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   石川県小松市遊泉寺町     遊泉寺銅山  1/1  Photo : 2009.10   

遊泉寺銅山と言っても一般的にはあまり知られていないが建設機械の「小松製作所」(現KOMATSU)といえば誰もが知っていると思う。そのKOMATSUのルーツの鉱山である。開抗が1772年、操業開始は1807年の藩政時代と言われているから明治維新の約100年程前である。本格的な採掘はやはり明治に入って竹内家が近代化・機械化を実践しだしてからになる。これ以前に佐賀県で芳谷炭坑を経営していたので鉱山経営はよく分かっていたのかもしれない。後に子息の明太郎氏に事業が継承されてからは一層、活況を帯び1916年(T5)頃には鉱山人口は5000人にも達していたという。一大鉱山町である。しかしその後は有望な鉱床も見つからずこの頃を境に急速に減速。結局、1920年(T9)に110年以上続いた遊泉寺銅山も閉山となる。  


遊泉寺町の辺りまで来ると要所要所に親切に標識が整備されている。


標識通りに来ると自然に鉱山跡地まで来れる。案内板を見るとよく整備されているようだ。


尾小屋のぺージでも書いたが左の写真のイスのような物がそのからみだ。


L写真:竹内明太郎氏の銅像。彼は吉田茂元首相の実兄らしい。佐賀県で炭坑や鉄工所を経営し後に遊泉寺銅山の経営に携わり今の重機の”KOMATSU”を創立した。
M写真:操業当時の町並みを現した石碑。
R写真:石碑の右端の内容。うどん屋さんやビリヤード場まで載っている。


R写真の右側にある銘盤の文面を下に記す。
      由 来
 遊泉寺銅山は文和4年(1807年)に創業、藩政時代には盛衰があったが当時は藩の有力な財源であった。明治にいたって採掘権が明治維新の志士、土佐藩士竹内綱(芳谷炭鉱株式会社)に渡り後に長男、竹内明太郎氏(竹内鉱業株式会社)吉田茂元首相の実兄が当鉱業の経営にあたった。氏の経営は当時の最先端を行くもので明治40年には鉱山から小松まで軽便鉄道を敷説し又、採掘を人力より機械化するために神子清水発電所を建設し製錬方法も溶鉱炉にさらに電気分銅所を設置してその規模を拡大した。大正5年頃には純銅を生産する鉱山として従業員も1600名を越え家族もあわせて5000人が住み病院、郵便局、小学校、衣料や雑貨屋、魚屋、料理屋、質屋など軒をならべた鉱山町を現出した。
 明太郎氏は機械工業の重要性にかんがみ再度に渡り先進諸外国の実情をつぶさに視察、立ち遅れている機械工業の役割を認識し遊泉寺銅山私設鉄工所として小松鉄工所を設置操業した。そしてこの鉄工所の構想は農村地域に工業を興す考えを織り込み地方産業の発展に資することを目的として操業されたものである。
 その後鉱脈の不足や第一次世界大戦後の不況などのため遊泉寺銅山は大正9年(1920年)閉山のやむなきにいたった。
 こうした経緯をたどり竹内鉱業株式会社は小松鉄工所を分離独立し大正10年5月株式会社小松製作所として資本金、100万円、また銅山からの施設、物資及び人員を受け継ぎ創立発足した。その後幾多の変遷があって名実ともに建設産業機械の総合メーカーとして全世界にはばたく一流企業に成長した。
 今度、株式会社小松製作所が創立70周年を迎える期に同社の発祥の原点がこの地であることを永く後世に伝えるため記念碑の建立要請が地元、鵜川町、遊泉寺町、立明寺町、からありこれら三町及び小松市、商工会議所、鉄鋼機器協同組合並びに土地提供をいただいた北出二三子氏等関係各位の協力を得てここに記念碑を建立するものであります。

                    平成3年5月吉日
                    遊泉寺銅山跡記念碑建立発起人   (以下省略) 


L写真:鉱山跡に行く案内路。
M・R写真:ハク(カネ偏に白)吹き(”一番吹き”とも言う)、が終了して不要のカラミと有用のカワに分離されカワだけ二番吹き(真吹き)で炉に入れ再度、珪石と木炭と一緒に高温で熱し残った硫黄は亜硫酸ガスとなって排出、後に純度95%以上の硫化銅が残る。これが完成一歩手前の「粗銅」である。写真はその二番吹きのためのレンガ製の炉。


製錬所のレンガ製の巨大煙突。高さ:20mあるらしい。もちろん今は森の中。


精錬の一番炉や二番炉から煙突まで煙を導くいわゆる煙道。この中を煙に混じって通った有毒ガスの亜硫酸ガスが周辺に撒き散らされた。
煙道の内部。二又に分かれている。大した崩落もなく意外ときれいだ。よく整備されているようである。


鍛冶屋と言うからには各種の金属工具類をここで修理していたということらしい。フイゴで空気を送り鉄を真っ赤に焼いてハンマーで叩いて修理する。  


上の””遊泉寺銅山精錬所町並図”の右下あたりだ。


抗内部を小さな穴から撮ってみた。レンガの内壁と土砂が見えるだけ。それとなんとなく深そうな穴も感じられる。そしてこれからもっと上の方まで上がります。


山の下で精錬をやり精錬後のノロやカラミなどを捨てるために山の上まで運ぶための搬送装置。巻上げ装置と書いてあるから搬器に入れて索道で吊るして上げたのか、あるいは軌道を敷いてトロッコであげたのかどっちだろうか。  


早い話がズリ山だ。ただ年月が相当経過しているせいかあんまりズリ山に見えない。草木が結構茂っている。


この銅山の水源地だったらしい。僕が行ったときはほとんど水はなかったが。


L写真:上の遊歩道案内板からちょっと行った所で二又に分かれる。右が往路。左が復路。
M写真:出発点の辺りでちょっと山の中に入ってみた。何かあるかと思ったが皆目何もない。隠れて見えないだけかもしれないが。
R写真:反対側から案内板周辺を見る。

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