第36回 OSAKAスタイルpart5 (03.9.28)

 26日の夜、大阪行きのフェリーに乗った。東京から帰った翌日、また大阪に旅立つのは、さすがに少しくたびれ、お金もないし、大阪では何もしなかった。東急ハンズやロフトに行くと、かならず何か買ってしまうので、デパートに行く。いろいろ見ていると飽きないし、食事はできるし、トイレはきれいだ。なんばの高島屋の、エスカレーター横の休憩所で、ぼうっとしていると、いつの間にかうとうとしていた。羽田で寝てしまうこともあるし、「いつか置き引きに遭う」と友達に言われるので、改めなければ。
 地下鉄なんば駅を出て、高島屋をさがしていると、旅行者らしい人に、「南海のなんば駅はどこですか」と聞かれた。よくわからなかったが、せいいっぱい考えて助言した。私はひどい方向音痴なので、私に聞くのは自殺行為だが、他人はそれを知らないので、よく道を聞かれる。私自身が迷子になっているときにも聞かれる。梅田の地下で迷子になっているとき、「泉の広場はどこですか」と聞かれたり、鳥羽で、鳥羽水族館に行きたくて迷っているとき、「鳥羽水族館はどこですか」と聞かれ、「私も今さがしてる途中で」と答えたりした記憶がある。
 梅田の地下は、方向音痴にとっては殺人迷路で、迷わなかったことの方が少ない。大阪南港から、ニュートラムで地下鉄に乗り継ぐと、四つ橋線に乗ることになる。そのまま梅田まで出ると、梅田ではなく、西梅田に出るのだが、大阪に行きはじめた頃は、それが理解できず、梅田と西梅田は同じ駅だと思っていた。西梅田に出て、コインロッカーに荷物を預け、梅田から帰ろうとしてロッカーをさがすのに、ない、ということがよくあった。フェリーの時間がせまっているのに、どうしてもロッカーがわからず、困っていたとき、ちょうどナンパされたので、その人に頼んで連れて行ってもらったり、ちょうど管理事務所を見つけたので、ロッカーの鍵を見せて、「これはどこのロッカーの鍵でしょうか」と聞いたりもした。
 私が、旅行のとき、心がけていることが二つある。「迷ったときは、すぐ人に聞け」と、「コインロッカーの鍵は、すぐ出せるところにしまえ」ということだ。この二つさえ守っていれば、たいていは大丈夫だ。それにあと一つ、「どこでも寝るな」ということを付け加えたい。

(写真は、大阪南港を出港して一時間くらいすると見える、神戸港の夜景。大好きで、いつも甲板から見る。)

第35回 東京だよおっかさん (03.9.25)

 私の母は、今年の三月で、長年勤め上げた小学校を退職し、今は、前回書いた子規記念博物館に勤めている。正岡子規は、生まれは松山だが、東京で働き、そこで亡くなった。住んでいた家は、台東区根岸にあり、子規庵と名づけられて保存されている。その子規庵を見学し、翌日、これも前回登場した中村吉右衛門の歌舞伎を見る、という「東京だよおっかさんツアー」を、母が計画した。私は、おともとしてついて行き、昨日出発して、今日帰ってきた。

 子規庵は、鶯谷のラブホテル街にまぎれる小さな家で、地元のボランティアの方によって維持されていた。客なんか誰もいないだろうと予想したが、東京はさすがに人が多いだけあって、見学者もけっこういた。
 それから、これは私の希望で、上野の科学博物館に行った。以前一度行ったことがあり、ここの「みどり館」(本館・新館・みどり館がある。なぜ「みどり」なのかは不明)にある、忠犬ハチ公の剥製や、ダイオウイカのホルマリン浸け等を、ぜひもう一度見たくて行ったが、みどり館だけ休館だった。見るものが少なくて悔しいので、特別展示の「THE地震展」(「THE」の意味は不明)を、別料金を払って見たが、おもしろくなかった。そうしているうちに、上野動物園の入園時間をすぎてしまった。今回の上野は、切ない思い出ばかりだ。

 翌日は、朝、皇居へ行ってみた。皇居へ行くのは久しぶりだ。ありえないほどの広さ、松や芝生やお堀のみどりの美しさ。私と母は、「ここが ここが二重橋 記念の写真を撮りましょうね♪」と歌いながら(バカ親子)、うろついたが、親切なおまわりさんによって、二重橋は、手前の、二つのアーチが印象的な石造りの橋ではなく、奥の、目立たない鉄の橋だと教えられた。ちなみに、我々が二重橋だと思い込んでいた石造りの橋は、眼鏡橋という。
 それから歌舞伎に行った。はじめてで、わからなくてつまらなかったらどうしようと思っていたが、意外におもしろかった。花道のすぐ横だったので、尻はしょりした盗賊のスネ毛まで見えた。二つめの演目の、「六歌仙」には、喜撰法師というお坊さんが登場するが、後半、その弟子の若い坊さんが、三十人もぞろぞろ現れ、それだけでもおかしいのに、全員、青いテッカテカのハゲヅラで、そろって踊るのが、おかしくて死にそうだった。笑ってはいけないところかもしれないと思うと、余計におかしくて苦しかった。

 私一人だと、旅行はいつも、安いホテルにコンビニのおむすびだが、今回は、帝国ホテルに泊まった。ベルボーイの方が荷物を運んでくれた。最上階で、窓からは、銀座や汐留、遠くはお台場まで見渡せた。部屋にバスローブがあったので着てみた。そして、「トリビアの泉」を見た。嬉しかった。
 (写真は、「トリビアの泉」に登場した、「プレゼンのとき、屋根に適当にまち針を刺しておいたらそのまま建築されてしまった」銀座数寄屋橋交番。JR有楽町駅に行く途中で発見。)

第34回 文学の秋 (03.9.22)

 台風が過ぎて、すっかり秋めいてきた。空が高くなり、風が涼しくなって嬉しい。私は夏が嫌いだと、先に書いたが、夏が行ってしまうのには、やはり感慨がある。「秋が行ってしまう」「冬が行ってしまう」という言い方はされず、夏だけヒイキされるのも何となくわかる。

 一昨日の土曜日、子規記念博物館に行った。子規記念博物館は、松山出身の俳人で、近代俳句の父と言われている正岡子規の博物館だ。温泉で有名な道後にある。そこで、月一回、有名人を呼んで、ことばをテーマにした話を聞く、「道後寄席」という催しをやりはじめ、中村吉右衛門が歌舞伎の台詞をうなってくれた第一回からはじまって、今回で四回目になる。今回は、立川志の輔の落語だった。私は、落語を聞くのははじめてだったが、とても面白かった。

 今日は、「西村京太郎サスペンス・松山道後十七文字の殺人」という二時間ドラマがあった。私が、大阪に行くときフェリーに乗る松山観光港で、女の子が溺死させられていた。松山中央署(実在しない)の、内部の場面は、子規記念博物館の事務室で撮影したそうだ。
 私も、以前俳句をやっていて、「砂山」という同人に入っていた。月に五句、作って提出するのだが、たった五句でも、続けるのは苦行で、今はやめてしまった。日常生活では、なかなか俳句ができなかったので、旅行のときに作っていた。旅行といえば、パンクラスを見に行くときだ。
「羽田にて 人形焼き買ふ 敬老日」(パンクラスNKホール大会を見て、翌日帰るとき、敬老の日だったので、祖母におみやげに人形焼きを買ったときの句。)
↑こんな句しかできないので、すっかりいやになってしまった。
 ちなみに、二時間ドラマの最後で、荻原流行が殺されそうになっていた場所は、松山総合公園で、高台になっているが、歩いて下りると、我が家の墓地に行ける。

 話は戻るが、正岡子規は、野球好きとしても有名で、明治時代、野球の普及に尽力し、昨年、野球殿堂入りを果たした。昨年、松山でオールスター戦があったとき、試合前、表彰式があった。松山市民として、むやみに誇らしい気持ちになった。
「まさおか しき【正岡子規】 (中略)子規の残した野球にまつわる三十一文字には、次のようなものがある。<久方のアメリカ人のはじめにしベースボールは見れど飽かぬかも><打ち揚ぐるボールは高く雲に入りてまたも落ちくる人の手の中に><今やかの三つのベースに人満ちてそぞろに胸の打ち騒ぐかな>−このベースボールのプレイの素晴らしさをそのまま詠んだ子規のうたに対して、<日本を離れて七日セ・リーグの首位争いがちょいと気になる>(俵万智)といううたは、スポーツ新聞の順位表で野球を楽しむようになった、昨今の風潮をそのまま表わしているようで、なんとも情けない。この国の野球そのものが貧しくなったのか、人間の想像力が貧しくなったのか・・・は、即断できないが、野球に対する想像力が貧しくなったことだけは事実のようである。」
(玉木正之著・「プロ野球大事典」新潮文庫)

第33回 OSAKAスタイルpart4 (03.9.17)

 15日、冨宅さんが初参戦する大阪プロレスを見に、フェリーで大阪に上陸した。亀は減っていなかった(6/22の観戦記参照)。
 叔母から、「阪神のTシャツと、マウスパッドを買ってきて」と頼まれたので、もう今年は二度と行かないと決めていた阪神デパートに、決死の覚悟で乗り込むと、阪神グッズ売り場は、八階の大催し会場に移設されていた。エスカレーターで会場に向かっていると、おもちゃの兵隊のような赤い制服を着た警備応援部隊が、階段で上がってくださいと言う。会場入り口から階段へと、人の列が続き、私が行ったときは、最後尾は六階の踊り場あたりだった。
 その時点でかなりイヤになったが、あきらめてロフトに行けば、またお金を使ってしまうので、ここで頑張ることに決め、並んで入場した。熱いおかゆの中のような人ごみを泳いで、何とかマウスパッドはさがしたが、叔母の好きな矢野捕手のTシャツが、いくらさがしてもなく、途方にくれていると、店員さんが、ダンボール箱から出して補充してくれた。四方八方から手が伸びて、矢野捕手のTシャツをつかみとっていく中、私も何とか一枚確保して、役目を果たした充実感をおぼえながら、レジに並ぼうとしたが、レジは25台もあるのに、人の列が五階まで続いていた。
 阪神が優勝を決めて、甲子園で胴上げをしている頃、私は港に向かって出発し、暴徒と化した虎ファンに巻き込まれることもなく、無事、フェリーで大阪を離れた。そのおめでたい雰囲気を、少しは味わいたかったが、優勝が決まった翌日の阪神デパートの様子をニュースで見ると、あすこに行って生きて帰る自信はない。

 今日は、友達と、「踊る大捜査線」の映画を見に行った。面白かった。映画は、四月に新宿の東映パラスで、船木さん出演の「人斬り銀次」を見て以来だが、地元で見るのは、船木さん出演の「五条霊戦記」以来、三年ぶりだ。平日の午前中、客は五人ぐらいしかいないのではと心配されたが、今日は、女性は千円で見られるレディースデーなので、そこそこ入っていた。
 映画のあと、近くでお昼を食べた。イタリア料理店で、店の前に置いてある黒板に、今日のランチメニューが書かれていたので、私と友達は、それをよく見て、私は「お米のランチ」、友達は「ピッツァランチ」に決めた。ところが、「お米のランチ」は、今日は「きのことほうれん草のオムライス」と書いてあったのに、運ばれてきたのは、きのこのピラフだった。「ピッツァランチ」は、今日は「半熟たまごとソーセージのピザ」と書いてあったのに、運ばれてきたのは、ソーセージのピザだった。「今日のジェラート」は、「カシスとバニラのアイスクリーム」と書いてあったのに、運ばれてきたのは、ミルクティーとバニラのアイスクリームだった。どれもおいしかったが、黒板の謎がとけない。店員さんにも聞くに聞けなかった。食材が、どれも半分だけ合っているのも不思議でしかたない。

第32回 恋しさとせつなさと心強さと (03.9.11)

 昨日、古い映画のパンフレットを処分しようとしていると、「ストリートファイターU」のパンフが出てきた。ご存じの方も多いと思うが、94年に、人気のゲームがアニメ映画化され、篠原涼子が主題歌を歌った。私はそのゲームが好きだったので見に行ったけれど、今はどうということもないので、パンフを捨てようとしたが、念のために目を通してみた。すると新しい発見があった。この映画では、船木さんが、フェイロンというキャラクターの声優として出演していたのだ。
 当時は、格闘技に興味がなかったので、船木さんがどんな演技をしていたのか記憶にないが、そうして、パンクラスを知る前から、サブリミナル効果として船木さんが刷り込まれ、結果として今の私があるのかもしれない。
 当時からパンクラスのファンだった方にとっては、目新しい情報でもないが、そうでない方、また、格闘技は好きでも、ゲームやアニメには全く興味がない「逆ジョシュ・バーネット」な方のために、パンフから抜き書きを。
 船木さんのコメント「僕のような素人が出て作品の質を下げてはいけないと断りに行ったんです。ところが、杉井監督と話しているうちに根っからの映画好きの血が騒いで引き受けてしまいました。(中略)フェイロンは、子供の頃に憧れていたブルース・リーをイメージにして演じてみました。たとえ、勝負に負けても試合が終われば“ノーサイド”という爽やかな男の闘いを見て下さい。」
 船木さんの演じたフェイロンは、「カンフー映画の大スターだが、大のストリートファイト好き」というキャラクター。ちなみにこの映画では、主役のリュウの声を清水宏次朗、準主役のケンの声を羽賀研二が演じている。船木さんがどんな演技をしたにしろ、羽賀研二よりは、作品の質を落としていないと信じる。

 今日は、船木さんの出演していた「Drコトー診療所」が、最終回だった。私はドラマが好きじゃないので、船木さんが出演していなければまず見ないが、途中からは夢中で見た。何度も泣いてしまった。
 ドラマは好きじゃないが、テレビ朝日の深夜のドラマはよく見る。「トリック」「トリック2」「生きるための情熱としての殺人」「嫉妬の香り」などを見た。今の、「特命係長只野仁」も見ている。バカバカしくておもしろい。

 6日に母がパソコンを買った。弟と私が、初期設定をし、インターネットやメールの設定をした。そして私が、毎晩一時間くらい、母に、ワードやメールを教えている。自分一人ではビデオの再生もできないほど機械に弱い母なので、教えるのは大変だ。何度教えても、私がちょっと目を離すと、メインスイッチで電源を切ろうとする。母はデジカメも買ったが、無論使えないので、もっぱら私が遊んでいる。
 ←はじめて撮ったデジカメ写真。私の猫。
「フラッシュがまぶしいニャン!」


第31回 もらいものいろいろ (03.9.5)

 先日、いとこからビデオデッキをもらい、接続までやってもらったので、ようやく、我が家でもビデオが見られるようになった。さっそく、ずっと前に友達が送ってくれた、「格闘Xパンクラス」のビデオを見た。今のところ、初回から、十二回まで見た。思ったよりもおもしろかった。全部見るには時間がかかるが、これからこつこつ見ていきたい。

 先日、パンクラス10周年のために上京した際、涼しくて驚き、もう夏は終わったと思ったが、愛媛に帰ると、まだまだ夏まっさかりだった。東京では、久しぶりに、品川プリンスホテルに泊まった。「品プリに泊まる」と言うと、必ずと言っていいほど、「すごいね」と言われるが、新館やエグゼクティヴタワーは、その言葉にふさわしいけれども、本館や別館は、普通のビジネスホテルだ。特に本館は、普通以下と言っても過言ではないほど、とにかく狭く、部屋自体がすきま家具のようだ。
 品プリには、パンクラスを見始めたばかりの頃、よく泊まったが、その頃、いつもお茶やパン、時には靴やワンピース等も買った「品川けいきゅう」が、閉店していた。そこのアフタヌーンティーは、格闘技ファンには、宇野薫がアルバイトしていたことで有名だが、一度も見たことはない。
 家族と暮らしていると、「バブルバスのもと」をもらっても、自分一人でお湯を替えるのがもったいないので、泡風呂ができない。なので、「もと」を持参して、ホテルで泡風呂を楽しんだ。泡を、胸と手首につけて、「プードル」をやった。「モンロー」(足を上げて「ププッピドゥ♪」と歌う)もやりたかったが、以前やって、すべって溺れかけたことがあるので、やらなかった。
 旅行に「バブルバスのもと」を持って行く、というのは、友達のまねだが、その友達(渋谷選手ファンのMちゃん)と、パンクラス10周年記念パーティーで、久しぶりに会い、手作りのハンガーをもらった。ハンガーは木製で、トールペイントで、いちごやすみれの絵が描いてある。私は、恥ずかしいほど、人からものをもらうのが大好きなので、非常に嬉しかった。今回の上京では、他にも、稲垣さんの生写真・冨宅さんの生写真・冨宅さんのうちわ・鈴木選手の写真集等、もらいものが多く、嬉しくてたまらなかった。ついでに、一度ももらったことのない、JALの機内誌までもらって帰った。

 今週は、上京の疲れが出たのか、寝ても寝ても眠く、ついさっきも、うたた寝してしまい、ひどく怖い夢を見た。タクシーに乗っていると、途中で降ろされ、連れて行かれた先が、暗く深い淵のような、渦をまいた青緑色の海で、そこでいろいろ、怖いことがあったのだが、なぜか最後に、冨宅さんが出てきた。いつものスーツ姿で、「今回の、大阪プロレス参戦に関しては、千田さんにお世話になったんです」と、私におっしゃった。何でそんな夢を見たのかわからない。誰だよ千田さんって。みつおかよ。

第30回 きれいなおねえさんは、好きですか (03.8.27)

 先週、お向かいの家から、ありえないほどデカイすいかをいただいた。四分の一に切らないと冷蔵庫に入らない。ようやく食べ切った頃、また、次のすいかをいただいた。甘くてとてもおいしいが、毎日、すいかばかり食べているので、カブトムシになってしまいそうだ。
 先週の金曜には、夏の定番映画「火垂るの墓」が放送された。感動の名作ではあるが、毎年見て、毎年同じところで泣いている私は、明らかにバカだが、また今年もやってしまった。節子ちゃんの死の間際、お兄さんが、ようやく手に入れた貴重なすいかを口にふくませてやる場面を見ると、毎日すいかの汁まみれになっている自分が、申し訳なく、大事に食べないといけないと思う。

 今夜は、六万年ぶりに地球に大接近している火星を見た。薄曇りで、ほとんどの星が見えない中、南東の空に、ひときわ明るく、赤く輝いていたので、火星だと思うが、何の根拠もないので、違う星かもしれない。

 火星は、戦いの星だというので、それにちなんで、今日は、最近腹の立ったことを書いてみる。
1.万景峰号の入港。
2.世界陸上の中継で、「室伏金メダルか!ハンマー投げは、このあとすぐ!」と言ってから、実際にハンマー投げが始まるまで、1時間20分かかった。
3.タイトルのフレーズでおなじみの、脱毛器を購入したが、痛くて我慢できない。

 「まだ痛いと思ってる?新しいソ○エは、やわ肌ガードで押さえて抜くから痛くない」と、CMしているが、痛い!「やわ肌ガード」がついていてさえ、こんなに痛いのだから、つく前はどれだけ痛かったのかと思うと、そんなものを市販していいのかという気がする。
 まあ、健康な、何の罪もない毛をむりやり抜くのだから、痛くないわけがなく、私が、極端に痛みに弱いのが悪いのだと思う。昔から、少しでも痛いことは怖く、怖さが痛さを倍増させるので、健康診断で採血されただけで、貧血をおこして倒れたことがある。歯医者に行くのも怖い。
 それでも、せっかく買ったのだから、使わなければと思い、少しでも痛みに集中しないように、B,zのライブDVDを見ながら、使ってみたが、いくら、松っちゃんが汗まみれになってギターを弾いてくれても、稲葉が青筋を立てて歌ってくれても、痛みが紛れない。慣れれば平気になるかもしれないが、肌が弱いので、あまり頻繁に使ってもよくないに違いない。
 それもこれも、「女性のムダ毛は恥」という文化のせいだと思うと、それが一番腹が立つ。このときばかりは、タリバン時代のアフガニスタンが羨ましい。
 それにしても、タリバンが、「女性は肌を見せてはいけない」「男性はヒゲをそってはいけない」と、禁じたのは、まだわかるが、「鳩を飼ってはいけない」というのは何なのだろう。

第29回 栄冠は君に輝く (03.8.20)

 一昨日、今治市(いまばりし)まで、友達と、かき氷を食べに行った。車で一時間かかるが、それだけの価値のあるかき氷だった。いちごミルクかき氷が、本物のいちごを使っていて、コンデンスミルクとあいまって、すごくおいしかった。今治市は、タオルが名産で、「タオル美術館」なるものがある。そこに行って、ラスカルのタオルハンカチを買った。どれもこれも欲しかったが、我慢して、シンプルなハンカチにラスカルの顔のタグがついたものと、ラスカルがガラスびんのキャンディーをとろうとしている模様のハンカチと、二枚にした。

 愛媛県代表の今治西高校はもう負けたので、今治市も静かだった。昨日、徳島県代表の小松島高校が敗れて、夏の甲子園から、四国代表校が全て姿を消し、私の夏も終わってしまった。
 愛媛県代表校が負けると、四国のチームを応援し、それもいなくなると、近い県(広島など)から応援していく心理状態はおもしろい。最悪の場合、愛媛県代表校を負かしたチームを応援し、そこが優勝したりすると、
「優勝したとこに負けたんやから、愛媛も、準優勝とおんなじやな」
などと、明らかに間違ったことを、真顔で語りあっていたりする。
 昨年の夏の甲子園は、四国のチームが、全てベスト8に勝ち残り、準々決勝でも、四国同士の対戦がなかったので、「四国勢でベスト4独占か!?」などと色めきたったが、さすがにそこまでは無理だった。でも、ベスト4に二校残り、そのうち一校(高知県代表の明徳義塾)が優勝したのだから、立派なものだ。

 愛媛県代表は、平成八年に、松山商業高校が優勝してから、優勝していない。その夏のことはよくおぼえている。決勝の相手は熊本工業だった。決勝戦は白熱した好ゲームになり、延長戦になり、私はそのとき、博物館の特別展示室で受付をしていたが、正直、仕事どころではなく、足が地につかなかった。私以外の職員の方は全員、事務室でテレビ観戦していたので、受付の交代の時間になっても、誰も来てくれない。特別展示室には、テレビが置かれていたが、それは、猛禽類の生態のビデオを見せるためのもので、普通の番組は映らなかった。私は、ワシもタカも好きだけども、巣作りのビデオなんか見ている場合じゃない。来館者の方が、時々入ってきて、
「このテレビ、野球は映らないんですか」
と聞く。それ以外、人気はなくてひっそりしていた。NHK松山が目の前なので、皆、ロビーへ行って、ハイビジョンを見ているのだろうと思った。
 ようやく交代の方が来てくれて、事務室に戻ると、10回裏、熊本工業の攻撃で、一死満塁のピンチだった。ライトへ大飛球が飛んだ。熊本工業の三塁走者は、九分九厘、サヨナラ勝ちを確信したと思うし、テレビの前の我々も、九分九厘、負けを覚悟したが、奇跡というものをはじめて見た。ライトのバックホームが、神がかり的な、ものすごい球で、三塁走者はタッチアウト。その後の攻撃も断った松商は、11回表に3点を入れて勝った。

 その数日後、昼休みに外に出たとき、NHK松山から出てくる松商ナインを目撃した。特番収録のあとなのか、優勝旗を持ってバスに乗り込むところだった。嬉しくなって手を振ると、誰かが振りかえしてくれた。イイ年をして、高校生の野球選手を見て、何が嬉しいのか、と言われそうだが、嬉しいものはしかたがなかった。

「こうこうやきゅう【高校野球】 (中略)関係者の多くがその「教育的意義」を振りかざすのは、なにも理屈をつけないでいては、大のおとなが高校野球を楽しむことに気が引けるからに違いない。」
(玉木正之著・「プロ野球大事典」新潮文庫)

第28回 曲順・ネタバレ一切なし!超安心ライブレポ (03.8.13)

 なぜって、よくおぼえていないから。
 今日はB,zのライブだった。普段あまり使わない筋肉を使ったためか、体中が痛い。
 松っちゃんは最高にかっこよかった。もちろん稲葉も。
「最高や、あんたら二人、ほんまに最高や・・・」
と、中村玉緒の口調でつぶやく私が、県文のすみの方(1階25列58番)にいた。
 ビニールバッグ二枚、携帯ストラップ、ツアーブック、DVD(「A BEAUTIFUL REEL」)を買った。
 DVDは、別に会場で買わなくてもいいが、会場で買うとポスターがついてくるのに惹かれた、わかりやすい行動だ。ポスターなど飾らないのに。
 昨年末に出たバラードベストアルバム「The Ballads」の、クリスマスバージョンがまだあって、それを買うと、サンタ姿の二人のシールがついてくるのに惹かれて、よほど買おうかと思ったが、もう持っているので、さすがに思いとどまった。昨年末、「The Ballads」を買ったときは、本当にお金がないときだったので、「もう持っとる曲ばっかりやから」と、買わないつもりだった。が、友達と、ショッピングモールのCDショップに入ったとき、トランペットが欲しい貧しい黒人少年のように、いつまでも、山積みになった「The Ballads」の前を動かない私を見かねた友達が、
「・・・そんなに欲しいんやったら、買うたらええがね」
と、言ってくれたので、買ったのだ。

 10日は、三津の花火大会だった。三津というのは、松山の沿岸部で、港がある。花火大会は、以前は他で行なわれていたが、我が家が今の家に引っ越した年から、三津でするようになった。それが、我が家のベランダから、丁度いい感じに見えるのだ。なので、毎年親戚を呼んで、皆で見る。今年は日曜日に当たったので、近所でも騒いでいたが、昨年までは、騒がしいのは我が家だけだったので、気がねした。
 我が家の近所は非常に閑静で、我が家だけが騒がしい。小さな子どもがいるわけでもないのに、雪がふれば、近所は静まりかえっている中、我が家だけが、家族皆で外に出て、雪だるまを作ったりする、平たく言えば、バカ一家だ。
 花火は、本当にキレイで、親戚の子どもも喜んでいた。八時から九時までだったが、その間ずっと、「あの花火、菊みたいやね」「あれは柳みたい」「笠みたい」「ヒトデみたい」「クラゲみたい」と、全員で、たとえまくっていた。たとえ疲れた頃、花火は終わった。また来年までさようなら。

第27回 B,z強化週間 (03.8.8)

 13日の、愛媛県民文化会館のライブまで、一週間を切った昨日から、B,z強化週間がはじまった。
 私の中ではじまっただけなので、世間的にイベントなどは何もない。とりあえず、B,zの過去のライブビデオを、ブックオフに売りに行った。何で、強化週間なのに手放すのかは、自分でもよくわからない。ビデオデッキを買うまで持っていて、DVDにダビングしようかとも思ったが、DVDを買いなおすことにした。DVDだけのおまけ映像に惹かれた、わかりやすい行動だ。
 ブックオフに、「SURVIVE」の初回限定版があったので、ビデオを売ったお金で買った。それも、限定版についているブックレットに惹かれた、わかりやすい行動だ。
 それで終わりにしようと思ったが、ライブビデオを手放したのが寂しかったのか、我慢しきれずに、「once upon a time in 横浜」のDVDを買ってしまった。それを見、「SURVIVE」を聴いて、県文ライブまでの気分を盛り上げていこうと思う。
 そんなことよりも、今年の曲を聴いた方がいいということはわかっているが、私が、世間とずれながら進んで行くのは常のことだ。まだ、CDを聴いているだけ、以前よりマシになった。ちなみに、私が、生まれてはじめて買ったCDは、「ハイブリッド・コンシャス」と、「風になれ」で、買ったはいいが、プレイヤーを持っていなかったのでなかなか聴けなかった。プレイヤーを買ったのは3年前のことだ。

 今日は大きな台風が来たが、一時停電しただけで、大した被害はなかった。しかし、我が家のある新興住宅地の共同アンテナが、風で壊れてしまい、テレビが見られなくなった。夜までに復旧したので嬉しかった。愛媛代表の今治西高校が勝ったので、どうしても、「熱闘甲子園」を見たかったのだ。
 今西の曽我選手は、左足が義足だというので、全国的に有名になった。局は忘れたが、どこかのニュースのスポーツコーナーで、曽我選手が取り上げられたとき、その活躍が、全国の肢体不自由な男の子に勇気を与えている、という内容で、片足神経麻痺ながら野球が大好きな東北の男の子が、曽我選手に会いに来たり、手紙を書いたりしていた。それは感動的だったが、その男の子は、曽我選手のことを「曽我にいさん」と呼んでいた。関西の若手芸人か。どうか強く生きろ。曽我選手は、50mを6秒で走るそうだが、私は13秒かかる。

第26回 日本の夏・北朝鮮の夏 (03.8.5)

 昨日の早朝、玄関先で、クマゼミが羽化していた。父が見つけたときは、えびぞりになって殻から抜けようとしているところで、羽もまだくしゅくしゅだったが、30分くらいして見に行くと、もう、完全に殻から抜けて、羽も伸びていた。白かった体が、だんだん黒くなって、夜明けにはいなくなっていた。
 我が家では、鈴虫が、何年にもわたって繁殖をくりかえしているが、今年生まれた鈴虫が、昨日はじめて鳴いた。
 
 一昨日、おとなりから、とうもろこしとじゃがいもをいただいた。私はとうもろこしが大好きなので、さっそくゆでた。とうもろこしは、おいしいだけでなく、ひげも可愛いし、皮や芯も、何だかイイ感じだ。皮や芯を使って、何か作りたくなるが、ろくなものができたためしはない。NHKの海外ドラマ「大草原の小さな家」でおなじみの、「ローラの物語」シリーズを読むと、ローラがまだ小さくて、布人形を持っていなかった頃、とうもろこしの芯をハンカチでくるんだものを人形がわりにして、遊ぶ場面が出てくる。それを読んだ頃は、私も小さかったので、まねをしてやってみたが、芯にカビがはえてしまった。アメリカと日本との、気候の違いもあると思うが、ショックだった。

 我が家は今年、珍しく、土用の丑の日にうなぎを食べなかったが、それを気にした母が、別に土用の丑の日でも何でもない昨日、うなぎを買ってきて、家族に食べさせた。私はうなぎが食べられないので、ごはんにタレだけかけて、うなぎのタレごはんを食べた。おいしかった。あれほど白いごはんに合うものは、なかなかない。私的には、なめたけと、うなぎのタレが、前門の虎後門の狼という感じだ(使い方間違っている)。

 昨日、テレビ朝日の夕方のニュースを見ていると、北朝鮮で選挙が行なわれたらしかったが、投票率は100パーセントだということだった。偉大なる将軍様のご威光のためか、病気で選挙に行けない人など一人もいないらしい。選挙区がいくつあるかもわからず、誰が立候補しているのかもよくわからない、信任投票だということだったが、そんなことよりも、ニュース内で流れた、北朝鮮の「選挙の歌」と「選挙の踊り」が、大変に良かった。死ぬんじゃないかと思うくらい笑った。

第25回 暑中お見舞い申し上げます (03.8.2)

 このサイトをご覧の皆様、暑中お見舞い申し上げます。
 ようやく夏らしく暑くなってきたが、私は暑さに弱いので、ありがたくない。
 夏だから開放的になるというのは、誤りだ。暑いし、日焼けはするし、夏に外に出るなんて間違っている。花火、すいか、かき氷、海水浴、麦茶、浴衣、田舎のおばあちゃんの笑顔、そんな「夏休みの思い出」に、皆、だまされていないか。
 そう言いながら、今日は夜店に行った。金魚すくいをしたかったが、しなかった。

 昨日、友達に借りた、パンクラスのDVDを見た。2000年4月の、横浜文体大会のものだ。最近、試合の放送やビデオを全く見ないので、冨宅さんの試合後の声を久しぶりに聞けて、嬉しかった。試合の映像には、私の“冨宅さんコール”が入りまくり、アナウンサーにまで、「会場から、女性の“冨宅コール”が飛んでおります」と言われていた。冨宅さんの二年ぶりの復帰で、よほど興奮していたのだろう。

 このほど、「おもいッきりランキング」を、大幅改装することにしました。理由といたしましては、
1.ずっと更新できておらず、ネタが古くなった
2.誰も見ないオフィシャルランキングを更新するのが面倒になった
3.オフィシャルランキングに、スーパーヘビー級が新設され、さらに面倒になった
 です。もしかすると、新装開店の折は、全く違うコーナーになっているかもしれませんが、気長にお待ちいただければ幸いです。
 


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