尾去沢マイン 秋田県鹿角市尾去沢字獅子沢 1/3 |
(おさりざわ こうざん) 探訪日 : 2007、10 |
先日、やっとのことで尾去沢鉱山に行ってきました。この尾去沢鉱山は小生がまだ十代の若き学生(今も若いですが)の頃に教科書で見た大煙突といろんな鉱山施設の写真がその後長く頭に焼き付いていて、いつかはあそこへ行こう、とず〜っと記憶の片隅にあったものでした。思えばウン10年間?記憶だけにあったものを今回やっとのことで実現させたわけです。”人が宇宙に行く時代に尾去沢ぐらい何をそんなに・・・”と思われるかもしれませんがただまあなんとなくその機会がなかなか訪れなかっただけなのです。これを読んだ方、笑わないでくださいね。と、前置きはこれぐらいにして・・・・ 尾去沢鉱山が発見されたのは一応、708年(和銅元年)といわれている。伝説では黄金色の大きな怪鳥が山の上を飛んでいた、とかその他この手のいろいろな伝説話はあまたある。当鉱山は銅(Cu)で有名だが発見当時は主に金(Au)を採掘していた。金の採掘は西暦1600年中頃まででそれ以降は主に銅鉱脈の開発と採掘に力を注ぐことになる。近代以前は江戸時代に特に銅の生産が多かった。別資料によると1865年(明治維新の3年前)には100万斤(約600トン)の生産があったらしい。この頃の製錬技術で600トンの生産が多いのか少ないのかよく分からないが前後の文章から推察すると多いように見受けられる。 明治に入ってしばらく後の1889年、岩崎家(後の三菱財閥。1978年の閉山まで三菱の経営が続く)の経営となる。これ以降政府の”富国強兵策”などの増産指令もありより積極的に近代化を進める。採掘鉱石は主に、黄銅鉱、黄鉄鉱、閃亜鉛鉱、方鉛鉱などである。その他特殊なものとして方鉛鉱の変形物である「硫酸鉛鉱(PbSO4)」が酸化して出来た珍しい鉱物も発見され特に”オサリザワイト(尾去沢石)”と名づけられている。 閉山後は旧坑道の一部を観光用に「マインランド尾去沢」(マインキャニオンなど一見の価値あり)として一般開放されている。 |
詳 細 図 |
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とうとうやって来ました尾去沢! |
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Lは尾去沢鉱山の資料写真などでよく見るアングルです。正面の煙突がここを象徴する大煙突。煙突の大きさは高さ60m、下部直径6m、上部直径3m、完成は終戦の年1945年だった。この大煙突は同じようなものがもう一段上にもあったらしい。そっちのほうは早くになくなったらしいがなくなった理由はよく分からない。Rは現在も稼働中のここの会社の入り口である。三菱系企業だ。下に赤丸と黄丸の拡大写真がある。 |
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稼働中の工場入り口にあった看板群。L写真は三菱マテリアル系。M写真はやっと見つけました”尾去沢鉱山株式会社”の看板。R写真は左、花輪市内方面、右、精錬所跡方面、の案内看板。 |
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これより 選鉱所跡 |
Lは選鉱所前景。稼動時はおそらくバックの緑の山の部分もぽとんど全部が工場だったのだろう。 Rは斜め前方から。奥の白い建物は「マインランド尾去沢」内の”シューティングアドベンチャー”の施設である。私たちは入らなかった。 |
内部の細かい箇所まで撮ってみました。コンクリート以外のものはほとんど残っていません。当然ですが。上物解体時の名残なのかむき出しの内部の鉄筋が随所で顔を覗かせていました。コンクリート構造物というのは鉄筋を入れるだけでここまで頑丈になるものなんですね。フッと最近、社会問題化している耐震偽造問題に頭がいきます。(この上にマンションを建てたらどんな地震が来ても大丈夫だったりして・・・。どうでしょうか。) |
いいアングルですね。自画自賛でしょうか。なんとなく好きです、この角度。(これって鉱山めぐりのコメントじゃないですね。ハンセ〜) |
選鉱所前の沈殿池。これもシックナーというんでしょうか?回転部分がなかったと思います。水は雨水でしょうか、非常にきれいなものでしたが手をつける勇気はなかったですね。 |
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