”四山坑”  ”旧有明坑”   (1/1)   
       (福岡県大牟田市〜熊本県荒尾市 周辺)      Photo:2006.11


 四山坑(よつやま)は厳密に言うと、熊本県荒尾市四山町になる。福岡県三池ではない。しかし三池炭鉱というのは地下の炭層が連なっているからかこの辺り一帯を全部”三池炭鉱”という。ここの四山坑以外に”港沖四山坑”がある。三池港の航路筋に沿ってほぼ先端あたりにそれはあった(今回は行かず)。1965年に採掘し1987年には閉山した22年間操業しただけの坑口だ。
 特に四山坑を世に知らしめたのは1960年(昭和35年)3月29日の久保清さん刺殺事件だろう。四山坑正門(写真)前で三池労組のデモ隊と機動隊が衝突、機動隊の中にいた会社側に雇われた暴力団に刺殺された事件だ。その後、労使紛争は長期にわたり二転三転したが結局、”大量解雇”という形での労組の敗北で紛争は終了する。この時の犠牲者、久保清さんの墓もその後しばらくは正門前に建立されていたがその後、紆余曲折を経て現在は荒尾市の有明成田山大勝寺に奉られている。

 「 四 山 坑 」  編
 南から来てR389を四山公園で左方向、三池港方面へ。しばらくすると写真の場所に来る。左側が有明海(四山鉱山)方向、右側が四山神社方向。


 坑口ですね。ここは四山神社の下あたりですがこちらにも坑口があったんでしょうか。なんとなく気になるようでしたので写真に撮りました。


 ここが”四山坑”の例の正門である。三池労組の久保清さんが機動隊の列に加わっていた暴力団にデモ隊衝突時、刺殺された場所である。1960年(昭和35年)の出来事だった。そんな場所も今はごらんの状態だ。ゴミ、ゴミ、ゴミの山だ。なんともはや・・・。わたしも車でこの前を通ったとき、「まさかここが・・・?」という感想だった。一度はここを通りすぎたぐらいだ。この向こうはだだっ広い草ぼうぼうの敷地だった。


 上の写真の鉄柵越しに中を見ました。こんな感じです。だだっ広いですがかつてはここに「四山竪坑」(1996年解体・撤去された)など関連施設が所狭しとあった。今回のぞいて見るとかなり大きなプールみたいな窪地もありました。左写真の黒っぽい地面は貯炭場ではないでしょうか。とにかくものすごく広いです。


 ここは上の写真の坑口の真上あたりなんですが神社の建物ではないですね。周辺には家庭菜園らしきものもありますが写真に写っているものはあきらかに炭鉱関係の何かではないでしょうか。特に左側はレンガづくりのようですね。


 ここは何でしょう。「大牟田市企業局」? 炭鉱時代の何かの建物を流用でしょうか。四山公園の頂上にありました。実は左の天文台のドームのような物が気になったので上まで上がりましたが。


 「 旧 有 明 坑 」  編

大牟田から車で旧有明坑に向かいました。20分ぐらいでしょうか、埋め立て地だと思いますが見渡す限り畑ばかりのところにきました。が、左には電車の架線鉄塔があるのに下は川でした。ここの坑口はあまり詳しくないのですが川のところはやはり線路だったんでしょうか?よく分かりません。


 正門です。守衛さんがいます。ということは自由には入れない・・ということか。聞いたところやはり”ダメ”でした。入れるって聞いてたんだけどこの手の情報はね〜・・・。仕方がありません。それで守衛さんに写真を2〜3枚だけ撮らせてほしい、と頼みました。OKです。云ってみるものですネ。


 Rが台形型、LがZ型の国内では非常に珍しい竪坑です(台形型はどこかの金属鉱山で見た覚えがありますが)。もともとここは日鉄鉱山が埋め立て・開発した炭鉱坑口です。それがなかなかうまくいかず経営権もいろいろ変わりながら最終的に三井鉱業に渡ってから採算性がよくなったとのことです。やはり”蛇の道は蛇”でしょうか。そんな坑口も1997年(平成9年)閉山になりました。ただおもしろいことにここは閉山当日まで採炭していたらしいです。今だに語り草です。


 Lは変電所でしょうか。大規模ですね。Rは台形の竪坑の右にあった建物。多分、巻き上げ機室でしょう。それにしてはちょっと大きいかな?


 こういう位置関係です。左から、Z型竪坑 台形竪坑 巻き上げ室 一つとんで 変電所かな。  川の上の鉄塔に「魚釣り注意」の標語が。「魚釣り禁止」ではないんですね。なかなかマイルドですね。


 上4枚とも十字に交差はしていますが1本の水路です。作業着の方2人が何か相談していますね。水門もあります。炭鉱が忙しい頃はこの水路も水路としてかどうかは不明ですが何かに使われていたのでしょうね。


 帰り道の左側(北側)に遠くになにやらどでかいモノが。最大望遠で撮ったのでピンボケでした。何でしょう?
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