旅日記番外  福岡編


*****思ひ出の福岡*****

 小さい頃、親に連れられて福岡に行ったこともあるようだが、大人になってから行ったのは、一度は祖母と、「大相撲九州場所観戦ツアー」に参加したときだ。貴乃花が横綱になる直前だった。祖母は、遠出がキライだったし、自分のために私や母にお金を使わせるのもいやがったが、若貴の誘惑には勝てなかったのだ。
 福岡ドームの見学もした。歩くのが大変なので、祖母はバスで待っていると言ったのだが、職員の方が車椅子を貸してくれた。私がそれを押して、ツアーの他の方々とは別に見学した。関係者用エレベーターに乗せてもらえ、ベンチの裏まで見せてもらえた。器物損壊のあとがあちこちにあった(選手が蹴って壊したあと)。

 その次は、97年、パンクラス博多スターレーン大会を見に行ったときだ。「パン窓」の、97年梅田ステラ大会の巻にも少し書いたが、キャナルシティに行こうとして迷子になったり、大濠公園をうろついたりした。とにかく緊張しておなかが痛かった。記憶がおぼろだが、よくスターレーンまでたどりつけたと思う。天井が低くて、上のボーリングの音が響く会場だった。
 そのとき、船木さんの試合をはじめて見たが、ガサウェイ兄弟の兄か弟かどっちかと試合をして、サクッと秒殺していた。メインの近藤選手の試合が長引き、その上マイクアピールまであったので、帰りの、門司発のフェリーに乗り遅れそうになり、博多から小倉まで新幹線に乗るはめになった。博多から小倉まで新幹線に乗る奴もあまりいないであろう。船木さんの秒殺がなければ、乗り遅れていたと思う。

 祖母が亡くなったのと、船木さんが引退したのは同じ年だ。それ以降、福岡のことを思い出すと、いつもほろ苦い感がつきまとう。
 
*****八年ぶりの福岡*****

 05年8月27日、B,zの福岡ドームライブに行った。職場の、B,z友達三人と一緒だ。地元から、他人と旅行に行くのは、数年ぶりだ。ここ数年、旅と言えば、遠くの友達に会って遊ぶことだった。なので、妙に緊張した。私のために、皆が飛行機に乗り遅れたりしたらいけないので、早めに松山空港に行かなければと思ったが、その日の朝、松山空港に着いたのは、例によって、私が一番遅かった。
 福岡空港に着き、地下鉄で祇園に出てホテルに荷物をあずけて出発。博多駅周辺で昼食をすませ、なぜかフジテレビショップで波平さん人形のついたシャープペンシルを購入する。そのショップには、サザエさんファミリー全員のシャーペンとボールペンがあったけれども、一番売れないのはフネさんだと予測するがどうだろうか。<カマカズ的マーケティング予想>1位:サザエさん(やっぱり主人公) 2位:タマ(かわいい) 3位:波平(頭頂部の一本の毛) 4位:ワカメ(パンチラ) 5位:タラちゃん 6位:カツオ 7位:マスオ 8位:フネさん。あなご君(タラコクチビル)があったら欲しかったが、なかった。
 そんなことはどうでもいいが、バスでドームに向かう。東京や大阪に行くと、街を歩く人々を見ても、「松山と違うな〜」という感じがするのだが、福岡では、それほど違和感はない。でも、バスから街並みやベイサイドエリアを見ると、やっぱり都会だなという気がする。
 ライブ開始は六時半、我々がドームに着いたのは二時すぎだったが、早くもB,zファンでごったがえしていた。皆、そんなに早く来て何するんだろう(おまえもだ)。また(5月と6月のライブレポは、「思っていたことなど」の中にあります)、ガチャガチャをやる。友達(Hさん)が、稲葉リストバンドを家に忘れて来てしまったので、今までこのガチャガチャを四回やって二回も稲葉リストバンドを出している私の腕の見せ所だ、出してHさんにあげよう、と思ったのだが、こんなときに限って、松っちゃんリストバンドが出た。私はもう持っているんだが・・。もう一回やると、コンパクトうちわが出た。おりたためるうちわだ。これは、このあと、大変役立ったが、一度広げると、二度とたたむことができなくなった。

*****Tシャツに凝ろう福岡ツアー*****

 昔、祖母とドーム見学に来たときには、周囲には、シーホークぐらいしか目立つ建物がなかったような気がするのだが、いろいろな建物ができていた。すぐ近くのハードロックカフェに行く。行列ができていて、座れるまで時間がかかるようだったが、とりあえずカウンターで待つと、店内には大音量でB,zの曲がかかり、全てのテレビではB,zのDVDが流され、店員は全員B,zTシャツを着ていた。夢のような世界だ。このハードロックカフェでは、ドームでライブがあると、いつもこんなふうにしているのだろうか。でも、「ハードロック」と名乗ってるぐらいだから、ハロプロのときとか、いつでもやるわけではないのだろう。B,zでもギリギリchopだと私は思うのだが。それはいいが、ときどき、とんでもなく古い、初期の、肩パット満載の頃のビデオが流され、店内から、渦のような失笑がわいていた。イヤガラセか。
 今回、四人で来たが、一人がB,zのツアーT着用、一人が、豊天の、「萌え」と背中にでっかく書いてあるTシャツ着用、私は近藤選手の「不動心」T着用で行った(写真はライブ後、中洲にて)。本当は、台湾に着て行くつもりだったのだが、背中に日本刀が描いてあるため、反日デモに巻き込まれたらイヤなのでやめたのだ。一人だけ普通の服だったKちゃんも、グッズ売り場でツアーTを買って、ハードロックカフェのトイレで着替え、これでめでたく、全員が、あまりお店で売っていないTシャツ着用になった。特に、「萌え」Tは、どこにいても目立ち、遠くからでもわかるので、集合の目印としても役立った。周囲の視線もクギヅケだ。それが慣れると快感になり、我々は、「萌え」Tに、数メートル先を歩いてもらい、周囲の反応を観察するという、高度なウォッチング術も体得した。
 ようやく席に座れ、飲み物を選んだが、店員さんが、「(B,zの新曲)『OCEAN』にちなんだ、この二日間限定のカクテルがありますよ」と言ったので、我々は速攻でそれに変えた。特にうまからず、まずからずで、ただ『OCEAN』と名前がついていて、合成着色料で青くしてあるだけなんだが、飛ぶように売れていた。そりゃ売れるだろう。我々全員、ケータイで写真撮ってるし(写真参照)。

*****狂乱の福岡ドーム*****

 私はあまりお酒に強くないので、酔っぱらい気味でハードロックカフェを出て、ドームの周囲を歩く。周囲には、数か所に、著名人の手型がある。タモリのもあるらしかったが、私は見つけられなかった。B,zの手型があって、長蛇の列ができていたので、並んで写真を撮る。「萌え」Tの方は、若手芸人の追っかけをしているのだが、「Baseよしもとの出待ちのときは、芸人本人がいても、こんなに列はできない」と嘆いていた。手型はたくさんあったが、黒川紀章、妹尾河童、あと歌舞伎の方々など、文化人が多く、その中にあってB,zだけ異彩を放っていた。文化人の方々の手型は、青銅色のままなのに、B,zのだけ、触られすぎて金色になっていた。
 ドームに入ると、あまりのセットの豪華さに、我々は興奮してキーキーいった。席が埋まると、ものすごい人数だ。これだけの数の人々が、自分達を見るためだけに集まってきたと思うと、どんな気持ちがするもんなんだろう。そう考えると、イナバ氏が腰を振ったり、マイクを股間に当てたりする気持ちもわかろうというものだ。警備員の数もすごくて、「萌え」Tの方は、「この警備員だけで、Baseよしもとが二回ぐらい埋まりそう」と嘆いていた。私も、この警備員が、全員、熊本の「パンクラスZ」に来てくれたら、立派な興行が打てそうだと思った。

 やがてライブが始まった。例によって汗だくになったが、今年最初の愛媛県民文化会館に比べると、ペース配分ができて、疲れなくなった気がする。今回の席はスタンド一塁側、九列目だったが、内野辺はずっと低くなってアリーナに近いので見やすかった。ただ、セットが、巨大な鉄骨の「ロックマン」だったのだが、そのロックマンの股間でビジョンが隠れて、ちょっと見にくかった。
 ステージはセンターで、さすがドーム、炎や花火も出まくりだ。炎が出た瞬間、けっこう離れた私達まで熱くなるのだが、ステージ上やアリーナ前方の人達はどんだけ暑いんだろう。ステージの周囲、ふちの部分が、イナバ氏と松っちゃんを乗せたまま回るようになっていた。最初に回ったのは、「イカロス」のときで、客も沸いたが、松っちゃんも嬉しそうに笑っていた。松っちゃんのライブ中の笑顔を見ると、「ああ、よかったなあ」と思う。しかし、「回っている」という光景は、ちょっとした笑いを催すのはなぜだろう。理由はわからない。関係ないが、私にとって一番理由がわからない笑いは、「似ている」だ。親と子があまりにも似ていたりしたら笑ってしまうのはなぜだろう。
 そんなことはどうでもいいが、回る速さは、曲調にあわせているので、「あ〜っ、松っちゃんがこっちに回ってきたきた!」と思っていると、突然曲が速くなって、あっという間に行っちゃったりする。「juice」のときは、ものすごい速さで回り、もはや松っちゃんは乗っていられなくて、イナバ氏だけが、固定されたマイクスタンドにつかまって歌いながら回っていた。のちほどイナバ氏は、MCで、「回転寿司のマグロの気持ちがわかりました」と言っていたが、あんなに速く回っていたら、シャリからネタが飛ばされるか、客が皿取れなくてネタ乾いちゃってるか、どっちかだろう。

 「ハッピーバースディ」の歌のときは、客が多すぎるためか、「今日、誕生日の人いますか?」とは聞いてくれなかった。イナバ氏は、「CD化してくれという要望が、多分、これから殺到する予定です(笑)」と言っていたが、ホントにCD化してほしいなあ。
 Hさんいわく「ツボ押しのボールみたい」な、トゲトゲのついた白い巨大な丸い風船が、何個も浮かんでいて、何だろうと思っていたのだが、「愛のバクダン」のとき、凶悪なサメみたいな顔の描かれた、ピンクの迷彩柄の飛行船が出てきて、鼻先で風船を割ると、中から、ピンクのハート形の風船がいっぱいあふれて落ちてきた。欲しくてたまらず、取りたかったのに、取れなかった。帰り道、風船を持っている人がたくさんいて、うらやましかった。いい年して、たかがハート形の風船がそんなに欲しいのか、と言われると、「欲しい!」としか言いようがない。Hさんは、「ハート形の風船と一緒に、ひらひら、布みたいなのが落ちてきた」「あれは、ツアーグッズのパーカーかもしれない、パーカーをプレゼントしてくれるなんて、B,zってやっぱり太っ腹」と言っていたが、「布のようなもの」は、多分、外側の、割れた風船の破片だと思うよ、Hさん・・・。
 「BANZAI」のときは、ツアーロゴの、「CIRCLE OF ROCK」の頭文字「COR」が、中心に赤く染め抜かれた白い巨大な幕が下りてきた。日の丸のようだ。歌に合わせて客が、その幕の前で「バンザイ」を繰り返すさまは、右翼の集会のようだった。右翼上等!!

 最後の「ウルトラソウル」のときには、ステージ上に紅白の幕が下り、何だろうと思っていると、暗転した。我々の席は、スタンドの前の方だが、ネットで仕切られた向こうはアリーナ席の通路で、どうも暗いうちに、ステージの一部が切り離されて、その通路、ネットの前まで来ていたらしく、そんなことはどうでもいいのだが、要するに、明るくなると、
イナバ氏が目の前に来てるよ!!!
めちゃめちゃ近いよママーーーーー!!!!!

 我々が興奮のあまり異常者に近い状態になったことは言うまでもないが、一秒を惜しんで見なければいけない。間近で見るイナバ氏は、全身が白く輝いてるようで直視できなかった。これがオーラというものなのか。ピアスがキラキラ光っていたことだけ印象に残っている。隣の友達も、同じオーラを感じたらしく、イナバ氏は黒いトップスを着ていたのに、「全身白だった」と言い張っていた。いくら何でも全身白じゃないだろう。仲本工事か。
 イナバ氏は曲の途中で中央のステージに帰ってしまった。私と友達は、意味不明な奇声を発しながら、お互いをバンバン叩いたり腕をつかんでゆさぶったりし、私は隣の、全く知らない女性とも喜びをわかちあい、私の前の女の子は感動のあまり泣きだし、阿鼻叫喚の生き地獄(表現間違っている)が展開された。
 他の二人の友達は、三塁側の席だったのだが、後で聞くと、そっちには松っちゃんが来たらしい。いいなあ。

*****福岡の旅とは*****

 楽しい時間はあっという間にすぎて、ライブは終わり、我々はピストン輸送のバスで天神まで出て、歩いて中洲に行った。博多ラーメンを食べるためだ。はじめて来たが、屋台がいっぱいあってびっくりした。「松っちゃん」「永ちゃん」という屋台もあったが、「やまちゃん」(南海キャンディーズ?)という屋台に行く。外のテーブルで、男性二人と相席になった。別に話したくもなかったが、話をしていると、二人とも新潟の方だという。お一人は、リングのマットや、サーカスのテントなどを作る会社の方だというので、リングのマットの固さなどについて話を聞く。もうお一人は、プロレス・格闘技好きだと言うので、近藤選手を知っているかどうか聞いてみたが、「知らない」とのことだった。95年3月の、東京ドーム大会後の、猪木の「ダー!!」の動画を、ケータイで見せてもらった。
 今回の、福岡の旅は、祖母のことなど思い出すと、「祈りの旅」でもあったのだが、ライブのサプライズを考えると「稲葉の旅」であり、全体を通してなぜか「猪木の旅」でもあった。ドームの、B,zの手型の近くに、猪木の手型があり、やはり触られすぎて金色に光っていた。そして、めちゃ大きくて、こちらにつかみかかってきそうな迫力だった。猪木ってすごい。わけのわからないしめくくりだが、終わる。

 ♪ 人がこしらえた 悲しみのカラクリ なんとかできるのは ふとしたsmile 1・2・3  ダーーーーー!!!



トップページへ戻る

イナマツトップへ戻る