大江ニッケル鉱山(京都府与謝郡加悦町)  1/1   
                                           Photo:2006.12   更新:2008.11


   大江Ni鉱山は京都府の北西部、丹後半島の付け根部分の大江山にあります。ここは鬼の民話でも有名ですが日帰りで行けそうだったので行ってきました。
 当日は天気はまあまあでしたがいつものように時間の許す限りあっちこっち車で走るのでやはり疲れますネ。今回もここだけではなく近くだけど「河守鉱山(こうもりこうざん)」にもいってきました。大江Ni鉱山の大江山を挟んで東側にあります。河守鉱山は今はもうほとんど何も残っていませんがかつての小さな坑口とホッパーの跡らしきものとその近くに貯鉱所らしき平地があるだけでした。まあとにかくそんなわけで冬の寒い一日、私は(超)マイナーな趣味に興じていました。



 目的の大江Ni鉱山が道の駅”シルクのまち、かや”のほとんど中にある、と言ったほうがいいぐらいなので道の駅内の地図を載せました。地図の下の方に赤枠で「現在地」とあります。



 道の駅の駐車場から3本煙突を望む。鉱山の往時の様子を唯一今に残しているものがこの”乾燥場の3本煙突”である。手前の石碑は日中友好の碑。


”3本の煙突と日中友好の碑” 「日中友好の碑」、説明は左に。


煙突に近づいてみました。前の道路は普通車でいける十分な広さがあります。


ちょっと離れた場所(R176)から撮りました。  3本の内の1本の拡大写真です。高さは約12〜13mぐらいでしょうか。そんなに高くはないみたいですね。


 煙突の根元。もうほとんど雑草などに覆われてしまい皆目、どんなものが残っているかはわからない。写真のように単に基礎の石垣だけがかろうじてわかる程度。


 煙突の前はこのように広場になっている。ここは”道の駅”と”煙突”の間に位置する。なにか駐車場にでもするのだろうか、重機が置いてあった。


第二次大戦中にNi鉱山で強制労働させられ亡くなったイギリス人捕虜を偲ぶ碑。




加悦鉄道博物館のコーナー


鉄道博物館「加悦SL広場」は大江Ni鉱山の”道の駅”の国道176号線を挟んだ向かい側にあります。それでついでなので見てきました。


国道を挟んだ向かい側の「鉄道博物館」。  鉄道博物館「加悦(かや)SL広場」。鉄道・SLファンには垂涎物か。次のページにその一部を掲載中。


今は懐かしいラッセル車。まだ日本の何処かで動いている所はあるのだろうか。正面から見ると非常にユニークな表情をしている。最初、これを見たとたん瞬間的に鉄人28号を思い出した。こういう思いは私だけだろうか・・・。何処かから操縦箱(リモコンではなく「操縦箱」である)を持った正太郎君が現れたりして・・・。 入り口にあったものです。


運転席から前方を見た。窓ガラスも丸いのでなかなかそれなりにリアルだ。


 ご存知、蒸気機関車のボイラー用釜。下部分の黒い角ばった部分から石炭を放り込む。周辺には実にたくさんのコントロールバルブが。覚えるだけでも大変。R写真は説明。


 大変珍しいものがありました。説明は左の写真にあるとうり機関車のタイヤに当たるものです。普通、機関車も一般の電車も同じですが車輪は一体構造のように見えますが実はこのように二層構造になっています。電車の車輪なんて一般の人にはまず生涯近くで見ることなんてないから余程のマニアで無い限り知らないと思います。ここでついでに”タイヤの二層構造”についてちょっと知っていることをジマンたらしく(笑、冗談ですよ)書いてみましょう。
 電車の車輪は昔のSL全盛の頃は日本も外国も殆ど全部がこの写真(下の写真も参照)のような構造になっていました。このタイヤ(外輪)はレールに接触する部分の厚みが種類によって若干違うがだいたいは70〜80ミリの厚みがある。これが走行中のレールとの磨耗やブレーキングその他により車両によっては結構早く減るものもある。昔、SLの機関士だった人に聞いたことがあるが1年〜1年半で交換らしい。ただその人いわく「走らせ方一つで想像以上に早くちびる」らしい。もちろん逆の場合もあるんだろう。交換の目安はちょっと忘れたが”そんなに減るまで使うの!?”と言うか”そんなに早く減るの!?”と言う感じだった記憶がある。具体的には何かの本で読んだが残肉厚が約50%になったら交換(あんまり記憶に自信がないですが・・・)だったような気がする。  話を元に戻すが、現在の車両は新幹線や普通の電車も殆どが上のような二層構造ではなく分かりやすく云うと車軸部分と車輪部分とに分かれている。ですので写真のように外輪(タイヤ)とそれがはまっている内側部分とには分かれていない。つまりレールと接触して回転している部分は一体構造で左右の車輪を繋いでいる車軸とは別構造である。何故こういう構造にするかというと特に最近の高速化時代ではどうしても温度の膨張・収縮を利用した「かんごう」と言う方法でタイヤと内側部分を嵌めていると長期間いろんな条件での走行をしているとどうしても「かんごう」の部分でズレやヒズミ、ひどいときには外輪が「割れる」こともある。そのため脱線や事故につながる恐れがあるからである。
 ここで私が子供時代に実際に見た面白い光景をひとつ・・・
電車の台車部分(モーターと車輪とそれらを取り付けている枠の部分)だけを営業運転中の車両の先頭に”押す”ような形でつけて走っている光景でした。子供心にも”エエェっ!ナナナツ、何や〜あれは・・・!!”と驚いたことがありました。  <おわり>


外輪部分とかんごう部分との拡大図。どうやら”住友”製ですね。


 上の(拙い)説明文にある「台車」。子供時代にこれを押しているのを見たのである。 ブレーキ部分を写した筈なんですが・・・・。


 非常に面白いものが・・・。こんな展示物は操車場の修理工場ぐらいでしか見られないだろう。私は車輪よりもギヤ部分が面白いとおもう。平歯車だと回転効率はいいが騒音がすごかったんではなかろうか。ギヤBOXもないし。走行中に跳ね上げた異物などは噛まなかったのだろうか?Or 実際にはBOXに入っていたのか?しかしベルト駆動車もあったから案外・・・・。


 私が子供の頃は客車といえばみんなこんな風に自由にドアを開閉出来るものばかりでした。鍵などは無かったと思います。なにせ我が家が国鉄(当時はJRではなく”こくてつ”日本国有鉄道だった)のとある操車場の近所だったから学校が終わるといつもその中で客車に勝手に乗って中でYYGG云いながら友達と遊んでいたものだ。当時は操車場に柵も何もなかったから勝手に入って勝手に遊んでいた。当然中にはケガをした者もいるだろうと思う。でもいろんなことを学んだし今、鉄道に多少なりとも興味があるのはその時の経験からだろうと思う。ケガをした者も今風に言えば自己責任か。


 加悦鉄道のデイーゼル機動車。これでニッケル鉱石を運搬していた。  左の車両は「日立」製だったんだ。ニッケル鉱山経営母体の「日本冶金」のロゴも残っている。


ラッセル車の運転席。全部漢字。時代を感じる。 左に同じ。全部板張り。


 ラッセル車の車内ストーブ。なかなか面白い形だ。完全球形だ。大きさはサッカーボールぐらいか。燃料はもちろん石炭。でも何故球形??  手前の黒い円筒形のもは気畜器か?どうやら操作の動力は空気圧か.。まさか昔の潜水艦で使用していた浮上用のものでは・・・?。


ビックリした鉄人28号に似てない?  型式はちょっと忘れました。銘板の写真も撮っていません。雨ざらしですがでも解体せずに残しているだけでもエライ!


”加悦SL広場”の風景。 左の写真の台車のモーターにあった銘板。


SL広場の前に展示してありました。かなり古そうですね。




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