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   長崎県長崎市住吉町(泉町公園西側)  住吉トンネル跡  Photo:2009.12  1/1 
このページも鉱山・炭鉱とはあんまり関係ないですが長崎市内なのでUPしました。原爆公園も行ったのですがそれはまたの機会にでも。あえて共通点と言えば坑道掘削と三菱が関係してるぐらいでしょうか(ちょっと無理があるかも・・・)。でも長崎を歩いていて思ったのだがこの街は何となくぼくと波長が合いそう。ちょっと好きになりそう。(笑)


三菱兵器住吉トンネル工場の跡地。ここは泉町公園西側、デイリーヤマザキ長崎住吉町店南側にある。


国道206号線を南側から来て、長崎電鉄”住吉駅”を過ぎ最初の右に入る辻(でも右折禁止だからどこかで回ってくる)を行く。2〜300mで到着。写真の上の道路に来る。コンビニは写真右手。兵器製造トンネルは道路の下。保存のために道路工事をこのようにしたようだ。右の写真はトンネルの上に住宅が建っている様子。


左2枚が1号トンネル、右2枚が2号トンネル。もちろん中には入れない。


〓説明文が読めないので下に記載します。〓
 兵器生産にあたった人達の多くは年齢は10代や20代くらいで長崎市内のほか、県内外からも動員されていました。試業体制としては2交代の者と3交代の者がいました。2交代の者は昼勤、もしくは夜勤で1日約12時間働き、3交代の者は1番方、2番方、3番方と呼ばれ、朝8時から夕方五時まで、五時から十二時まで、十二時から翌八時まで働き魚雷の部品を作っていました。
   <作業内容>
 当時の記録や体験談によると、トンネル工場では次のような部品の製作が行われたと言われています。1号トンネルでは魚雷の胴体部分や舵の部分、部品の継ぎ目を削る作業が行われていました。2号トンネルには精密部門が入っており、航空機用魚雷の推進の部品、舵の部分、動きを安定させる部分を作っていた。トンネル工場で作った部品は大橋工場に運ばれ、そこで組み立てて魚雷を完成させていた。航空機用の魚雷は月産80本ぐらいでした。
  <動員された人々>
 記録や当時を知る人の話によると当時の長崎には軍需工場がたくさんあり学徒、挺身隊、徴用工等が動員されて各地で働いていました。トンネル工場では軍の管轄下で兵器(魚雷)生産に関わる作業が行われておりその作業に動員された人たちが従事していました。トンネル工場周辺には工員として動員された人たちの為の寮が建てられていました。また土木工事をする人たちの為の飯場がいくつかありその居住者の多くは朝鮮人労働者でした。その中には強制的に動員された者もおりトンネルの掘削工事で過酷な労働に従事していました。彼らは三交代で発破後のトンネル内での掘削作業や発破により排出される土や石をトロッコで搬出したり、トラックに積んだりするような野外作業を主に行っていたと言われています


1号、2号トンネルで製造されたものと同型の魚雷。


この写真は上の場所とはトンネルの反対側から撮ったもの。



〓説明文が読めないので下に記載します。〓
  <負傷者の手当てA>
「ひどいやけどを負った負傷者の多くは水を欲しがったが飲んだら死ぬ、と水は与えられなかった。トンネル内で息絶えた人々も多かった」
「次の爆撃を受けたらトンネルが崩れるかもしれないと言うことでトンネル内に避難していた人々は赤迫側の山手の野原に移動した。ここで力尽きる人も多かった」
「原爆を受けた翌日の8月10日夜11時頃、大橋工場の復旧応援のための海軍からの救援隊がトンネル工場に到着しその一員の軍医らにより応急手当がされた。1号トンネルを受付にして2号トンネルで種油を塗布する等の手当てがされた。ガラスの破片を抜き取ったり傷口を縫合するなどの外傷的な手当てを要する負傷者には所定の救護所に行くよう助言された。」  
 <負傷者の手当て@>
 当時の残された記録や関係者の回想などによるとおおむね以下の通りでした。
「原子爆弾の炸裂によりトンネル工場内は強い爆風をうけたものの大きな被害はなかったが大橋工場や近隣にあった学徒や挺身隊、徴用工の宿舎では大きな被害を受けた。トンネル工場は大橋工場や宿舎等からの重軽傷者が殺到して避難所と化した。手が吹き飛ばされている人、内臓が露出している人、全身血まみれの人、全身にやけどを負った人、やけどした部分が水ぶくれになったり皮が垂れ下がっている人でトンネル内は混乱状態にあった。トンネル工場は避難してきた負傷者等でいっぱいになったが医薬品は多くなかった。布などで出血をとめてやるぐらいで重傷者は寝かせてやるのが最高の手当てだった。旋盤に使う油をやけどした部分に落としてやると痛みがやわらいだようだった。」  



左2枚は3、4、5、6号各トンネルの場所である。この壁の向こうに4本のトンネルが隠されている。天井の上はコンビニ。R写真は6号トンネルの端っこになる。異常に頑丈なコンクリート基礎。戦時中の基礎かも。
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