97.5.24 神戸ファッションマート大会

 「新日本プロレスの車窓から」の続きになるが、96年末、週プロを買いはじめてすぐ、船木さんとジェイソン・デルーシアの試合の記事が載った。
 船木さんの写真を見て、「この人、かっこええなあ」と思うのと同時に、あることを思い出していた。

 パンクラス旗揚げがテーマになっていたので、多分93年頃のこと、弟の買った少年ジャンプに、船木さんが主役のマンガが載っていたのだ。作者名は忘れたが、マンガの中で作者自身が、船木さんの話を聞いて、「これは本物だ」と感動する場面だけは、はっきりおぼえている。

 それで、はじめて船木さんの記事を見たとき、「あのマンガの人やん」と思ったのだが、そのマンガを読んだ時点では、全く格闘技に興味がなかったのに、どうして、一回しか載らなかったマンガの一場面を鮮明におぼえているのか、今もって謎で、これが運命だと言っても過言ではないだろう。(←過言だよ。)

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 明けて97年、当時、ケーブルTVに加入していたので、船木さん見たさに「パンクラッシュ!パンクラス」を見はじめた私は、「船木さんを生で見たい」という欲求を抑えきれなくなってきたが、パンクラスは、大都市でしか試合をしないらしい、ということは、ボンクラな私でも把握していたので、無理だと思っていた。パンクラスに行きはじめる前の私は、「遠くに行く=四国の外に出る」ことが、死ぬほど苦手で、怖かったのだ。

 しかし、五月に神戸で試合があることがわかると、その苦手を克服できるかもと思った。神戸なら、大学の研修旅行で行ったことがあったからだった。悩みつつも行くことに決めたが、三月にお隣の徳島県までみちのくプロレスを観に行って、会場近くを歩いているTAKAみちのくを発見し、勇気を出して声をかけて、「プロレスラーとの初握手」まですませたとはいえ、一人で近畿地方まで行くのは、あまりにも荷が重すぎた。そこで、親友のSさんを誘うことにした。

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 異人館めぐり等、昼間の観光をメインにして誘うと、彼女はこころよくOKしてくれたが、夜、何の興味もない格闘技の試合を、しかも自腹で、SS席で見せられた彼女には、本当に申し訳ないことをした。しかも、肝心の私は、興奮しきっていて、全く話し相手にもなれず、のちに彼女が言うには、試合前の私は、「なんか、売店に行ったり、カメラ持って走って行ったり、じっとしてなかった」そうだ。

 手回しよく、事前にファンクラブにまで入っていたので、欠場選手との写真撮影会に参加できることになった。船木さんは試合に出なかったので、撮影会にいて、私は、細胞中のミトコンドリアまで緊張していた。私の番が来て、船木さんの右に立つと、左肩に手が乗せられ、「ああ!船木さんの手が私の肩に!!」と思って、アドレナリンが鼻から出そうなほど興奮したが、あとで現像のできた写真を見ると、その手は、私の右隣の長谷川選手の手だったのだ。今となっては得難い記念だが、当時は、後頭部を鈍器で殴られたようなショックを受けたのをおぼえている。

 この試合は、鈴木選手の復帰戦だった。伊藤選手の秒殺、橋選手の金緑の頭髪、近藤選手のアマガエルのような黄緑色のタイツなどで盛り上がった場内は、鈴木選手の入場で最高潮に達し、その勝利と雄叫びで、さらに大変なことになって、むろん私も興奮していたが、穏やかで優しく、常識的なSさんは、気の毒に、
「てっぺんまで行くぞ、てっぺんまで!!」
「おれが
鈴木みのるだァァーーーーー!!!」
 との、鈴木選手のマイクに、すっかり引いてしまっていた。あとで、
「カマちゃん、あの人は、言葉使いが悪いけん、気をつけた方がええよ」
 と、忠告してくれた(←どう気をつけるのか)。

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 そんな彼女に好印象だったのは、冨宅さんだった。走りまわっていた私は、席にいなかったので見ていないが、試合前、私達の席の近くに、橋選手と冨宅さんがいて、橋選手が、ファンの男性に、一緒に写真を撮ってくれるよう頼まれた。その男性は、誰も連れがいなかったので、冨宅さんが、こころよく、カメラマン役を引き受けてあげたのだそうだ。
 Sさんは、そのことを私に話して、冨宅さんの気配りに感動していた。そんな気配りは、人間として当たり前のことという気もするが、異常な場所に身を置いていると、いかにその当たり前が貴重かということだ。

 しかし、私のことを知りつくしたSさんも、私がその後、冨宅さんのファンになるとは、予想しなかったに違いない。なぜなら、最後にこう言ったからだ。
「でもねえ、カマちゃん。その人(冨宅さん)ねえ、前髪が揃っとったんよ・・」
と。


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