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   岩手県九戸郡野田村大字玉川    野田玉川鉱山      Photo:20128  (1/1)  
主な採掘金属 :主要鉱物はマンガン、そしてぐっと少なく硫化鉄、もっともっと少なく金、銀、銅。 
主な採掘鉱石 :ハウスマン鉱、ブラウン鉱、テフロ鉱、菱マンガン鉱、バラ輝石等。
地質・鉱床   :層状マンガン鉱床。  
経営企業(者) :兼田良人→玉川満ガン(株)→林広吉→杉林黒鉛満ガン→岩代孝三郎→帝国鉱業(株)<新鉱業開発(株)>
           →昭和鉱業(株)→野田玉川開発(株)→北星鉱業(株)。

                           〓鉱山の沿革
野田玉川鉱山の開発は古く、明治38年頃、久慈の兼田良人により採掘されたのが始まりと言われるが詳細は明らかでない。その後昭和3年、玉川満俺株式会社が試掘権を設定経営した。のち新潟県人、林広吉がこれを継承したが昭和8年休山となった。その後種々の変遷を経て昭和11年杉林黒鉛満俺の経営となる。更に昭和15年には岩代孝三郎の経営するところとなったがS17年12月帝国鉱業株式会社(新鉱業開発株式会社の前身)が買収、戦後一時衰退したがS25年4月鉱業権が新鉱業開発株式会社に移り全力探鉱を行った結果、S26年末にいたって現在のミサゴ下部鉱体を発見した。
S27年には深部開発のため斜坑を掘り下げ更に同30〜33年には第一立抗をを掘り下げ、下11番抗(-330m)まで開発されるに至った。S35年に選鉱場を新設し月産粗鉱4000トンを数えるに至った。またS38年には第二立抗に着手、同41年に完成、下13番抗(-390m)まで開発し生産量、品質ともに本邦有数のマンガン鉱山となった。
S41年4月から昭和鉱業(株)の経営するところとなりS43年12月より第二斜坑に着手、現在の最下底である下14番抗準(-420ml)まで採掘を行った。
S47年頃から市況の低迷、貿易の自由化、採掘条件の悪化等でS46年2月に至り会社更生法の適用を受ける。
S47年8月新会社、野田玉川鉱発(株)を設立、経営するところとなった。しかし同年11月にいたって操業不振のため一時休山しS48年1月に再開、断続的な経営を続けてきた。
S60年8月からは北星鉱業(株)が鉱業権を譲り受け操業を続けてきたが更に61年4月からは本山より産出するバラ輝石を加工した「マリンロ−ズ」の販売や坑内観光にも乗り出し今日に至っている。
これまでのマンガン総生産量はおよそ60万トン(平均品位:33.5%)、坑道の総延長は約28キロに及んでいる。    <左記の坑内案内パネルより>




左:R45を宮古から久慈に向かい普代村を過ぎて「陸中野田」駅のちょっと手前あたりの鉱山への曲がり角です。標識どおり左
   折。この当時はガソリン139円だったんですね。被災地で安いのかもしれないがその後上がっています。
   ガソリン高過ぎ!(しんさく)<こんな親父ギャグ言ってるから政治は変わらないのかもネ〜>
右:野田玉川鉱山、別名:マリンローズ野田玉川にやってきました。またいつものごとくだ〜れもいません。従業員の車が止まって
   いるだけ。Pは広いです。バスも余裕ですね。でも僕的には人がいないほうがgoodです。坑道をゆっくり見たいのに人が多いと
   落ち着きません

左:ピンクののぼりの正面で入場(坑)券を買います。その後ろ側が展示資料館になっています。マリンローズもそこで買えます。
中とさあ、入ります。”ようこそ野田玉川へ”。

こんな感じです。だいたいどこの鉱山も中は一緒ですね。新米田鉱床には行けません。立ち入り禁止でした。

左上:生物:こうもりとわざわざ書いてあるのも半分ジョークでしょうか。
左下:何処の鉱山だったか忘れたが坑内奥深くの展示場に入った時(その時も客は私一人だった。)どうやらそこは照明が自動でセ
   ンサーが設置されていたようでいきなり照明が全部消えたことがある。一瞬何が起こったのかわからず固まってしまったことがあ
   る。まあ次の瞬間には”そういうことか”と分かったのだがあれはやはりヒヤッとしますね。センサーが何処に設置されているのか
   分からず入ってきた方向を記憶をたどって携帯電話のぼんやりした明かりでうろうろしているとパッと明かりが灯いた経験があ
   る。どうやら私のようにゆっくり見る人はいないようだ。停電なら係員が来るから安心だろうけど。
右:
すごいでしょう!確か普通では暗くて見えなかった所だと思うがPC処理してここまでしました。  


左:マンガンにもバラ輝石のようにきれいな色もありますがやはりマンガンと言えば黒、と言う感じがするのは私だけ?
中:さすがマンガンはいろんな分野に需要がありますね。鉄に混ぜる製鋼(鉄)所はもちろんのこと電気(化学)関係、溶剤関係、その
   他いろいろ。マンガンを鉄に混ぜると硬い鉄が出来ます。
右:マンガンにもいろいろあります。ここのものは用途が殆ど金属マンガンのようですね。乾電池に使うマンガンは二酸化マンガンとい
   うものでその品位は70%以上のもの。それ以下のものを金属マンガンとして合金用や溶接棒、鉄鉱石製錬時の脱硫・脱酸素剤な
   どに使われる。

左:いわゆる”手選鉱”の様子。
中:トロンメル式分粒機からはきだされる鉱石を女性たちが手作業で選鉱中。
右:べっぴんさんばかりですね。衣装を着替えたらすぐにでもファッション・ショーに出れるぐらいの年恰好と言いべっぴんさんばかり。
   本当にこんなべっぴんさんばかりだと鉱山への就職希望者が多いでしょうね(笑)。もちろん実際には近所のおばさんやむすめさん
   が殆ど。硬い石ころ(鉱石)を触るんですからいくら手袋をしていても手は荒れると思いますよ。でもマネキンにはカネをかけてる。
   動作がそれっぽくあまり不自然さがない。べっぴんすぎる顔さえ除けば。


ピンボケしてますね。ちょっと説明を。(同所の案内板より)
  〓斜坑について
この斜坑は昭和27年に完成しS48年まで使用されていました。本鉱山の主要鉱床である「ミサゴ鉱床」の富鉱中心部を目標に開抗されています。斜坑の傾斜は鉱体褶曲部の落し軸に従って平均51度を保ちながら下5番抗(垂直150mレベル)まで下がっています。本斜坑によって通洞坑準下の新鉱体を次々と発見、鉱床深部の本格的な開発の端緒となり野田玉川鉱山発展のさきがけとなった記念すべき斜坑であります。鉱石及び資材類の運搬はスキップにより、又人員は人道ハシゴにより昇降していました。  <案内板より>


右側の”斜坑仕様図”はチョボがビン(漏斗、採掘した鉱石をトロッコに積むまでの一時的プ−ル)でそこから斜坑にあるバケットに積み込みチョボの巻き上げ機で操作しチョボの鉱石ビンから鉱石(粗鉱)を、チョボのズリビンからズリ(鉱石に付着した不要なもの)をチョボの通洞坑で待っているトロッコに積み込み外へ出す、と言う仕組み。  

野田玉川鉱山最大の鉱体、ミサゴ鉱体を採掘するための立抗。ミサゴ鉱体には東ミサゴと西ミサゴがあった。一般にミサゴ断層と呼ばれる断層の中心部に発達した鉱体なのでこの名がついた。”鉱床”ではなく”鉱体”と表示するのはこのミサゴ鉱体の樋幅(木偏ではなく金偏)が何と最大部では10〜15mものヒ幅があったと言う。分かりやすくいうとさつまいも状の濃集部分がそこにあったということである。一般にヒ幅はこれの10分の一程度の大きさ。だいたい1m前後が多い。そこが鉱床ではなく鉱体と言われる所以。ただし鉱床と言っても間違いではない。本鉱山には他に米田鉱床、高田鉱床、桐畑鉱床などがあり小さいものでは玉川縁にも露頭など鉱床が見つかっている。ヒ幅と言うのは簡単に言うと鉱床(鉱脈)の厚みのこと。ヒ幅の”ヒ”は鉱脈そのものの意味。

この巻上機は第一立坑専用の巻上機。坑内だから音が相当反響するでしょうね。騒音と埃と振動と・・・最も当時は全国どこの職場も同じようなものだったが。

細倉鉱山のページでも少し書いたが坑内の通気と換気の重要性をここでも説明している。いかに坑内の空気に神経を使っているかがわかると思う。この方法のもう一点大事なこと、それは落盤などの事故の時に奥で取り残されてしまった場合の空気の供給である。最悪の場合密閉されてしまうのでそんな時には機械のエアホースを外して人が吸入するのである。最も火事のときは逆効果の場合もあるのでケースバイケースであるが。夕張炭鉱では坑内にビニールのエアマントを緊急用に設置していたが。また換気では三池炭鉱などではそのためだけに三池港の沖合いに小さな島を二つも作りどでかい換気塔を工事したり宇部の長生炭鉱でも通称ピーヤという大きい換気用パイプが今も残っている。


不気味ですね〜、でもな〜んかこの雰囲気が好きなんですよ。もちろん廃坑ですから誰もいません。いるのは観光客のみ。でも今にも鉱石満載のトロッコが奥の方からゴトト〜ン・・・ゴトト〜ン・・・とにぶい音を響かせながらガラスにひびの入ったライトを照らしながらこっちに向かってやって来る、そんな気がするんですよ。


見るべきものがたくさんありました。来てよかった。


                  〓野田玉川鉱山の地質鉱床
当鉱山周辺の地質は中生代三畳紀と考えられる珪岩、粘板岩、砂岩の互層とこれを覆う白亜紀及び第四期の堆積岩類、さらにこれを貫く花崗岩類とからなる。
三畳系はその北東部は不整合をもって白亜紀層に被われているため明らかでないが他の三方向は花崗岩帯の貫入を受けいわゆるル−フペンダントの地塊をなしている。
三畳系の一般走向はほぼ南北ないしN20°Eで西方に60〜80の急傾斜をなし大小の断層、褶曲などの発達が著しく極めて複雑な地質構造を呈している。
また粘板岩、砂岩は花崗岩の貫入により熱変性を受けホルンフェルス化している。
白亜紀層は礫岩、頁岩類よりなり前者とは斜交不整合で接する。その一般走向はN30°〜40、傾斜は15°〜20°Eである。
第四紀層は砂及び礫よりなり段丘を形成し中生層、白亜紀層、花崗岩類を被っている。
本地域の花崗岩類は一般に中生代初期に?入したものといわれ、後述のマンガン鉱床に対しても著しい熱変性を及ぼしている。
本鉱山のマンガン鉱床は前記珪岩を母岩としこれと整合的に胚胎する変成層状鉱床で種々の酸化マンガン鉱物と珪酸マンガン鉱物とからなる。
成因的には塩基性海底火山活動に関連した噴気熱水作用によって供給されたマンガン分が珪岩と一緒に沈殿生成したとみなされている。
抗区内には層準を異にする三鉱床群が知られている。
このうち現在稼業しているものはミサゴ鉱床帯でこれも位置的な関係で北部から「米田」「高田」「ミサゴ」「桐畑」の4鉱床に分かれる。
各鉱体合わせた賦存範囲は走向延長へ2キロ余、傾斜延長(深さ)へは露頭下500m余に及んでいる。
鉱床を構成するマンガン鉱物は数多いが主要な鉱石鉱物としてはパイロクロイト鉱(通称:キビマン)、ハウスマン鉱(通称:テツマン)、テフロ鉱、バラ輝石鉱の4種が代表的なもので他に菱マンガン鉱、ブラウン鉱、閃マンガン鉱なども比較的多く産する。
鉱床は母岩の地質構造と密接な関係があり褶曲軸部などでは特にボナンザ(富鉱部)を形成する。
褶曲肥大部では鉱巾も3〜10mに達するが一般的には0.8〜1.5mを普通とする。鉱体の増幅部ではその中心部にパイロクロイト鉱、ハウスマン鉱などの高品位酸化鉱物を産し外縁部にはこれらを包むようにテフロ鉱、バラ輝石鉱の珪酸鉱物が多く胚胎する。一鉱画の規模は走向長30m内外であるが傾斜へはその3〜5倍に伸張するのが特徴である。
またマンガン鉱床の上盤側に近接して粘板岩ホルンフェルス薄層があり、しばしば放射能異常が認められウラン鉱(閃ウラン鉱)の賦存が確認されている。  


左と中:何年かたてば鍾乳石が出来るかも。セメント中の石灰が溶けてこんな風に。2億年もたてばここも立派な鍾乳洞?に変わっ
   てるかも?!
右:2億年・・・気の遠くなるような、と言うよりも日本列島がまだフォッサマグナを境に東西に分かれていた頃の出来事。ご当地は確
   か北アメリカプレート側じゃなかったか。


左:一生懸命読めるようにと加工したんですがやっぱり読みにくいですね。文字を大きくするとファイルが大きくなるし。と言うことでまた
   書きます。(もう加工はやめじゃ・・・)
             〓マリンロ−ズはなぜ赤い〓
     皆さんが展示館でごらんになったマリンローズの製品、そして今、坑内でご覧になた原石の特徴はその色です。なぜ石にこの
     ような美しい赤い色がつくと思いますか。それは含まれているマンガンのせいなのです。色の美しい宝石と言われて何を思い
     出しますか?孔雀石? ルビー? ガーネット? 赤めのう? これらの色の原因はいずれもその中に含まれる元素のせいな
     のです。孔雀石の緑は銅、赤めのうの赤は鉄、ルビーの赤はバナジンによると言われています。それぞれの元素は常に同じ
     色を出すとは限りません。例えば鉄は赤めのうの中では赤、ガーネットの中では赤と言うよりも赤味を帯びた黒、磁鉄鉱の中
     では黒、その他多くの鉱物の中では緑色になります。
     マンガンは石にどんな色をつけるでしょうか。皆さんがご覧になっているバラ色が代表的なものでバラ輝石という名前もその色
     からきています。このほかアメジストの紫もマンガンによるといわれていますし坑内のバラ輝石の見えた所の周りが真っ黒にな
     っているのもマンガンの色なのです。マンガンを含む鉱物の多くは細い凸凹や割れ目があると(酸化作用)空気中で黒くなって
     しまいます。
      野田玉川鉱山のバラ輝石はなぜこのように美しい色をしていて宝石マリンローズとして珍重されるのでしょう。それはマリン
     ローズの原石の中のバラ輝石の粒の大きさとその集まり具合が美しい色調を示しかつ黒くなる原因となる割れ目や微細な凹凸
     をもたないからなのです。原石は丁寧に磨けば磨くほど美しく光り輝いてきます。  <以上、案内板より>

右:ミサゴ鉱体立体模式図。とらえ方としては南西方向からの俯瞰図と見ていいだろう。赤色でぐにゃぐにゃ書いてあるのがミサゴ鉱体
   そのもの。垂直の柱様のものが第一立抗、その際を斜めに貫いているものが斜坑だろう。立抗周辺の大きなぐにゃぐにゃがミサゴ
   断層。
   「褶曲軸の方向はN30E、51°Sの傾斜を有す」の意味は超簡単に言いますと、自分自身をこの場合だと褶曲軸の南側に立ち北を
   向いて軸の延長方向が自分の右側、つまり東側(E)に寄っていっている角度が30度ありその地中に埋まっている部分の傾斜が南
   (S)側に水平を基準に51度傾いている、と言う意味である。


地震と地学の勉強にいかがでしょうか。東日本大震災以後TVやニュースでよく見る絵ですね。断層にもいろいろ種類があってややこしいです。ユーラシアプレートやフィリピン海プレートや太平洋プレート、北アメリカプレートなどの地中奥深くで今も休みなく発生しているのかと思うとそのせいで起こる地震が怖いと思う反面、人類の如何なる力も知恵も悪巧みも届き得ない地球の悠久の息吹を感じ感動する。


左:こんどは読めますよね。よかった。
右:曲がる石っていうのがあるのは聞いたことがありますが見るのは初めて。何でも石英粒同士に隙間ができていてそのせいで曲がる
   とか。学術名はイタコルマイト。ネーミングはブラジルのイタコルミ山で発見されたからとか。


左と中:メノウ原石。ブラジル産。日本にあるものの中では一番大きいらしい。
右:拡大図。なんとなく牡蠣みたいでおいしそう・・・


左:ハウスマン鉱(通称名テツマン):鉱床の中心部に産しマンガン47〜60%を含む鉱石中最も高品位な酸化マンガン鉱である。
   比重も5〜5.6と鉱石中最も重い。富鉱部を形成し当山の主要鉱石である。
中:バラ輝石鉱(通称名バラキ):鉱体の最も外縁部に位置しマンガン品位は20〜35%の珪酸マンガン鉱である。美麗な色彩と高い
   硬度により貴石”マリンローズ”として愛好されている。現在日本では当山が唯一の産地である。
右:パイロクロイト鉱(通称名キミマンorキビマン):鉱床のほぼ中心部に産しマンガン45〜55%を含む高品位、水酸化マンガン鉱で
   ある。富鉱部を形成し当山の主要鉱石でハウスマン鉱よりも分布範囲は広い。


左:テフロ鉱(通称テフロ):鉱床のやや外縁部に位置しマンガン品位は35〜48%の珪酸マンガン鉱である。鉱体劣勢部でもバラ輝石
   とともに分布範囲が広い。
中:深沢鉱山(秋田県大館市)で採掘された黒鉱がこんな所に。今でこそ宝の山だが発見された昔は大変にやっかいな鉱物であった。
   製錬が出来ないのだ。金、銀、銅、鉛、亜鉛、鉄など、非金属では沸石や重晶石(バリウム)なども含有されておりそれらを選鉱・製
   錬するのに随分苦労したと言う。出鉱地は主に秋田から石川までの日本海側(グリーンタフ)。
右:こちらはルビー(紅玉)の原石。いろんなものがある。


左:これはアマゾナイト。何でも昔スペイン人がアマゾン川流域で見つけたとか。これの仲間に翡翠とかトルコ石がある。翡翠は日本では
   フォッサマグナで有名な糸魚川市の西隣、青海で採取できる。ただし採取禁止区域があるので要注意。海岸では今も休日などに熱
   心に探している親子連れを見かける。
右:
お疲れ様、出口です。ぼくには結構楽しい坑道でした。ファミリーや子供向けではないかもしれないがたまにはこういう非日常もあっ
   ていいのでは。

      (1/1)     HOME    >完<