太平洋炭鉱(現釧路コールマイン)  1/1   
              北海道釧路市桜ヶ岡                Photo : 2008.09





 えげつな〜い爪と言うか歯というか〜。




 太平洋炭鉱(現釧路コールマイン)は西ヘ海沿い(襟裳岬方向)に20〜30キロ行った所の白糠町で幕末の頃に最初に炭層を発見された炭鉱である。後1900年頃(明治中期)になって安田炭鉱が採炭。1917年(第一次世界大戦・ロシア十月革命)には後に太平洋炭鉱の主力坑となる春採坑が脚光を浴びる。1920年になって財閥、三井が目をつけ合流。これより三井鉱山が参入して太平洋炭鉱株式会社を設立。以降財閥系の豊富な資金をバックに一気に近代化が進む。終戦の1945年には春採坑が、翌’46には別保坑が再開され朝鮮戦争(1950〜1953)にはその特需で一挙に年間100万トンにまで増産された。がその後のエネルギー転換政策などにより世間は次第に石油に移行。企業側もそれに沿って合理化やより最先端の機械化を進めて採炭効率を上げ永くやってきたが遂に2002年(H14)、約150年(休山も含め)の永きに渡るヤマが閉山となるも同時に現在の”釧路コールマイン株式会社”にバトンタッチされ地元経済への最小限の影響なども考えリサイクル技術開発や公害防止業務、石炭の新たな利用方法などに力を注いでいるようである。



                               


 NAVIを見ながらやってきました。ここが”太平洋炭鉱展示館”です。小高い丘の上にあります。海からは若干離れているかな? R写真の向こうの方に水平線が見えますね。そう、水平線なんですよ。ということは南側が海ですね。 駐車場は広すぎて・・・何処に止めたら・・・。


 31トンもの巨大なこの機械、切羽の現場にはどうやって運ぶんでしょう?やはりばらして中で組み立てるんしょうね。地下鉄電車は何処から入れる?の漫才じゃないけど。(笑)


 展示館の入ったところに最初に見えるようにありましたよ。


 館内の様子。誰もいない。管理人もいない。  太平洋炭鉱が海底炭鉱と言われる所以。沖側から陸地を見たところ。


 写真、右側が陸地、左側が沖側。この図ではちょっと分かりにくいが太平洋炭鉱は太平洋戦争(1941〜1945)の終わる頃、’44年までは内陸部分(と云っても海岸近くで西端=春採湖の東側、北端=武佐川、東端=桂恋のあたり)に囲まれたエリアで採炭をやっていたが戦後になるとその殆ど全部を南に面した海底に移動することになる。初めのころは比較的陸地に近くアバウトだが炭鉱資料館の辺りを軸に南方に放射状に最遠地で約4キロぐらいの距離までのエリアにその採炭地を移すことになる。その後2002.年に閉山するまでに沖合い約8キロ(上の写真の8000m)まで切羽を延ばすことになる。閉山直前の採炭地点は一番沖側に位置する東西の第八本坑道の南側でレベルはマイナス約680mの地点だった。写真真ん中辺りに見える白い”十字”(坑道)の短い方はおそらく第五本坑道ではないだろうか。


浮炭掻出スキンマーと書いてました。名前の漢字から判断するしか分かりません。



 模擬坑道案内図。あまり広くはない。INとOUTは左下。B文字の下のグリーン部分にR写真の電機機関車が上のグリーン部分にドラムカッターが右上の部分にコンテニアスマイナーが展示。  この機関車はバッテリー式じゃなくパンタグラフだ。


 外に展示されていた坑道掘進機。


 ドラムカッターの実物展示。このカッターを回転させながら炭壁を奥行き:1m、高さ:3m、巾:200mの範囲を往復させながら刈り込んでいく。オペレーターは一人(のようである)。


ドラムカッター横面図
面長200mの切羽で一日に約10m切り進み3.000〜5.000トンの石炭を生産。 
 ドラムカッターA(切削機・上の横面図参照)は、トラフC(石炭運搬用鉄の桶)の上を左右に移動しながら炭層を切削していく。切り出された石炭はトラフ上のチェーンコンベアDで運ばれていく。  自走枠を下げてシフターB(前進移動シリンダー)で自走枠をトラフの方に引き寄せます。この時は自走枠だけが前方に移動しトラフは不動。  自走枠の鉄柱を延ばし天盤に固定させシフターでドラムカッターとトラフを前方に押し出す。この時は自走枠は不動。その後新たに切削を開始。以上の繰り返しである。


 ベルトコンベアーの駆動部分じゃなかろうか。 採炭した石炭を後方に運ぶベルトコンベアー。いわば自走式ベルトコンベアーといったところか。


 青雲台体育館。炭鉱資料館のすぐ前にある。向こうに見えるのはズリ山で武佐方面を望む。武佐方面には武佐川を挟んでその向こうには別保(べっぽ)坑があった。現在の釧路町森林公園である。ちなみに太平洋炭鉱で最大の出炭量を誇ったのは春採(はるとり)坑で全出炭量:約9900万トンと、総出炭量:約1億900万トンの実に9割以上にも達する。別保坑は数字の上では二番目だが春採坑に比すとはるかに少なく約350万トン。他に興津(おこつ)坑、桂恋(かつらこい)坑、新尾幌第一坑、新尾幌第二坑などがあった。


 ズリ山。写真では分からないがズリ山の向こう側は海だ。分かりやすく言うと海岸にあるズリ山だ。釧路コールマインの社名がはっきりと。興津坑がこの辺りだと思うのだが。


 上の写真とは別のズリ山。しかしこれも海岸にある。  海のそばというのが分かるだろうか。手前の町並みは釧路市街。


 ズリ山周辺の様子。  何故か粗末な地図にも載っていたコンビニ。地元資本だろうが店舗数が多いのだろうか。雷・さとう、どちらが屋号?





    1/1     HOME     ***   
>おしまい<