03.8.30 旗揚げ10周年記念パーティー

 8月30日、パンクラス10周年記念パーティーが、銀座東武ホテルで行なわれた。まず、翌日の両国国技館大会に出場する選手の記者会見、写真撮影があり、第一試合の、渋谷選手と矢野通選手からはじまって、メインの、近藤選手とジョシュ・バーネット選手まで延々と続き、その間、我々は、「乾杯はまだだけど、飲み物は飲んでもいいのか」という疑問について、語りあっていた。近藤選手は、「10周年のメインを任されて嬉しい」と、実直に語り、バーネット選手は、「オマエノイノチハ、アトイップンダ」と、近藤選手を挑発。バーネット選手のケンシロウ節が生で聞けて、とても嬉しかった。

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 尾崎社長の挨拶で、パーティーははじまった。社長は、「鈴木選手に脅されて、泣く泣く社長になったが、今では、パンクラスが人生の一部」とおっしゃった。社長的には、この10年で、ようやく、風貌に実年齢が追いついてきた感がある。
 「パンクラスのベルトは、実は一つしかなくて、各階級に使いまわされているという疑惑がある」(鈴木選手談)が、それを払拭するために、会場には、各階級のベルトがならべられ、まぶしい輝きを放っていた。選手の方々は、國奥選手など一部をのぞき、素敵なスーツ姿だったが、5周年パーティーのときほど、思い切った着こなしは見当たらなかった。今まで一度たりともネクタイ姿を見せたことのない伊藤選手も、この日はネクタイをしめていた。テーマはウェスタンだったが。橋選手は、5周年パーティーのときもそうだったが、この日も、町のヨッパラと化していた。私の友達は、橋選手の噛んでいたガムをむりやり噛まされたが、いちご味のガムなのに、酒の味しかしなかったそうだ。
 船木さんは撮影があり、冨宅さんは大阪プロレスに乗り込む日とあって、お二人の姿は見られなかったが、山田さん、稲垣さんは駆けつけていた。ルッテン、シャムロックなども呼ばれるかと思ったが、それはなく、過去よりも現在がテーマという感じ。最近よく行われるじゃんけん大会が、今回も行なわれ、さまざまなお宝グッズが出品されたが、私のじゃんけんの弱さは健在で、一つも勝てなかった。
 試合を明日にひかえているとあって、出場する選手には声をかけづらく、写真を撮らせてもらったのは、鈴木選手と、バーネット選手だけだった。「ありがとうございます」と言うと、バーネット選手は、「ドウイタシマシテ」と言った。出場する選手は、皆、早めに帰ってしまった中、鈴木選手だけは最後までいて、〆の挨拶を務めた。この後、撮影があるから帰れない、とおっしゃっていたが、ファンサービスに努めておられ、立派だった。パンクラスのことを一番大切に思っているのは、鈴木選手ではないかと、よく思う。
 帰りには、引き出物の、非売品10周年記念Tシャツをいただき、会場に飾られていた花を、ホテルの方が花束にしてくださったのもいただいて、銀座東武ホテルをあとにした。私は着物を着ていたので、泊まっている品川プリンスホテルから、行き帰り、タクシーを利用した。行きのタクシーの運転手さんは、「銀座東武ホテルなんて知らない」「地図にも載ってない」と言いだし、私は、「ええ〜、困っちゃった」と言いながら、内心は怒り心頭で、「田舎者だと思って、ボルつもりだな!だまされないぞ!!」と思ったが、帰りはすんなり帰れた。ところが、行きよりも帰りのタクシー代の方が微妙に高かった。行きのタクシーの運転手さん、疑って、本当にごめんなさい。品プリの部屋で、いただいたお花を生けると、部屋いっぱいに、ゆりの香りがたちこめた。

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 翌日は、早起きして、友達と、ゆりかもめに乗った。人であふれかえるお台場を尻目に、「船の科学館前」で降り、船の科学館に展示されている、北朝鮮の不審船を見に行った。さびついてはいるが生々しい弾痕の残る不審船や、遺留品(下の写真。奥の緑色の物が水中スクーター)を見学した後、水上バスで、お台場から、日の出桟橋へ。涼しい海風に吹かれながら、レインボーブリッジの下をくぐるおもしろさに夢中になった我々は、日の出桟橋で乗り継いで、浅草まで水上バスで行くことにした。隅田川をさかのぼると、四月に行った聖路加ガーデンなども見え、本当におもしろかった。隅田川には、たくさんの橋がかかり、低い橋の下をくぐる際は、セーム・シュルトなら頭部痛打するほどギリギリで、とってもスリリング。橋の上から手を振っているおばさんに、手を振りかえし、「気持ちいいでしょぉー?」と聞かれたので、「はーい」と答えた。つかの間の心の触れあいだ。
 両国国技館も見えたので、我々は、「ここで止めろ、うちらだけ降ろせ」と騒いだが、聞き入れてもらえるはずもなく、終点の浅草まで連れて行かれ、蔵前まで歩いて、大江戸線で両国へ戻った。

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 力いっぱい水上バスを楽しんだので、もう帰ってもいいくらいだが、目的地は両国国技館、10周年記念大会だ。国技館にははじめて行った。吊屋根や、力士の優勝額、取組表の電光掲示板などもイイ感じだ。最前列の席を買ったので、引き出物として、パンフレットがもらえることは知っていたが、その他にも、ミニフィギュアセット(リングつき)ももらった。10周年記念本を買い、ハイブリッド・ボックスも予約したが、グッズ売り場は、近づけないほどのすごい人だった。こんな大入りは、久しぶりに見たので、本当に嬉しかった。
 試合前には、全選手の入場式があるかと期待したが、出場する選手だけだった。近藤選手が、挨拶を務めた。橋選手と、獣神サンダー・ライガー選手が、解説を務めていた。
 「パンクラスVS世界」「パンクラスVS新日本」と銘打たれた今大会だったが、先鋒の渋谷選手が、新日本の矢野選手から一本勝ちを収め、とても嬉しかった。鈴木選手は、「風になれ」で入場、キャッチレスリングルールで、新日本の飯塚選手に勝ったあと、マイクアピール。
「これがパンクラスだ!バァカ!!」
(解説席のライガー選手に)「弱いからそこ座ってんのかよ!!」
という、鈴木選手らしいものだった。好き嫌いは分かれようが、それはそれでいいと思う。

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 休憩明け、夕方の飛行機で駆けつけた船木さんが挨拶。「もっとシビアな目でパンクラスを見てください。応援や罵声を浴びせてください」とおっしゃった。休憩中、サミーの新台のCMでリングに上がった佐藤光留選手の、ベシャリの達者さにも驚いたが、もっと驚くのは、引退後三年経過してまだ健在の、船木さんのオーラだ。この日、いろいろな人がリングに上がったが、近藤選手とバーネット選手を除けば、船木さんが一番強そうだった、と友達が言っていたが、同感だ。

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 メインの、近藤選手とバーネット選手の試合は、新日本の中西選手もセコンドにつき、異様な緊張感の中ではじまった。結果的に、近藤選手は敗れ、パンクラスの無差別級のベルトは、新日本に流出したような形にはなったけれども、本当にいい試合だった。バーネット選手も、新王者にふさわしい器量だと思ったし、何より、近藤選手が強かった。負けた試合を見て言うのもおかしいが、近藤選手の強さを再認識した試合だった。あれほどの体重差がありながら、無差別級の闘いにこだわる近藤選手らしく、全く引けをとっておらず、「これぞ無差別級」という試合になった。宮田リングアナが、最後の最後に、バーネット選手を「ヘビー級チャンピオン」と、うっかり紹介してしまったのは、かえすがえすも残念。バーネット選手が、認定式でベルトを巻き、声をつまらせ、涙を流したところは感動的だったが。

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 その日は、友達と、明け方までパンクラスの話をした。昔、パンクラスを見始めたばかりの頃、よくそんなことをして、品川の夜明けの空を見たりした。品プリから、はるかかなたに見える橋が、レインボーブリッジだとは知らなくて、「あの橋、レインボーブリッジみたいやなあ」と思っていた頃だった。
 今回は、10周年記念大会ということで、昔の友達と会えた。とても楽しかった。楽しければ楽しいほど、帰るのが寂しく、羽田の青い誘導灯を見ていると、悲しくなってくる。私がパンクラスを見なくなる日も、近いと思うが、もしそうなって、いずれ、パンクラスが、私の生活から消え去っても、あの羽田の灯の美しかったことは、一生忘れないと思う。


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