04.4.11 石川屋興行桂スタジオ 

 昨年末の、DEEP・SAEKI祭り以来の上京になった。そのSAEKI祭りで、冨宅さんは石川選手とタッグを組み、それが縁で、この日の対戦が実現したのだから、その流れを目撃した者として、感慨深いような、そうでもないような気持ちだ(何だよ)。藤原組時代から、冨宅さんを見ている人にとっては、本当に感慨深い試合だろう。
 なぜか後楽園ホールで行なわれると信じこんで、行くことに決めたが、桂スタジオと知り、はじめて聞くので、とまどった。ネットで調べてもわからない。そもそも、ネットのやり方がよくわからないので、検索にひっかかるものの中で、役に立たないものばかり選んで見てしまう。最初に見たHPに地図が載っていたので、後でまた見ようと思ってほうっておいたら、ページが検出できなくなっていた。東武伊勢崎線の「蒲生」(がもう)という駅で降りればいいことだけはわかったが、駅から遠いらしいので、途方に暮れて前日に友達(國奥ファン)に聞くと、友達は、JWPのHPに載ってた、といって、道順を教えてくれた。うれしかったが、道順がわかったからといって、着けるとは限らないところが、方向音痴の恐ろしいところなので、まだ安心はできなかった。

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 4月10日から5月10日までの期間限定で、羽田から、モノレールで浜松町に出、浜松町から山手線にどこまで乗っても500円、という切符が発売されていた。モノレールだけでも470円なので、これは安い。それを買い、久しぶりにモノレールに乗る。景色がきれいだった。
 最近、上京するとラクーアに行くのが恒例になっているが、今回も行った。水道橋は総武線で、山手線ではないから追加料金がいると思い、駅員さんのいる改札に、前述の切符を出したが、そのまま通してくれた。「水道橋は、なんとなく山手線ぽい」から大丈夫なのかと思って納得したが、もちろん、そんなあいまいな感覚の問題ではなく、山手線圏内の中央線と総武線は、その切符で行けるのだと、後で知った。
 ラクーアのムーミンカフェで友達と会い、「ムーミンママのスープランチ」を食べた。ムーミンカフェでは、店員さんが、胸に名札をつけているが、たまに、本名と一緒に、ムーミンキャラクターの名前が書いてある人がいる。本名だけの人もいるので、ムーミンの人とどう違うのかわからない。ムーミンの人が正社員、本名だけの人がバイトなのだろうか。正社員は、入店と同時に、「あなたは今日からニョロニョロです」などと決められるのだろうか。昨年の11月に行ったときには、スナフキンがレジを打ってくれたが、今回は、ムーミンを発見した。ムーミンは、愛想のいいウェイターで、我々が半笑いで見るのを、用があるのかと思うらしく、何度も目が合ったので恥ずかしかった。

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 一人で越谷市に行くのは心細かったので、友達を誘ったが、「遠い」等の理由で、誰も来てくれず、一人で行く羽目になった。「蒲生」って何て読むの、と、生まれたときから埼玉に住んでいる友達に聞かれた。
 水道橋から秋葉原に行き、地下鉄の日比谷線に乗り換えた。そこから乗り換えなしで、東武伊勢崎線の北越谷の方まで行けるわけだが、それがどうなっているのか、いくら考えてもわからない。秋葉原を出たときは地下鉄だったのに、今は地上を走っている。越谷市の人も、愛媛県人に言われたくなかろうが、電車が走るほど、のどかさが加速していく。知らない間に眠っていたが、無事蒲生で降りることができた。
 蒲生は、小さな駅だったが、駅前にタクシーが二台いた。どうしても桂スタジオがわからなかったら、駅まで戻ってタクシーに乗ればいい、と思うと、勇気が出た。友達に聞いた道順では、蒲生駅の東口から出て、商店街に入り、信号を三つすぎると、産業道路に出る(出たとこの角はコンビニ)ので、右折して歩いて行くと、左側に桂スタジオがある(向かいは古本屋)、ということだった。こんなに懇切丁寧なメールをもらったにもかかわらず、よく読んでおらず、「商店街を抜けてから、信号を三つすぎる」と思いこんでいた。東口を出ると、すぐ、しょぼい商店街が見えたので、入ったが、その商店街を抜けても、別な商店街(GAMO SHOPPING)が現れる。間違いに気づいたときにはすでに遅く、自分がいくつ信号を通ってきたのか、もうわからない。駅まで戻るのもいやだったので、しかたなくそのまま歩いて行った。商店街の焼き鳥屋のおばさんに、産業道路はどこですか、と聞こうと思っていると、道端の金網のフェンスに、今回の興行のチラシの束がむすびつけられていた。これを天の助けと言わずして何と言おう。チラシを取って、裏の地図を見たが、さっぱりわからず、泣きたくなった(図参照)。「セブンイレブン」とか、「本だらけ」とか、桂スタジオが肉眼で確認できるほど近づかないと見えない店ばかり目印に書いてどうするんだよ。
 それでも、商店街をまっすぐ歩いて行くと、産業道路(推定)に出た。表示はないが、見るからに「産業道路」という感じ(この感じは言葉では説明できない)の道路だったので、間違いないと思った。角にはミニストップがあった。右折してまっすぐ歩いて行くと、桂スタジオが見えてきた。倉庫のような建物だった。結果的には、道に迷わないで着けたのだが、それでも、蒲生駅から25分かかった。

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 冨宅さんと石川選手の試合以外、全くカードを把握せずに来たので、心もとなかった。試合前、リングアナの方が、今日のカードを発表してくれたが、勉強不足で、知らない選手も多かった。試合は、全てバトラーツルールで行なわれるそうだ。私は、バトラーツは見たことがなく、バトラーツルールの試合を見るのは、97年の初夏、愛媛大学医学部祭に、みちのくプロレスが来たのを見に行ったら、アレクサンダー大塚が出ていて、その試合だけバトラーツルールで行なわれたのを見て以来だ。もっとも、私の言う、「○○は○○以来」というのは、痴呆がはじまりかけているので当てにならない。昨年六月の、稲垣さんの引退試合で、テコンドーの岡本選手を見て、「オリンピックのメダリストを見るのは、小学校の水泳教室以来」と、嬉しそうに書いたが、あれは、ZERO−ONEの小川直也がバルセロナ五輪のメダリストだということを忘れていたための間違いだ。
 第一試合には、金村キンタロー選手が出場した。チョコボール向井を見るのを楽しみに来たのだが、出場がなくなり、金村選手が代打出場。正直に白状するが、私はこれまで、金村選手が好きではなかった。詳しく知らないので、具体的にどうというのではなく、純粋にビジュアルの問題だ。しかしこの場では、とりあえず名前を知っている選手が出ただけで嬉しく、何だか、金村選手が好きになった。金村選手は、ブリブラダンスを踊りながら入場して来、その音楽が、一週間ほど耳について離れなくて困った。パンクラスファンの私が、ブリブラダンスを踊れる機会など、これを逃しては一生ないかもしれないので、一緒に踊りたかったが、一人ではあまりにも恥ずかしいのであきらめた。
 金村選手は、若手らしい、旭志織選手と対戦していた。私は、リングアナの方の説明を聞いても、右から左に抜けてしまったので、バトラーツルールを全く把握せずに見ていたが、それは金村選手も同じで、椅子や机を使った反則をくりかえしたあげく、何度もフォールにいこうとする。フォールでは決着しない旨、アナウンスがされると、金村選手は、「そんなことは、前もって説明しとけ」と、逆ギレしていた。金村選手は貫録勝ちして、試合後は旭選手の健闘を称えていた。
 黒田哲広選手も出場していた。金村選手にしてもそうだが、お客を盛り上げる手腕はさすがだと思った。
 セミは、TAKAみちのく選手と、臼田勝美選手のシングルだった。これは、二人とも知っているのでとても嬉しかった。

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 メインが、冨宅さんと、石川雄規選手の対戦だ。藤原組以来、10年以上ぶりということで、縁とは本当に不思議なものだ。
 石川選手は、DEEPのときのように、日本刀を持って入場してきた。前述のチラシの裏には、選手の紹介文が書かれていたが、それによると、石川選手は、蒲生小学校のPTA会長もつとめているそうだが、こんなPTA会長ってどうなんだろう。私は好きだが。
 冨宅さんと石川選手の試合は、何だかゴツゴツした感じになった。技の攻防が続いて、息をつく間がなかった。石川選手も、冨宅さんも、全く疲れを見せないのに、あまりに緊張が続いて、見ているこちらの方が疲れてきた。パンクラスばかり見ていたので、「30分一本勝負」という長丁場に慣れていないせいだ。石川選手が、冨宅さんにブレンバスターをかけようとし、冨宅さんが投げられまいとする場面では、明らかに、リング上の二人よりも、私の方がヘトヘトになっていた。冨宅さんは、足関節や、蹴りで、石川選手を追い込んだが、一本取るまでには至らなかった。すごく長かったような、でもあっという間の30分がすぎ、時間切れの引き分けになった。冨宅さんと石川選手は、リングに手をついて、健闘を称えあっていた。
 石川選手は、マイクを握ると、帰ろうとする冨宅さんに、
「冨宅さん、10年ぶりの試合、どうでしたか」
と呼びかけた。冨宅さんは、リングに戻ると、
「引き分けなんて、おれは全然納得してないから、もう一回やろう」
とマイクで言ったので、客がわいた。私も嬉しかったが、その試合を見るにはまた、この桂スタジオまで来ないといけないのかと思うと複雑だった。六月に、石川屋興行第四弾が、この桂スタジオで行なわれるので、石川選手との再戦にはまだ早いかもしれないが、冨宅さんの出場はあるのではなかろうか。

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 興奮を引きずったまま、蒲生駅まで帰った。考えてみれば、蒲生駅までの道は、曲がり角は一つしかないので、帰りはすんなり帰れた。蒲生からは、まっすぐ帰らず、少し遠回りして、南浦和まで出、友達(渋谷ファン)と会って、冨宅さんと石川選手の、リングでの再会に祝杯を挙げた。ホッピー(「関東にしかない、ビールに似た怪しい飲み物」として、「タモリ倶楽部」で紹介されていた)を飲んでみた。ホッピーはおいしくなかったが、素敵な埼玉の夜だった。

☆☆ おまけ ☆☆
 蒲生商店街にあった歯医者の看板。
 ス○ーピーとミッ○ー、USJとTDLのコラボ。グッときます。
 ちなみに、私が、最近まで、「コラボ」の意味がわからず、はじめて耳にしたのが、コカコーラのCMだったため、「コカコーラボトラーズ」の略だと思っていたことは、一部では有名な話だ。


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