04.5.13 新日後楽園

 今月は、お金もないし、試合には行かない、冨宅さんと垣原選手の試合が実現すれば別だけど、と思っていた。すると、その、今まで待たれながら実現しなかった、伝説の試合が実現してしまうのだから、本当にわからないものだ。今年になって、鈴木選手とのタッグ等、夢のようなことが次々実現する。嬉しくて怖いぐらいだ。
 平日なので、困ったが、これに行かないなら、もう、今年一年、行く試合はないだろう。当然行くことにして、飛行機の切符を買った。ホテルと飛行機のパック旅行の申し込み期限が、出発の十日前までになり、この試合を知ったのが五日前だったため、申し込めなかった。はじめて、金券ショップで、飛行機の切符(株主優待券)を買ってみた。このことが、後で重要になる。友達が、親切にも泊めてくれることになった。
 前回上京したのは、4月11日、バトラーツだが、その翌日、仕事を休んだ際、上司に「休みすぎ」だと説教されたので、悩んだあげく、職場の女性達に相談し、いろいろと意見が交わされた結果、「病欠」それも、当日の朝職場に電話するのが、オーソドックスだがベスト(何がベストだ)ということになった。こんなことははじめてなので、朝、ドキドキしながら電話した。電話してしまうとホッとして、二度寝してしまい、あやうく飛行機に遅れるところだった。これも、後で考えれば何かを暗示していたようだ。

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 羽田には昼すぎに着いた。水道橋に着いたのが3時すぎで、後楽園ホールに行ってみると、当日券の発売が4時からだったので、並んで待った。チケットが買えるとホッとして、例によってラクーアに行った。またしてもムーミンカフェに行った。行きすぎだ。下手な東京人より行っているかもしれない。前回、バトラーツの前に行ったときは、ランチタイムだったので、「ムーミンママのパンケーキ」を食べたかったのに食べられなかったのだが、今回、それにリベンジを果たした。とてもおいしかった。これでもう、ムーミンで思い残すことはない。一段落した感がある。今回、ニョロニョロ(店員)を、ついに発見したので、それも一段落感に拍車をかけている。ニョロニョロは、女性で、あまり愛想がなかった。まあ、本物のニョロニョロは無表情なので、それでいいのかもしれない。

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 ホールに行き、パンフなど買っていると、坂口征二自伝「やっちゃるけん!」の発売を記念して、坂口御大のサイン会がはじまった。本を買うつもりはなかったが、「荒鷲だ、荒鷲だ」と嬉しがりながら、サイン会を見に行った。
 今回の大会は、普通のシリーズの試合ではなくて、よくわからないが「営業推進室特別興行」だそうで、「闘魂最前線」と名前がついている。天山選手や永田選手などは出ておらず、若手や、他団体の選手が多い。門馬選手も出ている。
 ファンサービスも多かった。ファンクラブから選ばれた人がリングに上がって、選手にメッセージを送ったり、「リングアナ体験」として、金本選手などをコールしたりした。新日旗揚げ以来、全ての後楽園大会を観戦しているという女性(北海道在住)が、表彰されていた。まだ見ぬ強豪ファンが世の中にはいるものだ。永田選手は、その表彰式に姿を現し、表彰状や花束を渡していたが、段取りを全く把握しておらず、ケロちゃんに叱られていた。
 試合開始前、私の前列の女性達が席をはずしたとき、外人が二人、その席に座ってしまい、「何でやろ?」と、興味津々で見守っていると、女性達が帰ってきた。言葉も通じず、困った女性達は、係員を呼んできて、あれこれあったが、その外人が持っていたチケットは、招待席らしく、その席番(手書き)に、何かの手違いがあったらしかった。そんなことも忘れかけた休憩明け、ジャングルファイトを誘致しようとしている、どこか忘れたが中米の国の大統領の息子が、リングに上がって花束をもらった。それはまさに、席をまちがえたあの外人だった。

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 第一試合では、NOSAWA選手とMASADA選手という、私がはじめて見る二人が、邪道選手と外道選手がイイ人に見えるほどのラフファイトを繰り広げていた。最後に、竹村豪氏が乱入してきたのだが、私は、つい最近まで、この人を、「竹村豪」だと思っていた。最後の「氏」は、「ビンラディン氏」とかの「氏」だ。全てのプロレスラーの中で、なぜ「竹村豪」にだけ「氏」をつけるのか、という疑問は、私の中には生まれなかった。ビンラディンは、犯罪者なのに、なぜ「氏」をつけるのか、という疑問なら、ずっと前に生まれていたが。
 第二試合では、長井選手と矢野選手が対戦していた。矢野選手は、昨年のパンクラス十周年大会で、渋谷選手と対戦した人だと思うのだが、金髪に番傘、ゲタ、という、馬之助スタイルで、あのときとはほぼ別人だ。矢野選手は、長井選手がイイ人に見えるほどのラフファイトを繰り広げていた。最後は、番傘で長井選手を殴りまくり、止めたレフェリーにも襲いかかったので、反則負けになった。
 私が最近、ずっと注目している「長井・成瀬劇場」だが、この大会前、成瀬ファンクラブのイベントに、矢野選手が乱入して、成瀬選手に、セコンドについてくれと要望したらしい。その後から長井選手も乱入し、「何で、ファンクラブ会員番号1番のおれを呼ばないんだ。おれだって、ボウリングや、こんなイベントに参加したいんだ」と怒りながら、やはり、成瀬選手にセコンドについてくれと要望したらしい。長井選手が、成瀬ファンクラブの会員番号1番だったというのも衝撃事実だが、板ばさみになって悩んだ成瀬選手は、どちらのセコンドにもついておらず、試合終了と同時に現れて、リング上に倒れた長井選手をかいがいしく介抱した。長井選手は、我に帰ると、成瀬選手を邪険にふりほどいて、帰ってしまった。一人残された成瀬選手は、さびしそうに、両手の人差し指を、「つんつん」していた。女性ファンに「カワイイ〜」とか言われようとしてないか。確かにカワイイが、だまされないぞ(何をムキになっているのか)!

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 休憩前の第五試合が、冨宅さんと、垣原選手の試合だった。垣原選手は、UWFのテーマ曲で入場してきた。
 正直、私は、UWFを知らないので、その頃から冨宅さんを見ている人ほどの思い入れは、持とうにも持てず、持てる人が羨ましいのだが、冨宅さんも垣原選手も、お互いデビュー戦の相手なこと、袂を分かったあとのいろいろなこと、冨宅さんがミッションに移籍して、こうして13年ぶりに試合ができるようになったこと、垣原選手は去年、「ジャガーになる」と、意味不明なことを言っていたが、あれは何だったんだろうとか、いろいろ考える。冨宅さんは、試合後のインタビューで、「久しぶりすぎて戸惑った」「ボーッとしていた」とおっしゃっていたが、そうだろうと思う。冨宅さんは、「UWFにはこだわりはない」とおっしゃっているし、それはよくわかる。でも、きっと、この対戦は嬉しいことだと思うので、私もそれが嬉しい。だからこうして見に来たのだ。
 試合開始直前、リングサイドに長井選手が現れて、見ると、白と黒のシマシマの、新日レフェリースタイルだ。長井選手は、マイクを握ると、「おまえらが13年ぶりに試合するっていうのに、レフェリーが浅見じゃ締まらないだろう。おれがやってやる」と言ったので、客が沸いた。同じ年にUWFに入門した三人が、こんな形で揃うとは。あとは、田村潔司がリングアナでもやってくれれば完璧だ。長井選手は、本部席の、白いポロシャツがまぶしい山本小鉄に了解を求め、無事レフェリーに納まると、冨宅さんと垣原選手のボディチェックもし、冨宅さんが、垣原選手をロープに押し込むと、すぐに二人を分け、魔界倶楽部とは思えないきちんとしたレフェリングだった。垣原選手が、ロープに逃れた冨宅さんを、なかなか離さないと、長井レフェリーが引き離し、「おまえ、ひねくれたことやってんじゃねえよ!」と叱った。垣原選手は、「おまえに言われたくない」とつぶやいていたが、それも道理だろう。
 私の隣に、父親に連れられた、幼稚園ぐらいの男の子がいて、試合ごとに、「こっちがイイ者」「こっちが悪者」と判断を下し、「イイ者」を熱心に応援していた。一番熱心に応援していたのは、マスクのかっこいいガルーダ選手で、持っていた光線銃のおもちゃで、必死に、相手のサムライ選手を撃って、ガルーダ選手のピンチを救おうとしていたのが可愛かった。その子が、冨宅さんと垣原選手ではどっちを応援するんだろう、と、私は興味津々で耳をすましていたが、父親が、「どっち応援する?」と聞くと、その子は、「あの、シマシマの人」と言っていた。長井かよ。レフェリーだよ。
 試合は、打撃戦のあと、関節技の応酬になった。7分すぎ、ヘッドロックで、垣原選手が勝った。冨宅さんは、垣原選手と握手をし、手をついて礼をした。垣原選手が、冨宅さんの手を上げると、冨宅さんは、客席に向かって何か叫んでいた。ありがとう、と聞こえたが、私の耳はザルなので、よくわからない。以前、近藤選手が私に、「新日見ましたか」と言ったのが、「シジミですか」と聞こえて、話が噛みあわず困ったことがある。
 長井選手は、握手を求めて近づいて行った冨宅さんと垣原選手をつきとばして、帰ってしまった。ありがとう、長井選手。ミッションを作ってくれた鈴木選手をはじめ、いろいろな人にお礼を言いたい気分だ。

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 休憩明け、鈴木みのる・タイガーマスク組と、佐々木健介・中嶋勝彦組の試合。二年前、パンクラスで実現するはずが流れてしまった鈴木選手と健介選手の対戦が、こんな形で見られるのは、不思議な気がする。
 鈴木選手と健介選手のカラミは、すごい迫力だった。「超新星」こと、16歳の中嶋君が見られたのも嬉しかった。中嶋君が、ロープブレイクでレフェリーに分けられても、離れ際、蹴りや張り手を出すと、客が沸いた。16歳とは思えない体つきだったが、16歳だけあって肌がキレイだなあと、しみじみ羨ましくなる。16歳だからといって肌がキレイとは限らないのは、松井(現ヤンキース)の高校時代を思い出せばわかるが。しかし、中嶋君は、鈴木選手や健介選手の、半分も生きていないのだ。冨宅さんと垣原選手の試合が、13年ぶり、その頃中嶋君はまだ3歳だったのだ。それを考えると、何だかすごい。冨宅さんってすごいなあと、また、小学一年生レベルの感想を持つ。
 鈴木選手は、威風堂々という感じで、中嶋君をあしらい、最後は、スリーパーで仕留めて勝った。あまりに力の差がありすぎて、子ども相手に大人気ない感じもした。

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 岸和田愚連隊・“ビッグボス”MA−G−MA選手と、ライガー選手の試合もあった。大阪プロレスで、冨宅さんと抗争を繰り広げたMA−G−MA選手ではあるが、こんなところで見ると、ついつい応援したくなる。MA−G−MA選手は、「ベスト・オブ・ザ・スーパーJr」への参戦が決まり、「5kgダイエットする」と宣言したが、この日見たところでは、全く変わっていない。
 MA−G−MA選手は、ライガー選手が入場してくると、即座に襲いかかり、リング外の、柵の外まで引きずって行って、客席のパイプ椅子の中に叩きつけた。二人ともパイプ椅子を持って、椅子で殴りあいになった。リングに戻ると、MA−G−MA選手は、ライガー選手のマスクを破ってしまう。ライガー選手の中の人が丸見えになった(中の人などいない!)。
 ライガー選手は、それでキレたらしく、MA−G−MA選手のマスクを破り、流血させる。大阪プロレスで、MA−G−MA選手が誰かのマスクを破ることはあっても、破られるところは見たことがないし、流血なんかありえない。ライガー選手は、完璧に「悪いライガー」になっていて、MA−G−MA選手の頭部に噛みついて、口に入った血を、赤い毒霧のように、天井に向かって吹き上げた。そんなことをして、もしMA−G−MA選手が悪い病気を持っていたら、伝染ってしまうのに、と心配になった。ここはライガー選手のホームだが、MA−G−MA選手への声援も意外に多く、「大阪の意地見せてや!」という声も飛んだ。私も同じ気持ちだったが、MA−G−MA選手は惜しくも敗れてしまった。
 セミは、Jrのタイトルマッチで、ヒート選手と、真霜拳號選手の試合。「ましもけんご」という名前に聞き覚えがあると思ったら、先月のバトラーツに出ていて、桂スタジオで見たのだ。二か月続けて偶然見るとは、もう、真霜拳號ファンだと言っても過言ではないだろう(過言だよ)。真霜選手は、頑張っていたが、ヒート選手に敗れた。メインは、棚橋選手に、田口選手が挑戦する、U−30タイトルマッチだ。三十歳以下限定、という、存在意義が不明なベルトだが、冨宅さんも鈴木選手も、どんなに頑張っても挑戦できないことを考えると、何だか羨ましい気もする。

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 その夜は、友達の家に泊めてもらい、翌朝、7時25分の飛行機に乗るために、5時に起きた。が、二度寝してしまい、支度に手間取り、5時半に友達の家を出るつもりが、6時近くになってしまった。浜松町に着いたのが6時45分で、モノレール乗り場での航空券のチェックインも、出発の50分前までなので、すでに終了しており、ヤバイなあとは思ったが、まあ大丈夫だろうと羽田に行った。当然、ちっとも大丈夫ではなく、職員の方は、気の毒そうに、「もう、皆様おそろいですので」と言った。私がそろってないのに。
 飛行機に乗り遅れるのは、97年のNKホール大会以来だ。ホテルと飛行機のパックだと、予約変更するには、一度切符を払い戻して、正規の値段で買いなおさなければいけないが、今回は、株主優待券だったので、そのまま便をずらすことができて、ホッとした。松山空港に着いてから、「様子見て、一時間ぐらい遅れて行きます」と、職場に電話する予定だったのだが、羽田から、「様子見て、昼から行きます」と電話する羽目になった。羽田では、ひっきりなしに、「全日空○○○便で、札幌へご出発のお客様〜」などとアナウンスが入るので、万が一聞こえてはと思い、アナウンスの合間を見て電話するのが大変だった。
 9時25分の飛行機で帰り、そのまま仕事に行った。「お家に帰るまでが旅行です」という言葉はよく聞くが、私は、「家を出る前からが旅行です」という気がする。どうも、家を出る前にバタバタすると、その旅行の間、常に、時間ギリギリであせっているような気がする。もう、飛行機に遅れることなどないよう、時間に余裕を持って行動するようにしたい。ちなみに、97年のNKホール大会の翌日、なぜ遅れたかというと、はじめてNKに行ったときで、NKは千葉にあるということしか知らず、千葉市内にホテルを取ってしまい、羽田までが予想以上に遠かったせいだ。あの頃は、本当に何も知らなかったなと、今になって思う。NKでお会いしたパンクラス後援会の方に、千葉に泊まると言うと、「黄色い電車」(総武線)に乗るんだよと、言い聞かされたことが懐かしい。やっていることは、当時とあまり変わっていないのだが。


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