のところまでアメリカン・ドラゴンを追いつめたのに、敗れてしまい、残念だった。
 成瀬選手は、この日は試合はなかったが、ずっとセコンドにいて、リング下の若手選手にいろいろ指示を出したり、かいがいしく働いていた。以前パンクラスにいた石井大輔選手のことを、私や友達は「セコンドキング」と呼んでいたが、それに勝るとも劣らないセコンドぶりだった(写真は、垣原選手を介抱する成瀬選手)。お嫁さんにしたい男子レスラー(何だよそれ)第一位に選ばれるのもうなずける。

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 リーグ戦で、岸和田愚連隊・“ビッグボス”MA−G−MA選手と、金本選手の試合もあった。いつもデルアリで見ているMA−G−MA選手を、地元で見るのは、何だか変な感じだが、金本戦という重要な試合を見られるのは、嬉しいことだ。SUPERJrへの参戦が決まり、「5kgダイエットする」と宣言したことは記憶に新しいのに、この日見たところでも、全く変わっていないように見えたが、そんなことはどうでもいい。
 金本選手は、愛媛でも爆発的な人気だったが、MA−G−MA選手への声援も、意外に多かった。テクスポートの駐車場に、関西ナンバーの車も多かったが、まさか、海(しまなみ街道)を渡って、MA−G−MA応援団が来ていたのだろうか。金本選手とMA−G−MA選手は、入場するやいなや、Tシャツ姿、愚連隊法被姿のまま、乱闘になった。そうしながらも、ファンサービス精神旺盛な金本選手は、Tシャツを脱ぐと、客席に投げ入れることを決して忘れない。
 MA−G−MA選手は、金本選手を攻め立て、MA−G−MA応援団の声援に応えて、金本選手の膝を、リングの鉄柱に叩きつける。さらなる声援に気を良くしたMA−G−MA選手は、「もいっちょぉーー!!」と、金本選手の股間を鉄柱に打ちつけ、金本ファンの女性の悲鳴が、テクスポートに響いた。
 金本選手の反撃を期待する声援は、大きくなる一方だったが、MA−G−MA選手も一歩も引かない。コーナーに登った金本選手に、MA−G−MA選手は、ラストライドをかけようとしたが、かわされた。ラスト一分ぐらいで、金本選手が、MA−G−MA選手の足関節を取ったが、MA−G−MA選手はギブアップせず、20分フルタイムで時間切れになった。

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 テクスポートは、私は、何気にはじめてなのだが、満員だった。休憩時間、トイレに行こうとしたが、ロビーが混雑していて、どこだかわからず、トイレに並んでいる人の列だと思って、天山選手のサイン会の列に、しばらく並んでいた。肢体不自由児施設の人達が、招待されて来ていた。今治にプロレスが来ると、大抵、招待してくれるそうだ。
 冨宅さんは、休憩後の第六試合、鈴木選手とのタッグで、柴田勝頼・村上和成の、魔界倶楽部組と対戦だ。今治で、冨宅さんと鈴木選手のタッグが見られるなんて、本当に不思議な感じがする。今治で、「風になれ」を聞くなんて、何だか夢みたいだ。
 冨宅さんは、出ようとする鈴木選手を押しとどめ、先発で出た。リング上にいる四人のうち、冨宅さんを除いて全員人相が悪く、こんな人達と、レスラーだと知らずに夜道で会ったら、たとえ自意識過剰な女だと思われようとも、とりあえず逃げるだろう。冨宅さんは、あっという間につかまり、二人がかりの攻撃を受ける。鈴木選手が、冨宅さんを助けようとリングに入ろうとすると、レフェリーが止めるのに、魔界の二人攻撃は見ていないのだ。思えば、金本選手とMA−G−MA選手の試合のときも、MA−G−MA選手が、金本選手の顔面を攻撃したら、レフェリーは止めるのに、金本選手の顔面ウォッシュはオッケーなのだ。そんなことに目くじらを立てていたら、天龍のグーパンチはどうなんだとか、大人気ない問題に発展するので、何も言わないが、冨宅さんは、テクスポートの外まで蹴る音が聞こえるんじゃないかと思うくらい、蹴りまくられていた。
 鈴木選手のイライラは頂点に達したらしく、ようやくリングに入れると、冨宅さんが、「そいつはおれが」と介入しようとするのを、「おまえはひっこんでろ」と突き飛ばし、冨宅さんは、2mぐらい飛ばされていた。挙句の果てには、鈴木選手は、手首のテーピングをはがして、柴田選手の首を絞め、反則負けになった。鈴木選手は、「やってられねえよ、こんなのよ!!」と怒りながら帰って行った。大変恐ろしく、悲しい愛媛大会となった(嘘だが)。

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 矢野選手の馬之助スタイルのことは、前回も書いたが、この日は、ライガー選手とタッグで、棚橋選手・吉江選手と対戦。矢野選手が試合中飲んでいる日本酒は、「実は水なんやない」と思っていたのだが、私の席がコーナー近くだったため、矢野選手がコーナーに置いた酒瓶を取って口にふくむと、ものすごい酒の匂いがただよってきた。本物だ。矢野選手は、ライガー選手が、ヘロヘロになってタッチを求めると、「ライガーさん、今がチャンスですよ!」と、鬼嫁のようにさらに働かせ、相手をつかまえて、「ライガーさん、ヘッドバット!」と求めては、相手を離してしまい、ヘッドバットを空振りさせるなど、意味不明な行動が多かった(写真手前は、自身のヘッドバットでダメージを負ったライガー選手)。試合終了後も、ライガー選手に、コーナーに登ってポーズを取らせ、後ろから攻撃するなど、「大阪プロレスか」と思うような動きだった。矢野選手がどこへ向かおうとしているのか、よくわからないが、とりあえず見守っていきたい(見るだけだが)。
 メインは、真壁選手・天山選手・永田選手組と、蝶野選手・健介選手・中西選手組の試合。先月の後楽園ホールは、天山選手・永田選手クラスの選手が出ていなくても、満員だったが、やはり地方では、まだまだ、一番人気は蝶野選手だ。
 健介選手は、いつの間にか、息子(中嶋君)連れで出戻ってしまったが、中西選手は、それが許せないのか、仲間割れしまくり、蝶野選手が止めていた。仲間割れが原因で負けてしまうと、リング下でも、しばらく乱闘していた(左写真中央は、乱闘を止めに行く成瀬選手)。蝶野選手のヤクザキック、中西選手の野人ダンス、天山選手のモンゴリアンチョップの「シューーー!!」など、安定感のあるネタが満載で、地方ファン大喜びのメインではあった。
 それから、9時44分の特急で、松山に帰った。平日、仕事が終わってから、冨宅さんの試合を見て、そのまま家に帰れるなんて、本当に有難い。ただ、私は、冨宅さんの試合のときは、いつも「非日常モード」になっているので、こんな、日常の延長の試合に冨宅さんが出ていると、気持ち的に折り合いがつかなくて変だった。

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☆☆おまけ☆☆
 昔懐かしい宣伝カー。鈴木選手の名前も、ちゃんとあります。グッときます。シリーズ中、三試合しか出ない(もちろん今治には来ない)天龍選手の名前を載せているのはどうかと思いますが。 


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