05.10.2 文体大会

 久しぶりのパンクラスで、ほぼ半年ぶりの文体だ。羽田からモノレールで浜松町に出、友達と会い、東京駅の近くの、100%チョコレートカフェに連れて行ってもらう。チョコレートのメニューがいっぱいの、夢のような世界が展開されていた。コロネと、タルトをいただく。二つとも、中につめるクリームを、何種類もの中から選んで、その場でつめてもらえるのだ。洋梨風味のホワイトチョコクリームと、キルシュ風味のホワイトチョコクリームにした。なぜ二つともホワイトチョコにしてしまったのかさだかでない。舞い上がって、よく考えてなかったのだろうが、ホワイトの方がさっぱりしていたので、結果的に正解だった。長居して、ホットチョコレートを追加で頼むと、これは濃ゆかった。
 さまざまなチョコレートを楽しみながら、友達と、船木さん復帰問題について語りあう。飲み物には、「365日 今日のチョコレート」という、その日にちなんだ小さなチョコレートがおまけについている。この日は10月2日、「豆腐の日」だったので、杏仁豆腐味のチョコレートだったが、あまり杏仁の味はしなかった。1アンニンか2アンニンくらいだ(何の基準だ)。毎日、どんなチョコレートがあるのか、東京に住んでいたら頻繁にチェックしたいのに。3月3日、「耳の日」は、ミミガー味のチョコレートだろうか(嫌だよ)。
 友達と別れて、文体に向かう。まだホテルにチェックインしていないので、品川駅で荷物を預ける。スイカで預けられるコインロッカーがあり、「スゲー!」と思って使ってみたが、いくらやってもカードを受け付けてくれない。しかたなく現金で預けたが、鍵はなく、レシートが出て来た。レシートの暗証番号を入力したら開けられるらしい。東京ってスゴイ。

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 今回は迷子にならずに文体に行けた(当たり前だ。何回目だよ)。第一試合の、高橋選手の試合を楽しみにして来た。高橋選手の試合は久しぶりに見る。しばらく見ないうちに、外見が、格闘家だと知らずに夜道で会ったら泣きそうなほど、磨きぬかれた大変なありさまに(以下略)。
 相手のアルボーシャス選手の入場の際、スーツ姿で長髪の、モデルみたいな外国人青年が、アルボーシャス選手の先に立って歩いて来、この人は何をする人なんだろうと思っていたら、セコンドだった。私のすぐ後ろに、今田耕司兄さんが座っていたのだが、青年がセコンドについた途端、「セコンドかよ」とツッこんでいた。生で聞けて感激だった。
 高橋選手が勝って嬉しかった。旗揚げメンバーで、パンクラスに残っているのは高橋選手だけなので、末永く頑張ってほしい。

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 第三試合では、佐藤光留選手が、ポアイ菅沼という、ハワイ出身の、ウケ狙いなのか本名なのか判別が難しい名前の選手と対戦していた。ヒカル君は、いつもの白いマントで入場してきた。このマントは、1メートル480円くらいのナイロンサテンを買ってきて自分で縫ったのかと思っていたのだが、本当の値段を聞いてビックリした。
 「ヒカル君はいいなあ」と、以前から私は思っていて、その「いい」と思うポイントが何なのか、一生懸命見極めようとしていたのだが、この日、そのポイントが「髪の毛」であることが、私の中で判明した(ほぼ物質じゃねえかよ)。ヒカル君が負けて残念だった。
 試合後、竹内出選手がリングに現れて、ヒカル君に対戦要求していた。竹内選手は「逃げるな」と言うのだが、ヒカル君は、「何でランクが上の人が、僕に対戦要求するのかわからない」と言う。私も状況がわからない。この二人は、先月の熊本の「パンクラスZ」で、何かあったとか、全くなかったとかいう話だ(ちゃんと確かめてから書けよ)。ヒカル君が、「僕ら二人の試合、見たいですか?」と客に問いかけると、客の反応が、見事なまでに薄かったので、「これが全てですよ」と言っていた。この後、対戦が実現したのか、それとも、竹内選手が誰かと対戦して、勝ったらヒカル君と、という話になったのか、それはわからないので、各自経過を観察してください(投げやりすぎだよ)。
 このあと休憩になり、知り合いの方々とお会いできたが、お話する中で、私はずっと、竹内出選手のことを、「竹内力」と言っていた。それはミナミの帝王だ。もし、竹内力とヒカル君の対戦が実現したら、絶対に見に行くのだが。

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 高阪選手の試合もあって嬉しかった。高阪選手を見るのは、昨年のNK以来だが、昨年よりもガッツ石松に似てきたような気がする(気のせいだよ)。
 高阪選手の試合は迫力があって、興奮したが、裂傷のためにドクターストップになってしまった。残念だ。私の近くの男性ファンが、よほど試合を止められるのが嫌だったのか、最初にドクターチェックが入ったとき、「切れてないよな!?切れてないよなあ!?」と叫んでいた。私は、長州力のモノマネをする長州小力のモノマネで、「キレてないですよ。キレてないですよ」と、聞こえないようにつぶやいていたのだが、残念ながら切れていた。それでも、「高阪、やってくれ!!」という客の声援に、ゆっくりとうなずいた高阪選手はかっこよかった。私の後ろの今田兄さんは、「いや、止めなあかんやろ」とツッこんでいたが。

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 メインは、近藤選手と金原選手の試合。そもそも、近藤菊田戦が決まったので、この大会のチケットを取ったのだが、菊田選手の怪我のために中止になり、チケットは払い戻してもらえるし、行こうかやめようか、迷ったあげく来たのだが、相手が金原選手になって、本当に嬉しかった。遅れてきたリングスパンクラス対決だ(遅れすぎだよ)。金原選手の試合を見るのは、コロシアム2000以来だ。コロシアム2000のときは、私は、極度の緊張から来た高熱と嘔吐下痢で、船木さんの試合以外、記憶がおぼろなので、金原選手の試合も、よくおぼえていない。試合が終わったら、嘘のように楽になったので、金原選手が、試合後のパーティーで、一般人のようにお寿司を食べていたのはおぼえている。

 そんな金原選手だが、正直に白状すると、私はこれまで、あまり好きではなかった。純粋にビジュアルの問題だ。ところが、この日はかっこよく見えた。近藤選手と殴り合いになって、明らかにいいのが入っているのに倒れない、打たれ強さに驚いた。二人とも顔が大きいので、お互い、普段より的が大きくて殴りやすかったのかもしれない。が、あまりに打たれ強いと、いつも人より余計に殴られるということなので、金原選手の老後が心配だ。
 金原選手のセコンドが、「相手もキレてるよ!キレてるよ!」と叫んでいたので、私は長州小力のモノマネで、「キレてないですよ。キレてないですよ」とつぶやいていた。近藤選手は、本当にキレてなく、無事勝ちをおさめた。嬉しかったが、金原選手の頑張りにも感動した。魂を感じた。あんな年なのに、と思っていたのだが、あとで聞くと、まだ34歳だという。近藤選手と、見た目ほどの年の差はない(どんな見た目だ)。近藤選手が30歳の大台に乗ったので、より、年の差を少なく感じるのだろう。年を取れば取るほど、年の差は少なく感じるものだ。これが10歳と14歳だったら、全然違うのだが。

 金原選手が34歳だと聞いたとき、私は、「冨宅さんより年上かと思った」と発言したが、どんなに冨宅さんと関係のない格闘家やプロレスラーでも、「冨宅さんより上か下か」「デビューが冨宅さんより早いか遅いか」で判断してしまうのは、私の中に、西暦、和暦と並んで、「冨宅暦」というのがあるためです。

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 金原選手が、すがすがしい笑顔を見せて帰って行ったあと、菊田選手がリングに上がり、近藤選手に、今回流れた対戦の、できる限り早い実現を要求した。私の席から本部席がよく見えたのだが、菊田選手はスタッフにうながされてリングに上がったようだったので、「空気読め」とか言っているお客もいたが、それを言うのは気の毒だろう。近藤選手は、「いつ、誰の挑戦でも受ける」と答えていた。あとで近藤選手は、「あれだけの罵声の中で普通に喋れる菊田選手はスゴイ」と、変な感心をしていたらしいが、菊田選手も近藤選手も、予想外に声がカン高かったり、こもっていたりして、マイクが上手じゃないので、マイクで締めさせるのは気の毒だ。

 大会終了後、梅木レフェリーに会って、台湾で梅木君の本を買ったことを報告する(旅日記番外・台湾編・後編参照)。何でも、台湾と韓国で出版されているらしい。スゴイ。

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 このあと、なぜか、近藤選手後援会の方々に混じって飲みに行った。一行は十人以上いたのだが、私など一部を除いて、全員、近藤選手のTシャツを着ており、関内を歩いていると壮観だった。「プライドの試合があったのかな?」と言っている通行人がいたらしい。ここが横浜だから、まだ、「プライド」という言葉も出てくるが、私の地元だったら、確実に、なんかの募金を集めてると思われるだろう。
 居酒屋で、後援会の方がオークションで落札したという、近藤選手のサイン入りスパッツを見せてもらう。はき口の部分だけでなく、足を出す部分にもゴムが入っていてビックリした。履いているのを見ると、腿の部分には「ゴム感」を感じないからだ。唯一「ゴム感」を感じさせるのが、スペル・デルフィン選手なのだが。
 眠くてヨロヨロしながら、品川駅のロッカーから荷物を出して、ホテルにたどりつく。ホテルの鏡で見たら、ビックリするぐらいマスカラが落ちていたことを除けば、本当にいい一日だった。


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