筑豊炭田(田川・飯塚・直方周辺)  ・撮影:2006年、秋 (1/2)   


 筑豊炭鉱という炭鉱はない。筑豊というのは福岡県北東部、田川、飯塚、直方あたり一帯の総称である(そのため”炭田”という書き方をした)。
 遠賀川流域に採炭地を有し主な会社としては三菱鉱業、三井鉱業、明治鉱業、麻生商店(炭鉱)、日鉄鉱業、古河鉱業、貝島鉱業、大正鉱業、などなど中小、零細を入れるとかなりの数の会社が採炭を行っていた。またここは立地的に八幡製鉄所(現、新日本製鉄)にも近い関係で石炭の相当量を製鉄所に供給していた。
 筑豊を有名にしたのは小説「青春の門」や映画などいろいろあるがやはり炭鉱につきものの”落盤事故”だろう。そして同時に労働争議。この時代、1960年頃は三井三池闘争と並んでここ筑豊も労使紛争で非常に揺れた。と同時に落盤事故、その他で非常に多数の犠牲者を出した。今も採炭時の塵肺やCO中毒で闘病を余儀なくされている方々がたくさんいる。
 筑豊の石炭は15世紀頃に発見されその後江戸時代を経て明治に入ってから”富国強兵策”で本格的に石炭採掘を大規模で展開していった。そいう状況が戦争が終わって1950年中頃まで続いた。がしかし政府のエネルギー転換政策により、ここ筑豊も時代の波には勝てず石油にとってかわられた石炭は1970年代後半に次々と閉山に追い込まれた。現在その殆どは撤去されたりコンクリートでふさがれたり元の姿も分からないほどに建て替えられたりしているが一部は記念館や博物館などで残されている。
福岡県田川市 ・田川市石炭歴史博物館 福岡県直方市 ・直方市石炭記念館
熊本県荒尾市 ・万田炭鉱館 福岡県大牟田市 ・大牟田市石炭産業科学館


 R201から見た香春岳(カワラダケと読む)の遠望。最初は”あの山、何だろう?”と思っていたがどう見ても半分から上が無い。???と思いながらしばらく走っていた。でもこの山があの五木寛之著「青春の門」の最初に出てくる山だ。  「田川市石炭・歴史博物館」から見た香春岳。やっぱりえげつないですね。山をここまで削りますか・・・。いくら石灰岩の山でも。


 近づいて撮りました。山の縁はいわば”外輪”の手前側です。この外輪の向こう側にはがっぽりと外国の露天掘りのように山の地中深く下へ下へと堀進んでいる。どこまで行くんだろうか。  R201を香春町のはずれを走る。やはり貨物が多いですね。


 香春岳のすぐとなりで操業中のセメント会社。山と会社の間にはR201が通っている。国道の上を石灰石を運ぶベルトコンベアが山から会社まで設置されている。


「清瀬橋」交差の標識。  文字がつぶれていますが「田川市石炭・歴史博物館」です。


 ”田川市石炭・歴史博物館”のある場所が”三井田川鉱業所伊田坑”のあった場所です。左写真の真ん中あたりの三階建ての建物あたりが今の博物館でしょうか。位置関係からして多分そうだと思います。右上の住宅あたりが今の駐車場でしょう。


 中に入ったらすぐにこのようなジオラマが。これは坑道内部の様子。その昔、手堀りの時代は夫婦で入坑し夫が堀り妻が運ぶ、という風にしていたらしい。


 三井伊田坑の竪坑櫓。ここの博物館にある。私が行った時は手前の広場で何か工事をしていた。櫓の塗装もまだ塗ったばかりのようであった。ちなみに深さは300m、高さは23m、1909年(明治42年)完成。すぐ近くの二本の煙突はこの櫓の動力に使っていた蒸気釜で燃やす石炭用の煙突だった。


 かつての炭鉱住宅(炭住)の展示。私が子供の頃はどこもみんなこんな感じだった。なんとなく”織江〜!、信シュケさ〜ん”という声が聞こえてきそう。  ”明治期の炭住住宅は鉱夫納屋と呼ばれてこのような外炊事場でした。冬の炊事は寒さで特に厳しかったことと思われます。炊事場が屋内に作られるようになったのは大正期になってからのことです”とある。


 どうやらこの人が伊吹重蔵らしいですね。こういうイメージなんでしょうか。部屋の様子は時代考証的に大体こんな感じでしょうか。私の子供時代もこんな感じでした。丸いちゃぶ台は懐かしいです。  ということはこの女性は・・・名前を忘れました。何せ本を読んだのは○十年昔のことですので・・・。
 懐かしい名前ですね。”伊吹重蔵”。青春の門の主人公、信介(この字だったかな?)の父親ですね。落盤事故で仲間を助けるために自ら命を落とすんでしたね。今の政治家に爪のあかでも飲ませてやりたいですね。


 ”つ〜き〜が〜、出った出〜た・・・”のあの煙突です。20数万個のレンガ造りです。でも最近傷みが激しいとか。下は近景です。この大煙突の後ろの小高い丘のちょっと左手方向に2ページ目の韓国人と中国人の碑がある。


 エエエッと、なんていう機械でしたっけ?名前をド忘れしました。黄色い部分が回転して石炭を掘っていきます。


 ピンク色のが人車です。これでガタンゴトンと地下深くまで石炭堀りにいくわけです。  バッテリーロコではないですね。パンダグラフがついてます。三井山野炭鉱の電気機関車。これで外で石炭車などを引いていた。ちなみに三井山野炭鉱はガスの多い炭鉱で悪評だった。


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