05.4.9 デルアリ大会

 久しぶりのデルアリだ。ちょうど一年前、アイドル飛駈を見に来て以来だ。デルアリ自体は変わっていないが、今月末、大阪プロレスから、八人の選手がいなくなる。引退するQUALLT選手、ユタカ選手の試合を見るのは、私は、今日が最後になるだろう。えべっさんの試合も、もう見られないかもしれない。そう思うととても寂しかった。
 試合前、売店で、久しぶりに「月刊大阪プロレス」を買う。前回、アイテムえひめ大会の観戦記で、「対戦カードのスタンプが押されているのを見たことがない」と書いたが、今回、はじめてスタンプを押してくれた。が、そのスタンプがまた手書きで、今回はデル社長の字ではなかったのだが、非常に字がナニで(以下省略)。
 一番後ろは広告のページだが、そこに、個人の広告があって、その人の顔写真と、「三○○雄は大阪プロレスを応援します!」という文字と、携帯番号とメルアドだけが書いてある。いったい、この人は何をする人で、何を目的にここに広告を出しているのか、謎だ。

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 第一試合は、えべっさん・ツバサ選手・デンセンマンの、3WAYマッチだった。デンセンマンは例の音頭で入場してくると、いきなり花道で踊りはじめた。私は、花道のふちに座っていたので、目の前で踊られることになり、それがあまりにおもしろくてキーキーいっていると、踊り終えたデンセンマンは、私の前で正座して、手をついて深々と頭を下げ、「ようこそいらっしゃいました」と言った。私も、「いいえ、どういたしまして」とでも言えばよかったのに、気が動転して言えなかった。
 怪我で一時期休んでいたツバサ選手は、久しぶりに見るが、あいかわらずかっこよく、えべっさんも、「ええな〜、おれも、耳、そんなに(ギザギザに)しょうかな〜」と言っていた。それは、セキセイインコにかじられたみたいになるのでやめてほしい。そんなツバサ選手だが、デンセンマンに触られたときの、感電のしかたが「ぎこちない」と、えべっさんに叱られていた。

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 第二試合は、タイガースマスク選手と、ディスコマシーン選手の試合。ディスコ選手ははじめて見る。ミラーボールを持ってきて、リングでダンスを踊るのだが、タイガース選手は、観客に向かって、「皆さんも、イヤでしょうけどノッてください」と頼んでいた。親切なのか捨て鉢なのかよくわからない言葉だ。
 タイガース選手が、なんだかよくわからないが「自主制作映画を作る」と言い出したことは知っていたが、この日も、「映画のために、本場からアメリカ人を呼びました」と言っていた。それがディスコ選手で、自分は主役だと思い込んでいたディスコ選手との間で行き違いがあり、この試合で勝った方が主役をやることになったり、めでたくタイガース選手が勝ちをおさめたりしたのだが、通訳の方がディスコ選手の言葉を訳してくれる際、「おいおい、待ってくれよ、僕が主役じゃないのかい」などと、深夜の通販番組みたい(「おいおい、スティーブ、こんなにオマケをつけてその値段でいいのかい」)だったことはいいとしても、全て原稿を読んでいた。負けた後のセリフも決まっていたということは、プロレスって、最初から勝ち負けが決まっているのか!と思い、深く傷ついた(嘘)。
 タイガース選手が、終始、アメリカ人、アメリカ人と言い、アメリカ人というだけで有難い感じなのが昭和っぽかったのと、「Thisムービー」と言おうとして、「This映画」と言ってしまい、観客から失笑がわくと、「ええやないかあ〜」と素で照れていたのが、可愛かった。

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 第三試合は、デルフィン選手・くいしんぼう仮面・ラ・内田選手組対、MA−G−MA選手・ブラックバファロー選手・ユタカ選手の、岸和田愚連隊組。新人のラ・内田選手を見るのははじめてだ。冨宅さんが、先週、この内田選手と対戦して、その試合後のコメントが公式サイトに載っていたが、「僕もときどき『』と呼ばれるので気持ちはわかります」だった。「船木・鈴木『』が旗揚げしたパンクラス」ということなのだが、これが私にはものすごくツボだった。今は亡き作家「中島らも」っぽい(新聞の見出しで「青木・中島らも予選落ち」とかあったりして)と一瞬思ったが、よく考えれば全く違う。
 内田選手は、愚連隊の集中攻撃を受けるが、頑張って、ユタカ選手から勝利をもぎとる。初勝利だ。客席から、温かい拍手がわいた。
 最近、デルアリでは、入場時の整理券番号で、プレゼントが当たる抽選会があるらしく、初勝利を記念して、内田選手が司会をまかされた。私は例によって何も当たらなかったが、内田選手は、なかなかしっかりした司会ぶりだった。賞品の中に、デルフィン選手がパーソナリティーをやっているラジオのTシャツがあったのだが、それを紹介した内田選手は、「いい番組らしいです」などと、一度も聞いたことがないことバレバレな発言を行っていた。

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 セミは、ビリー選手・ペロ選手組対、ミラクルマン・Gamma選手組の、大阪タッグ選手権試合。ペロ選手の離脱が決まっているので、けじめとして、この試合に勝ってベルトを返上したいとのことだった。ミラクルマンもGamma選手も、いつもと違い、王者組のマスクを剥ごうとしたり、ルードのようなラフファイトだった。ペッキーちゃんが、リングをバンバン叩いて、泣きそうな声で、相手の反則をレフェリーにアピールしていた。
 そんな応援の甲斐あってか、王者組が勝ち、ベルトを返上した。試合後、マイクを握ったビリー選手は、「ほんとは、もっと、二人でやっていきたかったですけど」と言うと、声をつまらせて泣きだした。ペッキーちゃんも泣いていた。私も胸がじんとした。ペロ選手は、「ここまでやってこれたのは、ここにいるファンの方々と、このペッキーのおかげです」と言い、ビリー選手と二人でペッキーちゃんをかかえ上げてねぎらっていた。

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 メインは、スーパー・ドルフィン選手対QUALLT選手の試合。昔からかかわりのある二人で、QUALLT選手は、引退を前にして正々堂々と男と男の勝負をすると思われていたが、意外にも、場外乱闘あり、セコンドの介入ありの、いつもの愚連隊バージョンだった。私は場外乱闘から逃げまどったが、QUALLT選手は、私のななめ後ろにあった大きなゴミ箱で、ドルフィン選手を殴打。FC会報のインタビューで、「ゴミを散らかすな、分別しろ」と言っていたQUALLT選手だが、ゴミが床に散乱し、観客が座れない状態に。散らかったゴミは、タイガース選手が必死でかたづけていた。観客も協力するという、微笑ましい光景も見られた。
 ドルフィン選手は、勝つには勝ったが、激怒してマイクを握ると、「お客さんが見たかったのはこんな試合ですか。QUALLT、いや、瀬○優!!あなたと真っ向勝負がしたいんだ」と叫んでいた。○野って・・・。「言っちゃったよ」という感じで、ドキドキした。

 大阪プロレスを辞めていく選手の方々も、引退して第二の人生を歩みだす方々も、大阪プロレスに残る選手の方々も、本当に頑張ってほしい。応援しています。
 QUALLT選手の必殺技「ペティグリー」を、最近まで、ペロ選手の必殺技だと思っていた(「ペティグリーチャム」から)ことを、最後にここで謝りたい。私は、ブラックバファロー選手の後ろ髪を、マスクの一部だと思い込んでいた等、いろいろ前科があるので、ゆるして下さい。

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 翌日、パンクラスの前に、どこかでゆっくり桜を見ようと思っていたが、寝坊したため、梅田に出たらもう一時だった。これでは遠くには行けない。桜ノ宮か森ノ宮ぐらいにしようと思ったので、その前にお茶でも飲もうと、阪神デパートのサロン・ド・テ・モロゾフに、プリンを食べに行った。デパートに入る前、阪神梅田駅で、今岡選手の「らくやんカード」を買う。「スルッとKANSAI」のカードを買うときは、いつも地下鉄で「レインボーカード」を買っているので、「らくやんカード」を買うのははじめてだ。「ほんとに地下鉄でも使えるんやろか」と、実際に使ってみるまで、かなりドキドキした。ちなみにこの前日、地下鉄の駅の売店で「レインボーカードください」と言おうとして、おばちゃんに「パスネットください」と言ってしまい、「何?何やて?レインボーカードでええの?」と問いつめられ、恥ずかしかった。
 阪神デパートに行くと、「阪神電鉄100周年・タイガース70周年」ということで、特別展が行われていたので、行ってみた。阪神電鉄の歴史年表や、昔の駅の模型等があった。昔のきっぷコレクションや、電車の前につけるプレートには、鉄道ファンらしき男性が集まっていた。実習に使う、阪神電車のシュミレーターがあり、子ども達が運転を体験していた。私もかなりやりたかったが、一人では恥ずかしいのであきらめた。世界ではじめて阪神パークで誕生した珍獣「レオポン」(ヒョウの雄とライオンの雌との間に生まれた動物)の剥製があり、標本好きな私は大興奮した。写真は、最初に生まれた二頭のうちの一頭、雄の剥製で、名前は、一般公募からつけられた「レオ吉」。ちなみにもう一頭は、一般公募から「ポン子」。別に公募なんかしてもしなくてもいいような名前だが。猫科の動物では、こうして「あいのこ」はできるが、その動物は、生殖能力は持たない、一代限りのものだ。馬とロバの間に生まれる「ラバ」のようなものだ。ライオンの雄とトラの雌との間に生まれた動物は、「ライガー」という。

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 私は、梅田でよくまいごになるが、この二日間はいつも以上に迷っていた。JR大阪駅が工事をしていて、様子が変わっていたためだ。ステラホール側(ヨドバシカメラのある方)の出入口から、大丸側の出入口に行くことは、すんなりできるのに、その逆が、なぜかどうしても、一筋縄ではいかない。森ノ宮に行って梅田に帰ってきたら、四時をすぎていて、早くステラホールに行かないと試合に間に合わないのに、ヨドバシカメラ側の出口に行くことができず、あせって冷や汗をかいた。四時半ギリギリに会場に着くと、ゲートが押していて、まだ本戦ははじまっておらず、ホッとした。
 この日は、冨宅さんが、スーツ姿で、スカイAの解説をつとめておられ、その渋い美声で、会場の観客をとりこにしていた(と、私は思った)。私は当然、試合より解説席ばかり気になっていたのだが、そんな私の集中力さえリングに引き戻すほど、この日は爽快な試合が多かった。稲垣組のメンバーがそろって出場し、さながら対抗戦のようだったが、武重選手の初勝利を見ることができた。昨日は、内田選手の初勝利を見ることができたし、初勝利という一生に一度しかないものを二日続けて見られるなんて運がいい。

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 大石選手は、先場所の朝青龍のまわしのような黄金色のスパッツと、鈴木選手ほどエスカレートしないことを心から祈りたいの入った頭髪で現れ、見事なKO勝ちをおさめた。大石選手は、マイクを握ると、試合数が少ないことを観客に詫びた。確かに、一度も休憩が入らない大会は私ははじめてだが、早くから来ているお客さんは、ゲートの試合数が多かったのだから、むしろ「見すぎ」くらい見ているかもしれない。
 メインは、すっかり大阪の顔になった前田選手と、村田卓実選手の試合。今回もすっきり一本勝ちしてくれた前田選手は、マイクを握ると、「え〜、稲垣組、全勝ですわ」と言って、観客から大声援を浴びた。前田選手は、「デカイ舞台で試合をしてこようと思います」と、PRIDE武士道への出場をアピールし、「稲垣組、上がって来いやあ!」と、メンバーをリングに呼び入れた。そして、揃って記念撮影。心から「良かったなあ」と思える終わり方だった。前田選手には、武士道でも頑張ってほしい。こうして、「稲垣組」という名前のもとで、皆で頑張って試合をして、それから大きな舞台に出て行くという、若さと、少しのアマチュアっぽさが、この大阪ではいい形で出ていると思う。


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