中竜鉱山  1/3    
          福井県大野市上大納38-8      Photo : 2006.06   更新:2008.10


 中竜鉱山に2006年6月行ってきました。
ここの鉱山は非常に古く約750年前の13世紀中頃に発見されたと言われる。当初は銀、鉛などを採掘しその頃の手掘りの跡も残っている。その後いくたの変遷を経て1934年(昭和9年)、「日本亜鉛工業」に採掘権が渡り亜鉛、鉛、銅などを年間約45万トン産出。しかし1987年(昭和62年)、円高による金属価格の暴落で採算がとれず採掘中止。その後も再開ならず後にテーマパーク「アドベンチャーランド中竜」として観光客誘致に努力。しかしそれも2006年11月閉鎖。現在に至る。(一部パンフレットから抜粋)
 ここ、中竜鉱山の鉱床は接触交代鉱床で閃亜鉛鉱、方鉛鉱、黄銅鉱、磁硫鉄鉱などを主に産出した。今回は残念ながら「アドベンチャーランド中竜」だけしか見れませんでした。他の部分は解体中の重機がウナリを上げていたり奥まで行ける雰囲気ではなかったためです。下調べも若干不足でした。でも知らなかったのですが年末にはもう閉鎖でしたので坑道内に入れただけでもまだよかったです。
                              


この山の地下深く・・・坑道という名のトンネルだらけ。


 ・L写真:「アドベンチャーランド中竜」のチケット売り場。閉鎖前のせいか客は誰もいない。
 ・R写真:同駐車場とレストラン。


 ・L、R写真:解体中の旧選鉱所。重機やダンプがうなりを上げていた。その横を私の乗ったマイクロバスが斜坑に向かって走ります。


 ・L写真:坑道入り口です。ここをマイクロバスで数分間かなりの急勾配の坂をくだります。
 ・R写真:バスの中から進路前方を撮りましたが駄目でした。何も写っていません。


 約760年前に発見されたと言われる中竜鉱山のガイドライン。


 ・L、R写真:トラックレスマイン方式なので非常に坑道内は広々としている。と言っても写真が暗くて広さが分からないが。大型ダンプが普通に通行していた、と言えばだいたいの大きさが分かると思うが。


 こちらはカナダ産の鉱石。ブラックライトを当てると蛍光色を発光する。






 ”鏡肌”とは断層面などで両側から非常に大きな力で押し合いながらずれた場合いそのずれた面が鉱物の種類にもよるが鏡のように光沢のある面を生成する場合がある。



 簡単に言うと坑道内のエレベーターです。海面下200メートルまでこれで降ります。人も物資も。右のが当時の光景です。200Mも下がると相当地圧が高いでしょう。元炭鉱マンの話では地圧が高いとケガなどしても出血しにくいらしいです。


 ・L写真:ここでもモールス信号もどき?。 まあモールス信号は停電その他の緊急時に威力を発揮しますが。余談ですが最近は地震の震災訓練が各地で行われているようでこれまでは何でもかんでもハイテクの方向でやってましたがどうやらここに来てローテクと言うか昔からの方法も使われるようになってきたらしいですよ。
 ・R写真:ケージに乗る当時の写真。


 ・L写真:これは自重6トンのバッテリートロッコ(B/L)。
 ・R写真:坑夫たちの運搬用トロッコ(人車)。大変狭いです。小柄な人でないと相当キツそう。


 両写真ともに採掘する前の自然状態だ。
 ・L写真:なかなか質感のある状態だ。まるで鉄の塊が岩壁に埋まっているかのように見える。
 ・R写真:どの部分が閃亜鉛鉱なのか正確にはよく分からない。


 ・L写真:方解石=炭酸カルシウム(炭カル)=石灰石と磁鉄鉱)。
 ・R写真:亜鉛の主鉱石。亜鉛はほとんどこの鉱石から採る。微量のカドミウムを含むことがある。


 ・L写真:最も一般的なの主鉱石。黄色っぽく右写真の黄鉱となかなか区別しにくい。
 R写真:黄鉱だがほとんど黄鉱と見分けがつかない。見分けるには炎色反応が簡単で確実かも。それとハンマーで叩くと黄鉄鉱は火花が散る。


 方鉛鉱は鉛の主鉱石です。これはその名のとうり微量だが銀が含まれているものです。
 一般に方鉛鉱は硫黄が10%前後含まれているが鉛も約80%と多量に含有されているもので当然持つとズシッと重量感がある。


 採掘場跡。右側の写真の向こう側にかつて実際に掘っていた跡がありました。何とかしてデジカメで撮ろうとしましたが見たとうり駄目でした。内部はすり鉢状のほぼ円形で直径が約30メーター位。重機が3〜4台ありました。もちろん作業員は・・・いなかった、です。(いるわけないか!)



    1/3     HOME     Next