04.1.24 デルアリ大会

 平成16年も、無事に明けた。昨年末のIMPホール大会で、冨宅さんが、大阪プロレスに継続参戦していくことも発表されていた。昨年のように、村浜選手の持つベルトに挑戦するまでの期間限定ではないので、冨宅さんの入っていくポジションも気になった。私は、このサイトの掲示板で、「地方公務員マスク」「近所のコンビニの店長マスク」「田舎の小学校の先生マスク」等、様々なマスクマンを提唱して、キャンペーンを行なったが、当然のことながら、冨宅さんは、素顔のまま参戦していくことになったようだ。提唱しているマスクマン全てが、「出オチ」に近いことはともかくとして、どれも、「地方」「近所」「田舎」等、余計な修飾語がついているのが、我ながら気になる。
 冨宅さんの新年初試合は、1月4日、デルフィンアリーナで、ツバサ選手とタッグを組んで、岸和田愚連隊の、MA−G−MA・QUALLT組との対戦だった。私は見に行けなかったが、セコンドのブラックバファロー選手やゴア選手も介入しまくり、冨宅さんはつかまりっぱなし、反則され放題で、大変なことになったらしい。見に行かなくてよかったと、しみじみ思ったことだった。

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 新年二試合目は、1月17日、デルフィンアリーナで、ペロとのシングルだった。これはカードを知らなかったので、私は行けなかった。ペロに勝った冨宅さんは、「四対一じゃなく、一対一で来い」と、岸和田愚連隊とのシングルを要求したらしい。それで、一週間後の24日に、QUALLT選手とのシングルが決定した。
 カードが事前に発表されないことも多いので、これほど前もって把握できるのは珍しい。行かなければと思ったが、なかなか決められなかった。冨宅さんが椅子で殴られるとわかっていて見に行くのも嫌だったのと、「お金がない」「寒い」というへなちょこな理由だった。大阪に住んでいればよかったと思った。どうしても見に行きたい試合は、どこでも行くので、関係ないが、あまり見に行きたくない試合のときは、距離が遠い。結局、行くことに決めて、高速バスの切符を買ったのは、木曜日だった。バスにしたのは、メインまで見たいということもあるが、気の進まなさが無意識に出たらしい。フェリーにすると、ベッドで眠れる分、「泊」になるので億劫だ。バスだと、「ちょっとした遠出」ですむ気がする。気のせいではあるが。

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 バスの切符を買った翌日、愛媛には珍しくが積もった。週末に寒波が来ることも、道路が凍結するとバスは走れないこともわかっていながら、土曜の早朝、待合所に行くと、開いておらず、待合所の前にいたおばさんが、心配そうに、「バスは出るんでしょうか」と聞いてきた。「出ると思いますよ」と答えると、「ああ、よかった。私、心配で、バス会社に電話したんやけど、『出る予定です』言うて、『出ます』て言わなんだもんやから」と言った。私は、何の根拠もなく、出ると信じて来ただけなので、私に聞いても安心できないのだが、それは黙っていた。
 バスは無事出発した。山の中を通ったときは、木々に雪が積もっていた気もするが、寝てばかりいたのでよくおぼえていない。昼過ぎに梅田に着き、阪急百貨店に居たが、お昼を食べる場所を求めてさすらい、阪急を出た。たまたま、阪神百貨店に近い出口を出たので、阪神に向かうと、道端や歩道橋の上には、たくさんの人が集まっている。2月1日に行なわれる、大阪府知事選の候補者が演説に来ているらしい。「大阪の人は、選挙に熱心なんやなあ。エモやんの演説やったら、私も聞いて行こう」と思ったのだが、共産党だった。「動員か」とわかると急に興味をなくし、その場を離れた。府知事選には、五人が立候補しているらしいが、「事実上の三つ巴」と報道していた新聞は、残りの二人に対して失礼すぎると思う。

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 四時頃、デルフィンアリーナに行き、当日券を買い、整理券をもらった。整理券番号は、三ケタに達していた。前の方には座れないなあと思ったが、一人なので、目立たないよう、奥の方に隠れていることに決めた。
 試合前、岸和田愚連隊の映像が流れた。この日、QUALLT選手以外の愚連隊のメンバーは、MA−G−MA選手とブラックバファロー選手がメインのタッグマッチ、ゴア選手はワンナイトトーナメントに出場することになっていたが、“ビッグボス”MA−G−MA選手が、携帯で各人に連絡して、「サクッとかたづけて皆で飲みに行こう」とか言う映像だった。QUALLT選手が、長い髪の毛をワシワシ掻きながら、「冨宅なんか軽い」的に話していたが、我ながら、特にムカつかなかった。愚連隊は、メインで対戦するビリーケン・キッド選手とタイガースマスク選手の挨拶にも乱入し、「腕も足も折ったる」とか言っていた。そんなことしないで。
  2月21日に、大阪城ホールで行なわれる“ジュニアの祭典”スーパーJ−CUPを前に、皆、気合が入っているようだ。大阪プロレスからJ−CUPに出場する最後の一人を決めるワンナイトトーナメントが行なわれた。福田選手とペロ、ゴア選手と的場選手が対戦し、ペロとゴア選手が決勝に駒を進めた。話は前後するが、先に書くと、セミで、ゴア選手がペロを下し、J−CUP出場を決めた。「ペロが昔のまま来てくれて嬉しかった。福田、ペロ、的場、おまえらの分までおれは頑張る」と、およそ愚連隊らしからぬコメントが、ゴア選手の口から発せられた。

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 それから、えべっさん・くいしんぼう仮面・デルフイン選手の、3WAYマッチ。私は、3WAYを見るのははじめてだ。誰か一人がフォールを取られたら終わり、ということもはじめて知った。えべっさん・くいしんぼうの動きに、デルフィン選手が乗れず、「社長、プロレスは、一人が欠けてもあかんのですよ。夫婦もおんなじ」と、えべっさんに叱られる。えべっさんとくいしんぼうはタッグチームのようにデルフィン選手を攻めたて、くいしんぼうのフェースクラッシャーが、新婚のデルフィン選手の股間にヒット、そのままフォールされた。えべっさんは、慌てて、「今夜、使いもんにならんかったら大変や」と、デルフィン選手の股間に冷却スプレーをかけ、「冷やしすぎてもあかんかもしれん」と気づかい、デルフィン選手のキューピッド役(死語)としての責任感を垣間見せた。
 試合後、えべっさんはマイクを握り、「大阪名物世界一」のベルトを持つミラクルマンを呼び出し、来週、えべっさん・くいしんぼう仮面・ミラクルマンで、「大阪名物世界一決定戦」3WAYマッチをやろうと言い出した。それにえべっさんが勝てば、2月21日の大阪城ホールに出場できるわけだが、変なシールを貼りつけたベルトを巻いて現れたミラクルマンは、あからさまにやる気がなく、「21日が終わったらやってもええよ」と、そっけない。「それじゃ何にもならん」と怒りだすえべっさんに対し、ミラクルマンが、終始「素」で、そのあまりの「素」ぶりが、私のツボに入り、ミラクルマンが何を言っても、悶絶するほど笑ってしまった。えべっさんは、青いコスチュームのミラクルマンに、「おまえ、全身真っ青になってガタガタ震えてるやないか。男やろ!逃げるんか。ウジウジするな」と言うが、ミラクルマンは、「おれ、小学校低学年の頃、『女の腐った奴』て言われてたんや。マジな話」と、笑っていいのかどうかわからないぶっちゃけ話を始める。えべっさんも、「そんなこと言うなら、おれやって、中学一年から三年まで、登校拒否児やったんやぞ。それでもこんなにスクスク育ちました。どうですか、お客さん」と言うと、客席から、温かい拍手がわいた。そんな二人の少年が、長じて、『大阪に奇跡を呼ぶ男』『中小企業の守り神』と呼ばれるようになるのだから、本当に、人生とはわからないものだ。ミラクルマンのあまりの「素」ぶりを見かねたくいしんぼうが、えべっさんに「早く帰らせた方がいい」と耳打ちする中、ミラクルマンはようやく、来週の試合を承諾した。ミラクルマンが背中を丸めて帰って行くと、えべっさんは、「今、ミラクルマンから、挑戦状が叩きつけられました!!ぼくも男です、逃げも隠れもしません」と、力強く意気込みを語った。

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 休憩前、セミの前が、冨宅さんとQUALLT選手の試合だった。私は、何の根拠もなく、冨宅さんの試合はセミだと思い込んでいたので、かなりふいを突かれて動揺した。試合前、先週の、冨宅さんのマイクアピールの映像が流れた。「ゴアとブラックバファローには、もうシングルで勝ってるんで、あとの二人とのシングルを組んでください。愚連隊、潰します」と、衝撃発言(でも丁寧語)。冨宅さんは、ミッションのTシャツで入場してきた。QUALLT選手が入場してくると、冨宅さんが、レフェリーに何か抗議しているので、見ると、QUALLT選手は、myパイプ椅子を持参しているのだった。「QUALLT選手は、椅子は使わないかもしれない」という、私の期待は、最初に打ち砕かれた。QUALLT選手は、持参した椅子はもちろんのこと、場外で、机も使う。冨宅さんも反撃する。QUALLT選手の持っていた椅子を奪い取り、「使うのか!?」と思いきや、QUALLT選手に投げ返し、その上からハイキック一発、というのがかっこよかった。冨宅さんは、チキンウイング等でQUALLT選手を追いつめたが、MA−G−MA選手が乱入。「MA−G−MA選手は、メインの試合をひかえているから、乱入はしないだろう」という私の期待は、最後に打ち砕かれた。この時点では、MA−G−MA選手とゴア選手を見間違えるという、脳がどうかなったとしか思えない意味不明なミスを犯していて、「ゴアが乱入した」と思っていたのだが。冨宅さんの反則勝ちになったが、MA−G−MA選手は、それからも冨宅さんを痛めつけたあげく、「おまえがプロレスやろうなんて、百万年早いんや!!」と言い捨てて帰って行った。MA−G−MA選手の中で、今、「百万年」がブームのようだ。

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 メインは、ビリーケン・キッド選手・タイガースマスク選手の、タッグ王者チームと、MA−G−MA選手・ブラックバファロー選手の試合。愚連隊は、「情けない王者チームを倒して、自分達が大阪城ホールに出る」と言っていたが、その通り激しい試合になった。場外も多かった。私の近くで乱闘していたとき、MA−G−MA選手が、お客さんが置いて逃げたピンクのスポンジの座布団で、ビリー選手を殴打。こちらの身が切られるような痛みの伝わる攻撃だった(嘘)。王者チームは、そんな反則にも負けず、驚異的な粘りを見せて勝った。タイガース選手は、マイクを握ると、MA−G−MA選手に向かって、「おまえ、おれらや、冨宅さんにも、百万年早い百万年早い言うけど、百万年も待ったらなあ・・・」何て言うのか?私は思わず身を乗り出したが、「・・・百万年も待ったらなあ、遅いねん!!」普通だ!!!
 ビリー選手は、バファロー選手が腹立ちまぎれに投げ入れた椅子に乗り、「高いところから失礼します!只今ご紹介にあずかりました、ビリーケン・キッドです!!」と自己紹介したのち、「ビリー先生!!!」という声援に応えて、大阪城ホールへの抱負を語った。
 ビリー選手が、「府知事選挙では、太田房江知事に清き一票を」としめくくり、平和に終わりかけたところへ、IMPホールでAAAの試合を終えて駆けつけたTAKAみちのく選手が乱入。「大阪の客は、相変わらず下品だなあオイ。ブーブー言ってんじゃねえよ。ホントは嬉しいくせに」などと客いじりも忘れず、王者チームに向かって、「大阪城ホールでは、おまえらの持ってるベルトをいただくけど、ぶっちゃけおれは、そんなベルトなんて欲しくねえんだよ。だから、獲ったら、おまえらに百万で売ってやる」。「百万年」の次は「百万円」攻撃だが、タイガース選手は、「そんな貯金はない」と、決して威張れない理由できっぱり拒絶。「関西人が関東人に勝てるわけねえんだよ!!」と、TAKA選手が、王者チームのみならず、デルアリを埋める関西人全て(私は四国人なので除く)にケンカを売ったところへ、バファロー選手がつかみかかっていった。そんなこんなで、翌週には、TAKA選手と、TAKA選手いわく「牛」とのシングルも実現することになる。

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 帰りの高速バスは、梅田を午後11時に出る。フェスティバルゲートを10時頃に出て、阪急三番街のバスターミナルに行った。バスでは、全く眠れないことを覚悟していたが、乗ったとたんに寝入っていた。ただ、腰の痛み等で、ほぼ一時間おきに目がさめた。夜が明けてくれば、海や山が、どんなにきれいに見えるだろう、その頃には目をさましていなければ、と思ったのだが、バスが松山市駅前に着いて、私が降りたときにも、長い冬の夜は、まだ明けておらず、とっぷり暗かった。家に帰ったら、朝の六時すぎだった。寒さのあまり、風邪をひいてしまい、一週間ほど、鼻水が滝のように流れていたが、「今の冨宅さん」を見られたことは嬉しかった。


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