ウラン人形峠  (岡山県苫田郡上斎原村1550)  2/2   
                                              ・2回目 訪問日 : 2007年9月


 前回は雪、雪、ゆき、ユキ・・・で資料館もサイエンス館もそして坑道もな〜んにも見られなかったので道路際の”ウラン鉱床露頭発見の碑”を見ただけでした。今回は暑い”夏”です。(暑かった〜!) 目的のもの、資料館とサイエンス館はバッチリと見てきました。ただ平日のせいか誰〜もいません。受付の女性(誰もいない資料館にはもったいないほどの美人だった)がただ一人、ジッと座っているだけ。ウ〜ン、なんとなく場違いな感じもしないでもないが。
 もうひとつの目的、坑道ですがこれが問題だった。というのもてっきり自由に見学できて写真も自由に撮れるものと当然のように思っていたのだがそうじゃなかったのである。そのどちらも
×でした。あアァ〜〜。なんだなんだナンナンダ〜。住所も名前も身分証も出してるのにダメなのかよ〜。これも9.11のせい?もういい加減にしてほしいね。そりゃあ原子力関係だから他所よりも警備が厳しいのはわかるけどネ・・・・・。また”しようがない”ですね。ということでブラックライトで蛍光に光っているウラン坑道を見るには見ましたがガイド嬢から”はい、戻りましょう” とすぐにバスに乗せられまた展示館まで帰りました。途中の各施設もバスの窓から見ただけです。ナンノコッチャ!? 不満が溜まりますネ。 そういうことでゲートから中の写真は一切ありません。
 人形峠ウラン坑床は1955年(昭和30年)に発見され1957年から今の観光用坑道として残っている.「夜次(よつぎ)南2号坑」が掘られた。坑道の規模はわりと小さく、延長・42m しかない。本格採掘のための坑道ではなかったのか。 ここがウラン鉱山として活況を呈していたのは約30年間で1987年(昭和62年)にはウラン採掘を終了した。その間に掘ったウラン鉱石は86.000トン 抽出したウランは約84トン。この数字だけで単純計算すると品位は約0.1%である。





Lが展示館とサイエンス館の遠景です。坑道は最左側から入ります。Rは関連企業の建物。  


ごらんのとおり「アトムサイエンス館」です。 私見ですがここはたいしたことなかったですね。下のピンクの展示物の写真がそれです。


cf
ここが”人形峠展示館(資料館)”である。下の各種の写真はここで撮ったものである。上の”人形峠 アトムサイエンス館”にはこの中で通じている。  


ここがご当地最大の関心場所、目的地だった。が何で、なんで、ナンデ・・・〜。なんで自由に入れないの〜?あ〜っ、Gショック!(ちょと古いおやじギャグだった?スンマセン) そうなんですヨ、今回こそは”ウラン鉱石採掘跡の坑道を見て写真が撮れる!”と思っていたのに・・・。ザンネン!撮影禁止!なんだって。大型観光バスに乗ったとたんにガイド嬢の最初の案内で「構内は一切、写真撮影は禁止です。」だって。 (なんかこの文章、変ですね・・・キーを叩いている間もその時の光景を思い出してなんか気が動転してしまってます。要は自由に出入りできず入るには身分証提示と住所と名前記入を求められることと中での撮影が出来ないということです。) ネット情報では内部の写真が結構アップされていたのだが。どうやらだいぶん以前のものだったのかも。 ”9.11”以降は特にこういった特殊な施設はそれまでの管理方法を変えていっているのかもしれない。これも時代ですか。しょうがないですね。(最近、日常生活でなにかと”しょうがない”を連発することが多いですね。これも「しょうがない」んでしょうか。ハハハッ、お笑いですね。漫才みたい・・・。) それにしてもたった3人の客だけで大型観光バスを運行ですか。坑道跡までは約10分ぐらい。最左の写真のゲートを入るとバスは一時停止。左側の詰め所前に立っていた立番が人数を確認し発車OK。発車時は”敬礼”をしてましたよ。自衛隊駐屯地の立番みたいだった。    


展示館入ったらすぐ左にここの航空写真が。美人の受付嬢はこのすぐ後ろ側に。(どうも美人というだけで後ろが気になりますね。《笑》) 目的の坑道跡は写真右手方向です。入り口は左手ちょっと下側です。最上部の白くて四角い部分が廃棄物貯蔵所。    


それではこの辺でちょっとウランのお勉強をしましょう。


リンカイウラン石。ブラックライト(紫外線)を当てる前。普通の石です、何の変哲もありません。  


ところがところが魔か不思議!ブラックライトを当てるとご覧のとおり蛍光を発します。キレイです。観光用坑道内にも一応、自然の状態のウラン石がブラックライトを当てた状態で見れます。案内嬢は”ここは実際に採掘していた鉱脈で今はこの様にウラン鉱石が自然状態で見られます。”とのことだった。そうなのかな〜? ちなみに上の写真は展示館の展示物です。  


なんこっちゃさっぱり????です。もちろん書いていることはわかりますが。説明しろ、と言われると????です。ウランのお勉強を・・・と言った手前、なんとかウ〜ン、ウ〜ン、と気張るんですが何も出ません。(漫才ならここで、・・・・・やめときましょう、落ちはわかりますよね。《笑》 ) 結局”白旗”です。 スンマセ〜ン。


各種鉱物の放射線測定が出来るらしい。そういう装置です。展示館の中にあります。  


ウラン235の”濃縮ウラン”を遠心分離機で製造する方法です。基本的にはわずかな比重の違いを利用しているだけですね。金属鉱物の比重選鉱と基本的には同じなんでしょうか。ただこの日は”(調整という名の)故障”でした。ウ〜ン・・・。  


海水の方が約10倍含有量多いんですね。  


わかりやすい説明です。  


”回収ウラン輸送容器”です。直径・1.3m 高さ・1.6mの円筒形で重量・1.3t(1.300キロ)。L写真がそのカット模型ですね。説明図では、”落下試験は9Mの高さから硬い鉄板に落としての耐衝撃強度。これは積載したトラックが時速50キロで他車と正面衝突した場合に輸送物にかかる衝撃の数倍に相当する。耐火試験は摂氏800度の環境で30分間置いても密封性が保持できることが条件”という意味のことが書いてあります。ここでいう1.3tの重量は外容器と内容器の合計でしょうか?or 外側だけ?  


ここで採れた鉱石です。閃ウラン鉱じゃないんでしょうか?


ウラン鉱石採掘当時の風景です。説明には「トロッコによる鉱石搬出作業(中津河)」とあります。バッテリートロッコで中から運び出している光景ですね。坑道入り口の枠組みがなんとなく前時代的ですが。発見・採掘が1955年にしてはちょっと古すぎる?あるいはそれほど大規模な坑脈ではなかった?    


〜展示館」内にあった資料です。時間があればもっとじっくりと見たかったですね。資料そのものはこの写真以外にも結構たくさんあります。もちろん広報誌ですからあんまり”秘密めいた?”内容は期待不可ですがそれでもじっくりと見ていけばここに来なければ見られないものもありますね。当然ですが。  


ここが”アトム・サイエンス館”の中です。発電の仕組みとかその種類とかその他etcです。私にはさっきも書きましたが、イマイチでした。お子様向きですね。(関係者の方、どうもすいませんです。いいたいこと言って。)  


何の工事かわかりませんが大きな工事をしてました。単なる用壁工事なのかどうかわかりません。ただ最下段の写真は以前来たときにも気になったのですが廃棄物?ではないのでしょうか。この場所が工事現場の隣です。と言うよりもなんとなく見ようによれば廃棄物置き場拡張工事?にも見えるのですが。  


岡山県側から見た工事現場。確か”ウラン坑床露頭発見の碑”がこの写真右側の青い工事用看板の辺りにあったと思うのだが。今回行った時はそれが見られなかった。工事の関係で一時撤去だろうか。たぶん復元するとは思うのだが・・・・・。  


これが例の廃棄物?かもしれない”シロモノ”です。以前もシートをかぶしてましたね。いったいなんでしょうか。ドラム缶の形に見えたり見えなかったり・・・。  




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