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   宮城県気仙沼市本吉町    大谷(おおや)鉱山      Photo:20128  (1/1)  
主な採掘金属 : 金。
地 質・鉱 床  :中熱水性鉱床  
経営企業    : 日本鉱業(株)

東日本大震災で壊滅的な打撃を受けた宮城県気仙沼、その気仙沼の南10キロぐらいの山の中にかつて金(Au)を採掘していた鉱山があった。それも海岸線からさほど遠くない場所に。
平安時代に開かれ平泉の黄金文化を支えたと言われながらその後も営々と手堀で採掘を続けてきた金鉱山も1905年(M38)鈴木哲郎氏が試掘鉱区を申請・設定、開発に入る。しばらく後の1929年(S4)鉱山経営が日本鉱業(株)の手に渡り一挙に近代化に入り削岩機など機械化を促す。戦時中に一時期”金山整備令”で休山したが戦後1950年再開。この頃年間400Kg以上の金を生産したという。その後も青化製錬場を建設・拡張したり浮遊選考場を建設したりしながら採掘・生産を続けていたが1971年休山、1976年(S51)遂に近代化以降約70年間、発見からは1000年近くの年月を経た大谷(金)鉱山はここに幕を閉じた。


左:国道45号線のJR気仙沼線「小金沢」駅あたりの交差点を北上。最もナビの言うままに進むので昔のように道路地図片手に運転す
   るわけではないので正確な場所が頭の中でイメージできない。道なりに進むとほぼ突き当たりに木々の中に大谷(おおや)鉱山の
   選鉱場跡が見え隠れする。その前に広い更地と資料館があり私を迎えてくれていた。
右:大谷鉱山歴史資料館の玄関口。中には操業当時の写真、各種の資料、各種採鉱機械や工具など多種多様のものが展示されてい
   る。

左:山の中腹にデ〜ンと”自然に帰されてたまるものか!”とばかりに胸を張って(るかどうかは知りませんが)その存在感を現している
   かつての選鉱場。Zoom Inで撮りました。手前にはシックナーも確認できます。シックナーの上に見えるタンク様のものは未だ新しい
   感じがするが。シックナーを何かに使っているのかもしれない。
右:PC処理して読めるようにしたのですが・・・読みづらいですね。字数かせぎにココに転載しましょう(笑)。
PC処理しなきゃよかった(泣)
   
                                  <大谷鉱山の沿革>
   
地域の産金の歴史は遠く前九年の役以前に遡ると言われ、まだ平泉の黄金文化の源泉であったと伝えられる。大谷鉱山は明治3
   8年唐桑村鈴木哲郎氏が試掘鉱区を設定、露頭部、旧坑の開発を試みて以来、福山久吉氏、三原経国氏、十時精一氏、及び久原
   鉱業株式会社等鉱主の変遷があったが昭和4年日本鉱業株式会社の経営となり我国有数の金山として盛名をはせるに至った。
   昭和37年大谷鉱山株式会社が鉱業権を継承したが数十年にわたって地域経済に貢献した業績は誠に甚大であった。その沿革概
   要は次のとおりである。

   昭和 3年 この頃までは手選鉱であったがはじめて削岩機を導入する。
   同  6年  岩尻抗操業開始。(翌々8年削岩機31台入る)
   同  9年  浮遊選鉱場完成。(鉱石処理能力月3000トン)
   同 11年  赤牛、萱刈抗を日満鉱業(株)より買収。
   同 13年  浮遊選鉱場拡張。岩尻、赤牛、津谷、新月、矢越の各抗を操業。昭和17年には従業員1303名(鉱山居住580通勤
           723)坑道総延長55キロm、立抗深さ450m、年間1トン余りの産金量を誇る。
   同 18年  太平洋戦争苛烈となり金山整備令により休山。
   同 25年  再開(26年以降には産金年間400〜450キロを記録)
   同 26年  青化製錬場完成。(36年拡張。処理能力月4500トン)
   同 36年  青化製錬場わきに浮遊選鉱場完成。(処理能力月1500トン)
   同 37年  日本鉱業(株)より分離大谷鉱山(株)設立。(この頃坑道延長90キロM)
   同 39年  興北鉱業(株)を吸収合併。大谷及び興北の二鉱業所となった。
   同 40年  青化製錬場の設備増強。鉱染部採掘が進み坑内スライム充填開始。
   同 46年  大谷鉱業所は興北の浮選操業を残して休山。
   同 51年  興北鉱業所も埋蔵鉱量枯渇により操業休止、全面閉鎖するに至った

左:資料館の内部の様子。右側にはバケットローダーとトロッコが。
中:昭和11年の精錬所落成時の記念写真。
右:砕石の積み込み風景。ホッパーですね。トラックはボンネットトラックと三輪バタコ。やはり時代ですネ。

左:作業の交代風景。坑道から出てくる人、入って行く人。照明が点いているが朝でしょうか夕方でしょうか。
中・右:大谷鉱山株式会社の看板。入れないがこの向こう側が選鉱場側。たぶん坑口もあるのでしょう。

左:周辺道路を走っていると脇にこんなものが。堆積場へ送る排水パイプではなさそう。何かのケーブルのよう。鉱山めぐりではよ
   く見る光景。
右:堆積場のようだがブルーシートで覆っている。何でも3.11震災で堤防が決壊したらしくそのせいでこんな風にしているとか。

      (1/1)     HOME    >完<