別子銅山シリーズ <そのC>
C 鹿森〜マイントピア〜大斜坑〜煙突山周辺 1/1
               愛媛県新居浜市立川町707-3         訪問年:2009年、春



Woo〜!!
廃墟でもゴミ屋敷でも心霊スポットでもありません。
でもちょっとだけ心霊スポットに近いかな・・・
これは何でしょう?矢張り坑道でしょうか、それとも単なるトンネルでしょうか。
こんなの初めて見ました。すごいです。
インパクト
強烈!! 

 M  A ♪ P 





  
=鹿  森=


 これは端出場貯鉱場跡だ。建築は1919年(T8)で第四通洞からトロッコで運ばれてきた鉱石をこの貯鉱場の上から落として一定程度貯めて製錬所や選鉱所に運ぶためのもの。鹿森鉱山住宅はこの上にある。


 上の端出場貯鉱場の前にこんな物があった。右写真内容を下に転載する。 
    炭 宿 窯
 この「炭宿窯」は銅鉱石を精錬するためのエネルギーとして活用されていた炭の歴史的な因果関係を再認識し炭の有効利用や用途を学習することを目的に市民参加のもとに設置しました。「炭宿」とは別子銅山で銅鉱石を荒銅に製錬する過程で多くの炭を使っており別子及び周辺山中に炭焼きの拠点としてたくさんの「炭宿」が配置されていたと言うところからきており今日に残る別子の絵図にも随所に「炭宿」の名が残されています。     平成12年3月吉日 
 


 貯鉱場の右の階段を上がっていくと最初に”鹿森”の看板(L写真)がその次に坑口(R写真)らしきものが見えてくる。最初はいやにきれいな開口部だし柵も何もないのでおおよそ坑口だとは思わずのぞいてみたが・・・・・。もしかするとこれは坑口ではないかも。トロッコの単なるトンネルかあるいは車庫かも・・・  


 坑道枠もしっかりトロッコ用レールで支えられている。が天井と床は写真のとおり荒れている。奥はさほど深くないようだ。ただ気づいたのは空気の流通が皆無である。どうやら行き止まりのようだ。写真の坑口?以外は何処にも空気の流入口がないようである。車庫ならば行き止まりでも納得だがトンネルならどうだろう。反対側が崩落でもしたのだろうか。あるいはやはり採掘途中の坑口?  


 床と天井はこんな感じである。 


 ・L写真:坑口かトンネルかどちらか分からない所から鹿森住宅の方に上がってきたところです。ちょうど貯鉱場の真上辺りでしょうか。
 ・R写真:何か分からないがあちこちに遺構が散在している。 


 坂の途中に”鹿森索道始点”の標識があります。ちょう上り坂の中間辺り。R写真の途中です。  


 今度は”鹿森索道終点”です。L写真は近くにあった鉄塔。もしかしてこの鉄塔の場所が元索道用の支柱のあったところか・・・。 


 ・L写真:鹿森社宅までやってきました。ここに行く人はマムシにご注意を!
 ・R写真:神社跡も今はこんな状態。何にもありません。 


 製錬時のカラミがありましたよ。20キロぐらいありましたかね。かなり重かったですね。 


東平(とうなる)尋常高等小学校鹿森文教場を戦時中に卒業された方々により建立された鹿森社宅記念碑である。 



=マイントピア別子(道の駅)=


 道の駅「マイントピア別子」。正面の建物から観光用トロッコで観光坑道に入れる。住友財閥の管理のためなにもかも”さすが!”といわせる造りである。そのルーツでもあるし。 


 ・L写真:店内にあった写真だが操業当時の端出場全景である。写真中央やや左側に大斜坑の口が見えている。その手前には第四通洞のトンネル入り口も見えている。写真下部右手辺りが道の駅マイントピアになる。
 ・R写真:操業時の手選鉱の様子だ。全部女性である。 


 元禄の別子開抗以来1880年に牛車が導入されるまでの約200年の間はこのような方法で製錬した荒銅を新居浜に運び帰りには鉱山物資や生活物資などをヤマに持ち帰っていた。その重量、男で45キロ、女で30キロの荷物を背負って銅山峰を越えて行き来していた。 


四阪島製錬所で発生したカラミの実物。平たく言えば産業廃棄物である。 


 左はバケットローダーとグランビーと人車トロッコ。右は観光用トロッコである。 



=大斜坑・第四通洞=


 ・L写真:道の駅マイントピア別子の大きな駐車場から南側の山の中腹にある大斜坑を撮ったもの。その大きさは普通の坑口とは違い相当にでかい。住友グループのルーツであり主力且つ基幹事業であった別子銅山の中心的役割を果たしたこの大斜坑と第四通洞はそれが完成してからは各鉱区から採掘された鉱石はほとんどがここを通過して新居浜沖合いの四阪島製錬所に運ばれていた。そういう意味で正に銅山の生命線ともいえるものだった。
 ・R写真:逆に大斜坑辺りから撮ったもの。正面の白い屋根と茶色い壁の建物はマイントピア別子、その右手の白いつり橋の支柱の左手が駐車場である。川は足谷川。 
  


 大斜坑まで来ました。写真に写っているものは大斜坑の下に位置する貯鉱ポケット(一旦鉱石を貯める所)です。マイントピアから見えるでかくて四角いものがこの写真の下の部分です。大斜坑はこの写真の右手になります。 


 大斜坑入り口です。思ったほど大きいものではなかったですね。でもここから別子本山鉱床の最下部、銅山峰のほぼ真下、端出場を0mとしてマイナス1000mラインまで下っている。その距離約4500m。まさに大動脈だ。 


 ・L写真:上の写真に写っているものです。何の土台か分かりませんがスタッドボルトの太さが分かると思います。
 ・R写真:これは何でしょう?貯鉱ビンに繋がっているものですが。望遠で撮りました。鉄パイプみたいなものでガードされている感じです。想像ですが出抗した鉱石を下に下ろすベルトコンベアか何かでしょうか?よく分かりません。 



=煙突山周辺=


別子銅山記念館の入り口手前、足谷川の赤い橋のたもとにあったもの。さぞかし暑いでしょうね。 


 記念館の裏山の頂上にある煙突。かつての製錬所であった。通称:煙突山で通っているように今は煉瓦の煙突だけが残っている。製錬事業が四阪島に移るまではここで製錬をしていた。 


 ・L写真:煙突山からマイントピア別子に行く途中、川の反対側にはズリ山が見える。ちょうどマイントピアからは川に沿って北に行ったあたり。
 ・R写真:同じく川に沿って煉瓦つくりのモノが何か見える。正体は不明。


      1/1     HOME     ****     
>おしまい