佐渡金山(さど きんざん)   (4/4)   


道遊の割戸 ・道遊抗 ・第三駐車場 ・大立竪抗 宗太夫抗 無宿人墓地 
・南沢疎水 
・旧北沢選鉱所跡 ・相川郷土博物館 ・旧佐渡奉行所

・相川郷土博物館
 正面の平屋の建物が”相川郷土博物館”だ。


 博物館にこんな給与明細があった。渋谷儀一朗という社員に払った給料と退職金。当時と今との金額のレートがよく分からないのでこちらで間違い覚悟で勝手な推測で計算しますと、
(渋谷儀一郎氏の職責も年齢も分からないが) 「・・・明治39年12月 佐渡鉱山事務 月給45円、〜 ・・・大正6年9月 依願解傭使 退職手当 8260円」とあります。大正6年で退職ということは(当時はそんなものじゃないかと思いますので)55歳と考えて逆算して明治39年はだいたい44歳ぐらいだろうか。その時点で月給45円。今の大企業の44歳の会社員なら月給50万ぐらいか。計算しやすくするために45万として約10000倍。ということは退職金も8260万円、ということか。間違い覚悟と独断で計算しましたが決して安い金額ではないと思いますね。岩崎小弥太氏は三菱の創始者、岩崎弥太郎氏の弟の子、つまり甥である。この当時で4代目社長だ。ちなみに創始者、岩崎弥太郎氏は坂本竜馬とほぼ同じ年代に活躍した人物で出身地も土佐(高知)と同じである。一時は”十手持ち”(岡っ引き)もしていたらしい。


 部品の木型ということはこれらを元にしてギヤやプーリーや車輪を作るのか?多分、ここで言う木型とはこれらの部品を参考にして同じものを造る、という意味ではないだろうか。現在の”金型”の意味ではないだろう。ちなみに写真に写っているものは全部木製である。(木型だから当然か) しかし傘歯車の歯面など実に上手に造っている。


Lが水上輪。ハンドルを回すだけだから結構効率的だ。理屈は簡単、ハンドルで内部のらせん状の回転翼をまわすだけ。Rは案内のとうり。



 昔のいわゆる遊郭だ。


 うれしはずかしはごろも?ぬれて・・・???こよいがはつよ、いろもなさけも・・・・これってひょっとして・・・。
Rは昔のキリンビールのロゴですね。


・旧佐渡奉行所


Lは再建した旧佐渡奉行所。Rは内部。発掘された昔の基礎とわずかな資料から図面を起こしてここまで正確に建てたらしい。


 これが発掘中に出てきた金の製錬のための鉛。以前にも書いたが何故、佐渡だけ鉛なのだろう?全国の他の鉱山はほとんどが水銀を使っていたが。そのためどこも水銀中毒が大変な問題になったのだが。まさか佐渡金山だけが社会正義に当時から目覚めていたわけではないだろうし。今よりも何倍も人命が軽い時代だったのに。考えられるのは水銀の入手が難しく鉛しか入手できなかったという理由?佐渡は離島だし私のおぼろげな記憶だが江戸時代は八丈島のように佐渡も罪人の流刑地ではなかったか。それらと関係はないのか。いまだによく分からない。





この人が佐渡鉱山初代鉱山長、大島高任氏。は旧奉行所内にある江戸時代の選鉱と製錬の模型。

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