秩父鉱山(日窒鉱業)   1/3   
                 埼玉県秩父市中津川556      撮 影 : 2007.12




左の図は全体図でございます。
右の図は拡大地図でございます。


 秩父鉱山の歴史は1600年(関が原の合戦)頃に当地を支配していた戦国大名、武田一族(武田信玄や勝頼等の一統)が金を発見、採掘したことから始まったという。しかし別の資料によるともっと以前から分かっていたとの話もあるがその辺は定かではない。
 確かなことは戦国時代は何処の大名も豊富な軍資金が必要で金鉱山を必死に探していたということである。武田信玄に拾われて出世したと言われる大久保長安(黒川金山の発見・採掘に尽力したと言われる。後に佐渡金山や石見銀山にも鉱山奉行として尽力)氏も当時、黒川金山を始め伊豆など各地の金山発見を信玄の命により歩いたといわれる。当時何処の大名も同じことをしていた。話を戻す。
 
 その後秩父鉱山はある程度の金の採掘はあったらしいがその量は武田家を潤沢にするほどのものではなかったらしい。この後150年程後になって江戸時代に平賀源内が秩父で金の採掘をやってみたがこれも失敗に終わった。 その後時が経ち(あまりに長い時が経ちすぎだが・・・その間の歴史がよく分からない)秩父鉱山が再び日の目を見たのは近代に入って太平洋戦争突入前夜の頃。戦争準備で金属と名のつくものなら何でも欲しかった時代である。金属鉱山の歴史としては最盛期は短く1973年(昭和48年)には金属鉱物の採掘は終わった。現在は方解石の採掘だけを続けている。話が前後したがここでの産出金属は下にも書いたが大変多く、金、銀、銅、鉄、鉛、亜鉛、アンチモン、マンガン、などなど。経営母体は1930年代になって日窒鉱業(現ニッチツ)が継承し近代的採掘に入り’73年金属鉱石閉山まで続く。
 ちなみに現在の「ニッチツ」は日窒鉱業の後身で元々は朝鮮で日本の植民地時代の1929年に”朝鮮鉱業開発/株”として設立された企業である。



 秩父市内から国道140号線を西へ西へ進むと秩父湖の手前に大滝温泉、遊湯館がある。秩父鉱山に行く前に道の駅でも、と思い寄ってみたが道の駅ではなかった。雪と朝も早かったせいか店は閉まったまま。もちろん温泉に入る気はないのでそのまま目的地へ。トイレだけを借りて出発。


 滝沢ダム湖を左に見ながら国道140号線をひたすら西進。大峰トンネルの手前、中津川大橋の真ん中辺りの交差点を右折。すぐに写真のトンネルがある。雷電鳥頭山トンネル。その時の気温が3℃。夏ならビールがおいしい温度だ(笑)。道理で寒いはずだ。そのままトンネルを抜けてひたすら雪道を走る。除雪は一応できているようだ。平日なら秩父鉱山のダンプが石灰石を積んでこの道を走るのだから除雪は当然か。右の写真の道路を走った。


 雪がドンドン深くなってきた。スタッドレスでよかった。中津川渓流釣り場まで来た。写真の赤い軽四は郵便車両だ。場所はR140号線から分かれて県道210号線に入り中津川の源流方向に向けて川沿いにどんどん行く。途中左に仏石山鍾乳洞があるが後で地図を見て分かったことだ。標識などは無かったように思うが見落としたのだろうか。そのまま走り”出会”という地点が写真の場所だ。私は写真のトンネルを抜けていく筈だったのだが何とナビが”左に行きたい”といいだしたものだから(目的地設定がいい加減だっただけ)最初はそっちに行かされることに。しばらく行ったがなんとなくおかしい???と思い集落の辺りでUターン。この道はどうやら中津川キャンプ場を抜けて旧三国峠に向かう道のようだ。文字どおり中津川源流に行く道だった。ちなみに三国峠のすぐ近くが20年ほど前に日航ジャンボ機が墜落したあの御巣鷹山だ。
 さあトンネルを抜けていきます。


 上のトンネルを抜けると写真の光景が出現する。ここは秩父鉱山の初期の坑口である大黒鉱口の近くである。”これより鉱山道路”とはどうやらこれより先は私道なのか?でもそんな標識は何処にも無かったが。何人かの人に会ったが何も言われなかったし帰り道にパトロール中の軽四の警官にも”猟が解禁中なので気をつけてくださいね”と言われただけ。
写真の建物は単なる倉庫だった。この建物の背後の方に比較的新しいシックナーがあった。それほど大きくはなかった。大黒鉱口は今は完全に封鎖されているが写真の左手方向、川の反対側だ。そのまま奥へ走る。


 上の写真のすぐ向こうにこんな看板が。そのまま行きます。


 またまたトンネルです。トンネルが多いですね。写真には撮っていませんがこの他にもトンネルがたくさんありました。これが最後の雁掛トンネルだ。これを抜けると眼前に鉱山の選鉱所が現れる。落石が多いのか入り口上に頑丈なH鋼で覆
いを作っている。もっともこれで防げる程度の石ならたいしたこと無いのだが。メーター級の岩石になるともうこの程度のものでは・・・・。


 トンネル内部は巣掘りのままである程度アンカーを入れて上からセメントを吹き付けている。出口に近くなるとそれもなしだ。道の両サイドに何かのパイプと送電用らしいケーブルが敷設されている。しかし思ったより立派だった。大型ダンプが通るらしいからこの程度は必要なのだろ。このトンネルを抜けるといよいよ本丸だ。


 雁掛トンネルを抜けるとすぐ右に大型トランスが放置してあった。現役引退のものかどうかは不明。その隣に運送会社の事務所が。


 そしてすぐ眼前にはこの光景が。真正面の斜面には下の方(赤丸)に現在の石灰岩採石場と粉砕場(かつての選鉱所)。そして上の方(黄丸)には昔の露天掘り跡が見えます(下に拡大図あり)。
 この辺の山一帯が秩父鉱山で現在は塞いでいるがあちらこちらに昔の鉱口がぽっかりと口を開けている。ここの鉱山も非常に多くの種類の鉱石を産出している。
 鉱床は接触交代鉱床(スカルン鉱床)で炭酸カルシウムが酸性度の強いマグマと接触して出来た鉱床である。産出鉱物は金、銀、黄鉄鉱、黄銅鉱、閃亜鉛鉱、灰鉄柘榴石、磁鉄鉱、磁硫鉄鉱、硫砒鉄鉱、チタン鉱、マンガン鉱、クロム鉱、輝安鉱(アンチモン鉱)、そして方解石(石灰石・大理石)などなど。実に多彩だ。大理石と石灰石は今も採掘している。


 本丸に近づいていくと小倉沢地区にはいる。すぐ横が”秩父鉱山簡易郵便局”。操業当時はたくさん人がいたから分かるが閉山してあまり人もいないのにまだ郵便局が営業しているということに驚いた。当日は日曜日だから休みだが平日はシャッターも開いていて鉱山の職員が局員として勤めているらしい。鉱山職員か日本郵政局員かどっちだろう?給料はどっちから・・・・? まあどっちでもいいか。(人の財布の心配までしなくてもいいって?<笑>)。


 ちゃんと営業時間も9時〜16時までと明示しているし集配の時間も朝8時と一回だけだが明示している。こんな山間僻地でえらい!でも誰が郵便を出しにくるんだろう?社員?奥の鉱山住宅あたりにまだ住んでる人がいるのか?よく分からない。確かに私が石をいただいたおじさんが一人、そこに住んでいることは事実だが。 


 郵便局の向こうとなりにある鉱山事務所。カーテンも締まり事務所も定休日。丸尾原石って何だろう?NS−50って?
    ベテランが 次代に託す宝物 技と誇りと安全第一   どこの鉱山も安全標語が多いですね。


 ここの鉱山の全体地図だが全然読めない。何とかして読もうとしたがダメだった。

      今日もゼロ災言い訳なし 本当ですね。


 金属鉱石を採掘、選鉱していた頃の選鉱所の跡だ。そのほとんどは解体され土台しか残っていないが一部、ホッパーらしきものだけが残っている。ここでもやはりコンクリート部分だけが残存だ。現在の粉砕工場は写真のホッパー跡のすぐ下である。L写真の左端の白い物がそれだ。操業当時(2ページ目の写真)はこの斜面に一面に選鉱所があった。ただ精錬所がここにあったかどうかは不明。


 全体的に白っぽいのは雪のせいですが多少石灰石の粉塵もありです。M写真は正面からの入り口。手前の橋は神流川に架かっている橋。L写真は石灰石の粉砕場。R写真は南側から撮ったもの。両神山は右手の方向。まさに両神山と南天山と天丸山に挟まれた沢である。これが奥秩父の真骨頂か。


 これは往年の鉄鉱石の露頭だ。一時は磁鉄鉱や硫砒鉄鉱なども露天掘りで採れたらしい。右が拡大写真だが結構奥まで採掘跡が続いていると言う。選鉱所(現石灰石粉砕場)のずっと上の方である。下の道路から一望出来る。出来れば上まで登ってみたいが一人で雪深い冬だとちょっとキケンかなとも思う。それゆえ今回はパス。登るときは登山ルートも調べないと。出来れば相方も欲しいし。道路からそれほど高低差はないので夏なら比較的に楽かもしれない。まあ次回の楽しみに残しておこう。


 上の写真には2箇所露頭があるがその下左にある部分の拡大写真。ここも露頭の入り口だ。ただ内部で繋がっているのかもしれない。その可能性はある。詳しくは登ってみないと分からない。ただ相当に大きい露頭だと思う。 


 道路から橋を渡って一歩工場に近づいてみました。雪で行けるかな〜?と思ったけどなんとか。
今は現役引退かどうか分からないが石灰石のホッパーだ。坂を上ってこの上が下の写真のトラックが写っている現場。R写真は遠景。


 往年の索道用の鉄塔。この上にワイヤーを渡して鉱石を入れたバケットを選鉱所などに送っていた。高さはどれぐらいだろうか?土台から20mぐらいあるだろうか。ちょっとよく分からない。見えたのはこれ一基だけだったが当然、他にもあるんだろう。あるいはあったんだろうと思う。しかし戦時中はこんな雪深い奥秩父での修理作業なんかはさぞかし大変だったろうなあと思う。当時はとにかく何をするにしても人海戦術しかなかった。今のように便利な道具もハイテク器具も無かった。


 正面の山が両神山(1723m)だ。秩父鉱山はこの山の西の斜面に露頭その他があって坑口もあった。現在、稼働中のセメント工場はこの西斜面のふもとになる。当鉱山のかつての最大の有望鉱であった大黒鉱はこの両神山の南西方向にある南天山(1483m)の東の斜面になる。そこから地中に向かって掘り進んでいる。現在は鉄柵で塞がっているがそのすぐ近くで大理石を採掘している。
 写真右側の鉄塔は金属鉱石を採掘していた頃の索道の鉄塔だ。もちろん今は朽ちたままだ。


 雪の中を歩いて迷惑をかけない程度に作業現場を少しだけ見させていただきました。誰も人を見かけなかったです。上のほうで機械の動く規則正しい音がしていましたからやはり作業はやっているのでしょう。石灰石の粉末だと思いますが工場の周りに多少、煙のようにただよっていましたよ。




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