坂越大泊鉱山          1/2
                      さごし おおどまり こうざん   兵庫県赤穂市坂越   撮影:2007,11




 ロウ石(滑石)を掘っていると何かキラキラ光るものが・・・、うん?これはひょっとして金では??と思い何でも鑑定団、じゃなかった(すいません、冗談がすぎました)、大学の鉱物研究室に鑑定にだしたところ”これは金に非ず。黄鉄鉱です”とのこと。ここであきらめずに(普通ならしようがないですね)今流行のセカンドオピニオンを求めていればあるいは”いやいや黄鉄鉱ではなくこれは金ですよ”とのラッキーな返事を聞けたかもしれない。そうであれば今頃は・・・・。亡くなった子供の年を数えても仕方ないとはよく言うがオーナーにとっては本当にそんな気持ちだったろう。病院に限らずセカンドオピニオンはどんな場合でも必要なんですね。ヤッパリ。
 坂越大泊鉱山(金山)は鉱山の内容がどうとか言う以前に先の逸話のような話が先行したことで有名な鉱山である。それによくある山奥の鉱山ではなく町中とは言いすぎだがいわゆる平地、住宅地に位置したちょっと珍しい鉱山である。鉱山の前で海釣りができるというのもユニークだ。
 
 さて話は変わるが、当鉱山はさほど古い鉱山ではない。日本の殆どの鉱山が古くは奈良・平安時代、近代でも明治時代からのものだが、ここ坂越大泊鉱山は1959年(昭和34年)試掘され、翌1960年に営業採掘が始まったというヤマである。最初ここが瀬戸内海国立公園だというのでなかなか許可がおりなかったらしい。初期はロウ石を主に採掘していたが途中から金、銀に切り替わった。当然だろう。しかし別にも書いたとおり金と認定されるまでにも無駄な時間を浪費しまたその後も思ったほどの量を確保できず、そこへ1974年のこの地方を襲った集中豪雨で大打撃を受け、結局その後数年して閉山となる。オーナーの山下富可一氏も同時期他界する。
 Au、Agを採掘しだしてからは住友資本や後に三井資本も加わり金の品位もトン当たり、40g、平均35gぐらいあったと言う。決して少ない品位ではない。ただ鉱量が続かなかった。ロウ石を採掘していた頃にズリとして捨てていた物の中にどうやら金、銀も一緒にすてていたらしい。もっと早くに金、銀を確定さえしていれば結果も違ったかもしれない。








 相生市内でR2を左折。R250を南下。千種川たもとの下高谷交差点をまた左折してあとは道なりにトコトコ走ると左の写真の’大泊漁港’まで来る。あともうちょっとだ。M写真の真ん中あたりがGか。R写真がGの坂越大泊鉱山となりのアース製薬だ。


 三枚の写真は全部、鉱山の入り口だ。R写真はなんて書いてあるのか角度を変えながらジーッと読もうとしたがついに読めなかった。別のサイトの説明によるとなんでも”坂越大泊鉱山”とそのままかいてある、とのことだった。

 L写真は入り口から入ってすぐの場所。奥の方を望む。この部分だけセメントを流したように簡易舗装をしている。道巾は大型のトラックでも通れるぐらいの巾がある。ただ上に上がると巾は狭くなるので広い部分で鉱石の積み込みをしていたのかも知れない。
 M写真は同じ場所から後ろを振り返ったところ。正面の海は相生湾だ。R写真は同場所で見つけた何かの標識。”振動・騒音測定位置”とある。ちょっと良く分からない。


 L写真はセメントの道路から少し上がったあたりで上向いて撮った写真だ。R写真は奥へ入っていって最初に道が左に曲がってその先にあった元鉱山事務所跡と右側のものがたぶんホッパーだろう。手前の白い壁の右奥には試錘柱らしきものが大量にあった。


 これはボーリングコアでしょうか。上から見ればもっとはっきり分かるんだが上には危険で上がれない。中にはもちろん入れない(無断では入ってはいけない、だろうから)。まあ九分九厘間違いないだろう。でも処分せずに保存していると言うことはまだここのヤマを開発?の予定あり、だろうか。最近、金属の国際相場がバブル状態になっているみたいだし。でも元々、ココの鉱山はろう石(滑石)採掘が主で金属ではなかったと思うが。


 事務所跡らしきプレハブの片隅にはこんな物置らしき部屋や壊れているのかどうかさえ分からない各種の機械が放置されている。操業時はこれらの機械類も息を吹き返して活躍していたのだろう。そう思うと閉山した鉱山や廃工場などはすべからくそうだが哀れに思えてならない。


 R写真がホッパー。L写真はベルトコンベアとその上部に一部トロッコが見えている。


 ホッパーの位置関係と拡大図だ。上のトロッコで運ばれてきた鉱石をここでこの段差分だけ下へ落とす。右の写真ではそのホッパーの口が詰まっている、と言うのか”詰めている”のか・・・。落とす量を内部で調節していたのか隙間から中をのぞくともっと簡単な構造だと思っていたが何故か複雑な構造になっている。


 鉱石を運ぶバケットだろうか?右写真は完全にレールが飛び出している。元は何かこの下にあったのだろうと思うが・・・・。今はもうこの姿では分からない。


 一番奥側から入り口方面を見た光景。べルトコンベアとホッパーは左側(白いスレートの中)だ。


 ホッパーの内部だ。ちょっとややこしい構造になっている。ただいずれにしろ狭い!作業はさぞかしやりにくいことだったと思うが・・・。鉱山の中はどこもそうだが危険がイッパイだ。さぞかし事故や怪我が多発したろうと思う。人間の注意力なんてものはいくら注意していても”完全”はないのだから。しかしそれでも”注意せよ”と言わなければ。


 藪の中を目を凝らして見ると実にいろいろな鉱山採掘時代の遺物、と言うか残存物が残されている。グランビーなのかただの何かのアタッチメントなのかよく分からない。


 藪の中にブルーシートをかぶったウインチが置き去りに。ブルーシートの傷み具合を見ると相当の年数がたっているようだ。今のここの様子を見る限りかつてここでたくさんの人々が汗水を流して昼となく夜となく働いていた光景はちょっと想像できない。


 奥へ入っていくと小さな小屋があって中をのぞくとなんとバッテリーロコと充電装置です。かなり小さいですね。2トンクラスでしょうか。


 狭い敷地一杯に縦横に軌道が敷設されている。一部オーバーハング状態だ。操業時代の写真を見たがもっと平地がたくさんあったように思えたが目の錯覚だったのか。あるいは植林その他で人為的に段差を造ったのか。いずれにしろここで一時はたくさんの男たちが汗にまみれて働いていたのだ。



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