98.3 ハイブリッド・ロサンゼルス・ツアー        前編

 本当に有難いことだと思うが、ここまでの観戦やイベント参加を通じて、こんな私にも、パンクラス友達(略してパン友)ができていた。97年末か98年初め、「鈴木みのる・近藤有己と行くハイブリッド・ロサンゼルス・ツアー」(このツアーのどの辺がハイブリッドだったのかは未だに不明)の参加者募集があったとき、鈴木ファンの某さんに、「一緒に行こうよ」と誘っていただいた。
 有難いお誘いだったが、東京に行くだけで死にかけている私に、ロサンゼルスは、あまりにも遠すぎた。羽田から、成田に行って、さらに海外だ。私は迷い、悩んだが、悩んでること自体、行きたがってることなのだということに、本人だけが気がついていなかった。悩む私を見て、職場の友達が、「じゃあ、やめたら?」と言った。それに対して、すぐ、
「いや、行くよ」
と答えていたのには、我ながら、自分で自分を褒めたい(←何で?)

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 しかし、やはり心細かったので、「ディズニーランドや、ユニバーサルスタジオに行ける」とだまして、いとこのユキを誘うと、パンクラスには全く興味のないユキだが、その気になってくれた。行く気になってみると、パスポートをとったり、円をドルに両替したり、という準備も、胸躍るもので、楽しかった。
 3月21日の朝、二人で松山空港を飛び立ち、羽田から、リムジンバスで成田まで行った。松山を発った便は、その日の第一便だったので、機内サービスで、サンドイッチを配ってくれたが、二人とも緊張していて、食べることができず、バッグにしまいこんだ。このサンドイッチは、それきり忘れられたまま、ロサンゼルスまで空輸され、のちに、つぶれた変わり果てた姿で発見された。
 成田で、鈴木選手、近藤選手、近畿日本ツーリストの添乗員の方、他のツアー参加者の方と合流した。安田拡了さんも参加なさっていた。他のツアー参加者の方も、それぞれに個性的な方で、四国からの参加が私達だけでなかったのにも驚いた。

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 現地時間の3月21日、ロサンゼルス空港に着いた。当然のことだが、そこはアメリカで、私は感動に震えた。人ごみの匂いまで日本と違っていた。空港でトイレに行って、座ると、便器の枠が大きすぎて、すっぽりはまりこみそうになる。「ああ、やっぱり、アメリカ女性は体が大きいけん、便器も大きいんやなあ。私なんかチビッコやから、中に落ちそうや」と思っていたら、便座が上がっていた(←座る前に気づけ)

 ロサンゼルス空港で、現地の女性ガイドさんと合流し、皆でバスで移動した。ここロサンゼルスの空気は、かなり乾燥しているので、意識して水分をとってください、とガイドさんは言う。
「おなかが悪いときには、水。頭が悪いときにも、水」
と言われた。なんか違うのではないか、と思ったが、誰も何も言わなかったので、私も黙っていた。

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 初日は、サンタモニカの海岸に行ってから、バス・ルッテン道場に行った。道場の前をバスで通ったとき、私はよそ見していたが、ユキは道場を見て、見るからに怪しげな建物の庭に、ツルッパゲの屈強な男性がいるのに気づき、
「ああ、一人でこんなとこに迷いこんだら、殺されて、お金盗られるんやろな。アメリカは怖いとこや」
と思っていたらしいが、そこが目的地で、屈強な男性はルッテン選手だった。
 道場には、トニー・ロホ選手も来ていた。ツアー参加者の方の大部分は、ルッテン選手の柔術セミナーを受けたが、私とユキは外で見学していた。受付前の壁には、船木VSルッテン戦のポスターなどが貼られていた。トイレを借りたが、白い細かなタイル張りで、変わったデザインだったのが印象に残っている。

 その後、ハリウッドスターの手形でおなじみのチャイニーズシアターに行って、一日を終えた。
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 翌日は、ディズニーランドに行った。ネズミ帝国に興味がない私がディズニーランドに行くのは、高校の修学旅行以来だった。鈴木選手は所用で別行動しており、近藤選手がファンサービスに努めていた。
 夏のように暑かった。映画「ヘラクレス」のパレードをやっていた。不思議の国のアリスや、白ウサギもいた。部屋に子ども達を集めて、司会の女性が、「さあ、皆でシンデレラを呼びましょうね」という意味のこと(推測)を言い、子ども達が「シンデレラーーー!」と呼ぶと、水色のドレスを着た、美しい金髪のシンデレラが入ってきた。私は口を開けて見とれていた。

 その夜は、ホテルの一室を会場として、鈴木選手、近藤選手の「トークバトル」。特にバトルらしいことは何もなく、あらかじめ参加者がアンケートに書いておいた質問に、両選手が答える、というものだった。ユキは、アンケートは書いたものの、両選手のことを知らないし、話を聞いてもわからないから、というので、部屋で休んでいた。
 トークはなごやかに進んだが、鈴木選手に対する質問の中に、「的場浩司に似ていると言われることについてどう思いますか」というものがあり、それは鈴木選手の地雷に触れたらしく、
「おれは、誰かに似てるって言われるのが一番嫌いなんだよ」
とおっしゃった。実はそれはユキが書いたものだったので、私は冷汗をかきながら、ユキがここにいなくてよかったと思ったものだった。
 誤解のないように書くが、鈴木選手は機嫌が悪かったわけではなく、さかんに放つオヤジギャグで、会場に、トワイライトゾーンへの扉を開いていた。ロサンゼルス二日目は、そうして終わった。 


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