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兵庫県宍粟市一宮町倉床 探訪日 : 2008.08 |
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大身谷の情報はあまり多くない。ハッキリ言って少ない。いつごろ発見されたのかさえよく分からない。主要採掘鉱物は一応、金、銀、ということらしい。ならば銅も入れていいだろう。(エエ加減やな〜、ついでに他の金属も・・・あかん、あかん!<笑>) ヤマが閉山したのは1980年代中頃。日本のヤマはどこのヤマもだいたい同じ頃につぶれている。坑口は北側と南側に二箇所あった。このページの写真は南側。北側は倉床川のもっと奥の方にあったらしい。行ってみたがどこか分からなかった。この周辺には北西から南東にかけて中瀬ー明延ー神子畑ー生野という結構大きな鉱山が直線にして約30キロの圏内に集中している。大身谷鉱山はその線の南西側に抵触しているが何か意味はあるのだろうか。鉱山学は専門外なのでよく分からない。 「一宮町史」から一部抜粋 ・大身谷鉱山:一宮町倉床444-2 ・所有:金平鉱業株式会社 ・稼行鉱種:金、銀、珪(イシ編)酸鉱、 ・沿革:発見年月日は不詳であるが藩政時代に自家製錬していたといわれる。明治初年(7.8年頃)生野の人山原某が3万5千坪の借区をなし開坑、明治12年五代友厚の所有(繁盛村誌)となり。明治40年志波定次郎に引き継がれる。 大正3年:藤田組に引き継がれ以後大正9年まで富盛(ふせい)脈のみ採掘。 大正9年:閉山。 昭和32年:同和鉱業(株)、金平鉱業(株)により開坑。 昭和34年:出鉱開始。 昭和43円:大立鉱区の共同鉱業権を設定。同和鉱業(株)、金平鉱業(株)、合同資源産業(株) |
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生産実績(昭和52年度)
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県道6号線を北上。桑垣集落から500mぐらい富士野トンネル手前2キロぐらいで写真の三叉路の地点に。 | 三叉路の真ん中の植え込みにこんな標識があった。下は”富土野(ふどの)銅山へ”上は右に向いているから多分”大屋・八鹿方面へ”だろう。大身谷鉱山のものがない。しかし富土野銅山はここに来るまで知らなかった。大身谷の帰りに奥へ行って見たがそんな銅山らしき箇所は見当たらなかったが。 |
”市兵衛”とだけあり下にちょっとだけ説明が。読んだが上の空で・・・・。(こんなに鉱山の近くだともう気がそっちに行ってるもんね<笑>) | 正面の斜面のズリ場が元選鉱所があった場所だと思うが。拡大図が下に。 |
どうやらここが入り口のようだ。 |
実にきれいに整備されている。大身谷鉱山のデータがあまりに少ないので確かなことはいえないがおそらくここはズリ山だったろうと思う。そしてどこかこの周辺に選鉱所もあったことだろう。今の姿からは想像もできないが。 |
どちらも最上部から見たところ。 | 同一レベルの西側。 |
ズリ山(?)最上部周辺で見た何かの鉄製パイプ。坑内作業用の圧縮空気用のパイプではなかろうか?L写真は地面に埋まっていてその先が何処に行っているのかは分からない。 |
坑口のありそうな箇所を探しながら少し登ってみたが見つからなかった。この上の方に何かありそうな気がするのだが。 |
ズリ山からもう少し奥に行くと着きました。本丸に。大身谷銀山跡!。ハッキリクッキリ看板があります。 |
この建物が元鉱山事務所かどうか分からないがなかなかきれいな平屋建てあった。ロケーション的にはそうだと思うのだが。 | スロープ上から見たところ。 |
上の”大身谷銀山跡”の看板の奥、スロープの左手前奥に行った場所にはこのようなトラック積み出し用のヤード様のものがわずかだが残っていた。上からここに落としていたのではなかろうか。 |
往年のトロッコ用レールが顔を出している。久しぶりに鉱山にやってきた「珍客」に”こんにちは”と挨拶をしているみたいだ。 | 左下にわずかだがレールが見える。多分このズリ山の下にはまだレールや他の圧縮空気送気用パイプなどいろんなものが埋まっていることだろう。 |
何の基礎だろう。ちょっと分からない。 | こちらもよく分からない。 |
上に登るとまだいろんな遺構が残っている。大き目の風呂桶ぐらいの大きさだったが。下には排水用なのかパイプが接続されていた。 |
レールが顔を出していた辺りから少し斜面を登りおそらくかつてはトロッコが行き来していただろう軌道跡らしき部分を選鉱所のほうに向けて歩いていってみた。 | 途中アングルで作った何かの台のようなものがひっくり返っていた。 |
トロッコ道は狭かったがここで急に広くなっている。二枚の写真は同じ場所だが右の写真の奥のほうは最初のズリ場の地面に埋まっていたパイプの辺りと同一レベルだ。これは想像だが察するに選鉱所を出てきた鉱石をベルトコンベアか何かでここまで運びここでトロッコに載せ変えてさっきのトラック積み出し場にまで運んだのではなかろうか。あくまでも想像です。 |
上から鉱山の看板辺りを見る。真ん中の家は鉱山事務所らしきもの。 |
もっと奥へ行ってみた。こんな廃屋が。あきらかに農業用ではなく鉱山施設だろうと思うが。あるいはこれも鉱山事務所だろうか。 | 奥の方へ行く道はまだ続く。がしばらく行くと行き止まりだった。出きれば富土野銅山にも行ければと思ったがそんな標識も何もない。帰ってネット検索すると相当山の中にあった。とてもいけそうにない。 |
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