03.11.24 後楽園ホール大会

 前日の、23日から上京していた。その日、冨宅さんとえべっさんの試合がデルアリで行なわれるなんて、「マイステイ東京」(飛行機とホテルのパック)を予約する時点では、予想もしていなかったためだった。キャンセル料を取られるのがもったいなくて、日程は変更できなかった。痛恨の極みだったが、東京では、楽しくすごせた。友達と、丸の内のお洒落なカフェでパスタランチを食べ、皇居や日比谷公園を散策した。日比谷公園では、「江戸天下祭」という、よくわからない祭をやっていた。豪奢な山車が出ていて、屋台やフリーマーケットもあった。夜は、池袋で中華料理を食べた。そのお店には、来店した有名人の写真がたくさん飾ってあったが、常盤貴子などの芸能人にまじって、なぜか、高田延彦や、桜庭和志、ドン・フライなどの顔もあった。ビル・ロビンソンの名刺も貼ってあった。カタカナで「ビル・ロビンソン」と書いてあるのはどうかと思うが。

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 水道橋のホテルに泊まったので、翌日、後楽園まで歩いて行けた。まるで東京の人になったような、素敵な気分だ。
 友達(パンクラス友達)と合流し、ラクーアで、遅い朝食。アジア雑貨のお店をのぞく。睡蓮の形のアロマキャンドルなど買う。セパタクロー(竹で編んだ玉を蹴りあう、東南アジアの競技)の、玉のミニチュアを買ってしまう。今までの人生で、五本の指に入るほどの、役に立たない買い物であることは間違いない。
 後楽園ホールは、大変な人出だった。売店で、ブラックバファロー選手に、シャツを売りつけられかける。何とか思いとどまって買わなかったが、本当に危ないところだった。友達は、目の不自由なファンの男の子に優しくしているバファロー選手を目撃したそうだ。
 ロビーにペッキーちゃんがいたので、気になってちらちら見ていると、「さっきから目が合ってるワンよ」と叱られる。確かにチラ見は失礼だった。マスク越しだと、中の人の目線がわからないので困る。「中の人などいない!」というのが正解だろうが。
 試合前には、全選手ではないが、入場式が行なわれ、村浜選手の挨拶などがあった。えべっさんも寄稿している雑誌「ファミ通」のTシャツ(写真参照)のプレゼントがあり、選手達が客席に投げ込んだが、プレゼント用のシャツも、この四種類あるのだろうか。バックプリントが「ァ」のTシャツをもらっても、嬉しくないのではないか。「通」ならいいが(いいのか?)。

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 第一試合は、福田ユタカ選手とゴア選手の試合。前回見に行ったIMPホール大会で、福田選手が入場の際に着てきた、ツッこんでいいのかどうかよくわからない微妙なジャケットと帽子を、東京のファンにも披露するのかと期待したが、着てこなかった。デルアリでも着ないらしいし、IMP限定の衣装なのか。それとも、あまりに周囲の評判が(以下略)。ゴア選手は、場外乱闘の際、リングサイドのお客さんの膝に座って休んだりしていた。
 第二試合は、的場選手とGamma選手の試合。Gamma選手は力の差を見せつけたが、的場選手も頑張っていて、お客さんを沸かせていた。
 第三試合は、岸和田愚連隊と、ツバサ、ビリーケン・キッド、ミラクルマンの、トリプルタッグ対決だった。岸和田愚連隊のメンバーは、MA−G−MA、QUALLT、ブラックバファロー。バファロー選手とツバサ選手は、「インフィニティ」というタッグを組んでいたのだが、15日のデルアリで、バファロー選手が、ツバサ選手のマスクを剥ぎ、ルード転向、岸和田愚連隊入りを発表したらしいのだ。
 思えば、私は、「インフィニティ」を、一度も見ずじまいだった。バファロー選手が、悩んだ末、「インフィニティ」を解散しようかと言い出し、二人で闘って決めようとしたのが、私がはじめて大阪プロレスを見に行った大会でのことだった。その試合で、「インフィニティ」継続は決まったが、その次に見に行った大会では、メインに出ていて、私はメインを見ずに帰ったので、見られなかった。その次は、バファロー選手が冨宅さんと対戦していた。その次は、バファロー選手が、また悩んだ末に失踪していた。後楽園では、ようやく「インフィニティ」が見られると思ったら、直前に解散。残念だったが、愚連隊入りしたばかりのバファロー選手の法被姿が楽しみではあった。
 バファロー選手が、法被姿で現れると、お客さんは嬉しそうにどよめいた。バファロー選手は、コールと同時にツバサ選手に襲いかかり、マスクを剥ぎにかかる。バファロー選手が加わったばかりとは思えないほど、三人の連携が良く、セコンドについていたゴア選手の、パイプ椅子を使っての乱入もあったが、そのタイミングが絶妙だった。ツバサ選手の空中技も凄くて、息つく暇もない試合だった。
 試合は、MA−G−MA選手が、ミラクルマンをフォールして勝ち、「大阪で一番強いのは、この俺や!!」と叫んだ。私は、もう慣れていて、何の違和感も感じないが、東京の友達はおもしろがっていた。確かに、あらゆることが大阪の中だけに限定されて話が進んでいるというのは、東京の人にとってはおかしいのかもしれないが。
 バファロー選手も、「俺は根っからのルードなんだ!!」と、東京のお客さんにも、愚連隊入りをアピール。ブーイングもあったが、嬉しそうなお客さんも多かった。きっと、バファロー選手がとても生き生きしていたからだろう。
 愚連隊が引き上げたあとのリングで、敗れた三人(主にミラクルマン)が、「負けた俺が言うのも何ですけど」「今日はお笑いの試合やないんやけど」と言いつつ、色々しゃべっていると、リングサイドに、WMFのガルーダ選手が現れて、ツバサ選手に対戦を直訴した。「怪我で休んでいたが、ぜひ、復帰戦をツバサ選手とやりたい」とのことだった。ガルーダ選手については、私は、「見た目、ちょっと大きいツバサ」ぐらいの認識しかないが、二人の対戦が実現することを願う。

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 休憩中、京都から冨宅さんの応援に駆けつけたMさんとお会いする。Mさんが、客席で観戦中の、山宮選手のところへ案内してくださる。山宮選手は、南側のひな段に座っていた。最初はリングサイドにいたが、場外乱闘に巻き込まれて、座るところが見つけられなくなり、こっちに移ってきたそうだ。控え室に、冨宅さんを激励に行ったら、冨宅さんは結構緊張していた、と山宮選手はおっしゃっていた。冨宅さんにとって、人生初のタイトルマッチなのだから、無理もない。その控え室で、山宮選手は、ペロの素顔を見てしまい、ショックだったらしい。「中の人などいない!!」と思って見てきた者にとっては、首から下はペロなのに、首から上が人間なのは、あまりにも残酷な光景だ。ただ、山宮選手も、それで一つ大人になったと思う。その経験が、グラバカ入りという決断の背中を押したと言っても間違いはなかろう(間違いだよ)

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 休憩明け、冨宅さんが、村浜選手のベルトに挑戦する、大阪プロレス選手権試合。お客さんも真面目に見てくれていて嬉しかった。私は、いつも以上に激しく緊張していた。
 冨宅さんが大きく見えることで、村浜選手の小ささを実感する。K−1の試合で切った目の上の傷は、まだ抜糸もしていないということだったが、村浜選手の動きは変わらなかった。打撃も多かったが、冨宅さんもプロレス技を出す。最後は、村浜選手の延髄斬りが入り、ブレーンバスターから、フォールされた。試合時間が短く、私はもっと見ていたくて残念だったが、村浜選手は、試合後のマイクで、「皆の目当ては、この試合じゃなくてメインでしょうから、ゆっくり楽しんで帰ってください」と言った。それは、大部分のお客さんにとっては、真実だろうが、本当のことでも、チャンピオンの口から言っていいことと悪いことがありはしまいか。トロフィーより小さいチャンピオンではあるが(写真参照)。トロフィーが大きすぎるのか、チャンピオンが小さすぎるのか、おそらく両方だろう。村浜選手は、トロフィーはリングに置いたまま帰ってしまった。
 メインは、デルフィン選手、くいしんぼう仮面、ペロのデルフィン軍団と、獣神サンダー・ライガー、えべっさん、タイガースマスク組の、夢の対戦。試合前、くいしんぼう仮面とえべっさんの映像が流れ、「ライガー!おまえに!これが!できるのかッ!!」と、言葉がかぶさる。さらに続けて、「笑いの男塾、開講!!」「笑神降臨!!」と、いやがうえにも期待をあおる。男色ディーノにしてもそうだが、宮下あきらブームが来ているのか。
 入場の際、くいしんぼう仮面は、ファンにプレゼントされたお菓子で、ほぼ顔が埋まり、ロープに乗ると、お菓子がこぼれまくる。私も、松山空港でお菓子のレイを見つけたので、買って行ってくいしんぼうの首にかけようかと思ったのだが、買わなくてよかった。えべっさんも、お賽銭をあげようと群がるファンに囲まれ、途中で曲が終わるほど、入場に時間がかかっていた。「巻きで、巻きで」とせかされていたのは、ライガー選手をあまり待たせてはという配慮なのか、会場の都合なのか。ライガー選手が入場してくると、お客さんの興奮は最高潮に達した。無論私も興奮し、友達と「怒りの獣神」を歌っていた。
 ライガー選手は、照れながら、実にイイ味を出していた。えべっさんとくいしんぼう仮面の「パペットマペット」(左写真)も健在だった。えべっさんは、拝み渡りも見せたが、失敗して落ち、ロープに股間を強打(左下写真)。タイガース選手の、「道頓堀ダイブ」という荒技も見ることができた。
 (右写真:後ろから迫るくいしんぼうに気づかないライガー、ピンチ!客「志村!後ろ!後ろ!!」ペッキーちゃん「シーッ」)
 えべっさんは、デルフィン社長を、「給料上げろ」「こんだけ客入って、なんぼほど浮いてんねん」と攻めたてたが、デルフィン社長に反撃されると、「給料上げろと言ってる奴が他にいる」「ライガーさんがギャラ上げろと言っていた」と、責任を転嫁。友達と私は、笑い疲れてヘトヘトになっていた。

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 今回は、恒例のクイズはなく、試合後、えべっさんが挨拶。「今度東京に来るときは、もっと大きい会場でやりたい」「待ちきれない人は、USJのついででもいいんで、大阪まで見に来てください」「それも待てない人は、12月28日のDEEPに出るんで、見に来てください」と語り、名残を惜しむお客さんから、盛大な拍手が送られた。
 冨宅さんは、今後も大阪プロレスに継続参戦したいと語ったらしいが、今の時点では、どうなるのか、正確なことはわからない。このまま、関わりがなくなったらと思うと、寂しくてたまらない。この大会が終わったときの寂しさ、後楽園ホールを出て、初冬の、うす暗い、東京ドームのかたわらの道を歩いたときの気持ちは、思い出すと辛くなるほどだ。前日も、ホテルに行く際、同じ道を歩いたが、折しもドームでは、ジャイアンツのファンフェスタが行なわれ、グッズの出店が並び、人も多く、にぎやかだったのに、この日は、日本ハムのファン感謝デーで、出店など全くなかったことも、寂しさの一因か(違う)
 今まで、本当に楽しかった。デルフィン社長、大阪プロレスの選手の皆さん、本当にありがとう。


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