04.3.18 新日長浜

 冨宅さんの大阪プロレス参戦も定着した昨今、「冨宅さんが、くいしんぼう仮面と対戦する」というだけで、死にそうなぐらい動転していた頃が、半年足らず前のことなのだが、ずいぶん前のことのように思える。「もう、どんなカードが組まれても、そんなに驚かなくなった」と思っていたが、そんな考えは甘かった。今度は、新日への参戦、それも鈴木選手とのタッグだという。鼻血が出るかと思った。試合は、平日の木曜日で、行ったこともない滋賀県の長浜市だというので、一度はあきらめようと思ったが、どうしてもあきらめきれず、行くことに決めた。
 「滋賀って、大阪からどのぐらいかかるんやろ」と、職場で聞くと、誰に聞いても「すぐよ」と言うので、私はますます意気を強くした。今にして思えば、皆は、県庁所在地の大津を指して言っていたのだろう。後でわかったのだが、長浜市は、滋賀は滋賀でも端の方で、岐阜や福井に近いらしい。少し後悔したが、すでに遅かった。
 いろいろな選択肢があったが、結局、昼から仕事を休んで、JRで行くことにした。JRで近畿地方に行くのは、本当に久しぶりだ。十年ぶりくらいかもしれない。時刻表を見て、いろいろ考えたが、さっぱりわからないので、JTBに行き、相手をしてくれた店員の方に丸投げしてしまった。五時半頃には長浜に着きたいと言うと、店員の方は、親切に乗り継ぎを調べてくれ、松山〜阪神の、JR往復フリー切符をすすめてくれた。おトクな切符だが、帰りもJRにすると、翌日の仕事を休まなければならない。その旨言って断ると、店員の方は、一瞬の沈黙ののち、「長浜で何があるのか知りませんが、大変ですね」と言った。

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 松山駅を12時15分に発つ「しおかぜ」に乗った。「しおかぜ」は、瀬戸大橋を渡って岡山まで行く。大方眠っていたが、瀬戸大橋を渡るときには目がさめた。海がきれいだった。眼下に、船が白く小さく見えた。
 岡山に14時57分着、15時22分発の「のぞみ」に乗り換え。新幹線も本当に久しぶりだ。十年ぐらい前、新幹線に乗ったときは、地元で三両編成の電車に慣れている私は、新幹線があんなに長いとは知らなかったので、適当な乗車口から乗って、自分の席まで歩こうとしたのだが、ものすごく遠く、車内を延々歩く羽目になった。今度はちゃんと、ホームの端に書いてある数字を確かめて乗った。すごい進歩だ。京都に16時25分着、16時40分発の「こだま」に乗り換え。米原に17時02分着、17時20分発の新快速に乗り換え。米原駅で、友達へのおみやげに、「京都限定・新撰組キティちゃん」を買う。大河ドラマの関係で、京都では、新撰組グッズを多く見かけた。京都はともかく、滋賀に来る機会はそうあるまいから、自分に、記念として、「滋賀限定・信楽たぬきカトちゃん」を買った。
 新快速に乗る頃には、そろそろ、日が西に傾きかけてきた。米原の次の坂田と、その次の田村との間で、高阪 琵琶湖が見えた。あまりに広くて、日本海かと思った。滋賀に来た甲斐があったと思い、大満足だった。

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 田村の次が長浜だ。あまり大きな駅ではない。今回も、Mさんとご一緒できたので、良かった。長浜市民体育館は、長浜駅から3キロほど、普通の地方の体育館だ。駐車場には、新日の、まっ黒なバスが何台も止まって、異彩を放っていた。場内は土足禁止で、冷え込んできたので困った。そこを当て込んで、スリッパが売られている。Mさんが買ってくださったので、はくと、温かく、大変助かった。外敵としてここに乗り込む冨宅さんと鈴木選手の応援にはるばる来た、Mさんと私も、なみなみならぬ気合が入っているわけだが、足元は、二人とも、ライオンマークスリッパだ。背に腹は代えられないとはこのことだ。
 物販では、パンクラスミッションのTシャツや、ニットキャップも売られていた。ミッションのTシャツがあまり売れないでは、何かと困るのではと心配になり、買おうかと思ったが、Lサイズしかなかったのであきらめた。ミッショングッズがあるのが嬉しくて、ワアワア言っていると、物販のお兄さんは、「そうですよ、今日は、垣原さんが出場しますからね」と、さわやかな笑顔で言い放った。ありがとうお兄さん。あなたのことは忘れない。
 田中リングアナがサインをしていたパンフレットを買った。パンフには、今日の対戦カードがスタンプされているが、冨宅さんの名前もちゃんとあった。一人だけ手書きだったらどうしようと思ったが、ゴム印が作られていた。当たり前のことだが、「飛駈」が「飛駆」になっているというようなミスもない。パンフの充実ぶり、分厚さ、安さといい、「さすが新日」と思わされた。

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 新日を見るのは久しぶりだ。私が、プロレスを見始めたばかりの頃、新日が好きだったことは以前に書いたが、それからすぐに見なくなったので、私が見ていたのは、まだ、橋本や武藤がいた頃だ。そしてまだ、武藤に髪の毛があった頃だ。遠い昔の話だ(そんなでもない)
 若手や外国人選手など、知らない選手も多いが、まだ、知っている選手はたくさん出ている。そこそこ格闘技やプロレスを見ていれば、新日に興味はなくても、選手の名前は知っており、流れ的なものも耳に入ってくる。好き嫌いはあれ、そこが、業界最大手のすごいところだ。会場を、木村健悟が、普通にうろうろしているのにも興奮する。思わずサインをもらいたくなったが、自重した。
 後藤選手と山本選手という、若手同士のシングルマッチがあり、二人とも知らない選手だが、頑張っていて、若手らしく、好感が持てた。私が新日を見ていた頃は、こうした地方大会だと、よく、ブラックキャット選手が出ていたものだが、この日は、レフェリーとして出ていた。ヒロ斎藤選手の、よくはずむセントーンも見られ、なつかしかった。しかし、いくら地方大会とはいえ、セントーン二発で試合が決まってしまうというのはどうなのか。「ボヨヨヨ〜ン」と、擬音が出そうなぐらいよくはずんでいたので、ダメージが大きかったのかもしれないが。
 成瀬選手と長井選手の、元リングス同士の対戦もあった。成瀬選手が、大晦日にノルキヤと対戦したとき、長井選手がセコンドについてくれたそうで、試合前、成瀬選手は、マイクでそのことに触れ、長井選手に、魔界倶楽部をやめて自分とタッグを組んでくれるよう呼びかけた。が、長井選手は聞き入れず、逆に、成瀬選手に魔界に入れと言う。長井選手の差し出した手を、成瀬選手は、ためらいつつも、ゆっくり握ったので、客は大いに沸いたが、成瀬選手は、「それはそれで、握手はしたけど魔界には入らない」と言う。何だそれは。かつての仲間に向かって暴言を吐き、反省の色もない長井選手に向かって、私のななめ前の客が、「長井!頭を丸めろ!!」と叫んだが、私はそれがなぜか、直球でツボに入り、しばらく笑いが止まらなかった。この試合では、長井選手のセコンドに、星野総裁がついており、ひときわ小さくて、カゴに入れて連れて帰りたいほど可愛らしかった。

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 休憩後の最初の試合が、冨宅さん、鈴木選手、ヒート選手組対、獣神サンダー・ライガー選手、エル・サムライ選手、金本選手組の、トリプルタッグだった。休憩前までは、私の知らないリングアナの方だったのだが、休憩後からは、おなじみの田中リングアナだ。田中リングアナが、冨宅さんの名前を呼んでくれたとき、髪の毛の先から爪先まで興奮した。「風になれ」が流れる中、赤いミッションのガウンの冨宅さん、黒いタオルをかぶった鈴木選手が入場して来、何だか夢のようだった。昔、田中リングアナの旅日記の本を買い揃えたのに、去年、古本屋に売ってしまったことを謝りたくなった。二冊だけは売らないでとってあるが、それは、見に行った試合のことが書いてある巻と、ずっと古い、船木さんや鈴木選手が新日にいた頃の巻だ。私の見に行った試合については、宇和島市営闘牛場で行なわれたのだが、会場の雨もりがひどかったことと、橋本選手が牛のフンを踏んだことが書いてある。若き日の、船木さんと鈴木選手については、船木さんが山田恵一選手(当時)に、賞味期限切れのミルミルを飲まされた話や、鈴木選手がホテルのエレベーターに乗ったら、誰かのしたオナラのニオイが残っていて、くさくて死にそうだった話など、こうして書き写していても、ほとほと情けなくなってくる、感動のエピソードが満載だ。
 そんなことはどうでもいいが、冨宅さんが、鈴木選手やライガー選手と同じリングにいるだけで興奮する。一番手は誰が出るのかと思ったら、冨宅さんだった。冨宅さんは、新日初参戦とは思えないほど、違和感なくなじんでいるように見えた。冨宅さんが、はじめて大阪プロレスに上がったときのあぶなっかしさが、嘘のようだ。ライガー選手の脚を取って、もう少しというところまで攻めたてた。冨宅さんはすごいなあと、頭の悪い子どものような感想を持った。
 冨宅さんに向かって、鈴木選手が檄を飛ばしている光景も夢のようだ。冨宅さんが試合の権利を持っているときは、もちろんだが、そうでなくても、カットに入ったり、リング外の選手にプランチャをしかけたりと、すっかりプロレスチックな動きで、目が離せない。こう書くと、試合には六人も出ているのに、冨宅さんしか見ていなかったのかと思われそうだが、ほぼその通りではあるが、鈴木選手はもちろんかっこよかったし、ヒート選手もよかった。相手の三人の老獪さは言うまでもない。
 試合は、最後、鈴木選手が、サムライ選手をしとめて勝った。嬉しかった。私にしては珍しく、花道の横まで行って、冨宅さんを待っていたのだが、鈴木選手とヒート選手が花道を引き上げてきても、冨宅さんが帰って来ない。何事かと思ってリングを見ると、冨宅さんは、ライガー選手と小競り合いしており、鈴木選手も、急いでリングに引き返した。冨宅さんは、マイクを握ると、「新日のジュニアはこんなもんか!」と言っていたようだ。気が動転していたのでよくおぼえていない。そして、さっきまで組んでいたヒート選手を指さし、「このヒートとも、今日は組んだけど、次は敵や」と言う。私はもちろん、驚いて冷汗、というか変な汗をかいたが、他のお客さんもびっくりしたらしく、一瞬声を失ってしまった。が、すぐ、嬉しそうに沸いた。今日のお客さんは、新日マニアというよりも、明らかに、近所のお兄ちゃんらしい層ばかりで、熱は比較的薄くても、とにかく目の前でおきていることを楽しむ雰囲気があったので、ブーイングもなかった。

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 しかし、私は、まがりなりにも、その近所のお兄ちゃん達よりは、昔から冨宅さんを見ているので、今回の、冨宅さんのキャラの持って行き方が、まだよく飲み込めず、変な汗をかいたまま呆然としているうちに、次の試合がはじまった。次の試合では、中西選手、ノートン選手組対、吉江選手、棚橋選手組だった。中西選手とノートン選手は、同士討ちをくりかえし、仲間割ればかりしていた。中西選手も、つくづく、男運が悪いというのか、いいパートナーに恵まれない人だが、吉江選手に、掟破りのアルゼンチンをかけられていた。
 メインは、西村選手、永田選手、天山選手組対、柴田選手、村上選手、安田選手の魔界倶楽部組だったが、20時44分の、大阪行きの新快速に乗らなければならなかったので、メインを見ていたら、列車に間に合わない。メインの選手の入場でお客さんが沸いているすきに、こっそり会場を出た。すると、棚橋選手が担架で運ばれて退場するのと一緒になった。試合中は元気そうだったのだが、心配だ。
 22時20分頃、大阪に着いた。高速バス乗り場に行くのにも、もう迷わなかった。23時10分の高速バスに乗り、翌朝6時に松山に着いて、いったん家に帰ってから仕事に行った。「西村京太郎サスペンス」の犯人のような旅だった。「そういうサスペンスが成り立つのも、日本の鉄道が正確だからだ」という言葉はよく聞くが、まさしくそうで、本当に、日本に生まれてよかったと、しみじみ思った旅だった。


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