03.11.9 IMPホール大会

 9日の朝、大阪南港に上陸した。前回はじめて、写真を公開した「待合室の水槽の亀」だが、全員いなくなっていた。水槽の中身が変えられており、アロワナなどの熱帯魚になっていた。これからも、亀の成長を見守ろうと思っていたのに、残念だ。

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 10時頃、デルアリに行き、24日の後楽園ホールのチケットを買おうとしたが、売り切れだった。しかたなく、天王寺動物園に行こうとしたが、雨だったので、江坂の東急ハンズに行く。
 前回、九月にIMPホールの周囲を散策していて、大阪城ホールの近くから「水上バス」が出ていたことを思い出す。八月のパンクラス両国大会以来、すっかり好きになってしまった水上バスだ。確か、大阪市内を一周するコースや、淀屋橋まで行くコースもあったような気がする。ということは、淀屋橋から大阪城まで、水上バスで行けるのではないかと思い、江坂からの帰り、淀屋橋で降りると、ちゃんと「→水上バス乗り場」と、表示があった。行ってみると、ちょうど大阪城まで行く便があったので、それに乗る。雨だったせいか、客は、私を含めて三人しかいなかった。
 この水上バスは、屋根がガラス張りで、東京で乗った水上バスのように、屋根の上に出ることができないかわり、雨でも大丈夫だ。中之島や、造幣局(左の写真)も見えた。通り抜けで有名な造幣局だから、桜の時期はきれいだろう。私も、昔、大阪の友達と、通り抜けに行ったことがあるが、近くまで行ったものの、あまりの人の多さに辟易して、通り抜ける前に帰ってしまった。造幣局では、文化勲章もつくっているそうだ。
 水上バスからは、大阪城は一瞬しか見えなかった。IMPホールの「IMP」が、「インターナショナル・マーケット・プレイス」の略だということを、水上バス内のアナウンスではじめて知った。無事、大阪城ホール近くの乗り場に上陸した。雨はほとんどやんでいた。Tさんと、Tさんのお友達と合流できた。

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 今日のIMPホールも満員だ。試合前、はじめて売店に行った。Gamma選手くいしんぼう仮面がTシャツを売っていた。くいしんぼう仮面は、無言で、Tシャツを我々につきつけてきた。Gamma選手のNewTシャツが出たことを、大阪プロレスからのメルマガで知っていた我々は、その「パンキッシュなデザイン(メルマガより)」が、どんなのか見たいと思い、「どれですか」と聞くが、Gamma選手はよく知らないようで、返事がはかばかしくない。ようやくさがしあてると、カタカナのデザイン(コンクリートの落書きみたいな感じ)だった。「229」と、数字が入っているので、Tさんのお友達が、「この数字はどういう意味ですか」と聞いたが、Gamma選手は、「そんなの知らねえ」という返事。私が爆笑していると、「笑い事じゃねえ。こっちは商売でやってるんだ」と言われた。商売なら、数字の意味ぐらい把握しておけと思ったが、怖いので言えなかった。
 冨宅さんが出ていたので、新しい「月刊大阪プロレス」を買う。もちろんはじめて買うのだが、村浜選手がおすすめの本を紹介するコーナーや、デルフィン選手が自慢のコレクションを見せるコーナーなど、選手が担当するコーナーが非常に多く、そのゆるさ加減が最高におもしろかった。ファンしか読まない本というのはこうでなくてはいけない。

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 今日のえべっさんは、トルトゥガー選手、福田ユタカ選手とタッグで、デルフィン選手・くいしんぼう仮面・ペロと対戦。福田選手は、新しいジャケットと帽子で登場、その、80年代な微妙なテイストに、客席は嬉しそうにどよめいた。えべっさんが、その帽子をレフェリーにかぶせようとするが、レフェリーはいやがって逃げ回る。続けてかぶせられたトルトゥガー選手は嬉しそうだったが(写真参照)。
 えべっさんとくいしんぼう仮面のカラミは、ただでさえおもしろいのに、今日はそれにトルトゥガー選手までからんでいるので、とても嬉しかった。えべっさんは、くいしんぼう仮面と、最近の二人のブームになっている「指差し」「パペットマペット」で会場を沸かせたあと、デルフィン社長を、「給料上げろ」「天王山優勝者に300万円て、どういうことやねん」「おまえ、もっと他にも隠しとるやろ」と攻めたてた。試合途中から、ずっと、福田選手がコーナーに宙吊りにされていて、「頭に血が上るのでは」と心配していたが、くいしんぼう仮面がコーナー近くで倒れたとき、その衝撃で、福田選手がくいしんぼうの上に落ちてきて、そのままフォール。勝ちになった。
 えべっさんは、「どんな形でも、福田君がくいしんぼうから一本取った」「ニュー帽子の成果だ」と、福田選手を称えたが、「おまえ、自分が若いと思ってるやろ」「福田君も、来年で30だが、名鑑には、22歳と書きなさい。アイドルは皆、そうやってる」と、男前な福田選手への嫉妬をみなぎらせる場面もあった。
 そのあと、恒例の、ペロとペッキーちゃんのクイズコーナー。ペッキーちゃんは、「クリはクリでも、ビックリした・・・」と言いかけて、「あ、間違えたワン・・・」。どうやら、答えを先に言ってしまったらしい。「クリはクリでも、ビックリすると止まるクリは」と続ければ、「シャックリ」でごまかせたのに、と私は思ったが、ペッキーちゃんは、「助けて〜」と、ペロに甘えていく。いいなあ、助けてくれる彼氏がいて。犬なのに。
 ペロは、男らしく、「まかせろ」と言い、かわりにクイズを出した。今回のクイズは、「パンはパンでも、食べられないパンはなに?」で、バルーンアートも、ペロがつくり、できたのは刀。男の子はよろこぶだろう。答えのわかったチビッ子の中から、呼ばれたのは、お父さんに抱かれた、まだ本当に小さな男の子だ。マイクを向けられると、何を思ったのか、「○○○です」と、自分の名前を言っていたが、ペロは、「おれにはフライパンと聞こえた」と、その子に風船をあげていた。フライパンか。私は「パンツ」だと思っていた。まあ、パンツは、極限まで追いつめられれば食べられないこともなかろうが、フライパンは無理なので、ペロが正しいのだろう。私が、こういう状況で「パンクラス」を思いつかないのもどうかと思うが。

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 そのあと、天王山トーナメントの準決勝があり、ツバサ選手とMA−G−MA選手、ビリーケン・キッド選手とタイガースマスク選手が対戦し、MA−G−MA選手とビリー選手が、決勝に駒を進めた。
 次が、冨宅さんとゴア選手の試合だった。試合前、ゴア選手の映像が流れ、「冨宅飛駈!?誰だよそれ!!」と吼えていた。皆が言いたくても言わなかったことをあっさり口に出すとは、さすが岸和田愚連隊だ。「受身も取れない、ロープにも飛べないような奴に、本当のプロレスを教えてやる」といきまいていた。
 ゴア選手が相手なので、前回のバファロー選手との試合に引き続き、場外乱闘があると思い、怖かったのだが、予想に反して、なかった。残念だ(期待してたのか?)。ゴア選手のセコンドに、QUALLT選手がついていたが、セコンドの介入も一回だけだった(期待してたのか?)。
 冨宅さんが、サソリ固めをかけられる場面、ボディープレスを受ける場面、逆に冨宅さんのバックドロップなども見られたが、最終的には冨宅さんの流れになり、チキンウイング・フェースロックで勝利。冨宅さんが、チキンウイングの体勢に入ると、客席から、「あ〜、やられた」という声も聞かれたので、「決め技」として認知されてきたのだろう。
 冨宅さんがマイクを握ると、デルアリほどではないが、ブーイングがおこった。「大阪プロレスのチャンピオンは、いつまで逃げてるんでしょうか」という、外敵バージョンな冨宅さんのマイク(でも丁寧語)だった。


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 休憩後、村浜・ミラクルマン組と、グラン浜田・Gamma組の試合。浜田選手は「昭和の小さな巨人」、村浜選手は「平成のちっちゃな巨人」と紹介された。何で可愛い言い方なのか。村浜選手と浜田選手は、試合中、何度も、背を比べあっていた。
 メインは、MA−G−MA選手と、ビリーケン・キッド選手の、天王山トーナメント決勝だった。MA−G−MA選手の強さが光っていたが、ビリー選手も頑張っていた。
 今日は5時開始だったのに、なぜか、6時開始のデルアリ大会と同じく、メインがはじまったのが8時近くで、最後まで見ていたら、フェリーに間に合わない。しかし、白熱した試合になった上、天王山決勝なので、出るに出られなかった。フェリーの時間が気になって気になって、どちらかがフォールされると、「これで決まってくれ」と願っている自分が情けなかった。特にビリー選手は、何度フォールされても返し、客が沸いているのに。最近よく、「もう大阪に住め」と言われるが、それを真剣に考えた瞬間だった。まあ、そこまでしなくても、梅田を11時に出る夜行バスで帰ればすむ話ではあるが。
 MA−G−MA選手が勝利を収め、天王山連覇を達成した。私は急いで会場を出ようとしたが、席が奥で、本部席の前を通らないと出られない。表彰式があり、とても本部席の前は通れない雰囲気だった。ようやく式がすんだので出ようとしたら、今度は、MA−G−MA選手が、村浜選手に対戦要求し、怒り狂った村浜選手が、私の席のすぐそばで取り押さえられている。それやこれやも、ようやくおさまって、場内が暗転し、来年の「ジュニアの祭典」の予告映像など流れはじめたので、席を立つと、目の前に、大きな人影が現れて、行く手をふさぐ。見ると、タイガース選手に支えられて、よろめきながら会場を出て行くビリー選手なのだった。その後ろを、ぴったりくっついていく羽目になり、場内は暗かったから、遠くからは見えなかったと思うが、近くの人は見るし、本当に恥ずかしかった。
 走って会場を出た。8時15分だった。IMPよりも南港に近いデルアリでも、8時には会場を出ていたのだから、無茶だった。乗り継ぎのところは、とにかく全部走った。フェリーターミナル駅を降りてから、港までも走った。船客受付に走りこんだときは、9時2分前だった。受付の職員の方が、すぐ、トランシーバーで船に連絡して、船を止めておいてくれた。船まで走るように言われたので、また走った。ふだん船など乗らない方には、実感がないと思うが、港というものは、どこでも、とにかく広く、また不便なものだ。こんなに走ったのは何年ぶりだろう。五、六年前、友達と広島に行って、やはり帰りのフェリーに乗り遅れかけたとき以来か。そのときは、友達の中に、大学の陸上部に所属している子がいたので、彼女に先に走ってもらって、船を止めておいてもらったが、今回は、自分の力だけが頼りだった。3分遅れで、フェリーは出港した。本当に、死ぬかと思った。


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