新大谷鉱山  2/2   
 「丹波マンガン記念館」

 2007年7月にしばらくぶりに行ってきました。これが今回のリポートです。前回はあんまり下調べなしで行ったため我ながらもう一つでした。今回は前回よりはましかな?と思うのですが・・・。自画自賛でしょうか・・・。


 国道162号線を北上。下弓削(しもゆげ)の辺りで左側にこんな看板が。  もうちょっと行くとすぐに交差点の右向こうの角に大きな看板がありました。ここを右折。


 そのまままっすぐ進むと正面にまたまた看板が。  ここがいわば”第一ゲート”か。この奥5〜600Mぐらいで目的地だ。


ここが入り口、且つ料金所。  相当古い坑道ですね。典型的な”狸堀り”です。中をのぞき見ましたが皆目見えません。ここは観光坑道入り口に向かうすぐ左側にありました。


 ・L写真:操業当時のトロッコの跡。レールがまだ多少残っている。
 ・R写真j:下写真の”川端斜坑”で使用されていたトロッコとウインチ。


1977年の閉山当時まで採掘していた坑道。”川端斜坑”。 川端斜坑の内部。坑夫たちの苦労が偲ばれる。


 これはズリの戻し充填ですが、一般的にはズリは選鉱の関係で坑道の外に捨てる。最も各地の鉱山でも捨て場に困り最後には落盤防止もかねて手間と時間をかけて旧坑の奥に戻していた。がここでもそうしていたのは知らなかった。  ”背負い運搬の合理化に巻き上げ機を導入。車輪と異なりかなり重労働であった。”とは別の説明によるとどうやら木製トロッコを鉄ではなく木製のレールの上を滑らせるようにしていたらしい。相当の労力だったろう。


 竜頭です。採掘をどんどん進めていくとある箇所でどうしても上下左右に掘っていく場合がある。当然崩落防止に枠組みをしていくのだがそれでは支えきれない場合がありそんな場合に本当は掘りたいのだがしようがなく写真のように一部分だけ岩盤を残す場合がある。それを”鉱柱(竜頭)”という。大きな鉱山などではよくあり尾去沢鉱山や岡山の吹屋銅山などはかなり大きい竜頭が複数あった。ある鉱山関係者に言わせると”ここの竜頭はずいぶんやせている”とのことだった(別の資料による)。それだけマンガン鉱脈が有望だったということだろう。


竜頭近くの地層。褶曲している。 観光坑道の出口。正面の小屋は鍛冶作業場。それの左側に道路の下を交差するように坑道トンネルが通っている。


 原始的だが確実か。でもこんな長い鉄棒を突き刺すとは。3m弱あるようだが。人力だけでは無理だろう。重機でも使うんだろうか。


 今、世界的に注目の”海底マンガン塊”。これとメタンハイドレードが世界で非常に注目だ。マンガンはそれ単体では乾電池の電極以外殆ど使用例がない。じゃ〜あまり重要ではないのか、と言うとその逆でアメリカでは戦略物資になるぐらいで一般的な鉄製品には殆ど全部に入っている。その特性は混ぜると丈夫になり硬くなる。    丹波山地には約300箇所ものマンガン鉱山があったらしいがこれはその主なヤマの地図である。(写りが悪くて見えにくいですね)ほかにも鞍馬山周辺、朽木渓谷、三千院で有名な大原、西は和知町周辺まで、北は小浜近くまであったらしい。中心はここの京北町、八木、園部あたり。


This is the sicture the participant in IGC
visited at the Tanba Manganese Memorial hall
1992.sep 4
 この方は李貞稿(ノギヘンではなくカネヘン)氏。ここの記念館を設立した方。今の館長はこの方の息子さん。1995年長年の採掘生活で塵肺に冒され他界。晩年は塵肺による闘病生活を余儀なくされた。


 両方ともクラッシャー。原理はきわめて簡単。ある程度の多きさの鉱石を上から投入して押しつぶして細かく砕くのが目的。


ハルツジガ選鉱機?? ちょっと分かりません。要は比重選鉱ですね。


 ”ウィルフレーテーブル選鉱機”。要はこれも比重を利用した選鉱方法。写真の機械の右上から砂状の鉱石の粒を入れて、(トラックの荷台のような台は写真手前に若干傾いている。)台の向こう側の縁から水を流す。そして台の右側にあるモーターみたいなもので台を毎分数100回ぐらいの頻度で左へはゆっくり、右へは素早く振動さす。すると慣性により徐々に比重の軽いものはそのまま写真手前に流れ、重いものは左の方へ集まる(もちろん多少は混ざるが)。選鉱とはこのような手間のかかる作業を何回も何回もやって品位を上げていくのである。そして最後に精錬所へ送る。


 これも何かの選鉱機でしょうね、。説明がありませんが。  今回はこれにて終了です。帰る前に一枚撮りました。駐車場から奥側です。この右手の山の中にもたくさん旧坑道があります。前までなら行けますよ。中へは入れません。


>あとがき<
  前にも書いたが今回も来て驚くのはやはりこれだけの規模の鉱山記念館を個人で経営・維持すると云うのは並大抵の努力ではないと思う。ディーズニーやUSJのように若者向きのテーマパークではなくこういっては失礼だがマイナーな鉱山というものをテーマにしてなおかつ一般の日本人が最も耳にしたくないテーマを前面に出してここまでするというのはある意味多少とも採算性を考えるなら無謀とも言える。当然その辺の議論はされているだろうが。それにしても多々嫌がらせなどもあっただろうしよくここまで先代の遺志を受け継いで続けてこられていると思う。敬服します。

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