97.10 パンクラス秋の行楽講座

 イベントというものに参加してみたい、という野望を抱きはじめたのが、97年の秋だった。
 97年秋には、ファンと選手が遊園地で遊び、バーベキューをするイベントが、二週続けて行われ、「パンクラス秋の行楽講座」という、意味不明なタイトルがつけられていた。10月5日は愛知県で、近藤選手・伊藤選手を囲んでのイベント、10月12日は、パンクラスファンクラブのイベントで、全選手参加だった。

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 道場開きという試練を乗り越えたとはいえ、道場開きなら、その場にいるだけでいいのだが、イベントとなるとそうはいかない。当時の私は、「知らない人と話す」ということが、とても苦手だった。選手や、知らないファンの方々の中に放りこまれて、一日楽しくすごすということは、非常に難事業に思えた。
 が、「遠くに行く」という苦手を、パンクラス愛(略してパン愛)によって克服したので、今回も克服できるのではないかと思った。5日の、愛知のイベントに申し込むことに決めた。冨宅さんのいるFCイベントに行きたいのはやまやまだが、東京に行くお金もなく、12日のイベントはあきらめて、郵便局に、参加料金の払い込みに行った。
 そのとき、体が勝手に、12日のイベントの料金も払い込んでしまったのだ。自分でも驚いたが、当時は、いろんな意味で突っ走っていたに違いない。

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 5日は、フェリーで大阪に上陸し、JRで名古屋まで行った。参加者は名古屋駅前に集合することになっていた。名古屋駅で迷子になったのは言うまでもないが、何とか集合時間に間にあい、バスで、「南知多グリーンバレー」という遊園地に行った。
 例によって、鼻血が出そうなほど緊張していたことは言うまでもないが、近藤選手と伊藤選手のキャラによって、バスの中の空気があったまり、私も少しリラックスすることができた。南知多グリーンバレーでは、バーベキューをし、バンジージャンプ等で遊んだ。
 近藤選手のバンジー姿を見ることができたのは、貴重な経験だった。カラフルなゴムボールが大量にしきつめられた、子ども向けの遊び場があり、伊藤選手が本気で入りたがり、私も本気で入りたかったのだが、他の方々はそうでもなかったらしく、却下された。ファンの男性陣は、カートで、近藤選手、伊藤選手とレースをした。カートに乗るには備え付けのヘルメットをかぶらなければならず、ヘルメットが小さめで、近藤選手には無理かと心配されたが、大丈夫だったので、ほっとした。

 名古屋駅に帰る道中、秋の夕日のさしこむバスの車内で、遊び疲れたファンの方々も、近藤選手も伊藤選手も眠ってしまった。本当に楽しく、心から、行ってよかったと思った。

 その後、週プロの白黒ページに、小さく、そのイベントの記事が載った。私はそれを読み、思い出にひたっていたが、記事には「バーベキューでは、近藤選手、伊藤選手が、チャンコ作りで鍛えた腕で、焼きそばを作った」と書かれていたが、実際には、二人とも何もしていないのが、唯一気になるところだった。

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 一週間後の12日、ナムコワンダーエッグで、パンクラスFCイベントが行われた。全選手参加の予定だったが、橋選手と、オランダ留学中の柳澤選手、愛知のイベントのあと風邪をひいてしまった近藤選手が、不参加だった。
 選手とファンとで、いくつかのグループを作って遊園地をまわり、そのあと、多摩川に移動して、河原でバーベキューをした。遊園地では、私は、山田選手、美濃輪選手と同じグループになった。遊園地に入る前、山田選手は、グループのファン全員を整列させ、点呼をし、「一番遠くから来てる人?」と聞いた。多分私だろうと思ったので、おずおずと手を上げ、「どこから来たの?」と聞かれたので、愛媛からですと答えた。
 当時デビューしたばかりだった美濃輪選手は、そのときは何も言わなかったが、あとで、私のそばに来て、
「あの、せっかく遠くから来てるんだから、もっと選手と喋ったらどうですか」
 と、真剣な顔で言った。「あんたも選手だろう」と、ツッコミを入れることさえ忘れるほど、そのときは嬉しかった。こういう一言が、どれだけファンにとっては嬉しいか、選手の皆さんにはぜひ知ってほしい。

 山田選手が、バンジージャンプをすることを勧められ、「おれ、ヅラだから、取れるとイヤだから」と断っていたこと、山田選手が、「ドルアーガの塔」というアトラクションで、ターゲットと間違えて、非常灯を狙って一生懸命銃を撃っていたこと、山田選手が、バーベキューのとき、皆が止めるのも聞かず、炭火にサラダオイルをかけて炎上させ、肉が真っ黒になって食べられなくなったこと等、楽しい思い出がいっぱいできた。
 何よりの思い出は、少しだけど、冨宅さんと話すことができたことだ。足がガタガタするほど緊張したが、勇気を振り絞って、「冨宅さんに会いたくて四国から来ました」と言うと、冨宅さんご本人はどう思ったか不明だが、横にいた長谷川選手は、うさんくさそうな目で私を見た。帰りは夜行バスで、13時間かけて帰ったが、リクライニングシートの倒し方がわからず、ろくに眠れなかった。そんなことも、今となってはいい思い出だ(←そうか?)。

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 当時、私は、試合等に行くと、その写真を、地元の友達に見せていた。当時の職場の友達の間では、一番人気は、伊藤選手だった。「普通っぽい」「さわやか」「一緒にいて楽しそう」という理由だった。
 職場を変わってからも、当時の友達にはときどき会うが、先日久しぶりに、伊藤選手の写真を見せたところ、彼女達はショックを受けていた。
「伊藤君がグレてしもた・・・」と。


   「伊藤に何が
   起こったか」



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