2006年11月23日(祝)・25日(土)〜26日(日)の三日間にわたり開催された第6回
伊参スタジオ映画祭。本項は、一般参加者&微妙に関係者でなくもないかもしれなかったりするんじゃないかという立場の筆者が、ごく個人的な視点から映画祭での出来事を綴った極私的レポートです。ちなみに、上映された映画の感想はネタバレを含みますのでご注意を。
■
はじめに
群馬県吾妻郡中之条町に存在する、もと廃校だった施設を映画撮影の拠点として再生させた「伊参スタジオ」。『月とキャベツ』『眠る男』等、数々の映画も撮影されたこの場所を会場として、毎年秋に開催されているのが「小さな山里のとっても小さな映画祭」(公式サイトより)伊参スタジオ映画祭である。
本映画祭の特徴の一つは、映像化を前提としたシナリオコンクール「伊参スタジオ映画祭シナリオ大賞」を、毎年映画祭の開催にあわせて行っていることだ。二次審査を通過すると、映画祭にて行われる結果発表&授賞式の場に招待される。そこで大賞を受賞した者は、受賞作品を、中之条町の全面バックアップの元に自ら映画化し、一年後の映画祭で初公開することが求められる。今回、一昨年、昨年に続いて拙作が二次審査を通過するという幸運に恵まれた僕は、「三度目の正直」を期して、みたび伊参の地を踏むことになったのだった。
【11月25日(土) 映画祭二日目】(※初日は都合により参加できず)
■
9:20 JR中之条駅到着〜伊参スタジオ

穏やかに晴れた空の下、僕にとって三度目の中之条に降り立つ。改札を出ると、早速見覚えのある顔を見かけた。シナリオ大賞2004中編部門大賞作品『柳は緑 花は紅』監督の宮本亮さん、そして同短編部門大賞作品『ドリアンじいさん』監督の三倉毅宣さんだ。たぶん僕のことはおぼえていないだろうなと思いつつ、それでも一応挨拶して「おぼえていますか?」と問うと、お二人の返事は気持いいくらいきっぱりと「おぼえていません」だ(笑)。まあ、おぼえていろというほうが図々しい話だけど。
駅まで迎えに来てくれた映画祭スタッフの車に同乗し、宮本さん、三倉さんらと会場の伊参スタジオへ向かう。車中、三倉さんから『ドリアンじいさん』のお話をいろいろ伺った。
会場へ着くと、懐かしい伊参スタジオの「校舎」、そしてこれまた懐かしい顔の映画祭スタッフが何人か出迎えてくれる。ゲストである宮本さん、三倉さんは控え室へ。僕はシナリオ大賞の授賞式が行われる26日のみゲスト扱いで、今日は単なる一般客なので、そのまま上映会場である「体育館」へ。
■
10:00〜 『柳は緑 花は紅』/『ドリアンじいさん』
『柳は緑 花は紅』『ドリアンじいさん』は、シナリオ大賞2004受賞作品として2005年に制作され、同年映画祭で初上映された作品。僕にとってはどちらも一年ぶりの観賞となる。なお『柳〜』は今回、音楽が追加されたバージョンアップ版での上映。
『柳〜』は、親に捨てられた少年と妹が、世知辛い大人たちに翻弄されながら生き抜いていく様を冷めたタッチで描いたサバイバル・ロード(?)ムービー。ナイトシーンが全編に渡って効果的に使われ、重い印象を残す。身勝手でご都合主義の大人たちはしかし、悪意によって動いているわけではないという描き方に、人間の本質に対する鋭い洞察がある。主人公の少年は、そんな大人たちの間で強かに、姑息にならざるを得ない。タイトルの由来は、「あるがままの姿で生きる」という意味の宋時代の詩人の言葉(らしい)。テーマの全てが凝縮されたラストカットが切なくも圧巻。
『ドリアン〜』は同じく少年を主人公にしたロードムービーながら、一転して明るいタッチでひたむきな少年の姿を描いていく。祖父が死の間際に聞かせてくれた、戦時中タイで食べたドリアンの話。葬式を抜け出し、祖父のためにドリアンを探して町を駆け抜ける少年の小さな冒険。出演者の大半が地元・中之条町の人々で、それぞれが素人ならではの実にいい味を出している(特にお父さん役の人)。少年を演じていたのが実は女の子だというのも意表を突かれる。「中之条町で撮る」ということにこだわり、中之条町の人々に贈られた良心的作品。
上映終了後、宮本さんと三倉さんの舞台挨拶があった。お二人ともなぜか寡黙(宮本さんについては「相変わらず」だが)。むしろ舞台を降りた後、三倉さんが映画に出演した地元の人たちとの再会を喜ぶ姿に、何か羨ましいものを感じた。
■
11:25〜 休憩
伊参スタジオの「校庭」で宮本さん、そして今回『柳〜』に新たに付けられた音楽を作曲したSさんという女性の方と話し込む。宮本さんからは「
シナリオセンターの手の者ですね」と言われた。「どのコンクールに応募しても、いっつも
シナリオセンターの手の者が立ちはだかるんですよっ」と。寡黙なイメージが強い宮本さんだが、会って話すと意外と(失礼)喋ってくれる。実はシニカルでおもしろい方なのです。
そこへ、映画祭スタッフの
岡安賢一さん、続いて三倉さんもやってきて話しに加わる。途中で岡安さんが会場へ戻ったので、僕は宮本さんと三倉さんのトークを独り占め。それ、舞台で話してくれたらおもしろかったのに、という映画制作の苦労話や、これから映画を制作する(かもしれない)僕へのアドバイスまでいろいろ聴かせて頂いた。「とにかく現場は楽しくした方がいいですよ」との宮本さんの言葉に、三倉さんも頷く。お二人とも、とかくスタッフワークの面では大分ご苦労なさったようです。あと、お金。
■
12:10〜 『雨の町』
『
雨の町』は菊池秀行原作のホラー映画。メインロケを中之条町で行ったそうだが、まさかR-15作品が伊参で上映されるとは思わなかった。上映前、田中誠監督が舞台に立ち、「過激な表現もありますのでご注意を」と異例の「お断り」を入れたのも頷ける。
で、肝心の映画ですが、確かに暴力的なシーンもあったけど、全体的にはそんなに恐くありませんでした。怪奇現象が立て続けにポンポン起こりすぎちゃうからかな。ちょっとサービス過剰というか。シナリオ的には、主人公と成海璃子演ずる少女との間にもう少し印象深いエピソードがあれば、ラストで感情移入できたのに、惜しい。
上映終了後、田中誠監督と主演の和田聰宏さんのゲスト対談。田中監督は今日が誕生日だそうで、映画祭スタッフがバースデーケーキを用意して祝うという粋な計らいも。あと、映画で"モンスター"役だった男の子が花束を持って出てきた時は一瞬ドキッとした、襲われるんじゃないかと思って。っていや、冗談ですけど。
■
14:40〜 『初恋』
『
初恋』は、「三億円事件の犯人は実は女子高生だった」という着想の、中原みすずの同名小説を映画化。――なんですが、昨夜あまり寝れなかったのと、ホラー映画で緊張した後だったので、不覚にも上映中に少しウトウトしてしまいました。ただ、あの事件は突発的に起こったのではなく、1960年代の反権力という空気が背景にあったということと、しかしそれらの運動が持っていた脆弱性みたいなものまで映画の中では描かれていて興味深かった。60年代という時代が持っていたもの、生み出したもの、そして失われてしまったものは何だったのか。……勉強しなくてはね(最近はこればっかり言ってますが)。
上映後のゲスト対談では塙幸成監督、宮崎将さん、小嶺麗奈さん、松岡周作プロデューサーが登壇。宮崎あおいさん(さん付けするのも何だかミョーな感じだが)からのビデオメッセージも流され、伊参にしては(失礼)芸能色が強いひと時……。
舞台挨拶終了後、恒例の記念撮影が行われる。ゲストも観客も一緒になって会場の中央に集まり、スクリーンをバックにパチリ。そして次は、本日最大のお目当てでもあった「あの作品」が上映される。
■
17:40〜 『チーズとうじ虫』
伊参では、毎回必ず自分にとっての「心の映画」に出会う。一昨年は杉田愉監督『貝ノ耳』のことばを越えた映像世界に深い感銘を受け、昨年は小栗康平監督『埋もれ木』の、他のどの映画とも似ていない独特の世界観に圧倒された。そして今年もまた、心震える一本に出会うことができた。加藤治代監督『
チーズとうじ虫』である。
上映前、舞台挨拶に立った加藤監督は、とてもしっかりした方という印象を受けた。映画は、そんな加藤監督が、がんに冒され余命僅かと宣告された自分の母親(と、その周辺の家族や親族)を被写体にしたドキュメンタリー。と書くといかにも暗い内容を想像してしまうかもしれないが、母親との生活を淡々と映し出す映像に悲壮感はなく、料理をしたり、三味線の練習をしたり、絵を描いたり、親戚の子供たちと戯れたり――といった日常がむしろ不思議な明るさとユーモアさえ伴って描写されていく。
しかし、そんな表層だけでは語り得ない「何か」に、観ていて気付いた。それは、カメラを回す加藤監督自身の「身体」の存在だ。例えば、母親と談笑するシーンで、監督が笑えばカメラも小刻みに揺れる。「カメラ、持ってるから手伝えないね」という台詞も、カメラを回す人間の「身体」がそこに存在することを浮かび上がらせる。それだけではない。映像に身体性が強く反映されるのだとしたら、監督自身の目線でもある「映し出された映像」は、実は表層には現れない監督の心の奥底を代弁しているのではないか。つまり、どんなに言葉で取り繕っても、身体は嘘をつけない。例えば滴り落ちる点滴をアップで映し出す映像に――たとえその前後に明るく談笑する声が響いていても――僕は隠しようのない「死」への不安を感じ取る。
映画とはそもそも、つくり手の思いを被写体に仮託することによって具象化するメディアだ(と思う)。言葉はなくても、カメラに映された全ての人、物、風景が饒舌に語りかけてくる。僕がこの映画に「やられた」のは、そうして伝えられる意味内容があまりにも豊穣だったからだ。特に、母親が亡くなった後、ご遺体の上に乗ろうとした赤ちゃんが叱られて(?)泣き出すシーン。ここで、僕の中の「許容量」が限界水位を超えた。後は溢れ出すばかりだった。軽薄な言葉でしか語れないのが本当に申し訳ないのだが、大切な一本に出会えたと思った。
上映終了後、速攻でパンフレットを買いに走る。そしたらその場に加藤監督がいらして、サインもらっちゃった。わーい(←バカ)。映画の感想も伝えたかったのだが、最終バスの時間が迫っていためにできなかった。「映画、すごくよかったです」とひとこと伝えるのが精一杯。本当は、もっと沢山の言葉を使って、感じたことを伝えたかった。図々しいとわかっていても、そうしたかったのだ。時間がなかった。悔しい。
■
19:30〜 伊参スタジオ発〜四万温泉
後ろ髪を引かれながらも慌ててバスに飛び乗ると、先述したSさんと乗り合わせた。車中、僅かな時間ながらSさんと話す。Sさんは音楽をつくっているので、もし映画で音楽が必要になったら声を掛けてくださいねと仰って下さる。こうした人との出会いが、何より伊参へ来る楽しみの一つでもあるのだ。
中之条駅でSさんと別れた後、バスを乗り換え、四万温泉にある旅館へ。昨年泊まったのと同じ旅館。おかみさんはとても親切な方だった。映画祭とシナリオ大賞の話をしたら、僕のことを思い出してくれたようだ。僕はというと、明日のことを思うと落ち着かず、部屋で一人そわそわ。何とか気分を落ち着かせようと、持参したムックリを取り出して、寝る前に弾いた。「四万温泉の旅館でひとりムックリを弾く男」かなり怪しい。
【11月26日(日) 映画祭三日目】
■
8:30 四万温泉発〜JR中之条駅〜伊参スタジオ

本日も穏やかに晴れて映画祭日和。朝、おかみさんの「良い結果をお祈りしています」との言葉を背に受けて旅館を出る。そのままバスで中之条駅へ。駅前で伊参スタジオへの直通バスを待っていると、見覚えのある顔が改札から続々と。23日に上映された、第2回ぐんまショートフィルムコンクールグランプリ受賞作品『ゴーゴー★TOILET』の監督、伊羅子政代さん(実は知り合いでした)、シナリオセンター講師でシナリオ大賞の審査員でもある坂井昌三先生、新作『キユミの肘 サユルの膝』を引っ提げた杉田愉監督。坂井先生、杉田さんとは一年ぶりの再会を懐かしむ。そのまま、駅へゲストたちを迎えに来た映画祭スタッフのTさんのご好意に甘え、送迎の車にちゃっかり同乗させて頂き伊参スタジオへ向かう。毎度のことながらお世話かけて申し訳ないです。
伊参スタジオに着くと、坂井先生、杉田さんたちと共に控え室へ。今日こそは立派にゲスト扱いだ。えっへん(注:赤羽本人はぜんぜん立派な人間ではありません)。映画祭スタッフのEさんから交通費とゲスト用の名札を頂き、日程の説明を受ける。例年のことながら丁寧に対応して下さる。手続きを終えて早速上映会場に向かう僕に、杉田さんは「『キユミ〜』は『貝ノ耳』とはぜんぜん違う仕上がりなのでお楽しみに」と期待を煽ってくれる。
■
10:00〜 伊参短編セレクション
ENBUゼミor
ニューシネマワークショップ出身の監督が制作した短編映画の集中上映。こうした若手監督の作品を伊参では毎年上映しており、掘り出し物的な作品との出会いが楽しみの一つでもある。今年は浅尾仁美監督『ラッキーセンター』、新井真吾監督『soraの彼方』、長谷川留亜監督『チェリーハイツ』、中嶋沙耶香監督『繋いだ手…離した手…離さない手…』、仁志原了監督『蹉跌』の5本。
全体としては正直、一昨年、昨年のほうがバラエティに富んでいておもしろかったという気も。言いたいことは何となくわかるのだけれど、それを表現する手段がまだ成熟し切っていないと感じる作品が多かった(エラソーな言い方で申し訳ありませんが)。そんな中、頭一つ抜きん出ていたのが『蹉跌』。山下敦弘監督作品でお馴染みの山本剛史さんや佐藤二朗さんなど、俳優陣がいい味出しまくり。あと『チェリーハイツ』のゆる〜い雰囲気も好き。ちなみに『ラッキーセンター』には篠原哲雄監督が出ていた(一回目)。
■
11:45〜 『キユミの肘 サユルの膝』/『エイン』
休憩を挟んで、杉田愉監督待望の新作『キユミの肘 サユルの膝』の登場である。で、さっそくですが感想。杉田さんの予告どおり、確かに「ぜんぜん違」いました。『貝ノ耳』が額縁に入れられた絵画だとしたら、『キユミ〜』はスケッチブックに描かれたラフスケッチという印象(良い悪いではなく、それぞれ喚起されるものが違うということ)。思えば前回は老人が主役で、今回は初潮を迎えたばかりの少女の話なわけだから、性的に未分化な主人公たちを描くにはラフスケッチという描き方のほうがより適切ではあったろう。それでも、ややドキッとさせる象徴性の強いカットの挿入等、『貝ノ耳』を思い出させる演出もところどころに見受けられ得心。殊にふたりの少女が並んで立つ無人駅の透き通るような空気感は、杉田さんでなければ撮れない「映像の心地良さ」を感じさせてくれるものだった。ただ欲を言えば、スタッフ・キャストのクレジットも含めて5分は短すぎる(笑)。もうあと5分観たかったです。
続く『エイン』は、ミャンマー出身のモンティンダン監督による、家族と共に日本に移住したミャンマー人の高校生が日本人との齟齬を乗り越えて成長していく物語。「対立・葛藤・和解」を地で行く正統派ドラマで、素直に感動した人も多かったと思う。ただ実を言うとこの映画、その着地の仕方が僕にはある疑問を抱かせるものだった。
外国人であるが故に周囲の好奇の目に晒される主人公は、日本人や、日本人に頭の上がらない父親に反発し家を飛び出す。その先で出会った外国人と日本人のハーフの漫才コンビ。彼らは「反発するばかりじゃなく、まず自分から仲良くしようとしなくちゃ」と主人公を諭す。そして主人公は、自ら日本人と打ち解けようと彼らの輪の中に入っていく(ものすごく大雑把にまとめてます、すいません)。
おそらく監督自身の実体験に基づく部分もあるだろうこの物語は、「ミャンマー人でありながら日本で生きる自分」に対する視線に貫かれている。だからこそ、あくまで「自分の問題」としてテーマを追求した結果、「自分が変わることで周囲も変えていける」というところへ物語を着地させた。そこから普遍的なメッセージを読み取ることも可能だ。しかし、結果として問われるのは差別「される側」であるはずの主人公自身の内面であり、差別「する側」としての日本人の無知・無教養は何ら問題に付されないままだ。つまり、見方を変えればこの映画は、「差別の原因は外国人の側にも非がある」という誤ったメッセージを放ってしまう危うさがありはしないか。監督の自己のテーマに対する誠実さが逆に仇となり、問題の本質が矮小化されてしまっていると言えはしないか。この社会に根強く残る差別の問題を考える時、まず変わらなければならないのは差別「される側」ではなく差別「する側」、つまり我々の「社会」のはずだ。以上日本人観客としての一意見です。
上映終了後、短編セレクションの監督陣、『キユミ〜』の杉田監督と出演者の丸山桃子さん、品田涼花さん、『エイン』のモンティンダン監督の舞台挨拶。杉田監督は主演二人の成長に合わせて『キユミ〜』の続編をつくるという構想を語る。
■
12:45〜 休憩
上映中から「前の席にどこかで見た顔の人が座ってるなあ」と気にはなっていたのだが、休憩時間に声を掛けられ、「あ、
シナリオセンターの事務局にいつもいる人(すいません、すごく大雑把な認識で)だ」と思い出した。
小林代表も来場していて、僕と同じくシナリオ大賞二次審査通過者の三田豊さんと齊木和明さんを紹介される。聞けば今年もセンター出身者が続々二次通過とかで、宮本さんが聞けば間違いなく「また
手の者かよっ」と憤慨すること請け合いな情勢だ。齊木さんに「今年で三年連続二次通過なんで、そろそろ賞が欲しいんですよぉ」と話すと、「渡しませんよ」と釘を刺される。むむむ、早くも闘志全開。
会場の外に出ると、また懐かしい顔に会った。僕同様、シナリオ大賞三年連続二次通過組の一人であり、一昨年、昨年と連続で「審査員奨励賞」を受賞した湯本眞子さんだ。篠原監督に「演出したい気にさせられる」「それにしても撮る側を刺激してくれますね」と言わしめた、他人には真似できない強烈な世界観を持つ湯本さんだが、御本人はいたって気さくで明るい方なのである。
そんな湯本さんと焚火で暖を取りながらしばし、立ち話。昨年の湯本さんの作品『椿供養』は、個人的に昨年の二次通過作品中最も好きな脚本であり、聞いてみたかったことなどをいろいろお伺いできた。ちなみに会場には湯本さんのご家族も来られていたが、御主人とはシナリオセンターで知り合われたそうな。これを世に「センター婚」と言う(言わない、言わない)。でも意外と多いんですねえ。僕の知り合いでも二組ぐらいおりますけど。
さて、そうこうする間にも運命の瞬間は近づいてくる。休憩が明ければ、いよいよシナリオ大賞の結果発表と授賞式が行われるのだ。会場に戻り、席についてじっと開始を待っていると、小林代表から「顔色悪いよ」と言われた。どんな緊張の仕方だ(笑)。
■
13:30〜 シナリオ大賞2006 授賞式&講評
改めて説明しておくと、伊参スタジオ映画祭シナリオ大賞では、二次審査通過者を会場に招き、審査員が講評を行いつつその場で大賞受賞者を発表するという、実に心臓に悪い方法が例年採用されている。過去二年間、僕は「果たして自分の名前が呼ばれるかどうか」という極度の緊張と、「結局呼ばれませんでした」というとてつもない脱力感を立て続けに経験してきた。さて、今年は――
審査員の篠原哲雄監督、松岡周作プロデューサー、豊島圭介監督、坂井昌三先生、上毛新聞社事業局次長の宮川勉さんが壇上に上り、昨年と同じく豊島監督が司会進行を担当し講評スタート。結果発表の前に、まずは全体の所感が各審査員から述べられる。キーワードは「多様化」、そして「全体的な質の向上」。中編の部は読み応えのある作品が多く、短編の部は松岡Pの言葉を借りれば「どんぐりの背比べ」であった、と。結果として、審査は割れに割れ、今までで最も難航したようだ。
ひととおり所感が述べられた後、いよいよ各賞の発表となる。用意されている枠は大賞二編(中編/短編各一本)、審査員奨励賞五編、伊参スタッフ賞一編、そして今年は特別に審査員特別賞一編が設けられた。まずは審査員奨励賞。これは各審査員が個人的に特に推薦する作品に賞を与えるもので、それぞれの審査員の口から受賞者が発表される。
一本目、宮川さん推薦。僕の名前は呼ばれない。二本目、坂井先生推薦。やはり呼ばれない。三本目、松岡P推薦。呼ばれない。壇上で表彰を受ける受賞者の喜びのコメントが、右から左へと通り過ぎていく。四本目、篠原監督推薦。……呼ばれない。あーあ、今年もかな。という諦念と、いや、まだ大賞が残っている、という希望が交錯する。そして五本目。豊島監督推薦。
「――赤羽健太郎さんの『千恵熱』です」
……受賞の瞬間は、飛び上がって喜ぶような気持でもなく、だからといって大賞を獲れなかったことに落胆するのでもない。ただ、ホッとした。ああ、とりあえず「ここ」に留まれたんだな、と。一瞬目を閉じ、大きく息を吐き出して僕は立ち上がった(っていうか、やっぱ心臓に悪いよこの発表形式は……)。
壇上に上り、豊島監督の手から、受賞者全員に渡される映画祭スタッフ手製の「楯」の授与を受ける。三年目にして初めて受け取る重みだ。豊島監督が拙作についてその場で講評してくれる。「非常に感銘を受けました」というありがたいお言葉を頂いて、僕は、今回の受賞が自分にとって特別な意味を持つことに気付いた。そうだ、この舞台の上でこそ「あのこと」を話しておかなければ。マイクを手渡され、「受賞の言葉」を求められた僕は話し出した。
「シナリオ大賞には三年連続で応募してきましたが、三年目にしてようやくこのステージに立たせて頂くことができました。実は、今回の受賞には運命的なものを感じています。昨年、拙作が二次審査を通過し、授賞式の席に呼んで頂いた時、豊島監督から「赤羽君って、"いい話"が好きだよね」と言われました。その言葉が、僕にとっては鋭い「批評」として響いたのです。そこで僕は、「いかにして"いい話"から逃れるか」を目指して『千恵熱』を書き上げました。つまり、豊島監督の言葉がなければ今回の作品は生まれなかったのです。結果的にその作品が豊島監督の推薦で奨励賞を頂いたことに運命的なものを感じますし、大変ありがたい気持で一杯です。ありがとうございました」
えー、自意識過剰というか、「おまえは大賞でも獲ったつもりか」と自分に突っ込みたくなるようなこっぱずかしい内容だが、だいたいそんな意味のことを壇上で喋った。豊島監督が「じゃあ、後で二人で飲みに行ってきます」とフォローして会場を笑わせてくれたのが救い。
その後も授賞式は続く。伊参スタッフ賞、そして今回特別枠として設けられた審査員特別賞。伊参の場合、映像化が前提のコンクールのため、いくら脚本の出来が良くても映像化は難しいと思われる場合がままある。だからといって落としてしまうのも惜しいという作品のために、今回の賞が設けられたとのこと。そしていよいよ大賞の発表。結局今回大賞を受賞したのは、中編の部『この先百年の孤独』
田徒歩さん、短編の部『耳をぬぐえば』
室岡ヨシミコさんだった。女性の受賞は2003年の第一回シナリオ大賞以来である。また田さんは「三年連続二次通過組」の一人でもあり、僕も勝手に親近感を抱いていたので、今回の受賞は素直に嬉しい。おめでとうございました!
――というわけで、今年も「運命の瞬間」は過ぎ去っていったのでした。ぶっちゃけ本音を言えば「嗚呼、この歳にしてやっと「賞」と名の付くものに手が届いたぜ……」という感じ。長かった。そして、これから先はもっと長い。きっと。
■
14:20〜 『星屑夜曲』

シナリオ大賞2005中編の部大賞受賞作の映画化。その道程は外山文治監督のブログ「
ぼくらの300日間戦争」でも語られている。実は最初に脚本を読ませて頂いた時は、個人的にそれほど強い印象は受けたわけではなかった。心理描写が多く、展開もどちらかというと起伏に乏しい感じがしたからだろうか。しかし、脚本が映像として立ち上がった時、僕は初めて監督の狙いの正しさに気付くことになる。
天文台に勤めていた恋人を突然の事故で失ったヒロインの心の傷と、その再生までの日々が丁寧に綴られていく。「恋人の死」という重い背景がありながらも、登場人物たちは必要以上に感情を表出させることはない。その淡々とした感じが逆にリアルに感じられた。ヒロインはやがて、恋人が生前、自分に何かの隠し事をしていたことに気付き、自分は本当に愛されていたのかと疑い始める。ドラマに有機性と独自性を与えているのがここいらの設定だ。脚本家として見習いたいところ。ただ、60分という(自主映画としては)長丁場で、ウツウツと悩むヒロインの姿を見せられるのはちょっと辛かったかも。中盤にもっと思わせぶりな伏線が(全体のテンションを崩さない程度に)あってもよかったかな。喫茶店マスターの役柄も、「物語上の役割」という域を出切っていなかった気もする。もうちょっと彼なりの背景が見えて欲しかった。
とはいえ、白眉はクライマックス。恋人が隠していた「秘密」を知ったヒロインは、今はもういない彼のために、苦手だった料理をつくる。料理を食べながら、初めてヒロインは「彼はもういないのだ」と実感して嗚咽する。このシーンでは、大泣きするヒロインと、恋人との回想シーンが巧みにカットバックされ、思わずグッと引き込まれてしまった。余計な情感を廃し、あくまで淡々とヒロインの姿を描写し続けた監督の狙いは恐らく、ここにあったろう。その成果は、周囲の客席から聞こえてきた啜り泣きの声で充分、確認できた。
経済的にも精神的にも大きな負担を強いられる映画制作において、様々な幸運に恵まれたと言える外山さんは、その幸運を最大限に生かして堂々たる作品を撮り上げた。一年間、本当にお疲れ様でした!――あ、そういえば喫茶店の客役で篠原監督が出ていた(二回目)。
上映終了後、外山監督、主演の山田キヌヲさん、プロデューサーの阿部史嗣さんのゲスト対談。外山さんのブログでも触れられているが、妙にテンションが低かったので「お疲れなのかな?」と心配してしまいました。「念力」を使い果たした後だったんですね。でもその効果は充分にあったんじゃないかと。
■
15:35〜 『びっくり喫茶』

シナリオ大賞2005短編の部大賞受賞作の映画化。監督は、映画制作自体初体験だという山岡真介さん。そういえば昨年、映画祭からの帰りの電車でご一緒させて頂いた時の山岡さんはおもしろかった。思いがけず自分の作品が大賞を受賞してしまった山岡さんは、動揺のあまり新幹線のデッキで立ったまま一人漫才を始めてしまったのだ。その時の山岡さんのひきつった笑顔が、今年どのように変わっているか、僕はそれがとても楽しみだった。
『びっくり喫茶』の内容を口で説明するのは野暮というもの。いわば一撃離脱式の瞬間芸。脚本を読ませて頂いた時は、一昨年の二次通過作品『ご近所連鎖』に続く山岡ワールドに爆笑させて頂いたのだが、同時に、これを狙い通りに映像化するのはものすごくハードルが高いんじゃないかとも思った。審査員の皆さんも、けっこう酷なことするなあ、と……あ、いやいや。
果たして、脚本を読んだ時はもっとハイテンポのジェットコースター的作品を想像していたのだが、完成した映画は、どちらかというと間をたっぷり取った、ほのぼのとした仕上がりになった。個人的にはトリ男が馬に変わっていたのが惜しい。ただ、馬のほうがカワイイといえばカワイイので複雑。でもなあ、やっぱ個人的には馬刺しより若鶏のガーリック焼きのほうが(観てない人には意味不明でしょうが、すいません)。ところで何より『びっくり喫茶』なだけにびっくりしたのは篠原監督がまた出ていたということだ(三回目)。しかもほとんど主役なんじゃないかという勢い。……そろそろ言ってもいいかな。
篠原監督、出過ぎ。(笑)
喫茶店のシーンは編集とカメラワークでもう少し異なるテンポにもできたのではないかという気も。最後、馬が入ってくるタイミングが少し遅いと感じられたのと、あと頭は取らないで(被ったままで)いて欲しかった。役者さんはプロの方と中之条町民の方の混成チームだが、違和感なく馴染んでいて、それぞれ非常にいい味出していたと思います。特に「でっかくなっちゃいました!」のおじいちゃん。友人二人のリアクションもツボです。
ゲスト対談には山岡監督、出演者の泉珠恵さん、そして特別に司会として豊島監督が壇上に上った。山岡さんの笑顔にもはやひきつりはなかった(まあ、あたりまえだけど)。これまでは映画を撮ることなど考えもしなかったが、今は監督業に興味が沸いてきたと山岡さん。ぜひ『ご近所連鎖』の映像化を!
例年、シナリオ大賞受賞作の上映では、ものすごく乱暴に括ってしまうと「エンタテイメント寄り」の作品と「アート寄り」の作品が競合していて、どちらかというと「アート寄り」の作品が、会場の雰囲気的に「割を食ってしまう」ことが多かったが、今年は「泣き」と「笑い」という、どちらもプリミティブな感情をベースにした作品の並列で、両作とも観客に素直に受け容れられている空気が伝わってきて、とてもいい雰囲気の会場だったと思う。その意味では、今回の二作品を大賞に選んだ審査員の狙いは、やはり正しかったのだ。
■
16:25〜 交流会
交流会の前には昨日と同じく恒例の記念撮影があった。会場を照らす照明をまぶしく見上げながら、一昨年、昨年とは明らかに異なる感慨が胸に込み上げてきた。
交流会では、ゲスト、観客、スタッフらが入り混じって文字通り交流を深める。今年は手作りのカレーも振舞われた。まず湯本さんとそのご家族、杉田さんにお会いし、「おめでとう」と言って頂いた。三年目にしてようやくその言葉を耳にできたことが、しみじみ嬉しかった。宮本さんも「よかったじゃないですか」と言って下さる。シナリオセンターの手の……じゃない、事務局の方々がやってきて、機関誌に載せるのだろうか、シナセン出身のほかの受賞者と並んで何枚か写真を撮る。――と、「おぼえていますか?」と声を掛けられた。一瞬わからなかったが(失礼しました)、一昨年のシナリオ大賞でスタッフ賞を受賞し、『世にも奇妙な物語』の一編として映像化もされた『奥さん屋さん』の羽場さゆりさんであった。二年前、映画祭からの帰りの電車の中でご一緒したのだが、覚えていて下さり恐縮。
そういえば、真っ先に挨拶すべき方にまだ挨拶していないと思い出し、会場内を探す。その方――豊島監督の姿を見つけ、声をかけた。お礼を言い、『千恵熱』について更にいろいろとお話を伺う。嬉しかったのは、豊島監督が「事件を駆動するのは決して特定の悪意ではない」という、いわば『千恵熱』の裏テーマをも正確に読み取って下さっていたことだ。監督は、ホラー等を撮っていても、そこにある種の現実性を込めることを心がけていると言い、表現に対する問題意識が(畏れ多い言い方だけど)僕と似ている部分があるように思えた。
そこへ、映画祭スタッフの岡安さんがやってきて声を掛けられる。聞けば、先述した受賞者に渡される「楯」について、僕の分をつくってくれたのが岡安さんだったという。そこで僕は、少し前に岡安さんのブログに書かれていた以下の記述を思い出した。
それでその木製の楯に、受賞者の名前などを書き入れる作業があって、僕も今年初めてそれに参加した次第。どの作品を描いたかは、それがどの賞を取ったかとも関係してくるので書けませんが、偶然割り当てられたのが、読んでとても感銘を受けた作品だった。熱入ったぜ。お見せできないのが残念ですが。

……二重に嬉しかった。『千恵熱』を書いた時、実は「これ、岡安さんが気に入ってくれたらいいなあ」という思いもなきにしもあらずだったので、その岡安さんが「感銘を受け」て下さったのなら、それはもう、本望である。しかも岡安さんは、楯になんと『千恵熱』のワンシーンを再現して描き込んでくれていた(右写真参照)。こうした思いがけない心遣い、そして先述した豊島監督の言葉が、今回の受賞を僕にとって大変意味のあるものにしてくれたのである。感謝に堪えない。
一方で、もちろん僕自身が受賞に対してどれほど思い入れていようとも、傍から見ればあくまで「たかが奨励賞」、まったく些細なことに過ぎない。豊島監督によれば、『千恵熱』は他の審査員の票をさほど獲得できなかったとのことで、今回の受賞はまったくの幸運に過ぎないことを忘れてはならない。それでも、仮にたった二人の人間であっても、自分の作品が「感銘」を与えたという事実は、僕にとってこれから創作を続けていく上でのかけがえのない宝になるだろう。
■
17:05〜 『Benisachi 紅幸』
いよいよ最後の作品の上映である。『Benisachi 紅幸』は、ニューシネマワークショップのアクタークラスの講師を務める篠原監督が、生徒たちの卒業制作として撮り上げた、8本のオムニバス形式の恋愛群像劇。外山さん、山岡さん、そして「
いまくり」の今西祐子さんが脚本として参加。上映前には篠原監督と出演者、今西さんの舞台挨拶があった。それにしても壇上に上った俳優さんの数が多い多い。一部を除いて皆さん、ニューシネマワークショップのアクタークラスの生徒さんだそうです。
作品は基本的に会話劇で、台詞に含まれる情報量がものすごく多かったので、その日既に何本もの映画を観、なおかつシナリオ大賞授賞式の緊張でぐったり疲れた後では、なかなか物語が頭の中に入ってきてくれませんでした。申し訳ない。今度落ち着いた時にじっくり観たらもっとおもしろく観れそうな気がします。個人的には篠原監督自身の脚本によるラストエピソードが一番好き。あと今西さん脚本の1話は、死んだ愛犬に対する思い入れが『いつもの散歩道』を思い出した。
■
19:05 映画祭全日程終了
場内が明るくなり、家路に着く観客たちのざわめきの中、「これにて第6回伊参スタジオ映画祭を終了します」というアナウンスが流れる。コミケだったら、ここで拍手が沸き起こるんだけどなあ(笑)。でも僕は拍手したいくらいの気持だったよ。シナリオ大賞関係者はこれで終りではなく、この後別の部屋での懇親会が控えている。とりあえず上映会場とは、ひとまずのお別れ。来年もきっと戻ってきます、と心の中で呟いて。
■
19:10頃〜 シナリオ大賞関係者の懇親会
毎年、映画祭終了後には、シナリオ大賞各賞受賞者、審査員、ゲストたちの交流の場が特別に設けられている。「すごいメンツ」が一堂に会するわけで、そんな会合に三年連続で参加させて頂けることは本当に贅沢なことだなあ、と思う。同時に、三年も参加していると、懐かしい顔と再会したり、名前しか知らなかった人と初めて話す機会を得られるという楽しみもある。また拙作の評価を改めて審査員に伺ったりと、短いながら、まことに濃密な時間が流れる。
毎年、懇親会を終えて関係者に挨拶をし、スタッフにお礼を言い、駅までの送迎の車に向かう時は、何とも言えない充実感に身体が満たされている。それは同時に、「必ず来年もまたここに戻ってこよう」と決意を新たにする瞬間でもあるのだ。
■
20:35頃 伊参スタジオ発〜JR中之条駅〜そして……
これまた毎年だが、懇親会終了後は映画祭スタッフが駅まで送って下さる。最後の最後までお世話になる。中之条駅で電車を待つ間、そして最終電車に乗ってから家路までの時間もまた、志を同じくする仲間や、尊敬する人々と過ごすとても大切な時間のひとつだ。今年、僕の周りには坂井先生、杉田さん、田さん、室岡さん、三田さん、齊木さんがいた(同じ車両には他の方ももちろんいただろう)。当然、途中で電車を乗り換えるごとに、一人、また一人と他の路線に乗り換え、僕の前からいなくなっていく。そして最後には僕一人で電車に揺られている。そしてようやく八王子駅に着いた時、時計は既に午前零時を回っていた。
■
おわりに
こうして極私的第6回伊参スタジオ映画祭参加の旅は終わりました。恐ろしく長いレポートになってしまいましたが、ここまでお読み下さった方(いるのか?)ありがとうございます。来年、僕は再び伊参の地を踏むことができるのか?それはわかりません。わかりませんが、どちらにしてもこの三年間、伊参を通じて得たものが、僕の人生を1.5倍(当社比)くらい豊かにしてくれたことは確かであるように思います。
改めて、この場を借りて映画祭スタッフをはじめ、関係者の皆様に御礼を申し上げます。そして、今後の伊参スタジオ映画祭のますますのご発展を、心よりお祈り申し上げます。ありがとうございました!

以上