05.9.17 IMP大会

 久しぶりの大阪プロレスで、新体制になってはじめてだ。思えばはじめて大阪プロレスを見たのが、二年前のちょうど今頃、IMPホールだった。まさか二年後、大阪プロレスも冨宅さんも私も、こんな事態になっていようとは。人生、何が起こるかわからないものだ。IMPも久しぶりで、行き方も忘れていたが、地下鉄に乗ると思い出し、ビジネスパーク駅を出るときも、ちゃんとIMPビルのまん前に出られた。めざましい進歩だ。
 一昨日台湾から帰ったばかりで、素足にサンダル、ノースリーブに近い格好で行ったのだが、会場にはもうブーツの女性がいて、私は浮いていた。明らかな台湾ボケだ。いつものように売店で、「月刊大阪プロレス」を買う。試合カードのスタンプが押されていたが、今回も手書きで、非常に字がナニで(以下略)。
 今まで、大阪プロレスは、カードが出てからチケットを買っていたので、ファンクラブ優先で取ったことがなかったのだが、今回はじめて優先で取ったところ、席は正面の一列目で、ものすごく見やすかった。遠来の客に気を使ってくれたのだろうか。隣に、私がはじめてデルアリに行ったときお座布団を貸してくれた女性が座られたので、声をかけようかと思ったが、向こうがおぼえていなかったら変な人だと思われるのでやめた。

*******************

 冨宅さんは第一試合で、アイスペンギン選手とタッグを組んで、二代目えべっさんと、若手の小峠選手と対戦。この四人のうち、冨宅さん以外は見るのははじめてだ。特にペンギン選手を見るのを楽しみにして来た。「某水族館のペンギン課課長をクビになって、大阪プロレスに来た」そうだが、私も、その某水族館、海○館には、ずいぶんお世話になっている。一時期、大阪に来るたびに行っていたので、十回以上行っている。数年前、その○遊館に行くと、前に巨大な観覧車ができていて、そのときは一人だったのに、どうしても乗ってみたくなり、一人で観覧車に乗ったことがあるが、あれは寂しかった。私は、やりたければ何でも一人でやるが、観覧車だけは乗るもんじゃないと思った。それと、自分が高所恐怖症だということを、乗る前に忘れていたので、途中で泣きたくなるほど怖かった。
 そんなことはどうでもいいが、冨宅さんが、八月のデビュー十五周年のとき、ペンギン選手と対戦して、「UWFでデビューして十五年後、動物と試合しているとは思いませんでした」と書いておられたのが印象に残っている。人生、何が起こるかわからないものだ。他にもイルカや虎や亀や牛や鳥など、何気に動物の多い大阪プロレスだ。
 ペンギン選手は、最近ちょっとプロレスをおぼえてきたらしいが、向こう正面の客(推定五、六歳)から、「弱いなあ」と、ため息まじりの声がもれ、「頑張ってるんや」と言い返していた。瞬く間に、えべっさんと小峠選手にボコボコにされ、「冨宅!助けろ!!」と言ったために、「呼び捨てにするな!!」と、冨宅さんにもボコボコにされていた。楽しい試合なのに、私は、冨宅さんを久しぶりに見るので、緊張して冷汗をかいていた。

*******************

 第二試合は、大矢剛功選手と、ブラックバファロー選手の試合。大矢選手を生で見るのは、おそらくはじめてだが、雑誌とかでもしばらく見ていない。ふと見ると、数年前から心もとなかった髪の毛が、それはそれは大変なことに(以下略)。
 なぜか冨宅さんが、花道の奥から、この試合を最初から最後まで見ておられた。大矢選手の髪の毛の行方に思いをはせておられたに違いない(違うよ)。
 大矢選手は、バファロー選手から「ロートル」扱いされていたが、貫禄を見せて勝った。バファロー選手は、試合後、マイクを握ると、「今日は花を持たせてやったんだ。大矢剛功(ひさかつ)・・ひさかつ・・久しぶりに勝つ!だから!」と、なぜかダジャレで締めた。客席から「えー」という声ももれていたが、たまにはいいじゃないか。

*******************

 第三試合は、スペル・デルフィン選手&くいしんぼう仮面対、ミラクルマン&ラ・内田選手の試合。大阪プロレスの客席にはチビッ子が多いなあと、いつも思うが、この日も多くて、くいしんぼうにお菓子をプレゼントしていた。三歳ぐらいの男の子が、あげるお菓子は用意してなかったのだが、皆があげているので、何かあげないといけないと思ったらしく、くいしんぼうの投げたお菓子を拾って、くいしんぼうにあげていた。くいしんぼうはそのお礼に、同じお菓子を男の子にあげていた。心温まる物々交換だ。
 そんなくいしんぼうだが、この日はキラーモードで強かった。内田選手が、くいしんぼうを倒すために、なぜかミラクルマンにむりやり弟子入りしたことは知っていたが、今日は、内田選手がくいしんぼうに勝つことができた!貴重な瞬間を見られて感無量だった。内田選手は、試合後、感極まったように、
「師匠との合宿のおかげで勝つことができました!ありがとうございます!!」
と、やってもいない合宿の成果を強調していた。ミラクルマンは、また、かなりな素で、
「うん、まあ、よかったな。これでもうええやろ」
と、押しかけ師弟関係の解消を宣言したが、内田選手は、まだまだ教わりたいと熱く語る。ミラクルマンは、
「て言うか、おれ、何も教えてないやないか。おれやなくてもいいやろ。例えば小峠とかでも、もっとこう、うまく言えんけど、ガッといけるかもしれん」
と、素でぼやいていたが、客が、おかまいなしに「師匠」コールを始めたので、「おまえら、おれの話を聞け」とキレていた。生で「師匠と弟子」コントが見られて感無量だった。

*******************

 セミは、タッグ王者の秀吉選手・政宗選手に、ビリーケン・キッド選手とツバサ選手が挑戦していた。秀吉選手と政宗選手は、はじめて見るのだが、いろいろ悪事をはたらいていて、チビッ子が興奮して殺気立っていた。パウダー攻撃すると、私の席まで、ほのかなシッカロールの香りがただよってきた。まさかルードの選手がシッカロールは使わないと思うので、あれはシッカロールに見せかけた毒物なのだろう。最近の若いお母さんは、赤ちゃんにシッカロールは使わないというが、本当なのだろうか。何がいけないのだろう。私が子どもの頃は、夏場の風呂上がりにはシッカロールまみれにされていたのだが。
 私がそんなことを考えているうちに、ビリー選手とツバサ選手が勝利をおさめた。二人は歓喜して、客席にも降りてきて喜びをわかちあった。私もハイタッチしてもらった。そんな二人だが、私がこの文章をなかなか書かずにぐずぐずしているうち、「天王山トーナメントに集中するためにベルト返上」てなことになってしまった。全く関係ないが、ビリー選手と、“兜王”ビートル選手のマスクは、顔、出すぎじゃないか。ほとんど素顔がわかるんだけど。

*******************

 メインは、スーパー・ドルフィン選手に、タイガースマスク選手が挑戦するタイトルマッチ。このあと、タイガース選手と、白鳥智香子さんの慶事が発表になったわけだが、この日はそんなことはおくびにも出さない試合ぶりだった(当たり前だ。出してどうする)。タイガース選手の、マスクの後ろの紐の下からこぼれる後ろ髪がカワイイなあと、私も以前から思っていた。それと、マスクのの部分。白鳥さんもそんなところが好きになったのだろう(絶対違うよ)。
 タイガース選手は、善戦むなしく敗れたが、ドルフィン選手は、試合後のマイクで、「おれ達で、メインでこんないい試合ができて嬉しい」と、感極まった様子だった。そこへ大矢選手が現れ、「大阪プロレスにはじめて上がったが、ちっちゃい選手が頑張っていて感動した。ぜひ自分にもベルトに挑戦させてほしい」旨のことを言った。大矢選手も、そんなに大きくはないんだがなあ。

*******************

 翌日は、奈良に行った。何気に、奈良に行くのは生まれてはじめてだ。鹿がたくさんいて感動した。奈良在住の従兄夫妻に遊んでもらう。従兄の奥さんが、サンドイッチやパウンドケーキを作ってきてくれ、奈良公園でブランチ。
 それから浮見堂、東大寺、二月堂などに連れて行ってもらう。大仏が大きくて感動した(何のひねりもない感想だ)。大仏の鼻の穴と同じ大きさの穴があいた柱があって、くぐってみようと、子ども達が大勢並んでいた。私でもくぐれそうだが、手をついて這うと肩がつかえそうだ。従兄に手をひっぱってもらわないと無理だろう。それが恥ずかしかったのであきらめる。
 従兄の奥さんが、鹿せんべいを買ってくれた。鹿せんべいは道端で売っているのだが、鹿も賢くて、店先に積んであるせんべいには一切近づかず、お客が財布を出すと、群がってくるのだ。嬉しくて、春生まれの子鹿にせんべいをやろうとすると、大量の鹿に囲まれた。角は切ってあっても、大きな雄鹿は黒くて怖いし、角のある若い雄鹿も怖い。従兄の奥さんが、「おせんべい見せてると、すごく来るから、見せちゃダメよ」と言うので、せんべいを体の後ろにかくすと、後ろから食われ、手が、鹿のヨダレまみれになった。池の鯉にやる、お麩も売っていて、外人女性がそれを買っていたが、池にたどりつく前に鹿に囲まれ、全部食われていた。
 イーゼルを置いて、風景をスケッチしている人も多く、京都とかとも少し違う、のどかな雰囲気だ。たくさん歩く。正倉院の横を通ったが、建物はさっぱり見えなかった。正倉院近くの池に、鹿が入りこんで、水草を食べていた。水牛か。
 この夜は満月で、猿沢の池に船を浮かべて「采女祭り」というお祭りがあるとのこと、夜になると人が増えてきた。従兄に夕食をご馳走になっている間にお祭りは終わったので、見られなかったが、若草山の上の満月が美しかった。大阪に帰る。近鉄の窓から、ライトアップされた朱雀門が見えた。翌日は、大阪ドームでB,zのライブ。大阪の住人になったような、楽しい三日間だった。

 P.S:私が大阪ドームにいる頃、神戸サンボーホール大会のミックスドマッチで、冨宅さんは、またセクハラプレイをはたらいていたらしい。IMPで流れた、サンボーホール大会の告知でも、「冨宅さん、思う存分やっちゃってください」とアオられていた。夏、後楽園ホール大会で、はじめてセクハラしたとき、「エロオヤジ」と言われた冨宅さんは、試合後、「道場とかでいつも若い人と接してるから、若いつもりなんですけど」みたいに言っていた。私も、職場とかでいつも若い人と接しているので、自分では若いつもりなんだが、私達、もう十分、イッちゃってるんですよ・・・。でも、なんか、若いときより楽ですね、冨宅さん・・・。  


トップページへ戻る

「ぶら阪」トップへ戻る