三 盛 鉱 山(奈良県御所市朝町) 1/1 |
さんせい 撮影 : 2007年01月 |
更新 : 2008年11月 |
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奈良県御所市のはずれに三盛(さんせい)鉱山と言う明治時代に開発されたらしい銅鉱山がある。発見はもっと以前だろうが詳しいことはよくわからない。その規模も銅山にしては比較的小さく主に黄銅鉱や輝安鉱その他を産出していた。一番盛んに採掘していたのはやはり1945年以前で戦時中は結構、小規模ながらも日本国内のみならず朝鮮、中国からも多数の鉱夫を徴用で働かせていたという。 私が行った時は珍しく”石ひろい”の若い方が先に入っていた。マニアらしく結構、重装備だった。帰りに地元の方と話しをしているとここは結構石ひろいの人が来るらしい。結構、きれいな石が見つかることもあるとか。ところでここは近々、跡形もなく無くなるだろうとのうわさがもっぱらだ。というのもこの真上を京奈和自動車道が計画中とか。このときはまだ何もなく測量だけだったが近々、工事に入る雰囲気だった。下の写真にもあるが鉱山跡のたくさんの樹木に何かの目印らしくカラフルなひもを結んである。県道から入ってすぐにも発破の看板があった。どうやらほんとうらしい。 |
こんな看板がありました。これは鉱山より東側。 | 24号線の”小殿北”から分岐して県道215号線を東へ入る。ここは下の”朝町バス停”をちょっと行き過ぎて引き返したあたり。 |
県道215号線(古瀬小殿線)の標識。 | 写真の後ろの道路を走る。この山の向こう側が現場だ。すぐ近くに”竜神鉱山”というのがあったが今は土砂崩れで入れない。 |
左右の道路が新道(バイパス)だ。これの左方向から来た。右に”小さな川”の橋が見える。青い軽トラの前あたりから写真の農道に入る。これは後ろを振り返って撮ったところ。 |
こんな道を15分ぐらい歩く。 | いよいよ近づいたてきた。段々畑のところがちょっと分かりにくいので赤線で書いた。 |
ここも×方向に一度は行ってしまった。が、川の中なのですぐ引き返す。実は最初にここに入ったのだ。その時、丸木橋はわかっていたが”まさか”と思い渡らなかった。結局、そこが正解だったのだ。 | 私もここで最初右へ行ってしまった。なんとなくそんな気がした。行けども行けども???おかしいな〜と・・・で、意を決して引き返すことに。大分引き返したが”どうもおかしい?”と思い再度、進むとはるか向こうにどうやらお仲間さん?が一名。なんとなく”初めてじゃないな”と思いついていくことに。ビンゴ!当たり!でした。それで○の方向が分かった。 |
丸木橋を渡ってすぐにこんな感じだ。道などは無い。先人が歩いた跡を歩くだけ。当然足元は悪い。それなりの装備なしではケガをするだろう。 | 選鉱所か事務所の基礎の石垣。もう石垣以外は文字どうり何もない。ここも道路建設でまもなく無くなるだろう。寂しい限りだ。 |
これも石垣。別のアングルから撮った。 | 今度はコンクリートの基礎。これは選鉱の設備らしい。大きな風呂のような感じ。 |
コンクリート造りの施設。何のものかちょっと分からない。 | やっと見つけました。中腹の左側にありました。ちょっと足場が悪いですが入り口まで行きました。 |
入り口から1〜2mまでは斜めに堀り後はほぼ水平に横穴です。 | 狸堀りではないが天地、1mちょっと 左右1mぐらいか。結構奥まで続いている。 |
カメラだけを坑道の奥に向けて撮った。中に入ってはいない。ストロボをもうちょっと効かせればもっと奥まで撮れたが。別の資料によるとここはトロッコも何も使わずにいわゆる”モッコ”で掘った鉱石を運び出していたらしい。しかし20世紀に入っての鉱山でモッコを使うというのは近代化していないということか。それだけ小規模だったのか。ここに関しては資料があまりに少ない。 |
まさか風呂ではないだろう。さっきのコンクリートの土台を上から見たところ。 |
よくよく見ると各施設跡は結構たくさんある。もうちょっと上まで行けばまだ見れたかもしれない。 | 赤丸の部分、ウッスラと赤いひも状のものが見えると思う。これが地元に言わせると京奈和自動車道の測量用目印らしい。他にもいっぱいあった。 |
ここからは降りられない。しまった。またぐるっと迂回しなければ。ああ、疲れた〜!!” | 選鉱所あたりからの帰り道。下の畑からすぐの場所だ。 |
帰りに写真のおじさん(地元の方)に会い、車までの間いろんな話を聞かせていただいた。やはりここには”石ひろい”の人が結構、来るみたいである。”小さな川”にはまだたまに垂涎物がでることもあると云う。 | これが測量の発破の看板だ。そんな箇所は見た感じでは無かったがもっと奥か。 |
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