新日本プロレスの車窓から


 96年に、新日本プロレスを見るまで、格闘技は怖いから大嫌いだった。

 二歳年下の弟がいて、小さい頃、弟がガンダムにハマれば、私もガンプラで遊んだりしたけど、弟がプロレスにハマっても、一緒になってマシン軍団ごっこをしたりはしなかった。

 当時、友達が、大事にしているぬいぐるみを学校に持って来て、私と、もう一人の友達に、「カマちゃん、Mちゃん、このぬいぐるみに名前つけてよ。サで始まる名前がいいな」と言ったとき、「サソリ固め」という名前をつけて、ものすごく嫌がられた記憶はあるけど、それがどんな技かなんて知らなかった。

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 時が流れ、弟が、縦にも横にも成長し、「橋本真也に似とると言われる」とぼやいているのを聞いて(ぼやくのは失礼)、橋本ってどんな人なんやろと思い、「ワールドプロレスリング」を見たのが、96年のこと。

 「確かに似とる」と確認しただけで終わらずに、よく見るようになった理由はわからないが、当時、ずっと好きだったプロ野球に物足りなくなっていて、もっと、選手一人一人の個性がはっきり見えるプロスポーツはないかと思い、プロゴルフなど見ていた矢先だったので、選手の個性が必要以上に見えまくりなプロレスにハマったのかもしれない。
 当時、タイガー・ウッズがいたら、プロゴルフにハマっていたかもしれないが、幸か不幸か、そうはならなかった。
 
 関係ないけど、プロゴルフのデービス・ラブ三世の名前を聞くと、「スゲー、外国には本当に『三世』って人がいるんだな」と思って、ちょっと嬉しくなりますよね。
 なりませんか。
 名前が「ラブ」ってのもスゴイけどな。

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 そんな96年、橋本真也が高田延彦と試合をし、流出していたIWGPのベルトを橋本が取り返したのをテレビで見た私は、異常に興奮し、その年末、地元に新日の興行がやってくると、速攻で行くことに決めて友達を誘ったが、プロレスと聞くと、皆嫌がって一緒に来てくれず、結局一人で行く羽目になった。

 会場は、松山総合コミュニティセンター、愛媛県では一番の大会場だが超満員だった。
 私にとっては、結果的には不幸なことだったが、この日はテレビ収録があり、会場は、正気の沙汰とは思えない盛り上がりで、私はすっかり、生観戦の迫力に圧倒され、数日後には、この試合の模様が載った週プロを、はじめて買った。
 プロレス雑誌なんてものがこの世に存在することも知らなかったので、何を買っていいかわからなかったが、とりあえず、週刊「プロレス」って名乗ってるぐらいだから、これが王道に違いないと思ったのだ。
 これらのことにより、私が真人間に戻る道は、完全に閉ざされてしまった。

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 関係ないが、私は、この新日の興行を見るまで、「60分1本勝負」とかの「1本」の意味が理解できておらず、途中でどんな事態が起こっても、時間いっぱい試合をすると思っていたため、対戦カードを見たとき、「終電に間にあわん」と、本気で心配した。

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 なんか橋本真也のことは、先のようないきさつもあり、他人のような気がしない。
 橋本の方が年上なのに、それでも弟のような気がして、
 「そんなことして、大丈夫なのか」「お金は足りているのか」等、常に心配している。
 橋本には勝俣がついているから、大丈夫だろうけど。
 ちなみに現在の私の弟は、少しやせて、ビギンのボーカルに似ている。



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