湯ヶ島金山    1/1   
              静岡県伊豆市湯ヶ島     Photo:2009.03





湯ヶ島坑口の今の様子。
錆びて消えかかった”湯ヶ島坑”看板が
何か物悲しい印象だった。


                                  


 湯ヶ島金山の正確な情報は少ない。ただいろんな情報から類推するとおよそ16世紀後半(天保年間の頃)に発見されているようである。発見後まもなくここも大久保長安により積極開発され徳川幕府の台所をまかなうことになる。以後長く江戸時代のことはよく分からない。近代に入り土肥鉱業が経営し後、終戦後中外鉱業が経営に乗り出す。しばらくは順調にいったが1970年台になると鉱量も枯渇しだし遂に1974年閉山となる。
 
 当然のことだが鉱山や炭鉱は米や野菜などのように「再生」が出来ない。一度採ってしまえば二度と生えてこない。だから採掘しながらとなりで探鉱をして新しい鉱脈を探す。これがまた大変な作業でまさに”ばくち”と言われる所以だ。当たれば億万長者、外ればスッテンテンで借金の山!まさにそういった環境下で個人で鉱脈を探すいわゆる山師(鉱山師)と言われる人々はここ、と目星をつけたヤマに入り村人の話を聞き資料を読み仲間に聞き沢や谷や(かつては)人跡未踏の藪の中を一日中歩き回った。頑健な肉体でないととても続けられない。そうしてやっと金、銀、銅などの鉱脈を見つけるとある程度資産のある人は自分で開発・採鉱もするが明治、大正の頃は企業に売鉱する例が多かったという。当然ながらこの時山師側は何とかして高く売りたいし企業側は安く買いたいしその辺の交渉術はなかなか駆け引きだけではなく詐欺まがいの手法も横行したという。動くカネが巨額なだけにまさに魑魅魍魎の世界だ。聞いた話では金鉱床の場合など企業の担当者を現場に連れて行く数日前にどこかで入手した金鉱石をそれらしい箇所にばら撒いたり、近くの沢に他所で入手した砂金をもっともらしい岩の下に置いたりと、今聞けば子供騙しのようなことをその昔はやっていたという。
 話が脱線したが書いている内にちょっと思いだしたのでヨモヤマ話的に記してみました。






 県道59号線を湯ヶ島町から西に向かい持越鉱山・仁科峠方向に行くと3キロほどで持越川と猫越川の合流地点に着く。写真の橋の下がその合流地点だ。湯ヶ島金山はL写真の橋を渡った真正面の区域だ。橋の向こう左側に斜めに登る道が見えるがその上がそうだ。R写真がUP。青い看板に”中外鉱業/株 持越工場”とある。これが持越鉱山である。


 標識どうり。”一級河川 持越川 静岡県”、”県道59号線 伊東西伊豆線/伊豆市湯ヶ島”もひとつおまけに「山火事用心」。(こんなん書く必要あるんじゃろうか・・・?<笑>)


現在地がまさにココですよ。


 ・L写真の内容 
                      伊豆の金山
 豆州湯ヶ島村金山に天正?より金銀が採掘された。二百枚、横沢、平山、宝木鉱金沢、岳(ハタガシラ)、椎鉱(シイコー)、の七坑よりなり慶長ニ年(1597)大久保長安が伊豆の金山???最盛期を迎える。豆州志稿に「黄金多くことに上品也」諸々の職人、商人全国よりき?集い遊女?を蒙り賑わしかりしこと?とあり今尚残る採掘に係る???。
   平成元年八月    天城湯ヶ島町教育委員会


   >ひとこと<
 平成元年の案内板なのに20年経っているとは言えちょっとこのザマでは町の教育委員会としては恥ずかしいのでは。歴史遺産を守るという気概と姿勢に問題ありではないでしょうか。作ったきりそれ以降全く保守・修理をしていないようだ。板に書いた文字が読めないのみならず木の足も腐って近々倒れてしまうかも(大袈裟ではなく)。湯ヶ島町の関係者の方々、予算がないのは分かりますが何も大工事するほどの立派なものを求めるんではなくせめて同じ程度のものでも作り変えて欲しいものです。 (ちょっと一言でした)
   ・R写真
 写真の左端に見える傾いた看板がL写真である。
 右側にホッパーとその作業棟が見える。


 上の看板の裏側の様子。ここも元は何かの場所だったんだろう。貯鉱ポケットかも?


 坑口の遠景。左のプレハブは地震観測用の事務所だったらしいが見た感じでは今は使われていない様子である。各地の鉱山の坑道は人や車の振動の影響を受けにくいせいか地震計の設置が多い。山奥のためいたずらが少ないのもあるのだろう。


 何かの鉄塔が建っている。ここはネット情報によると何かの建物らしきものがあったように思うが。  まさに物悲しい湯ヶ島坑看板。それでもまだ読めるだけましかも。今度台風でもくれば×でしょうね。


 坑道奥からすざましい勢いで大量の地下水が流出しているのがわかるだろうか。R写真は坑道奥を撮ったもの。奥は何かで塞がれているようだ。水はその隙間を流れているのだろう。


 ・L写真:ゲートボール場の真ん中あたりに一段高い何かが建っていたような箇所が。ネット情報によるとどうやら鉱山事務所があったらしい。
 ・R写真:地元お年寄りのゲートボール場。さっきまで何人かの老人がコーン、コーンとボールを叩いていたが。


 ここも何かの施設が建っていたのだろう。L写真は坑口から奥を、R写真は奥側から坑口方向を撮ったもの。


 奥の小さな小屋。手前の屋根が崩れたものといい何かは不明だ。


 上の写真のすぐ山側を見るとこんなものが。地下水を溜めているのか?簡易沈殿池?


:ホッパーを上から見たところ。 2.3.4:いろんなアングルから撮りましたが下の建屋はなんでしょう?中は廃屋状態でグチャグチャでしたが。


 なんの根拠もなくただの感だがここはインクライン跡ではないだろうか?写真では分かりにくいが勾配は相当にきついものだった。少し登ろうと思ったが斜面がきつい上に雨が降ってきて2〜3度滑ってしまった。ために上までは行けず中途で戻ってきた。


 インクライン跡?から下を見る。





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>おしまい<