第47回 管理人からメリークリスマス (03.12.25)

でも小ネタ集。
○ 前回書き忘れたが、大阪プロレスファンクラブ「さくら会」に入会した。12月2日に、現金書留と申込書を送り、8日に、会員証が届いた。ちょっと早すぎはしないか。今まで私が入会したことのあるファンクラブのうちで、最速だ。ちなみに、入会手続きに最も時間がかかったのは、B,zファンクラブ「B,z Party」で、二か月近くかかった。

○ 20日には、換気扇の大掃除をした。21日には、年賀状の印刷をした。今年はじめて、家のプリンターで作ったが、叔母(母の妹)や、従妹(その娘)も遊びに来て、一緒に作ったので、楽しかった。私は、何でも、ギリギリまで追いつめられないとやらないが、今年は、28、29日と上京が控えているので、全ての予定が、一週間前倒しになっている。世間的にはそれでちょうどいいのだが。

○ 22日は冬至だった。かぼちゃの煮物を食べ、ゆずを一個お風呂に入れた。ゆずは、丸ごとだとあまり香りが出ないが、切るとぐずぐずになってしまう。今年お風呂に入れたゆずは、前日の夕食のおかずのために、皮の一部がけずり取られていたが、そのために香りがよく出ていた。来年からもこうしようと思う。

○ 23日は、クリスマスケーキを焼いた。リング型にして、抹茶で緑色に染めた生クリームをぬり、飾りをつけて、リースの形にしてみたが、言わないと、誰もリースだとは気づいてくれなかったので、その夜は、私は少し不機嫌だった。

○ B,zファンクラブから、クリスマスカードが届いた。来年のカレンダーも届いた。週めくりだ。今年のも週めくりだった。月曜にめくるのだが、いつも忘れ、水曜くらいにめくっていた。四、五年前、日めくりも買ったことがあるが、いつも、数日分、まとめてめくっていたことは言うまでもない。毎日、違う写真が載っているのが嬉しかったが、松っちゃんの写真は六日に一枚で、あとは稲葉だった。

○ 大阪の友達が、大阪で放映されている大阪プロレスの番組「爆RING!」のビデオを送ってくれた。非常に嬉しいクリスマスプレゼントだった。もちろん冨宅さんの試合が収録されているので、ドキドキして正視できないかもしれないが、何とか心を落ち着けて、お正月休みの間にゆっくり見たい。ビデオと言えば、大晦日の格闘技イベントのビデオ録画の計画も、そろそろ詰めなければならない。この録画計画において、最も問題なのは、我が家にビデオデッキが二台しかないことではなく、「PRIDEやK−1は、友達に録画を頼むほど、見たいわけじゃない」という点だ。

○ こうして、年の暮れを迎えるのは、忙しいが、とても好きだ。一年のうちで、一番、大晦日から元旦にかけてが好きだ。忙しいのは、クリスマスが25日なせいだと思う。今からでも遅くないから(遅えよ)、15日あたりにずらしてもらえれば、大分、あわただしさが違ってくると思うのだが。

第46回 最近のできごと・小ネタ集2 (03.12.17)

○ 仕事を再開してから、早寝早起きの悪影響で、この日記の更新がなかなかできなかった。これからは、時間を上手に使って、こまめに更新していきたいと思う。

○ すっかり寒くなって冬らしくなった。もう十年以上前から着ているセーターで、犬の模様のものがあるのだが、とても温かいので、寒い日は、ついそれに手が伸びる。以前友達に、「カマちゃんの、犬のセーターを見たら、冬が来たなって感じがする」と言われた。

○ 職場の女の子が、B,zのビデオを貸してくれた。私は今まで、「B,z友達」がいなかったので、職場で、「昨日のCDTV見た?稲葉かっこよかったね」などと話せるのが嬉しい。貸してもらったビデオは、89年のもの(「リスキー」)で、二人ともとても若く、松っちゃんのパーマが変だった。稲葉が、ありえないような腰の動きをしていた。

○ 昨日は、「カウントダウンTVスペシャル」に、B,zが出ることを新聞で知ったので、DVDに録画しようと身構えていたが、大変珍しいことに、ゲストライブではなく、スタジオゲストだった。どこを録画してどこを切るか、非常に困る構成だった。VTRが終わって、カメラがスタジオに帰ったとき、二人が、MCや客と一緒に、パチパチと手を叩いているのが可愛かった。トークでは、二人とも、天然ぶりをいかんなく発揮していた。

○ 今年もあと二週間となった。大晦日の格闘技イベントが気になるが、生で見るのは紅白と決めているので、ビデオ録画の体勢を、弟と相談している。我が家では、「大晦日は、紅白を、最初から最後まで、身じろぎもせずに見る」と決めている。大晦日は忙しく、紅白までに家事が終わらないことも多いが、紅白が始まると手を休める。どんなに興味がない歌手が歌っていても見続ける。今までで、一番、見続けるのがキツかったのは、西田ひかるのディズニーメドレーだ。唯一、裏番組を見るチャンスは、九時のニュースの間だが、たいてい、トイレに行ったり、お茶をいれかえたり、みかんやお菓子の補充をしたりしている。今年の紅白の曲目が、今日発表になった。今年の出場歌手の顔触れは、大満足とまではいかないが、ここ数年のうちでは、上等の部類に入ると、私は思っている。森山直太郎・良子の親子競演も見物だが、和田アキ子が、「古い日記」を歌うのも嬉しい。あの頃は・ハァ!!

○ いつかは、B,zも紅白に出てほしいものだ。出ないとは思うが、もし出るとすれば、昨年の中島みゆきのように、別の場所からの中継ということになるだろう。しかし、いっそのこと、最初から最後までNHKホールにいて、いろいろ衣装を着替えて舞台ソデをにぎわせたり、演歌歌手が歌う後ろで、寸劇や隠し芸的なものを披露したり、最後は、審査員が投じた票(カラーボール)を数える(「ひとーつ」とか言いながら客席に投げ入れる)というところまでやってほしい。

○ 「ピングーのプレミアムバナナ」というバナナがある。バナナ自体は、普通より少しおいしいが、ピングーとは何の関係もない。ていうか、ものすごく縁遠い(ピングーはペンギンなので南極、バナナは熱帯のもの)。そのバナナ一房につき、一枚、応募券がついていて、五枚集めて送ると、「ピングーのバナナハンガー」が当たる、ということだったので、毎朝食べて集めて送ってみた。すると、見事当選!!!「バナナの置き傷み・擦れ傷みをふせぎ、最後の一本までおいしく食べられる」バナナハンガーが届いた(写真参照)。まあ、最後の一本になったら、ハンガーにはかけられないんだが。冨宅さんの書き初めよりは、競争率が高かったと思うので、嬉しい。

第45回 最近のできごと・小ネタ集 (03.11.21)

○ 私の新しい職場は、小さな部で、女性は、私を含めて四人しかいない。先日、その四人が、全員、B,zのファンクラブに入っていることが判明した。CDが出たら買う、というファンは多かろうが、「ファンクラブに入っている」というのは、かなり濃くないか。去年、広島ビッグアーチで行なわれたB,zライブには、私も含めて全員が行っていたらしい。私は、そのライブに感動した勢いで、ファンクラブに入会したのだが、他の方々も全員そうらしい。ただ、そのうち二人は、入会が遅れてしまったために、今年の愛媛県民文化会館のチケットは取れなかったそうだ。

○ 先日、横断歩道で、信号が青になるのを待っていると、前に立っている若い女の子の、毛糸のストールに、ヘアカーラーがからまって、くっついていた。家からつけてきたのだろうか。教えてあげた方がいいかなあと思ったが、若者のファッションかもしれないので、やめておいた。

○ 前々回の、東急ハンズの巻で書き忘れたが、去年、広島のハンズで買って、非常に気に入っているのが、理科の実験器具だ。普通の、理科室にあるような、ビーカーやフラスコや試験管なのだが、そんなものが普通に買えるということが嬉しかった。さすがに買わなかったが、ガスバーナーや、セラミックつき金網(私の小さい頃は、石綿つき金網だった)もあった。理科室のビーカーは、300mlくらいだろうが、私は、30mlの、小さなビーカーやフラスコを買って、部屋にならべて花など飾っている。それがあまりにも可愛いので、「これは、絶対流行る」と、家族に断言したが、どうも流行らなかったようだ。

○ 弟が、東京に出張していて、山手線の車内で財布をすられた。東京は怖いところだと思うが、弟は、去年も財布をなくしているので、本人のルーズなところもあるだろう。去年は、夜中に、近所の海水浴場に、友達と花火をしに行って、財布を落としたのに気づかず帰り、気づいて取りに戻ったときには、すでになかったらしい。そのときは、あまりにもかわいそうだったので、新しい財布を買うお金を出してあげた。その財布は、革や部品をオーダーして作ってもらうそうで、エイの背中の革でできていて、それがイイ感じに枯れてきたところだったのだが。財布をすられたのは弟だが、その財布を買ったのは私なので、我が事のように悔しい。

○ 最近、大阪プロレスの村浜選手が気になってしかたがない。冨宅さんが、何かビッグマッチに挑むと、何週間も前から、そのことばかり考えているので、自然、相手の選手のことも、意識して見はじめる。今年の初夏頃は、田村選手のことが気になってしかたがなかった。我ながら、このまま、田村選手のファンになってしまうのではと恐れていたほどだ。気になっていたと言えば、今だから白状するが、今年の初夏頃は、「冨宅さんが、猪木のジャングルファイトに出ることになったら、どうやってブラジルまで行こうか」と、本気で心配していた。杞憂にもほどがある。
 

第44回 鳥羽一郎だよおっかさん (03.11.16)

 うちの母が、三月まで小学校に勤めていたということは以前にも書いたが、その関係で、13・14日と、三重県の津市に招かれた。随行員を連れて行くが、身内でもいいので、私を連れて行くことになっていた。私の仕事が決まったので、困ったが、もう、私の名前で旅費も出ていて、休めるようなら行こうと思っていたら、無事行けることになった。
 13日は、鳥羽国際ホテルに泊まった。鳥羽に行くのは二度めだ。98年の秋、パンクラス大阪大会の前日、船木・鈴木両選手参加の「大阪湾ナイトクルーズ」があり、行ったのだが、夜まで時間があったので、近鉄に乗って鳥羽水族館に行った。その際、鳥羽駅で階段から落ちたことが忘れられないが、思い出の階段は変わらずにあった。
 いいお天気で、海が青かった。うちの母は、鳥羽一郎の大ファンで、実家に行きたがった。行ったって何もないことは目に見えているが、B,zファンが、稲葉の実家「イナバ化粧品店」に行くようなものだろう。タクシーの運転手さんに聞くと、実家のある石鏡(いじか)に行くには、片道五千円はかかるというので、一度はやめようとしたが、やはりあきらめきれないようで、行くことになった。
 行ってみると、小さな漁村だった。実家も古くて小さな家で、鳥羽一郎・山川豊の収入で建て直したりはしてないらしかった。ベランダに、白い子犬がいた。タクシーの運転手さんが、「ごめんください」と家の戸を開けたが、留守だった。この近辺では、誰も家に鍵などかけないらしかった。町内会の掲示板に、「空き巣が出没しています・家に鍵をかけるように」と、お知らせが貼ってあった。鳥羽一郎のお母さんに会えなかったことを、母は残念がっていたが、私は、誰もいなくて本当によかったと思った。恥ずかしい。玄関にゾウリがいっぱいあったと、運転手さんは言っていた。何度も何度も言っていたので、よほどたくさんあったのだろう。
 帰るとき、港から放送が聞こえた。フグ漁師向けの放送で、「フグは沖へ出ます」と言っていた。文がおかしくないか。「フグは沖にいるようです」ならわかるが。それとも、何か、漁師だけにわかる符丁のようなものなのか。ホテルで、部屋に届けられた中日新聞には、やはり土地柄、「遠洋漁業だより」というのが載っていて、「7盛秋丸 ナギ悪く南下中」とかいうのはわかるが、「31音代丸 3回目ほんのオカズ調査中」というのは何なのだ。ほんのオカズ調査。
 翌日は伊勢神宮に行った。伊勢に行くのははじめてだ。心が洗われるような、清らかな雰囲気だった。私の邪悪な心も、少しは清められたと思う。それから近鉄で、大阪の難波まで帰り、なんばパークスで晩ご飯を食べて、フェリーに乗った。ところが翌日、全く知らなかったのだが、デルアリで冨宅さんの試合があったらしい。そうと知っていたら、そのまま大阪に残るんだったのに。親娘旅行は台無しになるが。
(写真は、鳥羽水族館のヒトデの裏側。ガラスにはりついているところ。)

第43回 OSAKAスタイルpart7 (03.11.11)

 昨日の朝、大阪から帰ってきた。そのまま仕事に行くのは少々疲れた。
 大阪では、今度こそ天王寺動物園に行こうとしたが、動物園前駅に降りると、雨だったので、あきらめた。しかたなくフェスティバルゲートに行き、デルアリのショップをのぞくと、冨宅さん対くいしんぼう仮面のビデオが流れていたので、最後まで見た。そのあと、フェスゲを占拠しつつある巨大なビーズショップに行って、スワロフスキーの、青い大きなガラス玉を買った。窓辺につるしたら、キラキラしてきれいだろうと思ったのだ。
 それから、江坂の東急ハンズに行った。江坂に着いたら、雨は上がっていたのでくやしかった。
 江坂のハンズは、私が生まれてはじめて行ったハンズだが、十年近くぶりに行く。久しぶりに行って、小さいのでびっくりした。三階までしかないが、はじめて行ったときには、すごく広く感じた。ハンズ・ロフト不毛の地に育った者は、こんな天国のような場所がこの世にあるのかと興奮したのだ。
 別に何をつくるわけでもないのに、いろんな径のひのき棒など見ているだけでうれしくなる。あやうく、ひょうたんを買いそうになったこともある。アクリル絵の具で模様を描いたら可愛いだろうと思ったのだが、描いてどうするのか。近藤選手が、小さい頃「酔拳」に憧れて、酒を入れるひょうたんが欲しかったとインタビューで言っていたが、その気持ちはよくわかる。私も小さい頃、ひょうたんに水を入れて、常に持ち歩きたいと思い、「科学と学習」か何かのフロクの種を庭にまいて、育ったひょうたんを収穫した。中身を腐らせてかき出すために、水にひたせと書いてあったので、ひたしておいたら、完全に腐って溶けてしまった。悲しかった。
 ペーパークラフト(紙に印刷されているパーツを切り取って、組み立てる)の、オサガメとクロマグロを買ったこともあるが、まだ組み立てていない。前回、夏に渋谷のハンズで買ったのは、スノードームを自分でつくれるキットだが、まだつくっていない。今回は、何かつくる材料はやめようと思ったのに、デジカメで撮影した写真を本にできるキットを買ってしまった。
 他に買ったのは、四季の花と小鳥の絵が描いてある来年のカレンダー、シール、お菓子の写真の絵はがきだ。前回行ったなんばパークスでも、絵はがきを買ってしまったし、「紙もの」好きがなおらない。一生なおらなさそうだ。「紙もの」好きは、古くからいるようで、「枕草子」にも、「落ち込んでいるとき、きれいな紙を見ていると生きる希望がわいてくる」という意味の文章が出てくる。いや、出てくると思うが確かめていない。間違っていたらごめんなさい。

第42回 カリメロ危機一髪 (03.11.8)

 11月に入っても暖かな日が続いている。裏山のいよかんが色づいてきた。すすきや、紅葉したハゼの木が、晩秋の日を受けているのも見える。愛媛の11月は、多分毎年、こんな感じで、「ぬくいけん(暖かいから)、クリスマスの飾りする気がせんねえ」と、昨年も一昨年もぼやいていたような気がする。
 4日から、新しい職場に行きはじめた。新しいことになじむのに時間のかかる私だが、今のところ、機嫌良く行っている。新しい職場には制服がある。今まで、制服のある職場に行っても、私は着なくてもよかったので、制服を着るのは、高校のとき以来だ。
 新しい職場は銀行だが、窓口や営業ではないので、仕事の内容は、普通の事務だ。この銀行は、カリメロがイメージキャラクターで、先日、支店のキャンペーンから帰ってきた、カリメロの着ぐるみの点検のお手伝いに行った。巨大な箱の中に、巨大なカリメロが入っていた。黒タイツだけは、着た人が洗濯して返すそうだが、カリメロ本体は、あまりにも汗くさくなると、クリーニングに出すそうだ。着ぐるみを洗えるクリーニング機が、愛媛にはないので、大阪まで送られるそうだ。プリシラ(カリメロのガールフレンド)の着ぐるみもある。「カリメロ・プリシラの借用について」というような書類もちゃんとある。それがおもしろくてたまらない。

 今週の週プロの、「全国プロレス会場めぐり」的ページに、松山の「アイテムえひめ」が出ていた。交通の便が悪く、タクシーを使う羽目になったりするので、よっぽどでないと行かないが、我が家からさほど遠くない。我が家から松山空港に行く道の、中間あたりにある。東京や大阪に行くことを考えれば、アイテムえひめなんか、目と鼻の先のはずだが、地元だと、わずかな距離がめんどうなのが不思議だ。交通の便は悪くても、コミセン(松山総合コミュニティーセンター)よりも、はるかに使用料が安いという噂で、よくプロレスがある。今月23日にも闘龍門がある。コミセンで興行を打てるのは、ごく限られた団体になってしまい、新日か、なぜか松山で爆発的な人気を誇るZERO−ONEぐらいだ。一度、K−1をコミセンで見たことがあるが、前館長の地元という理由で、特別に松山で行なわれた大会だったので、前館長があんなことになってしまった今では、もうK−1が愛媛に来ることはないだろう。ちなみにその大会では、柳澤選手が角田選手と対戦していた。
 多分そんな奴はいないとは思うが、他の都市から飛行機を使って、アイテムにプロレスを見に来るファンがいれば、空港から近いので便利だろうと思う。いつも不思議に思うが、松山空港には、なぜか個人タクシーしかいない。態度の悪い運転手さんに当たって、嫌な思いをしたことが何度もあるので、個人タクシーにはあまり乗りたくない。そんな人は多いらしく、私の知り合いでも、個人タクシーがわんさか客待ちしている前で、自分の家の近所の、よく知っているタクシー会社に、わざわざ電話して、車を呼ぶ人もいる。地元の新聞にも、「個人タクシーしかいないのはなぜか」という投書が載った。数日後、「縄張りのようなものはない」と、個人タクシー協会のようなところから回答が載ったが、絶対に嘘だ。空港からタクシーに乗る人は、他県から松山に来る人も多いのだから、タクシーの印象が、松山の第一印象を決定すると言ってもよく、タクシーの運転手さんには、誠意ある接客態度をお願いしたい(新聞の投書風に書いてみた)。

第41回 道後シリーズ鳩VS鷹 (03.10.30)

 前回、怒りにまかせて、日本シリーズのことを書いてしまったが、本当は、26日に、道後に行ったことを書こうと思っていた。道後は、温泉で有名だが、最近、足湯を造る旅館やホテルが増えてきた。足湯とは、旅館やホテルの庭先や、公園などに、温泉のお湯を引いて、旅行者でも誰でも、足を浸して休むことができる施設だ。タオルを貸してくれるところもある。知り合いの小学校の先生が、今度、遠足で子どもを連れて行くので、下見をしたいと言い、私も足湯に行ってみたかったので、一緒に行くことにした。旅館の庭をながめながら、温泉のお湯に足を浸していると、全身が温まって、暑いぐらいだった。大和屋本店の足湯では、喫茶メニューを注文することができたので、抹茶アイスを持ってきてもらって、足を温めながら食べた。極楽だった。
 大和屋本店に行く道で、上空から、二羽の鳥が、もつれあいながら降りてきた。最初、鳩が交尾しているのかと思ったが、片方が、鳩じゃなくて、一回り大きい、別の鳥だった。それが、鳩を襲っているのだ。二羽は暴れながら、私の鼻先を、ギリギリでかすめて、飛んで行った。そんな至近距離で、鳥の闘いを見るのははじめてだった。その、鳩を襲っていたのと同じ種類とおぼしき鳥が、他にも二羽、上空を旋回していた。トビかと思ったが、トビなら、尾の先が、V字形に切れ込んでいるのが特徴なのに、それは尾の先が平らだった。私は「鷹の仲間だ」と主張しているが、「道後にそんなもんおるわけがない」と、誰も信じてくれない。

 話は変わるが、三月末で仕事の期限が切れてから、ずっと求職活動中だったのに、ようやく就職が決まり、来月から働くことになった。この半年、ずっと家にいて、することといえば、料理、洗濯、掃除、縫い物、このサイトの更新だけだったので、もともと賢くない頭が、すっかりバカになってしまい、新しい職場で役に立てるのか、不安だ。
 パンクラス10周年記念パーティーで、渡辺大介選手と話していたとき、私が現在無職だという話になって、それについて渡辺選手は、何か言おうとしたが、やめたので、私が続けて、「こんなとこ来てる場合じゃないんですけどね」と言ったところ、渡辺選手は、「僕も今、そう言おうとしてたんです」と言ったものだった。ここ数ヶ月の心配事の、一位が「冨宅さんの動向」で、二位が「橋本真也の怪我の状態」で、三位が「就職が決まらないこと」だったので、三位の心配が解消してよかった。一位と二位はまだ解決していないが。

第40回 日本シリーズ虎VS鷹 (03.10.27)

 今日は、日本シリーズ最終戦で、ダイエーが日本一を決めたが、今日の試合はテレビ東京系で放映されたので、うちでは映らなかった。
 愛媛にはテレビ東京系の局がないために、今まで、「格闘Xパンクラス」が見られない等、いろいろ不自由があったが、それは客観的に見て、我慢しなければいけない範囲だ。しかし、日本シリーズの最終戦が見られないというのは、ひどすぎないか。本当に腹が立ち、どこかに苦情の電話の一本もかけたかったが、最初からテレビ東京が放映権を持っていて、その通りテレビ東京が放映しているのに、どこにも苦情の持って行きようがない。仕方がないのでラジオを聞いていた。こんなことなら、早くBSに加入しておけばよかった。それか、いとこが、中華鍋をアンテナにしてBSが傍受できるようにしてあげると言ったのを、断ったが、断るんじゃなかった。
 そんなことを考えていると、ますます腹が立ってきて、巨人の清原は、死球が多いというが、全く避けていないのに、死球じゃないだろうとか、その避けないことを勇気の表れのように言う日テレの放送とか、関係ないことまで思い出しては怒っていた。まともな羞恥心を持つ者なら赤面せずにはいられない、感動的な引退式を行なって引退した川相が、原監督が辞任するならコーチになるのは嫌だから現役復帰するに至っては意味がわからない。

 辞任で思い出したが、星野監督の辞任は残念だ。叔母(母の妹)は、阪神ファンで、星野監督も大好きなので、非常に残念がっていた。リーグ優勝直前にお母さんが亡くなって、それでも、誰にも言わず指揮を取り続けたというような、古風な美意識が、「男らしい」と、塾女心を刺激するのだろう、うちの母も星野監督は大好きだった。
 関係ないが、母と叔母が、やはり共通して、「男らしい」と言い、大好きなのは、渡哲也で、「西部警察」撮影中に俳優が事故をおこして、渡哲也が病院で被害者に土下座したと聞いたときには、興奮し、「渡哲也がお見舞いに来てくれるんやったら、足の一本ぐらい折ってもええのに」と、さかんに言っていた。「私だったら、渡哲也に土下座させたりしない」という話からはじまって、「バラの花束を持ってきてほしい」「病院で『くちなしの花』を歌ってほしい」「ついでに、舘ひろしも連れてきてほしい」と、妄想に走っていた。女性とは、何歳になっても可愛いものだ。

「ゴールド・グラヴ・アワード【Gold Glove Award】 アメリカ大リーグの表彰制度で、守備の上手い選手に与えられるもの。(中略)タイトルだけはすぐアメリカを真似るのが日本のプロ野球界の特徴で、(中略)沢村賞という投手に与えられるタイトルですら、アメリカのサイ・ヤング賞にならったものだ。(中略)日本独自のタイトルをつくってもいいのではないか・・・などというと、“最多送りバント打者”などというタイトルができかねないので、何もいわないことにしておく。」
(玉木正之著・「プロ野球大事典」新潮文庫)ちなみにこの本は、平成二年発行。

第39回 小さい秋見つけた (03.10.22)

 18日から、20日まで、母の実家に泊まりに行っていた。山の中なので、夜は寒かった。どんぐりは、小さくて丸いのは、まだ青かったが、細長いのは、もう落ちていた。からすうりは、まだ青いものが多かった。臭木の実が熟れていた(左の写真)。小学校の頃、遠足で山に行って、ピンクのガクを持った青い実をはじめて見たときは、あまりの色彩の妙に、アドレナリンの底から興奮した。私にとって長いこと、憧れの実だったそれが、「臭いから」という理由で「臭木(くさぎ)」と名づけられた木の実だと知ったときは、少なからず失望した。デジカメを持って、そんな「小さな秋」を散策した。それにしても、「小さい秋見つけた」の二番の歌詞は、どうしてあんなに、絶望感にあふれているのだろう。「お部屋は北向き 曇りのガラス うつろな眼の色 とかしたミルク」。

 今日は、久しぶりに街(松山市の一番町〜三番町界隈のこと)に行った。安売りの甘栗と、ポッキーデコレを買った。古本屋の、「一冊50円」のワゴンに、「犬神家の一族」が、四冊もあったので、なかんずくきれいなのを選んで買った。「東宝で映画化」と、帯がついていた。いつの話だ。角川の横溝正史シリーズは、尋常じゃなく表紙が怖いが、「犬神家」は、少しマシだった。私は、古谷一行の金田一が好きだ。「八つ墓村」のトヨエツも、悪くはなかったが。
 なぜか、数年ぶりに、マンガ雑誌が読みたくてたまらなくなり、「まんがパロ野球ニュース」のタイガース特集をさがしたが、なかったので、「あぶさん」2003総集編を買った。これも「タイガース特集」だった。あぶさんはホークスなのに・・・。「あぶさん」は、30年にわたって連載が続いている、水島新司の野球マンガだが、読むのは本当に久しぶりだ。「あぶさん」は、マンガの中でもリアルタイムで時が進んでいる。私が、昔読んでいたときは、あぶさんの息子は小学生だったのに、今は近鉄のピッチャーになっていた。あの、小さかった虎ちゃんが、立派になって・・・(親戚のおばちゃんか)。
 それから、高島屋の北海道フェアに行って、おぼろ昆布作りの実演や、まぐろの解体を、知らない子どもと一緒に見物した。パンダの剥製があったので、「こんなもの売っていいのか」と思ったが、つたない字で「デプリカ」と書いてあった。何だよデプリカって。

第38回 OSAKAスタイルpart6 (03.10.12)

 今朝、大阪から帰ってきた。今回、天王寺動物園で時間をつぶそうと思い、帽子も持参していたが、思いがけず、知り合いのTさんが声をかけてくださり、いろいろ案内してくださって、本当に嬉しかった。大阪球場跡地にできたばかりの巨大複合施設・なんばパークスに行った。そこのフランフランで、動物の形の輪ゴムを見つけた。色とりどりの輪ゴムが、ゾウやキリンなど動物の形になっていて(動物ビスケットの輪郭だけみたいな感じ)、丸めたり伸ばしたりしても、元の形にもどる。あまりに可愛かったので、つい買ってしまう。すると、先着100名様にということで、お香の試供品をもらった。嬉しかった。
 そのあと、御堂筋を通り、道頓堀に行った。朝、フェリーターミナル駅で買ったレインボーカードは、黄色く色づいたイチョウ並木の御堂筋の写真だった。今まで買ったのは全部、同じデザインで、地下鉄の路線図だったのだが。今の御堂筋は、イチョウはまだ緑色で、ギンナンが実りかけていた。ギンナンは、許可をもらった人が集めるそうだ。私の卒業した小学校には、たくさんのイチョウの木があって、秋になると大量のギンナンが落ち、えもいわれぬニオイをふりまいていた。よく、近所のおばちゃんも勝手に入ってきて拾っていたが、児童にも「ギンナン拾い時間」があって、火バサミと、給食調理室から出たらしいうずらたまご水煮の空きカンを持たされて拾い、集まったギンナンは先生に回収され、やがて乾燥ギンナンとなって児童に配られる。その中に、三本筋のあるギンナンがあると幸せになれる、と誰ともなく言い出した。四つ葉のクローバーじゃあるまいし。話は戻るが、イチョウが色づいた御堂筋は、さぞかし壮観だろう。
 今年だけで、大阪に行くのは七回目だが、偏った旅行をしているので、道頓堀に行くのははじめてだ。「危険!飛び込まないでください」と、立て看板があった。水はとても汚かった。くいだおれ人形も見た。嬉しかった。
(写真は、グリコの看板のタイガースバージョン。)

 全く関係ないが、今日のNHKアーカイブスで、刑事コロンボがあった。私の好きな「別れのワイン」だった。コロンボは、初期はNHKで放送されていたのだ。やっぱり、コロンボの声は小池朝雄じゃないとダメだ。

第37回 みこし音頭でソーレソレソレ (03.10.9)

 風に乗って、金木犀の香りが流れて来、部屋の中まで香りでいっぱいだ。私はこの香りが大好きで、懐かしいような、幸せな気持ちになる。一昨日が、松山の秋祭りだった。引っ越す前の家に、大きな金木犀の木があって、お祭りの頃になるとみかん色の花がこぼれていたことや、小さい頃、祖父の手作りのちょうちん掛けを持って、お祭りのちょうちん行列に行ってお菓子をもらったことを思い出す。亡くなった祖母がよく、「お祭りがすんだら、大布団(冬用の布団)出さにゃいけん」と言っていたが、今年もその通りになった。
 今住んでいる地区、三津地区は、市内で最も宮出しが早く、朝の三時という、尋常じゃない時間に宮出しをする。松山では、この時期、どこに行っても、「みこし音頭」という妙な音頭のテープが流れているが、公民館でも、みこし磨き、ちょうちん行列の準備、ちょうちん行列の本番、宮出しの準備、宮出しの本番など、ことあるごとに、早朝でも深夜でも、大音量で流す。他県から来ている弟の友人が、「松山の人は、どうして誰も苦情を言わないのか」とぼやいていた。私はその音頭が大好きで、テープを買おうかと思っているほどだ。音頭そのものも、爆笑なしには聞けないが、間奏のとき、ラップのような変な台詞が入るのが、悶絶するほどおもしろい。このサイトをご覧の皆様にお聞かせできないのが、本当に残念だ。
「祭りだ松山荒みこし モッテイケー モッテイケー ガーンとぶつかりゃ火が出るぞ その火で一服やっていけー」
などという台詞だ。ちなみに、「モッテイケ」あるいは「モッテコイ」というのは、みこしの鉢合わせ(けんかみこし)のときの掛け声で、今年も鉢合わせでは、20人ほど重傷者が出たらしいが、死人が出なくて幸いだった。
 この「みこし音頭」を歌ったのは、意外にもビッグネームで、故・三橋美智也だ。三橋御大には、もうちょっと仕事を選んでほしかった。

 全く関係ないが、このあいだ、近所のスーパーの前でころんだ。そこで、以前にもころんだことがあったので、大変恥ずかしく、あわてて立ち上がり、何事もなかったかのように歩きだした。お茶のお稽古に行く途中だったので、駅へ向かったが、道行く人が、変な目で私を見るのに気づいて、ふと膝を見ると、血が、ダラダラ流れ落ちている。拭いても拭いても止まらないので、すごすご家に帰った。家に帰るまでが、本当に恥ずかしかった。こんな思いをしたのは、JR鳥羽駅で階段から落ちて以来だ。この年になって、こんな思いをするとは思わなかった。それとも、この年だからこそ、そろそろヤバイのだろうか。


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