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<”大谷鉱山”入り口付近> |
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売 店 | 抗夫住宅 |
Lの廃屋はかつての売店だ。Rはかつての抗夫住宅である。全部この写真の四つ角にかたまっている。L写真の売店の右奥には当時の診療所があった。写っていないが今も廃屋だが残っている。 |
<”大谷鉱山” 坑排水処理施設> |
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鉱山につきものの水処理施設。ここは鉱山の規模に比して処理施設がわりと広いように思う。 |
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Rの案内だけでは「とこなけ山」とは知っている人以外読めないと思う。ムズカシイ。千手寺とは鉱山跡の奥のほうだ。私も最初行き過ぎて寺まで行ってしまった。参道が鉱山跡の真ん中を通っている。 |
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R・L共に多分、沈殿池だと思う。形が似ているが別々の池である。 |
<これより大谷鉱山、メインエリア> |
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ここが坑道だ。この鉄の扉の向こう側がR写真だ。中は見たとおりきれいにコンクリートで枠組みされている。どこまで続いているのだろう?一度機会があればこういった観光化されていない坑道内を突き当りまで歩いてみたいものだ。左の観音像らしきものはここの石材会社が供養の意味で建立したらしい。そして現在この地で暮らしている元抗夫だった人がほぼ毎日、線香をあげに来ているという。 |
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かつてのズリ場だ。今は石材会社の資材置場だがこの下には今もズリが大量に残っている。 | ここは元抗夫住宅のあった場所。見事にきれいに整地されている。 |
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いよいよ坑口に向かいます。なんとなくこのあたりじゃないかな〜と思いながら登っていきました。周囲をキョロキョロしながら見てると”あれかな?”と思うものが。ビンゴ!ありました。数箇所ありました。が足元のしっかりした場所は写真のものだけでした。二箇所だけ写しました。上の写真の坑口は鋼材でほとんどふさがれています。 |
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こちらの坑口は直接見れます。覗いてみるとたいした深さではありません。2mぐらいでしょうか。脈なしと思いあきらめたのでしょうか、それとも埋め戻したのでしょうか。どちらかわかりません。(埋め戻しには見えなかったが・・・) |
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3枚ともここの旧鉱山を所有している石材業者の作業現場だ。これらの重機類は現役のようである。まだタングステンを掘っているのだろうか。そんな話は聞いていないが。 |
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今はひどい廃屋だがここは選鉱所付属の事務所だったようだ。たぶんこの辺一帯が選鉱所だったのだろう。 |
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ここも坑口だ。なんとなくここは人や機械の出入りがあるような感じがするのだが。ブルーシートもまだ新しい。 |
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ここの坑道は大きい。天地・左右とも採掘に十分な広さだ。まさか本気でタングステン採掘を再開するつもり?まさかね〜。でもこんな奥から採石などするんだろうか。Rは中からの水だ。 |
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重機でなにやら掘っていた。Rの写真は山肌の姿。写真真ん中あたりの「緑色っぽい部分」は写真のせいではなくそれが気になったので撮ってみました。なんでしょう? |
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Lはすぐ上の写真の場所から撮ったものです。南側(亀岡市中心部方向)を望む。 Rは鉱山入り口付近の柿木です。食べごろでした。 |
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