おびら こうざん       行った日:2008.04
尾平鉱山 1/1
大分県豊後大野市緒方町尾平鉱山

 大分と宮崎の県境、古祖母山の北側山麓に広がる尾平鉱山で最初に銀が発見されたのは16世紀中頃と言われている。16世紀中頃と言えばまさに日本列島ど真ん中で信玄、家康、信長と言った戦国武将達が戦に明け暮れていたいわゆる戦国時代である。その後江戸時代に入りまもなく1600年初頭に錫が同鉱山より発見され当地の岡藩が藩直轄の事業として錫をメインとした錫、銀鉱山を経営。しかしその後長く採掘・製錬技術が改善されず次第に産出量が減少。明治、大正時代に至っても尚かつ大して増えず遂に1935年頃(S10頃)、それまでの経営者が三菱鉱業に経営権を売却。三菱に渡ってからは俄然元気を取り戻し大企業らしい積極的な近代化・機械化をどんどん導入。結果1940年には出鉱量が約3万トン近くにまで達し錫以外にも軍需物資として銅、亜鉛、鉛なども産出。その後戦争を経て1950年頃までが最盛期で後急激に採算性が悪化。1954年ついに閉山となる。ちなみに戦後は近隣の奥岳川の汚染問題が浮上し今も三菱グループ系企業が鉱水処理を継続するとともに緑化事業も実施している。



                               


 県道7号、緒方高千穂線を南下していくと確か上畑の辺りだったと思うが道路の右に写真の光景が。明らかに鉱山施設だが近くに豊栄鉱山もあり尾平鉱山とどちらのものか分からない。道路を走っていてすぐ目についたのはこれだけだった。


 止まって内部をのぞいてみた。土砂で埋まっていて見たとうり廃墟状態だ。唯一ズリか鉱石を落としていたらしい穴だけが確認できる。


 唯一、場所を特定できる電柱の標識? ここから10キロでターゲットの尾平鉱山だ。


 途中こんな廃屋が交差点に。なんでしょう?単なる離農農家でしょうか。それとも鉱山関係の建物?農家だと農機具などを置いておくそれらしいスペースがあるものだが。一周回ってみたがそれらしい物置はなかった。平屋建て一軒だけがぽつんと建っている感じだ。


 奥岳川。古祖母山系(1633m)を源流に大分県を南西から北東に向けて縦断。大野川に合流し別府湾に注ぐ。 県道7号をまっすぐ行くと尾平鉱山を越えて宮崎県の高千穂町にまで行ける。


バス停”尾平鉱山”   これより右側が尾平鉱山施設内。


鉱水処理施設内の沈殿池。何処の鉱山の沈殿池も同じ色をしている。


 どちらも入ってすぐの光景だ。
 入り口から奥側を見る。  奥側から来た方を見る。右の白い”館”が現場事務所。


 奥の方の姿。当日も緑化作業を進めていたようだがまだまだ先は長そうだ。ただあんまり熱心にやっているようにはお見受けしなかったが・・・。(見えない所でやってるんでしょうね、きっと・・・。<笑>)


 水処理と環境整備の現場事務所。  上の茶褐色のコンクリートは選鉱所の最下部。下の青色の鉄はしごみたいなものはシックナーの回転部分。


 ガスがかかっていてヤマの上の方が良く見えないが選鉱所の姿だ。晴れていればまだ多少は残っている(筈だが?)選鉱所の上部がわずかでも見えたことと思う。


 どちらもズリ場だと思うが。右写真の遠くのズリ山はまだ手付かずのようだが左写真のズリ山は現在進行中というところか。行った時も重機がうなりを上げて作業をしていたようだ。


 帰りに栗生のあたりで写真のような鉄柱が。ワイヤーロープがかかっていたようだが索道かも。でも鉱山関係ではないかもしれない。林業関係の施設かもしれない。

    1/1     HOME     ****     
>おしまいです。<