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   岩手県下閉伊郡田老町  田老鉱山   Photo:2011年5月   (1/1)  


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主な採掘金属 : 金、銀、銅、鉛、亜鉛など。
経営企業   : ラサ工業株式会社

前々から田老鉱山には早く行きたかったのだが今回、東日本大震災の被災地を実際に見てこようと思い立ったついでに鉱山にも行ってきました。  
田老鉱山は1919年(T8、前年1918年第一次大戦終了)にラサ工業(1907年に沖大東島でリン鉱石採掘のため設立した企業.。現在も島全体がラサ工業の私有地という)が開発に着手した銅鉱山であるが元々は幕末の安政年間に発見された鉄鉱山であった。歴史を簡単に記載すると、

・1919年(T8) :ラサ工業が採掘操業開始。
・1923年(T12):第一次大戦後の不景気で操業中止。(9月に関東大震災)
・1936年(S11):本格的に操業再開。田老〜宮古間に索道完成。同時に鍬
崎(宮古市)に貯鉱所建設。(同年2.26事件。
           翌’37年日中戦争(盧溝橋事件)勃発)
・1938年(S13):各種金属生産量飛躍的に増え従業員1800人(家族を入れると数倍)を抱える一大鉱山町に発展。
・1939年(S14):宮古市内に精錬所完成。(戦争準備で盛業)
・1941年(S19):12月太平洋戦争開戦。以後増産に次ぐ増産。
・1945年(S20):なぜか一旦休山になる。(金山整備令か徴用で坑夫不足か空襲か不明)戦争終結。  
・1946年(S21):鉱山再開。戦後復興で大盛業。
・1961年(S36):三陸大火災で鉱山全焼。
・1962年(S37):前年の火災で焼失した施設を突貫工事で復帰。操業再開。
・1971年(S46):鉱石品位が低下し鉱量も減少。探鉱するも有望鉱床見つからず貿易自由化による安い輸入鉱石に押され
           閉山。発見以来100年以上続いた田老鉱山も採掘や休山が断続したが遂にこの年終わりとなる。
・1974年(S49):明星大学(東京)が跡地を宇宙線観測地として利用、現在に至る。  

今回の田老鉱山めぐりは震災のちょうど2ケ月後だった。場所もそれほど海から離れていない所なので正直言って相当やられているだろうと思っていた。があにはからんや以外や以外殆ど無傷みたいだった。まあはじめての田老なので比較がないのも事実だがただなんとなくそう思う。沈殿池の決壊もなし(池底からの小さい漏れは不明だが)。今回当地に来るに当たって半田銀山にも行こうと思い電話したところ”地震で見れません”との返事。内陸の半田でさえそうなのだから田老は駄目だと思っていたのが無事だったのだ。


左:R45から川沿いの脇道を西進すること約10分ぐらいで鉱山らしき匂いが感じられるようになる。側壁にはいろんな配管類を確認
   できる。
中:
確かに”田老町”との境界杭が見られる。
:もう少し行くと左手に見事な沈殿池。鉄さび色の赤茶けた坑排水が満たされている。


左・中:今度は右手に鉱山住宅が見える。二階建てのようだ。ドアの下には枯れ葉だろうか殆どドアが開かないぐらいに埋まっている。
     いつもどおり中には入らない。写真には写っていないがもっと奥にもあるようだ。

:いよいよ本丸だ。ネットの写真でよく見るやつ。玄関口かも。


左:間に川が流れているが選鉱所全景。
中:
この辺に車を止めて入っていきます。
:明星大学田老宇宙線観測所との看板が見えるがラサ工業から借用しているとかいう話を聞いたことがある。


左:そのまま行くと最初にこの光景が目に入ります。選鉱所です。:奥から逆に撮影。


左・中:ここには何が設置してあったんでしょうかねえ?:選鉱所最下部を外れ行き切った所から上部を見る。


倒産した廃工場などは比較的町中にあるせいか内部には何もなくても周辺からの喧騒もある程度は聞こえるし何となく空気自体もゆっくりとだが動いている。だがここにはまったくその気配がない。周辺の喧騒もなければ空気も止まっている。まるで深海の海の底みたいに。それだけに何かしら迫力を感じる。


何かものすごい光景ですね。ネットでよく見る写真ですがじかにその空間に自分を置くと何か圧力を感じます。そこが何々だ、あそこが何々だと見える物の説明はいくらでもできますが何かそういう言葉だけでは表現しきれない重厚感と言うか胸に迫ってくるものが感じられる光景です。
同じ形の土台はベルコンの土台でしょうか。柱の形状を見るとかなり大型の天井走行クレーンが設備されていたようです。前後の写真からも分かりますがこの頑丈な基礎コンクリートを見ると相当大規模な選鉱所だったらしく尚且つ設備機械の類も相当大型の重量物が多数だったのではないだろうか。確かに鉱山関係や選鉱機械の類はなにもかも重いです。最新のものでも重いです。  


見れば見るほど圧倒される。他鉱山の選鉱所よりも天井高が高いように思うが。クレーンの関係だろうか。


右上:こういう写真ばかり撮っていると本当に”廃墟マニア”としか思われないかもしれない。
:ネットでよく見るイイダコの足みたいなやつがありました。誰かが捨てたんでしょうね。


「明星大学田老宇宙線観測所」との看板がある建物の際にあったシックナーです。もちろんシックナーとしては使われていない。”宇宙線観測所”と銘うっているので神岡鉱山のカミオカンデのような研究でもしているのでしょうか。シックナーの水中になにやら観測機器のようなものが設置されていたが。


左:生石灰のタンク。あなたはこれを「しょう石灰」「せい石灰」「なま石灰」「き石灰」、なんと読みますか?小生が学生の頃は”き石
   灰”じゃなかったかな〜。よく覚えていないが。
中:
5階建ての立派な”ビル”ですね。若干気味悪い雰囲気が漂いますが。明星大学系ではなく田老鉱山系でしょうね(意味分かり
   ますよね)。
:”ラサ工業田老事務所”と手書きの文字を確認。事務所らしからぬごつい鉄扉だ。


左:田老鉱山址石碑。カメラの不調でピンボケに。
中:
選鉱場の裏側に行くトンネルだ。もっとも後で知ったのだが。坑口ではない。
:もっと奥に行けるのだがなんとなくここでUタ−ンする。

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