大谷鉱山は京都府亀岡市中心部から西方向、湯の花温泉方向へ行ったところにある。近くに「京都縦貫自動車道」が通っており「大井IC」下車が一番近い。場合によってはちょっと遠まわりだが「R372」経由で行ったほうがわかりやすい。もし迷子になったら私のいつものやりかた、付近のお年寄りに聞く。一番いいのはおじいさんだ。次におばあさん。この方法でダメだったことは一度もない。しようがなく子供に聞く場合もあるがあまり期待できないし昨今は要注意だ。後でモノトーン車に乗った制服さんから”住所と氏名は?”なんてこともないとはいえない。そういうご時勢だし。わたしは幸いまだそういう経験は一度もないが。
大谷鉱山のタングステン(w)採掘が粟村鉱業所により開始されたのは1914年(大正3年)である。発見時期はちょっと資料不足でわからない。1914年といえば第一次世界大戦が始まった年である。ちなみにその10年前の1904年には日露戦争が起こっている。この時代、世界は混沌とし血生臭い出来事が多発。日本も大陸侵略を足がかりに中国、朝鮮への植民地政策を積極的に推し進めていた時期である。当然、タングステンやマンガンなど兵器製造に欠かせない金属は政府が積極的にイケイケドンドン式に掘らせたであろう。察するに当時は相当の鉱山町で結構、にぎわったことと思う。別資料によると三池や筑豊炭鉱、また滋賀県の土倉鉱山などからもここの鉱山に働きにきていたという。その後1945年、第二次大戦終了までの間、国内w産出量はほぼ最大規模を誇っていたという。その後一時休山していたが1951年再開。しかし思うようにw品位が上がらず其の後の国際暴落などによりついに1983年(昭和58年)閉山となる。ちなみにこの近く、京都府綾部の近所には同じw鉱山の「鐘打鉱山」があった。 |
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