大谷鉱山(おおたに こうざん) 京都府亀岡市稗田野町鹿谷   1/1   
                                     探 訪 : 2006年11月


 大谷鉱山は京都府亀岡市中心部から西方向、湯の花温泉方向へ行ったところにある。近くに「京都縦貫自動車道」が通っており「大井IC」下車が一番近い。場合によってはちょっと遠まわりだが「R372」経由で行ったほうがわかりやすい。もし迷子になったら私のいつものやりかた、付近のお年寄りに聞く。一番いいのはおじいさんだ。次におばあさん。この方法でダメだったことは一度もない。しようがなく子供に聞く場合もあるがあまり期待できないし昨今は要注意だ。後でモノトーン車に乗った制服さんから”住所と氏名は?”なんてこともないとはいえない。そういうご時勢だし。わたしは幸いまだそういう経験は一度もないが。

 大谷鉱山のタングステン(w)採掘が粟村鉱業所により開始されたのは1914年(大正3年)である。発見時期はちょっと資料不足でわからない。1914年といえば第一次世界大戦が始まった年である。ちなみにその10年前の1904年には日露戦争が起こっている。この時代、世界は混沌とし血生臭い出来事が多発。日本も大陸侵略を足がかりに中国、朝鮮への植民地政策を積極的に推し進めていた時期である。当然、タングステンやマンガンなど兵器製造に欠かせない金属は政府が積極的にイケイケドンドン式に掘らせたであろう。察するに当時は相当の鉱山町で結構、にぎわったことと思う。別資料によると三池や筑豊炭鉱、また滋賀県の土倉鉱山などからもここの鉱山に働きにきていたという。その後1945年、第二次大戦終了までの間、国内w産出量はほぼ最大規模を誇っていたという。その後一時休山していたが1951年再開。しかし思うようにw品位が上がらず其の後の国際暴落などによりついに1983年(昭和58年)閉山となる。ちなみにこの近く、京都府綾部の近所には同じw鉱山の「鐘打鉱山」があった。

<”大谷鉱山”入り口付近>
大谷鉱山にはまだこのような鉱山施設が解体されずに残っている。このあたりが旧鉱山のおおよその入り口になる。手前の建物がかつての守衛だ。周辺はもちろん住宅地化している。ただここの鉱山はそれほど山奥ではない。後の写真を見ればそれが分かる。


売 店 抗夫住宅
Lの廃屋はかつての売店だ。Rはかつての抗夫住宅である。全部この写真の四つ角にかたまっている。L写真の売店の右奥には当時の診療所があった。写っていないが今も廃屋だが残っている。


<”大谷鉱山” 坑排水処理施設>
鉱山につきものの水処理施設。ここは鉱山の規模に比して処理施設がわりと広いように思う。


白い建物が現在、鉱山を所有している石材会社である。その向こうの山一帯が坑口その他のあるエリアだ。こんな風に見えるがここは湯の花温泉の近く、国道9号線からちょっとはいったところだ。そんなに山奥ではない。



Rの案内だけでは「とこなけ山」とは知っている人以外読めないと思う。ムズカシイ。千手寺とは鉱山跡の奥のほうだ。私も最初行き過ぎて寺まで行ってしまった。参道が鉱山跡の真ん中を通っている。


R・L共に多分、沈殿池だと思う。形が似ているが別々の池である。


<これより大谷鉱山、メインエリア
ここが坑道だ。この鉄の扉の向こう側がR写真だ。中は見たとおりきれいにコンクリートで枠組みされている。どこまで続いているのだろう?一度機会があればこういった観光化されていない坑道内を突き当りまで歩いてみたいものだ。左の観音像らしきものはここの石材会社が供養の意味で建立したらしい。そして現在この地で暮らしている元抗夫だった人がほぼ毎日、線香をあげに来ているという。


坑道の中と外から水が湧いている。一見きれいに見えるのだが。やはり重金属が含まれているのだろう。


かつてのズリ場だ。今は石材会社の資材置場だがこの下には今もズリが大量に残っている。 ここは元抗夫住宅のあった場所。見事にきれいに整地されている。


いよいよ坑口に向かいます。なんとなくこのあたりじゃないかな〜と思いながら登っていきました。周囲をキョロキョロしながら見てると”あれかな?”と思うものが。ビンゴ!ありました。数箇所ありました。が足元のしっかりした場所は写真のものだけでした。二箇所だけ写しました。上の写真の坑口は鋼材でほとんどふさがれています。


こちらの坑口は直接見れます。覗いてみるとたいした深さではありません。2mぐらいでしょうか。脈なしと思いあきらめたのでしょうか、それとも埋め戻したのでしょうか。どちらかわかりません。(埋め戻しには見えなかったが・・・)


3枚ともここの旧鉱山を所有している石材業者の作業現場だ。これらの重機類は現役のようである。まだタングステンを掘っているのだろうか。そんな話は聞いていないが。
今はひどい廃屋だがここは選鉱所付属の事務所だったようだ。たぶんこの辺一帯が選鉱所だったのだろう。


ここも坑口だ。なんとなくここは人や機械の出入りがあるような感じがするのだが。ブルーシートもまだ新しい。


ここの坑道は大きい。天地・左右とも採掘に十分な広さだ。まさか本気でタングステン採掘を再開するつもり?まさかね〜。でもこんな奥から採石などするんだろうか。Rは中からの水だ。


重機でなにやら掘っていた。Rの写真は山肌の姿。写真真ん中あたりの「緑色っぽい部分」は写真のせいではなくそれが気になったので撮ってみました。なんでしょう?


Lはすぐ上の写真の場所から撮ったものです。南側(亀岡市中心部方向)を望む。
Rは鉱山入り口付近の柿木です。食べごろでした。



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